黒竜の血
アルゥツと名乗った怪物が、何気なく口にした言葉。その言葉がシグルドの中に新たな疑問を浮かび上がらせた。
「お前……今何て言った?」
「ん? 何がだ?」
「さっき言った言葉だよ!! 何で俺が竜殺しと分かった?」
それを知っているのは仲間であるミーシャとガンドライドのみ。言わずもがな誰も口を割ってはいない。
それなのに、アルゥツはシグルドの方を見て竜殺しと言ったのだ。
「あ~……それについても追々話す。取り合えず、まずはこっちの頼みを聞いてくれないか?」
「……構わない」
詰め寄ろうと動かしかけた脚を止める。シグルドが話を聞いてくれると分かったアルゥツは分かりにくいが、恐らく笑顔を浮かべているのだろう。鋭い牙を見せながら自分の望みを口にする。
「それは良かった。俺の頼みは一つだけだ。同胞達の亡骸に手を出さないでくれ」
ガンドライドが最短距離で進むために開けた大穴。幾つもの壁に大人三人が悠々と横になって歩けるほどの穴――これだけの破壊後、修理費がどれだけかかるかなど考えたくもない。
「それにしてもよくここまで破壊したな。途中からしか見てなかったけど何があったのだ?」
「…………不幸な事故とでも思ってくれ」
「なるほど。言いたくない出来事という訳か」
顎に手を当てて首を何度も縦に振るアルゥツ。どうやら追及することはないようだ。
――ちらり、と横目でこの大穴を開けた張本人を見てみれば、何食わぬ顔で歩みを進めている。
無駄とは分かっているが少しは反省するような姿を見せて欲しい。破壊された下水道の修理費は恐らく報酬から引かれるだろうし、最悪弁償ということだってあり得る。もういっその事怪物が破壊してましたで済ませてしまおうかという邪な考えが浮かんでしまう。
「……はぁ」
「はっはっは!! 疲れてるようだな竜殺し」
「死んでくれたら楽になれるわよ」
溜息をつくシグルドにアルゥツが豪快に笑い、ガンドライドがいつも通りに辛口を叩く。報酬を貰おうとしたら、逆に持っていかれるかもしれないと考えた時の憂鬱さが襲ってきてもう反抗する気さえ失せてしまう。
「いい気なもんだよ――ってそれよりも、話を始めろ」
「確かにな。それじゃあ今度はそっちから尋ねてくれて構わない。と言っても俺の方はもう答えるだけなのだがな」
「なら――――お前達は一体何なんだ? どうしてそうなったんだ?」
「おぉ……いきなり核心に来るか」
黒竜に関連するものだということは分かっている。だが、何があってそうなったのかが分からない。辛い記憶を掘り起こすかもしれないことなど百も承知。しかし、聞かずにはいられなかった。
「そうだな。取り合えず、他の奴らに関しては面識がないので何も言えないが、俺は帝国騎士で、ついでに半分死人だったのだ」
「――何?」
「正確に言えば、他国との戦争で致命傷を負って治療していた所だった。それでも治せなかったようでな。そんな時に、傷を癒せる場所があると医者達から聞いた」
「それって魔術師には治せない傷だったの?」
「ん? いや、それについては分からん。魔術にはあまり詳しくないからな」
「ふ~ん。あっそ」
会話の途中で遮ってきたのはガンドライドだ。
本人はふと疑問に思ったことを口にしただけだろう。質問の答えが返ってきた時もあまり興味を抱かず、天井を見ながら愛想悪く返事をしていた。
「随分と素っ気ない返事だな」
「あいつのことはあんまり気にするな。いつもこんな感じだから」
「……そうか。なら話を進めよう」
シグルドが申し訳なさそうにするが、特にアルゥツは気にした様子もなく話を進めていく。
「それで、医者達から話を聞いた所までだったか。その後、俺は傷を癒すためにと運ばれた。 勿論俺の同意の上でな――だが」
「…………」
「それからは地獄だった。傷を治すための薬だと言われて腕にドロドロした液体を注入されるわ。そしたら変形していくわ。後から、それが怪物の血だと分かった時は恐ろしかったよ」
腕から意思を持った何かが入り込んでくる。同時に体の細胞一つ一つが作り替えられていき、自分以外の何者かになっていく。
気を失ってしまいたいのにそれを許されず、頭がハッキリとしていて恐怖を刻み込んでくる。
歯がガチガチと震え、体の穴からありとあらゆる液体を出しながら大声で叫び続けた。
