姉妹
今日も熱気が収まらない帝都。小さな少年達が小さな木剣を持って、街並みを走り回る。街角に立った花売りの娘が、通りを歩く者達に声を掛ける。窓からは身を乗り出して、太陽の光を身に浴びる者もいれば、ただ街並みを見ている者もいる。
賑やかな中央通り――その通りにある一つの喫茶店の屋外席で、一人の女性が街行く人波を見ながら、片手間にカップを口に運ぶ。
「……遅かったな」
そう呟くが誰も彼女の周りにはいない。
しかし、そんな彼女を周りの人間は気にする様子もない。そもそも最初から可笑しかった。女性の格好は、黒いロングブーツに太ももまで露になるような丈の短いワンピースを着ており、この辺りでは珍しい黒い髪だ。
周りとは身に纏うものが違うというのに人の視線を集めることもない。まるで、そこには誰も居ないかのように周りの人間が女性に気付いていない。――いや、いた。唯一人。女性自身がここに呼び出した人物だ。
「急に連絡するそっちが悪いんじゃないの? これでも私、忙しいのよ?」
黒いローブ、黒いハイヒール、黒い瞳、黒いとんがり帽子、そして、腰まで伸びた黒い長髪。こんな特徴を持つ者はこれまで一人しかいなかった。帝国の皇帝と最も親しいとも言われている宮廷魔術師、ウルだ。
「全く、闘技大会開催中に手紙が来た時は驚いたわ。 東の方に住んでるんじゃなかったの? もしかして、また旅でも始めるつもり?」
「そんなんじゃねぇよ。テメェに会いに来たに決まってんだろうが」
「あら、予想外」
わざとらしく目を丸くし、口に手を当てて驚いた表情を作る目の前の血の繋がった実の姉を見上げる。
「それでヴェルちゃん。何をしに来たの?」
「ヴェルちゃんなんて呼ぶんじゃねえ。名前で呼べ」
「え~~可愛くないから嫌」
昔から何度も繰り返されてきたやり取り。勝手に人の名前を省略してくる姉を睨みつける。唇を尖らせて抗議してくるが、その姿はヴェルーーと呼ばれた女性をただ苛つかせるだけだった。
「そもそも何で名前を変えてんだよ。探すのに苦労したんだぞ」
「いいじゃない。ちょこっと変えただけだし、そんなに難しかった?」
「似たような奴が何人もいたんだよっ」
カップを持つ手をワナワナと震わせながら、これまでの苦労を思い出す。ある村に辿り着けば、獣を追い払って欲しいと懇願されたり、今年は豊作にして欲しいと何故か祈られたり、街に辿り着けば、黒い悪魔を退治して欲しいと泣き疲れたりと色々あったのだ。
ちなみに最後の黒い悪魔は家ごと焼却した。家主はどうなったか?――知らない。暗示をかけて金を持たした後は見ていない。恐らくだが、今頃新しい我が家でも買っているのではないだろうか。
「ごめんねぇ。ちょっと昔、呪術を掛けられて死にそうになってね。人間社会って何かと恨みを買うのよねぇ」
「何言ってんだ。呪い程度じゃ死なない癖に」
「正確には死を防いでるんだけどねぇ」
物騒な会話をしているのにウルの表情は笑顔だ。対して、ヴェルは無表情。猫舌なのか、どこからともなく運ばれてきたスープに息を吹きかけて口へと運んでいる。
そんな時、ウルが気になっていたことを気にする。
「ねぇ…………恋人でもできた?」
「――ブフゥッ!!」
本題でも尋ねてくるかと思いきや、予想外なことを口にしたウルにヴェルが口に含んでいたスープをぶちまけてしまう。
霧状になったスープが机と床を汚し、目の前のウルにも飛び掛かる。だが、ウルはそんなことを気にした様子もない。逆に、反応を示した妹を弄ってやろうと目を輝かせる。
「ねぇねぇねぇねぇ、どうなの? いるの? いないの?」
「――ゴホッゴホッ!! 何言ってんだお前!! いるわけないだろ!!」
「え~……それにしては髪とか前に見た時より整えられているじゃない」
「馬鹿か!? 前別れたのは何年前だと思ってるんだ!? 髪ぐらい整えるようになってる!!」
一緒に住んでいた頃は、特に人に会うことなどなかったし、身内同士であったからあまり外見を気にしなかっただけだ。意中の相手がいるなど決してない。それでも、このような話に耐性がないばかりに、赤面してしまう。
さっきまで人形のような無表情であったヴェルだが、うっすらと顔を赤く染め、言葉を早口に捲し立てる。
「ほらぁ。貴女の付けてるのって最近噂の口紅じゃない。前まではこんなの興味持ってなかったのに……誰か落とそうとしてるの?」
「だから何年前の話だ!? アタシも成長してんだ!!」
