白髪の剣士
「——グッ」
小さな体が地面に投げ出される。硬い牢屋の地面は日に当たらないため、冷たく感じる。
詳しい時間は分からないが、既に正午になっているはずだ。まだ日が昇らぬうちに目を覚ましてしまったミーシャは今までずっと男たちから拷問を受けていた。
牢屋の中に男たちの姿はなく。目を覚ました時と同じミーシャ一人だ。全く違うのは血痕があちこちに飛び散っている所か……。
ミーシャの両目からは生気を感じられない。上手く喋らせるためか、顔を殴ることはなかったが、服の下は酷い有様になっているはずだ。
『仲間は何処にいるのか?』
――知るか、家族や友人は死に、仲間であるはずの貴族からは裏切られた。自分が知りたいぐらいだ。
『ここに訪れた目的は?』
――ただ単純に、流れ着いて後は成り行きに任せていただけだ。
何度も何度も何度も何度も同じ問いが繰り返される。
本当のことを言ったとしても奴らは納得しなかった。人間は自分の考えが正しいと思い込み、その答えが出てくるまで絞り続ける。
口から血反吐を吐き出し、仰向けになる。どこかの内蔵がやられたらしい。
「このまま、死んで――たまるかっ」
焦点の合っていない目をして小さく呟く。ボロボロの身体に鞭打ち、部屋を見渡す。
王宮を焼き払われて逃げるように森へと入った。そこから魔物や追っ手の騎士を振り切り、貴族の元へと逃げ延びたが、裏切られ、そこからも逃げた。
逃げる途中に、一人……また一人と失っていった。
これまで皇帝を殺すためにと足掻いてきた。足掻いてきた結果、付いてきてくれた仲間を失い、苦しい目に遭っている。
それでも、それでも少女の目は怒りで満ちている。
「(何か、使える物はないか……小石でも木の破片でも何でも良いっ)」
部屋を見渡し、少しでも役に立てるものを見つけようとする。小石一つ、破片一つでも人間の首元にでも突き刺してやれば致命傷にはなる。
自分にはやることがあるのだ。こんな所で死ぬわけにはいかない。
しかし、行動すらさせないとばかりに再び男たちが入ってくる。拷問が再び始まると思ったが、それは思い違いだった。
「――出ろ」
看守が牢の鍵を開けてミーシャを見下ろす。
短い言葉で発せられた二文字、それの意味を遅れて理解する。
「ははっもう出所か?随分と早く出してくれるんだな。――あぁそうだ、足代わりに馬を用意してくれるか?流石に徒歩で帰るには遠くてな」
それは強がり、これまでやってきたように自分を少しでも強く見せるための虚勢。そんなミーシャに対して看守が取った行動はシンプルだった。
「――ガッ」
ただ、持っていた木の棒を倒れているミーシャに向けて振り下ろす。少女に対して暴力を振るっているというのに男の目は、恐ろしいほどに冴えきっている。
「おいおい、元気があるならもう一回やっても良いんだぞ?」
「くそったれが」
歯を食いしばり、痛みに耐えたミーシャが棒を振り下ろしてきた男を睨み付ける。魔封じの鎖さえなければ、魔術で跡形もなく消し飛ばしてやっているが、魔力を封じられている状況ではミーシャはただの少女だ。
それが分かっている男も何の危機感も抱かない。
「そうかい、それじゃぁ質問を――って行きたいが、人を待たせてるんでな」
ミーシャが動けないと判断すると、男は片手で鎖を掴みミーシャを持ち上げ、牢の外へと出る。
一つ一つの階段を男が登り、外へと続く出口へと迫っていく。
太陽の光に目を細める。直に太陽の光が差し込む方なので眩しすぎる。暗闇にいたミーシャの目にはきつい刺激だ。
――空気が変わる。そして、声が聞こえた。
「体調はどうだい? 王国の王女」
目を開けると、目の前にはこの伯爵領の領主――フラメル・ルメド・スルズが立っていた。
この状況で体調を聞くのかと思ったが、取りあえずミーシャはこう答えた。
「最悪よ」
「それは良かった」
体調が悪いと言ったミーシャに対して笑みを向けると、ミーシャを抱えている男に指示を出し、自分の前へと跪かせる。