あんな思いは二度とごめんだ。これまでそう思うことは何度もあった。しかし、過去に経験したどんな恐怖よりもあの地獄は勝る。
「それは、黒竜――ファフニールの血か」
「あぁ、恐らく。意識が遠のいていく瞬間にその名を聞いた」
ギリッと歯を食いばる。
こうなったのは自分の責任だと後悔する。
「さっきの奴らは全員失敗作って呼ばれていた。ベルムを含めてな。成功した奴らは全員理性があるが、大抵の奴らが現実に耐え切れなくて自殺したのを確認した」
「…………」
「だから、奴らは血を投与するだけじゃなくて、血そのものを弄り始めてな。人間の姿を維持することができる強化人間を作った」
そこには怒りがあった。
騙され、利用された。理不尽に失敗作だからと切り捨てられた。そんな不合理に対する怒りがあった。
「俺は貴族であり、騎士だった。国のために戦えるし、死ぬ覚悟はできていた――――――だけどな、だけどこれは……これだけはないだろうっ」
それは嘆きだった。
忠を尽くしてきた主に裏切られた騎士の叫びだった。
「(何故俺達を信じてくれなかった!! 俺達は国のために最後まで戦い抜き、勝利をもたらすために騎士となったのに!!)」
握りしめられた拳がワナワナと震える。
帝国の騎士によって支配領域は拡大していった。様々な場所で苦戦はしたが、それでも最後は勝利を収めてきたのだ。
「(それでも――それでも足りなかったというのか!! 我々の献身が!!)」
できるのなら、最後まで騎士として戦い抜きたかった。
何がいけなかったのか。それほどまでに力が足りなかったのか、それほどまでに時間がなかったというのか。
それはいくら考えても分からない。
「――――話が逸れたな。すまない」
「…………」
叫びたい、嘆きたいことが未だにある。しかし、それを今口にするべきではないと自分の内に抑え込む。
「俺達が何故こんな場所に来たかは分からない。本当ならば処分されるはずだった。何の目的があるのかは把握できていないが、少なくとも碌な扱いをされるとは思わなかった。だから、俺達は逃げたんだ」
「お前が残りの奴らを纏めていたのか?」
「いや……だけど、太陽の出る場所よりも地下の方がしっくりきたのだろうな。何も言わずともついてきたよ。ただ、数体が夜中に街に出てしまうことがあったから、俺が見回りをしなくてはいけなかったが」
これまでの苦労を思い出し、溜息をつく。全員がバラバラに行動したり、喧嘩を売ってくる奴がいたり、傭兵や騎士を殺してしまったり、と大変だったのだ。それでも、彼らは同じ境遇に陥った者達。放っておく訳にもいかなかった。
いや、正確には獣のように行動する者達を纏めようとすることで寂しさを紛らわしていたのかもしれない。彼らをまだ人と信じることで、仲間がいると信じることで一人ではないと思い込み、殺してでも止めることをしなかった。
拳を握り締めるアルゥツ。それを見たシグルドは話を切り替える。
「俺が竜殺しだと分かったのは何故だ?」
「ん? あぁ、それは血だよ」
「…………血?」
返ってきた答えを口にする。すると、アルゥツはこくりと頷く。
「体に流れる血が言ってくるんだ。お前は俺を殺した奴だって……」
体の中で血が憎いと叫んでいる。肌の下に虫がいるようにゾワゾワとしてくる感覚に襲われる。
「……大丈夫なのか」
「あぁ、少なくとも暴れるようなことはない。適合者はどうにもこれと共生できるらしい」
それに理性を奪われることがないのか、そう心配して声を掛けるシグルドにアルゥツは心配ないと自分の心臓を親指で指す。
「それに何時でも聞こえるって訳ではない。お前が近くにいる時だけ騒がしくなる。よっぽ恨まれているようだぞ」
「そうだろうな」
「それに、だ」
むしろ恨まない理由が分からない。自分を殺した相手なのだ。恨んで当然だ。そして、それから考えられる恐ろしい推測が浮かび上がってくる。
「多分、生きているぞ。あの黒竜」
例え、息をしていなくとも生きている。復活しようとしている。あの災害が、邪悪の伝説が、悪夢が。この世を滅ぼすことができる、魔物の頂点に位置する魔獣の一体。黒竜ファフニールが。
シグルドがした推測とはアルゥツが口にしたことと同じ、あの怪物の生存だった。