一週間後
霜の巨人討伐から、一週間という時が流れた。
現在シグルドは、リューロント村という場所で害獣駆除の仕事を終え、久しぶりに手に入れた金を片手に酒でも飲もうかと足を運んでいた。
腰にある僅かな重みに少しばかり安心する。村人達のおかげで金が手に入ったシグルドは一週間ぶりのまともな食事にありつけることを喜んだ。これで金欠という問題は解決したのだが、シグルドを悩ませていることがもう一つある。
――巨人を討伐した直後あの幼い少女から国盗りをしろと言われたことだ。あの時は、その前に死者の弔いをしなければと話しを逸らすことで返事を保留にした。
ミーシャ・フィリム・オーディスの名乗った少女。その名は逃げ延びたと噂されている王国の王女の名前だ。それは偽りなどではないだろう……首都が落ちたとは言え、まだ地方では反乱分子となる領主が数人いる。どれも自分の土地を守るために引きこもっているような奴らだが、王族を旗印として集結されては厄介だ。そのようなことがないように帝国としても王族は早く始末したいはずだろう。見つかれば、密告、もしくは殺害されるかもしれないような王族の名を偽って語る奴などいない。
体全身を覆うマントを羽織り、極力顔を見せぬようにフードを被っていた理由が分かった。確かに誰が敵かも分からない所で自分の顔を見せることなどできるはずがない。
大きく溜息をつく。
どこの国に攻め込むつもりなのかは見当が付く。自分の国に攻め入り、首都を落としたラームス帝国だろう。
ミーシャ・フィリム・オーディス――オーディス国の最後の王族にして帝国に剣振りかざそうとしている者。そして、剣としてあの少女が選んだのは自分、シグルド・レイ。
少女の周りには護衛の騎士はおらず、侍女の姿も見かけなかった。城から逃げ出す際にたった一人で少女を逃がすわけはない。人目を避けるためとは言え、少なくとも二、三人の護衛は付くはずだ。それがいないのは、全員死んで自分だけ生き延びたのだろう。
そうだとすれば、あの少女は一体何時から一人でいたのだろうか。
王族の暮らしなどは分からないが、商人の出店を歩き回る姿は、珍しい者でもあるかのように顔をキョロキョロと動かしていた。それを見ると情報としては知っていても実際に見たことなどなかったのだろうと思う。そんな少女が一人で……
目に入った酒場の扉を開けて、適当な場所を探す。
「……注文は?」
「エールを頼む」
無愛想な店の店主にエールを注文し、窓際にある椅子にドカリと座った。
返事は保留にしているが、いつかは必ず返事をしなければならない。このとき、シグルドは断るつもりだった。帝国の騎士一人に負けるつもりはない。それが数十人単位でもシグルドの勝利は揺るがないだろう。でも、さらに数百、数千だったら?包囲されたとしても一人でなら突破は可能だ。だが、少女と一緒に、と考えるとどうやったって無理だ。
どうにか説得して、王国の領主の所まで連れて行くしかない。あのままでは、一人で突っ込んで行きそうな危うい雰囲気がある。
再び溜息をつく。
「面倒くさそうな奴に目を付けられたな…………」
それは小さな愚痴だった。人々の騒音に呑まれて直ぐに消え去ってしまう小さな音。それには誰も見向きもせずに、愚痴を吐いたシグルドだけに聞こえるようなもの。
それなのに――
「それは、もしかして私のことか?」
一緒にいた少女には聞こえたのだろう。向かいの椅子に座った少女がこちらを睨み付ける。地獄耳だなと思いながらも、取りあえずシグルドはこう答えた。
「いや、違うけど……」
そうだと言えば、絶対面倒くさくなるだろ。と胸の内でこぼしながら……。
目の前で、ちゃっかり自分の分を頼んで口いっぱいにパンを頬張る少女。あまりにも口に詰め込みすぎてパンくずが机にこぼれている。……この少女これでも元王女である。
こんな酒場で上品な食べ方などしていれば、逆に目立ってしまうため、このような食べ方の方が周りの奴らは気にしないのだろうが、元王女としてはそれでいいのかと思ってしまう。
「ほはへ、はふぇはいのか?」
「すまん、何を言っているか分からない。ゆっくり食べてから話してくれ」
食べている途中で何を喋っているか分からないミーシャに呆れながら、ゆっくり食べるように施す。ミーシャ自身それほど大したことを聞いた訳ではないのか頷くと手に握りしめ、この辺りでは一番安く固いパンと格闘し始める。しばらくして、口の中のパンをようやく腹にパンを収めたミーシャが口を開いた。
「何も食べなかったな。腹は減っていないのか?」
「俺はコイツだけで十分だよ」
「……それか」
聞きたかったのはそれだけなのか。シグルドの返事に満足したミーシャがスープにパンをたっぷりと浸して口に頬張る。リスのように頬を膨らます少女を見ながら、ふと疑問に思ったことをシグルドが口にする。
「そう言えば、何で俺を竜殺しと断定したんだ?」
