取り引き
「――手を組む?」
レギンが差し伸ばされた手を見ながら頭を傾げる。意味は分かる。だが、誰と?――答えは明白、目の前の老人である。
「えっと、気を遣ってくれるのは嬉しいですが、ご老公……貴方が戦えるとは」
目の前の老人を改めて見る。白髪で薄くなった髪。やせ細り、骨が目立つ腕。常に浮かべている笑顔。どう見たってどこの村にでもいる気の良いお爺さんだ。
そんな者が戦えるとは思えない。そう考え、断ろうとした瞬間――
「遅いのう」
「――ッ!?」
いつの間にか喉元に刃が突き付けられていた。細く鋭い刃――打ち合うと言うよりも槌刺すことのみに特化した刃だ。
「どうじゃ?儂の話し、受ける気になってくれたか?」
見た目だけでは予想することができない速さに度肝を抜かれる。もし、これが戦いだったならば自分は喉を貫かれ、声を出すこともできずに死んでいただろう。
「貴女は、一体何者ですか?」
「ほっほっほ……なぁに、ただの気の良いジジイじゃよ」
そう、そうだった。思い返せばこの老人に腕を捕まれた時に思っていなかった腕力で自分を押し留めた。そして、今回の暗殺術。見た目以上の実力を持っているのかもしれない。
「――分かりました。貴女の話しを受けます」
受けるしかないと思った。自分が前衛で、この老人の暗殺術で隙を突く。とても良い考えだろう。終盤になった時は、正々堂々決着を付ければ良いのだ。そう考え、レギンは老人に手を伸ばす。
それを見て老人は安心したように笑顔を浮かべる。
「ほっほっほ!!それは良かっ――ヘブシッ!!」
――が、途中でくしゃみが出た。生理現象なので別に問題ではない。そう、問題があるとすれば一つ。くしゃみをすることで皮膚ギリギリまで迫っていた刃がレギンの喉に突き刺さろうとしたことだ。
「危ねぇえぇえぇ!?」
闘技場の中に奇妙な叫び声が響いた。
老人が起こしたちょっとお茶目な出来事で命の危険に晒されたレギンは現在一人で闘技者の控え室へと来ていた。観客席とは違い、密室であるため男の汗の臭いが充満している。それに顔をしかめながらも部屋を見渡した。
現在チームとして手を組んでいるのは老人のみ。あと一人人数が欲しいと考えていた。闘技者用の客席を老人が……そして、レギンは控え室で仲間に加わってくれそうな者を探すことにしたのだ。が――
「どうやって見分ければ良いんだろう……」
さぁやるぞ!!と意気込んできたはいいものの、誰が徒党を組んでいるのかいないのかの判別がつかない。
老人のように観察眼が優れている訳ではないのだ。怪しいと感じたらキリがない。全員が疑わしく思えてきてしまう。
周りを見渡していると、酒を浴びるほど呑んでいる者もいた。戦う前からそんなに飲んで戦闘になったらどうするのだと思うが、人それぞれなので口は出さない。というか、周りの冷ややかな視線に気付かないのだろうか……。
「さて、どうしましょうか?」
落ち着いているようにも見えるが内心かなり焦っている。老人の手前勢いよく絶対に連れてきます!!と啖呵を切った手前、一人も連れて行くことができないなんて恥ずかし過ぎる。
「素直に力を貸して貰うべきだったなぁ」
諦めかけて引き返そうとした振り向いた瞬間だった。
「テメェ!!何しやがる!?」
部屋に怒声が響き渡る。その影響で騒がしかった部屋が静まり、怒声を放った者へと視線が集中する。
そこにいたのは成人したばかりのまだ顔にあどけなさが残る青年と顔に傷を負った傭兵だった。青年が胸倉を掴み挙げられ、何とか落ち着いて貰おうと必死に取り合っているが、もう一人が取り合わずに目をつり上げて怒っている。
「テメェ、俺の飲み物に何入れやがったぁ!?」
「待ってくれ!!僕はここで立っていただけなんだ。何もしていない!!」
二人のやり取りにザワザワと周りの者が騒ぎ出す。
「おいおい、まさか毒を盛ろうとしたのか?」
「んな別けねえだろ……見てたけどアイツ自分で入れてたぞ?」
「うげぇ……絡み酒かよ。めんどくせぇ」
誰もが次の標的にならないように離れていく。それに慌てたのは胸倉を捕まれていた青年だ。助けを求める視線を向けても全員に無視されてしまう。
「何しらばっくれてやがる。俺の酒になんか入れやがっただろ!!」
「何も入れてないよ!?」
「だったら何でこんなにまずくなるんだよ!!ああ?」
「君が酔って変な物を入れてたんじゃないか!?」
胸倉を掴まれている青年の言ったとおり、男の顔はかなり赤く、酔っているのが分かる。もはやただの酒場で行なわれる喧嘩のようだ。
「貴様ら、何をしている!!」