「人の体調を喜ぶなんて、良い趣味してるわ」
「とんでもない。 敵対する国の王族が、体調が悪いなど私にとって朗報以外の何でもない。君だって嫌いな奴が痛い目に遭っていれば少しばかり嬉しくなるだろ? それと同じさ」
人であれば、好きな奴嫌いな奴は必ず出てくる。
好きな奴が喜べば一緒に喜び、悲しめば一緒に悲しむ。嫌いな奴が悔しがれば、嬉しがる。それを口にしただけのどこにでもいるありふれた人間……それが自分。そんな自分に変な趣向を押しつけないでくれ――そう言ってフラメルは肩をすくめる。
「それでも人前では隠すものじゃないの、それ……」
「隠す場でもないからねぇ」
「そうですか」
「ええ、そうですとも」
非憎げに言った言葉を繰り返される。
フラメルを見上げれば、両脇を騎士に守られており、おかしな行動をすれば直ぐさま盾になることができるように準備をしている。対してミーシャの方は、手錠を掛けられ、魔封じの鎖を巻き付けられており、後ろには棒を手に持った男がいる。
たった一人の少女と話すためにこんな護衛をしているのかと思うと思わず笑ってしまった。
「何か笑う所でもあったかな」
「いや、別に――ごめんなさい、この状況がとてもおかしくてね」
それもそうだろう。少女と話すならば牢屋の中でも良かったはずだ。それなのに、わざわざ外に引っ張り出してこんな護衛をしなければ、話せない男に笑わないなんて無理があるだろう。
良い言葉で言えば、慎重。そのまま状況を表わすならば軟弱者、腰抜け、臆病者。そう言われても仕方が無い。
「ふん、彼らを護衛と思っているのなら間違いだぞ?ここにいるのは拷問に長けた者たちばかりだ」
そう言われて見渡してみれば、凶悪な面構えが並んでいる。その中には昨晩拷問した者たちもいた。
「それで、何か聞きたいことでもあるの? 牢屋で聞けば良かったのに……」
「牢屋の居心地がそれほど気に入ったと見える。 日陰が好みなのかな? 残念ながら、私はたっぷりと日の浴びる場所が好きでね。 あそこは合わないんだよ」
「――そう」
痛めつけられた箇所に服がスレる度に痛みが走る。早く横になりたいが、姿勢が崩れる度に後ろの男に強制的にフラメルを見上げさせられる。
「なんとも辛そうじゃないか、もうこれ以上の拷問は嫌だろう? なら、質問には素直に答えてくれるよな?――――仲間は何処にいる?」
ミーシャと同じ視線になりながら、質問を口にする。
何度も牢屋で繰り返された質問――それに対して、これまでと同じように答える。
「仲間なんていないよ。私一人だ」
後ろから衝撃がミーシャを襲う。
また殴られた。鎖で動きを封じているのに殴るなんて臆病者か、口を割らせたいのならもっとマシな手を使えと言いたくなる。
堪らず倒れ込んだミーシャの頭上から声が掛かる。
「おかしいな。 これまでの一週間、少なくとも一人の男が君と過ごしているはずだ。 その男は何処にいる?」
ミーシャは何も答えない。
「リューロント村の宿で二人部屋を取っていただろう?」
ミーシャは何も答えない。
「何故、この指輪を取り返そうとした時に一人で来た?そんな危険を去らすような人間じゃあ無いはずだ。 もう一人は何をしている?」
ミーシャは何も答え「何か言ったらどうなんだっ!?」
地面に伏しているミーシャの頭に掴みかかり、顔を持ち上げる。その顔は泥だらけになっており、額からは倒れた時に切ったのか、血が流れ出ていた。
周辺が殺気で満たされ、これまで以上にピリピリとした雰囲気を匂わせる。
それでもミーシャは何も答えない。
「困ったなぁ……君は何か勘違いをしているらしい。 仲間が隠れていようが、何を企んでいようが今君の首を落とせば直ぐに済む。 それをしないのは、ただ私の部下があっちこっちへと無駄に走り回るのを防ぐためなんだよ。 分かるかい? 君の命は軽いんだ」
