解放
「こっちこっち~」
「早く早く!!」
目の前を飛んでいく水妖精達の後を追いかける。シグルドが妖精達に出会ったのはついさっきだ。
崖を登ってくれと軽く言い放った妖精達の言葉を一度聞き間違えたかと思ったが、冗談でもなく崖の中央辺りまで登ることになったシグルドは、遠回りだが、ミーシャのいるであろう場所まで案内された。
――されていたのだが、水妖精の同個体による緊急信号によって急に水妖精達が慌てふためき、攫われたとか、襲撃されたと騒ぎ出した。騒いで、収束の付かない妖精達を一喝し、シグルドは襲った相手の情報を聞き取ると水妖精達を伴ってミーシャが連れて行かれた地へと足を向けていたのだ。
「見えたよ!!」
先導していた水妖精の一体が目的の場所を指し示す。そこになったのは巨大な穴――直径50メートルはあろう巨大な穴だった。谷の間にぽっかりと空いており、人工的に切り抜かれたような綺麗な穴の形をしている。
「あの中にいるのか?」
「うん、間違いないよ。 ボク達の個体も連れて行かれたから分かる!!」
「そうか」
聞きたいことは終えた。ならば、後は穴に飛び込んでミーシャを助けるだけだ。穴に飛び込もうと加速するシグルドだが、接近を感知したのか穴の中から水柱が上がる。
「あ、アイツだっ」
「うわぁ!?」
「下がっていろ、お前ら」
「了解っ――退散、退散っ!!」
それが何か分かった水妖精が騒ぎ出すが、シグルドは撤退を指示し、下がらせると一人だけ加速して水の巨人を迎え撃つ。
「名乗り合う暇はない。 そこを通して貰うぞ!!」
「■■■■■■■■■■!!」
理性のない言葉を発した水の騎士に真っ向から突っ込んで行く。
沼地にて、圧倒的水量と魔剣がぶつかり合った。
――寂しい、寂しい、寂しい。
――誰か傍にいて欲しかった。一人でいるのは悲しかった。
両親は一体何処へ行ってしまったのか、ずっと彼女は谷を探し続けている。しかし、見つかることはない。何故なら、既に両親はこの世を去っているのだから……。
何時しか彼女の体には怪物が住むようになった。それがどうやって入ってきたのかも彼女は認識していない。急に気分が悪くなって、自分の意志で体を動かすことができないと気付いた時――初めてその存在を知ったのだ。
暴れ回る二つの存在にやめてと口が裂けるまで叫び続けた。しかし、彼らは耳を貸さずに暴れ回る。まるで竜巻の中に閉じ込められているかのようにグルグルと視界が廻り、更に気分が悪くなる。
頭が警報の鐘でも常にならされているかのように痛い。そして、気がつけば自分は暗闇の中に一人でいた。
何をやっても無駄だった。両親の名を呼ぼうが、泣き喚こうが意味がない。
喉はかれ、涙も流しきった。憔悴しきった少女はうずくまり、ただ終わりを待つだけだ。
何処からともなく辛い、怖い、助けてと声が聞こえる。それが目の前の少女の声だと気付くのに時間はいらなかった。
これは少女の言葉なのだろう。
自分より幼い少女、歴史において蹂躙された側である哀れな被害者だ。
死した後も、両親と会いたいという健気な思いを妖精に利用され、今度は幽鬼にも取り憑かれた結果、幻影の騎士となる器にされてしまった。
万人は彼女の辿った経緯に涙を流すだろう。彼女の境遇に同情し、英雄は彼女を救おうと行動するだろう。
だけど――――自分はそんなことはしない。
同情はするが、それだけだ。
そもそも少女が力を持っていれば、こんなことにはならなかったのだ。
何もできず、器としてあり続けている少女を見下ろし、苛立ちを覚える。
器の底へと辿り着いたミーシャの目の前の俯いている少女を見つめ、少女から滲み出ている濁った汚水のような色に思わずミーシャが顔を顰める。
「だあれ? 貴女も閉じ込められたの?」
俯いたまま少女は言葉を発する。感情の籠もらない声もあって人形を相手にしているように思えてくる。
「言う必要あるか?」
「…………そうだね、ごめんなさい」
少女を見ているだけで苛々してくる。思わずぶっきらぼう声が出てしまったが、少女は気にした様子はなかった。
無機質に、感情なく少女が答えられた様子から、気にしていない、というよりもこう言われたらこう答える。と決められた回答を聞いているようでミーシャは更に不機嫌になった。
「一つ聞いても良いか?」
「…………何?」
「何故、何もしない?」
俯く少女を睨み付ける。
「何故、お前は何もしない。 俯いている。 外に出ることを諦めている?」
何をしているんだと、動かず、考えることもせずに何をしているんだと問いかける。
「………………」
それでも少女は何も答えない。何の反応も示さない。そんな少女に対して、ミーシャは腕を振りかぶった。
――スパァン!!
