消えた少女
辺りはすっかり暗くなり、虫の鳴き声が耳に入る。この時間帯にもなれば、昼間のように働く者は少ない。大抵の村は自分の家に帰って静かに家族と過ごすものが多い。この村も一部の例外を除いて静かだ。
村に一つだけ残った明かりが目に入る。
それは、酒場だ。村の仕事を終えた男たちがここに集まり、酒を飲み話し合う。それがこの村での定番だった。
ここ周辺で唯一の宿屋があるこの村を訪れる商人たちは多い。人が訪れれば交流があるものだ。その影響でこの村は潤うようになった。帝国にある高級宿屋とは比べるほどではないが、それでも長く馬車で座ってきた商人や徒歩で移動してきた者たちにとって疲れを癒やすには十分だ。
シグルドたちが訪れた時、他にも訪れた者がいた。最近は武闘大会が開かれるとあって腕に自信のある者がここに訪れることが多いらしい。
そんな訳で、酒場には夜遅くまで明かりが付いていることが多いのだ。
「それにしても、遅くなったな」
気付けば夜遅くまで話し込んでいたことに頭を抱える。というか実際に森の中にまで行ってトレント(樹木の妖精)を見せてくれるとは思わなかった。
近くで見ようとした結果、シグルドの流れ出る魔力に警戒した樹木の妖精がバマの実を落としてきたこともあったが、無事に鍛冶屋の家まで戻ってくることができていた。
ちなみに、樹木の妖精が流れ出る魔力に反応して攻撃してきたと分かった時は、これをコントロールする術を学ぼうと土だらけになった強く決心したのはシグルドだけの秘密だ。
樹木の妖精との一件もあって本格的に魔力をどうするべきかを考える。
ミーシャは魔力の流れを感知できるのは魔力感知に特化した魔物か、樹木の妖精と同じ種族である妖精だけだと言っていた。ただの人間や獣が気付くのは難しく、操ることもできない。人間が流れ出る魔力に気付くには、魔術師の訓練を受けるしかないが、素質がなければそれも意味がないらしい。
そこら辺の人間に魔力操作について教えてくれと言ったとしても無駄だろうし、魔術師に教えを乞うのは難しい。そもそも、魔術師は血統に拘ると言われている。弟子も血族しかおらず秘術は自分の身内のみにしか明かさない輩だ。そんな奴らの元に見ず知らずの男が一人で行けばどうなるか……想像するのは難しくない。
頭の中に身近にいる幼い少女の顔が浮かぶが、直ぐさま頭から消し去る。その少女のことで頭を悩ましているというのに、また別の問題を持って行きたくはない。
大きく溜息をつく。
この一週間、返事を遅らせてきたがそろそろ決めなければならない。少女の復讐が達成される見込みはないに等しい。例え成功したとしてもそこは敵地、生き残る確率は限りなく低い。もし、奇跡が起きて生き残ったとしても皇帝に手を掛けたお尋ね者だ。
普通に考えるならば、断るべきだ。大金を渡すと言っていても沈みかけている船に喜んで乗りこもうとする者はいない。
酒場の扉を開けて中へと進む。
酒場には村の男達、そしてこの村に訪れた商人などが酒を飲み、疲れと乾いた喉を癒やしていた。扉を開けて新たに入ってきたシグルドに目を向けるが、直ぐに自分の酒へと目を戻していく。シグルドもそれほど気にせず酒場を素通りし、二階へと向かう。
扉の前に来たシグルドはまだ答えを用意していない。だが、話さなければならない。せめて逃げるように説得でもしなければいけないと思ったからだ。
「――入るぞ」
ノックをしてしばらく経っても返事がないのを不思議に思い、声を掛けて扉を開く。少女とは言え、女性。ノックもせずに扉を開けることなどしない。
部屋には明かりすらない。寝ているのかと思ったが、ベッドが膨らんでいないのを見て部屋にいないことに気付く。
部屋の窓際にある蝋燭台に火が灯った様子もなく長さが変わっていない所を見ると、明るい内に部屋を出たらしいが、酒場にでもいたのだろうか……。
再び一階の酒場でミーシャを探そうと部屋を後にする。そして、廊下ですれ違った商人たちの話しがシグルドの耳に入った。
「いや~……全く、騎士団の奴らはこっちのことお構いなしかい」
「仕方ないさ、彼らにとってはあれが仕事だ」
やれやれと言ったように悪態尽く中年の男とそれを宥める初老の男。その身なりは綺麗で農夫でないことが分かる。
「そうは言ってもねぇ……真面目に仕事して疑われるのは勘弁だよ」
素通りしようとしたシグルドも騎士団という言葉が出てきては無視できなかった。
「少し、良いだろうか?――騎士団と言ったか?」
「ん?あぁ……そうだが、それがどうしたんだ?日が暮れる前に来ていただろう?」
日が暮れる前……自分が鍛冶屋と一緒に樹木の妖精に会いに言っている最中だ。部屋を捜索したと言っていたが、まさかミーシャがいないのは……
シグルドに嫌な汗が流れる。
「いや、自分は鍛冶屋に行っていてな……騎士団が訪れているのは知らなかったんだ。それで、騎士団は何をしに来ていたんだ?」
「さぁて、何だったかな……あぁ、確か賊がこの辺りに侵入しているからってそれを捕まえに来たらしい」
「賊が……」
それはミーシャのことだろうか。それとも全く別の……。
情報が足りないと判断したシグルドは商人の男の話しに耳を傾ける。
「まぁ捜索しても捕まらなかったんだけどよ。でもアイツら部屋の中まで調べるもんだからな……荷物をひっくり返すのは勘弁して貰いたかったぜ」
せっかく整えていたのに……そう言いつつ男は肩を落とす。そんな男を宥めるように初老の男が背を叩いていた。
誰も捕まっていないということは、ミーシャは上手く逃げ出したのだろう。商人たちには気付かれないように、小さく息を吐き出す。
ミーシャが捕まっていないとは分かった。――では、あの子は一体何処へ行ったのだろうか。
窓から外に視線を向ける。そこには何もない。ただ暗闇のみがあるだけだった。
少女は夜の草原を駆ける。暗闇を照らすためのルーンがほんの少し先の道を照らす。少女が追いかけているのはもちろん騎士団の連中だ。ミーシャには彼らがどこに向かっているかを知らない。ただ、自分が指輪の発した魔力痕を追ってただ走っている。
大切な指輪――幼い頃、父親が大切に手入れをしていたのを一目見て気に入った。でも自分には身に付けることを許されていないからとその時は我慢した。
それでも忘れる事はできないミーシャに秘密で母親が身に付けさせてくれたことがある。
自分の薬指には大きすぎるサイズだったが、それでも嬉しかった。嬉しくて、嬉しくてその日は指輪を外した後も、薬指をずっと眺めていた。まるでそこにあるかのようにしているのをお母様に笑われて顔を赤くしたのを覚えている。
大切な指輪、王家の秘宝だからという理由ではない。家族の形見である指輪。それを自分の家を、家族を踏みにじった帝国騎士が手に持っている。
――そんなことは許さない。そんなことがあってはいけない。
スルーズ領の領主が住む館、足跡の先はそこへと続いている。少女はその足跡がどこへと続いているかを把握してはいない。頭の中にあるのは指輪が盗まれたこと、そしてそれを持って行ったのは帝国騎士だということだけだ。
「絶対に、絶対に取り戻すから……」
取り返すことを強く決意し、少女は走り続ける。