手配書には生け捕りなどとは書いてない。生死とはず――つまり死んでいたって問題ないのだ。確認ならば、首一つと指輪があるだけで十分。今ミーシャが息を吸い、生を許されているのはフラメルが他の作業を省くためにちょっと便利だからと思っているからだ。
「………………」
「はぁ~~」
長い、長い溜息を付く。それは我が儘な子供に手を焼く大人の雰囲気に似ていた。やれやれと頭を掻き、男が持っていた木の棒を渡すように指示をする。
「黙り込んでたらっ!! 分からないっ!! だろがぁっ!!」
ドガッ!!バギィッ!!グシャッ!!と立て続けに三度ミーシャに向かって木の棒を振り下ろす。
死なないように苦痛を与える拷問官と違って苛立ちをぶつけるためのただの暴力。ミーシャが死んでも構わないというように全力で振り下ろす。
「はぁっはぁ…………しょうがないな、それじゃあもう君に用は「――フフッ」ん?」
微かな笑い声が聞こえた。それも足下から……。
「――ハハハッ!アハハハハハハハハハッ!!」
地面に倒れ伏しながら笑い声を上げるミーシャ。
突然笑い出した少女に後ろにいた男も、フラメルの護衛として付いてきていた騎士も戸惑いを隠せない。
「君が笑い出すのは二度目だが、今回は何が面白かったんだい?」
いつもと変わらないのはフラメルだけだった。膝を曲げて、倒れているミーシャへと距離を近づける。
「――別に、面白いことなんて無いよ」
何も面白いことなんて無い。彼らを笑ったのではない。自分の情けなさに笑ったのだ。
何もできなかった。自分の身を案じ逃がしてくれた父親の仇を討つためにこれまで半月も生き残ってきた。
その間に何かできたことなんてない。ただ、ずっと大切なものを失うことしかなかった。
それでも生きていたのは帝国への憎悪だ。それがあったからずっとここまで生きてきた。だが、それもこうして捕まり、もうどうしようもなくなっている。
「テメエら全員――――呪い殺してやる」
だったら、最後の最後まで抵抗し続けてやる。思い通りに何てさせはしない。誰も無事に人生を送らせはしない。帝国の皇帝も、この場にいる全員も悪霊に化けてでも呪い殺す。
それを聞いたフラメルは何の感情も湧かない目でミーシャを見下ろした。
「そうか……それじゃあ仕方ないか。せめて私の手で首を切り落とそう」
後ろにいた騎士が差し出した剣の柄を掴み、一気に引き抜く。その動作は手慣れており、伯爵自身剣を持つのが初めてではないということが分かった。
「君の首と指輪を皇帝陛下に差し出し、私は王国領完全支配を決めつける一役を担う。その名誉を与えてくれる君に感謝し、最後の言葉があるならば聞こう」
倒れたミーシャが強制的に立たされるが、それに反抗はしない。ただ、なされるままにされている。そんなミーシャの前で剣を掲げて尋ねるフラメル。
「…………」
「何もない――とそれは受け取るが?」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取ろう」
何も言葉を出せなかった。
この男に最後の言葉を聞かせるつもりもない。帝国の奴らの言う通りに動くのは虫酸が走る。
何であんな村で立ち往生していたのか。これも全て協力者など作ろうと考えたのが間違いだったのだ。最後まで一人でやり通していれば、こんなことにはならなかった。
自らの行動を、心の弱さを後悔する。
首を断つために剣が振り下ろされる。ミーシャは最後までフラメルを睨み付けていた。わき上がる憎悪だけでは人は殺せない。それは分かっているが、今はそれしかできなかった。
――だが、
――後悔したばかりなのに
――また、あの眼を見ることになったんだろう
「貴様、何者だっ!?」
突如として轟音が響き、騎士の怒声が耳に入る。
頑丈な柵が破壊され、土埃が上がり、そこには白髪の剣士が佇んでいた。
「寄って集って少女をいたぶる貴様らに、罰を与えに来た剣士だよ」