乾いた音が一つ響く。
冷めた目でミーシャは少女を見下していた。どうにも好きになれないのだ。全てを諦めた者の目は……。
「――――無理だよ」
ようやく、ようやく少女が自分の意志で口を開く。それは弱々しい声であり、傍にいるミーシャの耳に何とか届く声量だ。
「何もできないんだよ。 大きな声で叫んでも誰も答えてくれないし、ここには何も無い。 できることなんて何も無いんだよ」
「…………そうか。 なら一つだけ教えてやる」
少女の諦めの言葉を聞いた瞬間に眉をひそめる。
――分かっていた。少女が既に諦めているのなんて目の前の薄汚い色をした魂を目にした時から分かっていた。
それがかつての自分に似ているからか、苛つきは高まっていく。
「お前に住み着いている奴らはここでお前がここからいなくなれば同時に消える。 つまりお前が死ねば丸く治まるんだよ」
今すぐ死ねと苛立ちを抑えるかのように告げる。
幻影の騎士の一騎であるガンドライドは魔物の中でも危険殿高い魔物だ。だが、水妖精の話を聞く限り、妖精と不死者と人間この三体が混ざり合ったから誕生したとしか思えない。妖精と不死者は弱い魂を二つにすることで強力な魂を、人間は肉体を……種族が違うのにどれかが一つでも欠けてしまえば誕生できないなどどんな冗談だろうか。
つまり、ガンドライドというものを倒す手段の一つとしては、妖精、不死者、人間どれか一つでも欠けさせれば良いのだ。そして、目の前には人間の部分の少女がいる。
「――どういうこと?」
訳が分からないと顔を上げる。それもそうだろう。少女が自分の状況を正しく理解しているとは思えない。自分の体に住み着いているということは分かっているがそれだけだ。初めて会った人間に冗談抜きで死ねと言われれば誰だって困惑する。
それでも容赦しなかった。
「お前が知る必要あるのか? ここから脱出することもできずに諦めているんだろ?」
「でもっ私――――」
「まさか、死にたくないとか抜かすんじゃないんだろうな?」
少女が答える前に遮る。
そんなことは許さない。そう目で脅迫するミーシャに少女が気圧される。
「…………」
「おいおい、まさか誰かが助けてくれるのを待っているのか? 気付いてくれるとでも思っているのか?――良いか、確かなことを言ってやる。 お前を知っている奴なんてもう世界にはいやしない。 助けようと駆け付ける奴なんて何処にもいやしない。」
黙り込む少女に冷酷に、冷め切った声で現実を告げる。
少女は既に死んでいる。しかも三百年も前に……。当時のことを覚えている人間がいるはずもなく、国だって滅んでいるだろう。少女のことを現代の人間は誰も知らないし、知っていてもあのガンドライドごと殺そうとするだけだ。
「お前にできるのはここを自力で脱出するか、ここで死ぬかの二つに一つだ。 まぁ、お前は抜け出すのを諦めているから選択肢は後一つだけだな。 喜べ、自分が何をするべきかが分かったぞ。 よし、じゃあやれ、今すぐやれ」
悩み事が解決した時のように手を広げて喜び、少女に自害しろと煽る。その顔はまるで、少女を虐める悪女のような笑みだ。
「…………貴女は? 貴女は助けてくれないの?」
自分の存在に気付いた者は目の前にいる。この少女を助けに来た人に一緒に助けて貰う手もあるのだ。それに思い至った少女は僅かな希望を抱いてミーシャへと手を伸ばす。
だが、その伸ばされた手をミーシャはピシャリとはたき落とした。
「やなこった。 私の席は私一人だけのものだ。 お前に譲る義理はない」
その言葉に少女は絶望に顔を染める。
いつかここからは抜け出したい。だけど自分にそんなことができるはずがない。三百年間という長い月日でここから抜け出すのははかない夢だと思い知らされた。
そんな中に見えた一筋の光――それすらも閉ざされ少女は膝を着く。
「なら、どうすれば良いの? ここでずっと私は……」
「だから言っただろ。 お前が死ねば良いんじゃないのか?」
さっさとしてくれと手をヒラヒラとさせる。その態度はこちらを挑発しているのは誰もが見て分かった。勿論、少女もそんなことは理解している。その挑発に乗ったわけではない。
