ミーシャ、妹ができる
「■■■■■■■■■■■■!!」
「うるさい水人形が――」
飲み込もうとする水流を跳んで回避し、一際大きな岩に着地する。魔剣を構えたシグルドに本体に栄養を取らせようと分身体のガンドライドが突っ込んでくる。
「ふぅ……」
その瞳に理性は感じられない。だが、本当に理性がないのかと疑いたくなるような精度の高い攻撃を目にしながら、ここに来るまでに妖精達から聞いた情報を思い出す。
目の前の幻影の騎士と呼ばれる魔物の肉体は妖精達に封印されており、水分身だけが動いている状態。その一体にミーシャは捕らわれてしまい、本体のいる穴の奥に連れて行かれた。
「っ――」
力、速度――谷に生息している魔物の中では上位に位置する攻撃を再び跳躍して回避する。
本体に連れて行かれたのは魂を取り込むだろう。急いで穴に飛び込んで探しに行きたいのだが、穴に飛び込もうとすると逆流してきた水が襲いかかり、押し戻されてしまう。
分身体でもそうだが、剣で水に斬り付けたとしても意味がない。精々雀の涙程の量が飛び散るだけである。こればかりは剣技だけでは切り抜けられない。
シグルドが足場にしていた大岩にガンドライドが激突し、水が弾け飛ぶ。大岩も勢いに大きく削られることになっており、衝突しただけでも人を押し潰すだけの威力があるのを証明していた。
「……キリがないな」
流れ出てくる水の音を聴覚で捉え、溜息を一つ付く。
一度弾かれた水は制御下から外れると情報を得ていたが、まだまだ容量はあるらしい。
同じ穴の中から水が逆流してくる。重力に従って落ちるはずの水は、魔術の制御下にあるおかげで天へと昇る柱となって出てくる。
その光景にグルカ城跡地で霜の巨人を焼き払った大魔術を思い出す。
「急がなきゃならないってのにっ」
余裕も時間もないシグルドは魔剣を構える。正直、剣でちまちまと水を切ったところで勝負など付くはずがない。だが、魔剣の力を解放しようにも大量の水と炎がぶつかれば何が起こるかなど想像に難しくない。
水蒸気爆発――そんなことをしてしまえば、この沼地も吹き飛び妖精の住処も捕らわれたミーシャも危険だ。
容量切れになるまで戦うしかない。せめてミーシャの魂が取られる前に決着を付けなければとガンドライドへと駆け出そうとした時、騎士の形を模していた分身が崩れた。
「――――!!」
分身だけではない。空中を漂っていた水も糸が切れたかのように落ちている。その原因は真下――張り詰めた緊張感が消えた戦場で、本体に何かが起こったと考えたシグルドは大穴へと躊躇なく飛び込んでいく。
大穴の中は先程まで戦っていたことを忘れさせるほど静かだ。下にあったのは上と変わらず沼地。まるでここだけ地面が掘り下がったかのような形となっていた。
冷たい汗がシグルドの頬を撫でる。間に合わなかったのかと最悪を想像してしまい、焦燥に駆られたシグルドは暗い穴の中を必死で見渡す。
思い出すのは貴族に捕まり、復讐に燃える少女がグッタリとした姿だ。
あの時のようにまた自分は遅かったのかと自らを呪い殺したくなる後悔を抱きながら目を凝らす。
「あっち!! あっちにいるよ!!」
そんなシグルドに声を掛けたのは戦いから逃れていた水妖精達だ。上から指である一点を指し示している。
そこに目を向けるとあったのは気泡。それを目にした瞬間にゼロからトップスピードへと加速し、駆け付ける。
――が、滑り込みながらミーシャがいるであろう場所へと辿り着いたシグルドはそこで怪訝な顔をする。
確かにそこにはミーシャがいた。気を失いその手の中には水妖精がすっぽりと治まっている。だが、見覚えのない金髪の女性がミーシャを抱きしめているようにして気を失っているのは訳が分からなかった。
「――遅い」
開口一番がそれだった。
服が破れ、水浸しになっていたミーシャはシグルドのマントを体に巻いて不満を口にする。大人用のマントは子供であるミーシャには大きいが、面白がって水妖精も一緒に入っているので中はおしくら饅頭状態になっている。
「すまん――」
素直に頭を下げるシグルド。自分の腕を過信していたのを認める。守りながら進めると考えていたが、罠によって分断されミーシャを捕らえられてしまった。もし、ミーシャが自力で出てこなかったら……そう考えると自分を責めずにはいられなかった。
未熟、傲慢――自らの勘違いでミーシャを危険に晒してしまったことを強く恥じる。
「ま、まぁ!!…………助かったから――――いや、今度は命を賭けて私を守れよ」
「あぁ、分かった」