「オイコラ貴様、手を離さないか!!」
そこに現れたのは闘技場の警備である騎士達が駆け寄り、二人を引き離す。
「リング以外での私闘は禁止というルールをしらんのか?貴様らは失格だ!!外に叩き出してやる!!」
「あぁ?なんだぁテメエらは!?」
「待って下さい!!自分は何もしていませんよ!?」
酔って状況判断すら曖昧になった男が騎士数人がかりで外へと引きずり出されていく。残ったのは胸倉を掴まれていた方の男だ。彼も中々しぶとい。自分は何もしていないと叫び、柱にしがみついて騎士達を困らせていた。
「いい加減にしろっ――この!!」
「自分は何もしていませんってばぁ!?」
数人で柱にしがみつく青年を引っ張っているのに引き剥がすことができないでいる。この男……腰が低いというか何というか、周りの闘技者に比べて覇気が足りないくせに執念だけはあるようだ。
周りの人間は我関せずと体を動かしたり、トランプに興じたりしている。自分から厄介事に首を突っ込もうとする輩はここにはいない。
「すみません。少しよろしいでしょうか?」
レギン以外は……。
「何だお前は?」
突如として割り込んできたレギンを睨み付ける騎士達。それに怯えることなくレギンは飄々とした態度で説明する。
「闘技者の一人と思って貰って構いませんよ。それで、この方のことなんですが、関係ありませんよ。自分はずっと見ていましたが、この方はただ絡まれただけですから」
「何ぃ?――おい、本当か?」
「は、はい!!そうなんですよ。周りの人達に聞いて貰っても分かります!!」
そう言って周りの者達を指差す。指を指された者達は顔をしかめて、青年を睨み付けるが、騎士達は事情聴取を行なわなかった。
「…………まぁいい。私達も無駄に選手を減らすわけにはいかないからな」
「――ほっ「正し!!」は、はい!?」
「次騒ぎを起こしたら、今度は叩き出すからな」
そう言い残し、部屋を後にする騎士達。
意外にもあっさりと引き下がった騎士達を見送った青年はレギンへと向き直り、ありがたそうに頭を下げる。
「ありがとうございます!!貴女のおかげで大会に出ることができそうです!!」
「は、はぁ…………」
猛烈な勢いで手を握ってくる青年を見て、こんなに喜ぶことかと少しばかり引いてしまう。
「それにしても、貴女は何故こんな所に?」
「あ~失礼。少しばかり貴女は……何というか、戦いに向いていないような感じがしたので」
「そ、そうですか」
申し訳なさそうに言葉を選びながら青年に尋ねる。
レギンが青年を助けた理由としては興味を持ったからだ。周りの男達は戦意がバリバリ出ているのに対し、どちらかというと周りの者達に怯えているように見えた。それがレギンの興味を引き寄せたのだ。一体どんな理由でこんな命を賭ける場所で何をするつもりなのか気になったのだ。
「僕には…………思いを寄せている女性がいまして」
頬を掻き、照れながらレギンに向けて語り出す。
青年はある一人の女性に思いを寄せた。青年は平民でありながらも騎士と親しくなり、彼らと剣術を競うようになった。それから数年――いつも通りの朝だった。朝食を済ませ、騎士達と待ち合わせる場所に向かって一人で先に稽古を始めていると後から彼らがやってきた。彼はいつも通りに迎えた。
そんな時、衝撃が走ったのだ。彼らの中に見慣れない人物が――百合のように美しい女性がいたのだ。彼女は彼らの内の一人の妹だった。兄がいつも朝抜け出して何処かに行っているのが心配で後から付けてきていたらしい。しかし、そんな事情はどうでも良かった。彼は一目惚れをしてしまった。そして、それは女性も同じだった。思いを打ち明け合った二人は頻繁に出会うようなり、結婚まで考えるようになった。
だが、それを許さない存在がいた。女性の父親だ。貴族ではない平民の男と結ばれることは許さない。それが父親が反対した理由だ。
それでも二人は諦めなかった。何度も何度も父親を説得し、何度も何度も家を追い出された。時には手紙で思いを綴った。父親が外に出てくる度に青年が頭を地面に擦りつけているのが目に入る。その姿が煩わしくなったのか、父親は一つの条件を突き付けた。それは、次に開かれる闘技場の大会で優勝することだった。
「これが、僕がこの大会に出場する理由です」
お恥ずかしい……そう言いながら頬を掻く。
そんな青年をレギンは笑わなかった。金でも名声でも地位でもなく一人の女性のために戦う男を笑えるはずがない。
「よろしければ!!自分達と手を組みませんか!?」
この人なら大丈夫――そう直感し、青年の両手をガッチリ掴んだ。