ただ、泣きも喚きもせずに、この事態を軽く見て絶対に助かると信じている目の前の少女が憎く見えてしまった。
「――っ!! 何でっ何でそんなに冷静でいられるの!! 貴女だってここから抜けられるか分からないのに!!」
「それはどうかな? お前が死ねば出られるかも知れないし、それに仲間が外に入るからな」
「そんなの理由にならない。 私にだってお父さんとお母さんがいた。 なのに誰も来なかった!!」
「そりゃそうだろう。 その時お前の両親は死んでいたんだ。」
何当たり前のことを言っているんだと見下し、自分は助かるのを信じているという楽観的な態度は少女の頭にますます血を上らせ叫ぶが、ミーシャは意を介さない。
「だから、さっさと死ねよ。 お前は所詮過去の人間だ。 そんな人間が私の邪魔をするなんて許されると思っているのか?」
どこまでも見下した目で見つめてくる。
――どうしてそんなことが言えるのか、自分は何もしていないのにこんなことがあっていいはずがない。
滲み出る感情を少女は抑えきれなかった。
「――貴女に何が分かるっ」
「あ? 何だ聞こえないぞ」
「貴女に何が分かるのっ!?」
目の前で惚けている少女が苛々する。会ってからずっと人の癪に障る態度しか取らない少女。そんな人のことも考えられない人間に自分の先(死)を決めて欲しくはなかった。
最初は小さく愚痴るような呟きだった。それでも十分ミーシャの距離からは聞こえる声量だったはずだ。それを更に煽った結果――少女の感情の蓋が壊れた。
「いつも通りの朝を過ごして、家族と領地を回ってた……そしたら急に襲われて、気付いたらコレだよ!!」
手を広げて周りを見ろと示す。
何も無い。何処までも広がる暗い闇しかない。
「ここで何年――――ううん、何十年かもしれないし、何百年かもしれない。 時間の感覚すらなくなるまで私は閉じ込められてきた!!」
暗く、何も無い場所。人が誰もいない究極の孤独状態を強いられてきた。そんな状況で何が正しいかなど判断はできない。怖い、ただ単純に怖くずっとここから出られないんじゃないのかと想像するだけで足が竦んだ。
「貴女に分かるはずがない。 全部奪われる悲しみも……一人でいる怖さも!!」
「…………」
気持ちを全く考慮しない言葉を吐いたミーシャに叫ぶ。
選んできた訳じゃない。好きでここにいる訳ではない。ただ、選択肢を選ぶ瞬間すらなかった。本当なら一刻も早くここから出て太陽の下を走りたい。そう何度願っただろう。
しかし、それは無理だと分かってしまう。ここに閉じ込められてから、何処かに出口があると信じてずっと走り続けたこともある。四つん這いになって小さな髪の毛一本見落とさずに何かないか探し回ったこともある。
でも何も無い。――そう、ここには自分以外何も無かった。
囚人(少女)を繋ぎ止めるための鎖も出口を固める鍵のついた扉もない。そんな手がかりすらない状態で何ができるのだろうか。
不満を吐き出すこともなかった少女は蓋を壊した元凶に八つ当たり気味に言葉をぶつけていく。
そうしたって状況が良くなることなどないと少女も分かっている。ずっとここに閉じ込められている少女が何より分かっている。
それを冷めた目で見下ろすミーシャも止めなかった。
「……ふぅ……ふぅ」
「――で? 終わりか?」
それでも少女の叫びは心に響いていなかった。
肩で息をする少女にギロリ――と睨み付けられるが、そんなものも何処吹く風のように受け流し、口を開く。
「それじゃあ、逆に聞くよ。 お前は私を知っているのか?」
「そんなの……」
「知るわけないよなぁ? だってお前と私は出会ったばかりなんだから……そもそも出会ったばかりの人間に対して自分の何が分かると問い詰めるのが馬鹿げている」
呆れたように肩を竦めて、誰が聞いても最もだと思うことを口にする。非の打ち所がない正論に反論できるはずもなく少女は歯を食いしばる。
「お前は何もできないと言ったな。 私なら――そうだな、まずは待った」
「は?」
「ひたすらに待ち続ける。 自分の魔力が満ちるのをな。 そして、一気に逆転する」
少女がここに閉じ込められているのは保有するが少ないからだとミーシャは予想していた。