本気で自害でもしかねないシグルドの様子に焦ったミーシャが大丈夫だと言いかけるが、それは間違っていると思い直し、言葉を言い換える。今慰めの言葉を言えば逆効果だと判断したのだ。この場で一番悔いているのはシグルドだ。慰めを言っても更に自分を責めるだけだ。
そして、その判断は正しく、ミーシャの言葉をシグルドは固く受け止める。
「ねぇお姉様、終わった?」
主を決めた者の覚悟を今一度心に刻んでいた感動的場面に気の抜けた声が入る。
跪くシグルドの視線を遮って、甘えるようにミーシャに抱きついたのは一人の女性だ。長く腰まで伸ばされた赤髪に夏場に着るような薄着の布地の服装をした成熟したこの女性――実は彼女は幻影の騎士の一人、ガンドライドだ。
鎧の下の正体を見て、こんなのと自分は戦っていたのかと呆気にとられる。
「だ・か・ら!!――私はお前の姉じゃないって言っているだろう!!」
「いーやーだー!! 私は貴女をお姉様って慕うことにしたんだから」
「…………」
「おい、何だその目は――私は何もしてないからな!?」
「――――(顔を背ける)」
「おい、顔を背けるな!! 何とか言え!!」
最早そこに先程までの感動的雰囲気はない。あるのはお茶の間にある家族の光景だ。
抱きつくガンドライドを引き剥がそうとするが、力比べで魔物――いや、中身は人間の少女らしいので人間と言った方が良いのか。面倒くさいので幻影の騎士という枠組みで片付けよう。力はガンドライドの方が上のようでしっかり拘束され、頬ずりされている。
その様子を見ていたシグルドの『一体何をしたんだ』という目線を感じ取ったのか、猛抗議するが流されていた。
「お姉様~♡」
「いい加減にしろ貴様っ」
「…………年下のお姉さん属性か」
「おい誰だ!? なんだそれは!? 変な称号みたいなのを付けられた気分だぞ!!」
絡み合う二人を後ろから見ていた水妖精の一人がボソッと口を開くが、バッチリ耳には届いている。何故か不名誉なものを押しつけられた気になったミーシャが水妖精一人一人を捕まえ、問い詰めようとするがそれはできなかった。
手を出せないのは、隙あらば自分を抱きしめようとする輩がいるからだ。
「このっ――いい加減助けろぉ!!」
「……了解」
抑えきれなくなってきたミーシャからの助けにシグルドが間を置いて反応する。未だにミーシャの頬に頬ずりしているガンドライドを猫のように首根っこを捕まえ、強引に引き離す。多少抵抗はあったもののシグルドの腕力にはガンドライドも敵わなかった。
モチモチの頬に頬ずりできなくなり、不服そうに抗議の目を向ける者ともっと早く助けろと睨み付ける者。どちらがどうとか言うまでもない。
「……それよりも早くここから抜けだそう。 ガンドライド、確認しておくが暴れる気はないんだな?」
「ないよ。 お姉様がやれって言うならやるけどね~」
不吉な言葉を発するガンドライド。水妖精からすれば、かつて同胞を取り込みまくった怨敵。軽率な発言には注意しなければここで戦闘にもなるかも知れないというのに、何でもないように口走る。それは中身が少女だからか、人間から逸脱した存在となったからかは分からないが、周りのことに目は向けられないらしく、水妖精の目つきが鋭くなったのに気付いていない。
「やらないし、やらせない。 それと――」
こんな場所で水妖精とやり合うなど望んでいないミーシャは当然軽い口調で危険なことを口走るガンドライドの頭を引っぱたく。
――スパンッ!!と乾いた音が沼地に響いた。
「イッタァ~――何で殴るの!?」
「当たり前だ。 馬鹿者」
反省とばかりに頭を引っぱたいても気付いていない。頬を膨らますが、それは幼い少女がやるから絵になるもの、成熟している姿の女性がやっても効果がない。そして、相手が同性であれば尚更だ。
「それじゃ、外に出るか」
空気を切り替えるようにシグルドが口を開く。これ以上、ガンドライドが余計なことを言う前にさっさと退散したいのだ。
上を見上げれば、必要のなくなった霧が晴れてきている。これならば、迷うことなく出口へと向かうことができるだろう。
「ハイ!! お姉様、私に任せて!!」
「お断りだくそったれ、私には専用の運び人がいる」
ガンドライドが抱きしめるように腕を大きく開く。両腕が塞がったらどうやって登るのだとか疑問を感じてしまうが、本人としてはミーシャを抱き締められれば良いのだろう。背中に突き刺さる水妖精達の視線をものともせずに笑顔で私の胸の中へとキラキラしながら待っているガンドライド。
しかし、それにミーシャが応じることはない。颯爽と受け流し、運び人の背中へと登り始める。
清々しい程の無視だった。
そこから嫉妬したガンドライドがシグルドへと掴みかかり、一悶着があり、結局気絶させて運ぶ形となったのであった。