竜殺しの噂として主に広がっているのは、白髪であること。そして、人々が口伝で伝えていく内に色々と尾ひれがついてまわり、その正体は竜に国を滅ぼされた王子だとか、竜に恋人を攫われた剣士というものだ。他にも吟遊詩人によってまったく別の特徴になっていたりするものもある。
そんな噂が飛び交っており、姿すら見たこともない奴をいきなり竜殺しだと当てたのはどういった術を使ったのか、シグルドは気になっていた。
「気付いていないのか?」
「何がだ?」
「いや――なるほど、そういうことか」
「おい、一人で納得するな」
ミーシャがシグルドの顔をマジマジと見詰めた後、一人で納得してしまう。その顔を見てシグルドも眉を寄せる。
質問したのに相手が一人で納得しているのが気にくわない。
「すまなかったな。いつまでも垂れ流しているからわざとやっているものだと思っていた」
「だから、一体何のことだよ」
「お前の魔力だよ」
強めに問いただすとミーシャが呆れたように答える。しかし、それを聞いたシグルドはピンとこない。魔力を垂れ流しにしている?あまり魔力だの魔術だのというものとは関わらずに生活していたため、そういったものに疎いのだ。
怪訝な顔をするシグルドにミーシャがため息を付く。
「そんなに俺は分かり易かったのか?」
「あぁ、他の奴らと比べて流れ出ている魔力が違った。そこまでの巨大な魔力になると普通は流れ出ないように訓練するんだがな」
一体どうなっているんだ?と聞かれるが、自分では説明できない。自分に魔力があるのは知っていたし、簡単な魔力操作ならできていた。だが、自分の魔力を垂れ流しにしていることにはまったく気付かなかった。少女曰わく、生命活動にも影響が出るらしいが、今まで急に体調を崩すこともなければ、体のけだるさなども感じなかった。
それを言ったらまた、あり得ない人間か?と疑われたりした。失礼な娘である。
「はぁ……それで?本当にやるつもりなのか?」
話しを切り替えるためにもう一つに疑問を口にする。一週間前に口にした国盗りと言う言葉、あれを本当にするつもりなのかどうか?
「国盗りといっても私の狙いは皇帝だけだ。アイツを暗殺する」
「復讐か?」
「あぁ、そうだ」
それがどうしたとミーシャがシグルドを睨む。
シグルドはそれを見て、絶対に諦めないだろうという確信を得てしまった。自分が断ってもこの少女は一人で行ってしまう。殺されると分かっていても……。
「他に協力者はいないのか?」
「いない」
「お前の国の貴族は?」
「アイツらは当てにならん……自分の身しか考えていないような奴らだからな」
何かを思い出したのか……深くフードを被り直し、顔を見せないようにする。
「何か、あったのか……」
顔を見ずともミーシャの雰囲気から何かあったのかを感じ取る。
ガリッ……と歯を軋ませ、手が赤くなるほど強く握りしめる。思い出すのも憎たらしいのか、顔を歪ませる。
「裏切りにあったんだ」
「裏切り?」
「王国の大貴族、オブルス・マルス・ヒューユ公爵の裏切りだ」
「公爵?……それって確か、王族の親戚がなれる爵位だよな」
「あぁ」
自分の記憶にある知識を引っ張り出してきて尋ねるシグルドにミーシャがあっていると頷く。
つまり、この少女の血縁関係にあるものが裏切ったと言うことになる。貴族の世界などに関わったことのないシグルドは驚いた。血縁関係のある者達など一つの家族のようなものだ。言わば、一番信用できる人物……それが裏切ったなど、シグルドには信じられなかった。
「信じていたのに……あの男のせいでっ」
体をわなわなと震わせるミーシャ。その姿に酒場にいた数人が何かあったのかこちらに目を向ける。
「お前の怒りは正当なものだが、少し抑えた方が良い。目立つのは嫌だろう」
シグルドがまずいと声を掛ける。王族の顔など誰もが知っている訳ではないが、警戒は忘れない方が良い。怒りを抑えるのは難しいかと不安にも思ったが、シグルドが思っている以上にミーシャは大人だった。
「あぁ、分かってる」
怒りによって高まった熱を放出するように息を吐き出す。しばらくして、落ち着いたのか、ミーシャはシグルドに向き合う。
「さっきも言ったとおり……私達は一度、オブルスの助けを借りるために奴の城まで行った。だが、アイツは帝国と内通していたんだ」
「帝国と?王国の公爵がか?」
「そうだ」
「アイツは、言っていたよ。私の首を持って行くのが仕事だと……どうやら生き残った王国の貴族に私の首を差し出せば見返りを出すと言っているらしい」
帝国の貴族にしてやる。なんてな――ミーシャが吐き捨てるように言う。それを聞いたシグルドは頭を抱える。それじゃあこの少女を王国の貴族に引き渡しても、逆にこの少女が危険になる可能性が高い。だとしたら、この少女はどうしたら良いのか?この子の味方は?心を休める相手は?……小さな少女がとてつもなく巨大な敵に狙われているというのに、味方が存在しないという絶望。
少女の運命の過酷さに、自分はどうすれば良いのか……シグルドには分からなかった。