「年止まってるのに?」
「精神の話だよ!!」
「ついでに胸も」
「ブチ殺されたいのか? というか絶対いらねぇよなぁ? 煽るために言ってるよなぁ?」
怒りをのらりくらりと受け流すウルに苛々して頭を抱えたくなる。毎度毎度、顔を合わせる度に弄ってくる姉。そんな姉をヴェルは苦手としていた。
「~~~~ッ!! いい加減にしろよクソババア!! いい年して色恋沙汰の話を持ってくるんじゃねぇ!!」
「おい、愚妹。姉に対して敬意が足りてないぞ。 何より、肌をそんなに露出しているお前に言われたくはないぞ売女」
「ハーーーー!? これだからババアは!! 若者の流行に着いていけねぇなぁ!! これが流行りなんだよぉ~。 後これの方が動きやすさとか諸々考えたら、最適なんだ!!」
「ババアババアうるせぇぞクソガキィ!! それと諸々ってなんだ? あぁ!?」
「うぇ? ええっと……そりゃあ、湿気とか風通しとか――」
「それしかないんだろ?」
「…………」
「はーい、残念でした!! その服に大した利点はありません!! よって貴女は無駄に肌を露出し、若作りをしているババアですぅ~」
「話が繋がってねぇぞババア!! どうしてそうなった!?」
「うるせぇぞ、沈め愚妹」
「テメェが沈めやァ!!」
本当に…………この言い合いが街中に流れなくて良かった。後に二人はそう心の中で呟いた。
「もうやめましょう。この不毛な争いは」
「――そうだな。その通りだ」
しばらくの間互いを罵倒し合っていた二人。しかし、ようやくそれが、時間の無駄にしかならないと気付いたのだろう。大きく肩で息をして互いに気分を落ち着かせていく。そして、互いの息が整ったのを見てウルが席へと腰を下ろした。
「それで、今まで何をしていたの?」
久しぶりに再会した妹。特に仲が良いわけでもないし、悪いわけでもない。かと言って、尋ねて来たのに追い返すつもりもない。
手紙では東の方を転々としながら暮らしていると書かれていた。しかし、それはもう二百年前の話だ。
「別に……今はセルスタリアと更に東にある夜の国との間の砂漠地帯の廃墟に住んでる」
「え……大丈夫なの? あそこ何もないじゃない。そんな所で魔術の研究何てできるの?」
自分の妹が廃墟に――しかも、死んだ土地とも言われている砂漠の地に住んでいると聞いて顔を顰めるウル。飢えで死ぬことはないだろうが、自分では退屈で死にそうになるだろう。
「数百キロ離れた場所に街があるから大丈夫だろ」
「それってセルスタリアの? あそこ、大陸随一の魔物が発生する国じゃない。年に幾つの街が襲われているわよ。そんな所を当てにしたら駄目よ」
魔物の発生が群を抜いて多いセルスタリア。噂では最近吸血鬼や巨人も商人達を襲っていると聞く。そのせいで、騎士達の死亡率や武器の消費も馬鹿になっていないらしい。
それでも国が瀬戸際の所で維持できているのは、あそこの剣帝のおかげだろう。
魔物の発生地に赴いている妹を心配するのではなく、研究ができるかどうかしか心配しないウル。血の繋がった妹に向ける言葉ではないが、それをヴェルは気にすることなかった。
「それなら心配ない。廃墟になった街があるから」
「そうなの?」
「あぁ、何でも自由に取っていける」
「へぇ……いいじゃない」
だってこちらの頭の中も魔術ぐらいしかないからだ。
街が廃墟になっているから何でも取って行って良い。まともな神経をした者ならまずでない言葉。周囲の人々が会話を耳にしていたら眉を顰めていたに違いない。
「それじゃ、そろそろ本題に入りましょう――――何をしに来たの?」
国、大陸随一の魔物の発生を誇るセルスタリア――よりも更に先の砂漠の地。人が来ることができない場所で、一人でひっそりと暮らしていた妹。
いつもなら手紙だけのやり取りで済む。それなのに、わざわざ足を運んだ理由は何なのか、少しばかり興味が湧いていたのだ。
「はぁ…………そうだな。無駄な言い合いをしに来たわけじゃないんだし」
いつの間にか、机の上にあった紅茶のカップとスープの入った皿がいつの間にか消えていた。それがどこへと消えたのか、それはウルにも分からない。いつもなら新しい魔術に興味をそそられるが、今は妹の方に興味があった。
広々と使えるようになった机の上に肘を置き、ヴェルは口を開く。
「アタシと一緒に夜の国に来てくれないか?」
それは、到底不可能な内容だった。