言うなれば現在少女は技術の伴っていない騎手だ。暴れる馬を宥める手段がないため、馬に振り回されている状態。技術がないから自分の行きたい方向に行けない状態だ。
「何もできない?――いいや違う。 そこに思い至らなかっただけだ。 まだ手段はある。 だから、立て。 立って全部取り戻せ、奪った奴らをそのままにしておくな」
声には僅かに怒りが含まれていた。それは目の前の自分と重なって見えた少女に対するものか、今も玉座に腰掛ける男に対するものかは本人にしか分からない。
だが、ミーシャが自分と同じ奪われた者であると気付くのには十分だった。
「…………私にできるの?」
「お前次第だ」
「これまでずっとここに閉じ込められて何もできなかったのに……」
「ウジウジ悩むな、殺したくなる。 根本的なことを聞いてやろう――――ここにいたいのか?」
辛辣だが、その言葉は少女へと突き刺さる。皮を剥がされ、久しぶりに感情とも言うべきものを出した少女。その目からは涙が溢れていた。
「――――うぅ、あぁっ」
涙とは別に溢れる感情――それは悲しい、寂しいではなく、憎い。初めて込み上げるその感情に歯を軋ませ、爪は皮膚に食い込んでいく。
「(嫌だ、こんな場所に一人でいるのなんて、嫌っ)」
自分を殺した奴が憎い、ここに自分を閉じ込めている奴らが憎い、そして、何よりそんな奴らに閉じ込められている自分が憎い。
「ふん、これでようやく話ができるな」
これまでとは違い、感情を現わすようになった少女がゆっくりだが顔が上がる。その魂は未だに穢れが残っているが、もうじき晴れるだろう。
感情を抑えるために荒々しい鼻息をして、下唇を噛んで顔を真っ赤にしていた少女がようやくミーシャと目を合わせる。
「私達が力を貸してやる。 立て」
涙を流す少女に今度はミーシャが手を伸ばし、少女がその手を取る。立ち上がった少女が一向に手を離さないミーシャに怪訝な顔をするが、それも次の瞬間には苦痛の顔に変わった。大量の魔力を少女の体へと流し込んだのだ。
「――――あっ」
「ボクも手を貸そう」
初めての感覚に目を白黒させながらも、手を離さずに逆に握りしめてくる少女。まだまだ体を制御するには足りないと判断した水妖精が頭に乗っかり、小さな体からは想像できない魔力量を流してくる。
「アァアアアアアアアアアッ!!――――やめ、て」
「自分の肉体を取り戻すのならこれぐらい我慢しろ。 今のおまえにできるのは耐えることだ」
自分の体に流れ込んでくる魔力量に耐えきれずに苦しそうな声を上げるが、それでも二人は魔力を流し続ける。
今の少女は膨れあがり続けている風船のようなもの。容量を超えて空気(魔力)を入れ続ければどうなるかなど簡単に予想できる。本来なら慣らしていかなければならないが、この少女が体の制御を取り戻すためには必要な事だ。
少女が弱っていく様子を目にし、水妖精が、これはもうダメだと見切りを付ける。
そもそもこれは二人にとってここで普通に過ごしていてもいつかは抜け出せるのだ。水妖精もミーシャも、シグルドがガンドライドを倒せるものだと考えている。そして、それは正しい。
魂が肉体から取り出されていない現状、ガンドライドが倒されればミーシャは解放される。だから何もしなくても二人はここから出ることができるのだ。
霜の巨人と対等に戦える力を持っているのならば、こんな無駄とも言えることに力を注げない。そう考えて、魔力の流れを断ち切ろうとする。だが、それに待ったを掛けたのがミーシャだった。
首を振り、もう少し待って欲しいと伝える。別に可愛そうとは思っていない。ただ、後味が悪いだけ、それだけだ。
だから、ミーシャは少女の耳に口を寄せ、言葉を囁く。
「ここを出たいか?」
「――――!!」
少女が望み、それは叶わぬと諦めたもの――それを問いとして再び掘り起こす。返事はない。ただ、握りしめる力があった。
それだけで十分だった。自分よりも小さな掌を握りしめる。魔力を流し続けているからか、再び血が沸騰したような感覚に襲われるが今は気にしない。もう一度少女の耳へ口を寄せる。
「お前が目を覚ますのを待っていてやるよ」
その言葉は、外の世界で待つ者がいない少女にとって何よりの励みになった。