作戦開始1
城塞都市ディギル。ここを堕とそうと考えるのならば、相手はかなりの戦力を動かさなければならないだろう。
北を攻めるための要所であるこの街は帝国にとってもかなりの重要拠点だ。ここから先に進軍するためにもこの街はなくてはならないため、守りは尋常ではない。バリスタ、連射型大砲。そして、魔術を取り入れた兵器——火槍。それらがずらりと壁の上に並び、敵を待ち構えている。
籠城することになったとしても問題はない。この街には巨大な食糧庫が幾つも存在し、一つだけでも街の住民全員分の食料を確保できるものがある。攻められたとしても、簡単には堕とされない屈強さ、それを維持するだけの能力がこの街には備わっている。
「隊長、地下一から五階までの点検終了致しました。異常ありません」
「ご苦労。次の班に巡回をしろと伝えてくれ。それでお前達は休憩して貰っても構わない」
「はっ。了解いたしました!!」
街に幾つも存在する食糧庫の一つ。そこには松明を手に持って警備にあたる騎士達がいた。
羽の生えた兜を脱ぎ、机の上で羊皮紙に羽ペンで何やら書き込んでいる男に騎士達が敬礼をして部屋から出ていく。
隊長——そう呼ばれた男はしばらく羽ペンを動かす。しばらく時間が経った後、区切りがついたのかこれまで止まることのなかった羽ペンを置き、こめかみを押さえた。
「フー。もう年かな。小さい字が見づらくなってきてる」
ここに彼の部下がいれば冗談だろうと捉え、笑っただろう。なんせ髪の毛に白髪が多くなってきた歳になっても若い騎士達との手合わせになれば一本も取られることなく完勝する程の腕の持ち主なのだ。木刀といえどもかすりもせずに相手を制圧する人物が口にする言葉ではないと男を知っている者達は言うはずだ。
しかし、その言葉に反応する者はここにはいない。殆どの部下には食糧庫の警備を命じており、残りは休憩を取らせている。そのため、男の呟きは静かに消えていき、静寂が辺りを支配する。
「(この時期に犯罪者が野放し、か。そう言えば、今夜酒場へ突撃を行うと言っていたな)」
酒場へと突撃。今更言っても何も残っていないんじゃないかと思うが、犯罪者の拠点をそのままにして、何もしないというのも不味いかと考え直す。
「(どうなったんだろうな。そろそろ情報が回ってきても可笑しくはないんだが…………それにしても、あそこの酒場がなくなるのかぁ。気に入ってたんだけどなぁ)」
ふと思い出したのは最近通い始めた酒場。部下に旨い酒が出ると言われて興味本位で最初は来たが、店主の愛想の良さと酒の味に惚れて通うようになった酒場だ。
二日前、その店主が犯罪者だったと知った時はショックで涙がほろりと出てしまった。恐らく騎士団の中にもそうなった者はいるだろう。最初に酒場に行った時も、ちらほらと顔見知りはおり、その内の何人かは店主を惚けた顔で見ていたので間違いない。
騎士団には犯罪者の男が彼女を誑かしたんだと殺気立つ者もいなかった訳ではない。実際二人が仲睦まじく歩いている所を何人かが見ている。語っている時は本当に悔しかったのか血涙を流していたが……。
だが、仕事は仕事。私情を入れることは許されない。命令が犯罪者二人を捕まえろということならそれを実行するまでだ。
「しかし、何が目的なんだろうな」
背凭れにも深く凭れ、重心を後ろに傾ける。椅子の前足が地面から離れ、倒れてしまうのではないかと思う所でピタリと止まり、揺り籠を揺らすように前後にゆらゆらと揺れる。
「(遊牧国家の奴らのちょっかい、にしてはコイツ等は顔つきが違うよな。アイツ等は出自に拘るし、殆ど身内しか信用してない野蛮人だ。なら、コイツ等はどこの国の奴らだ?)」
酒場の女店主に傭兵。片やこの街で騎士の者達の心を奪っている女性。片や二人組で悩みの種であった大盗賊団を壊滅した男だ。
「(——ん? 二人組? 待てよ。そう言えば、この男、二人組で盗賊団を襲ったんだよな。なら、後もう一人はどこだ?)」
気に入った酒場がなくなったという悲劇に忘れかけていた事実を思い出す。
そう、二人組だ。盗賊団はこの街が頭を抱えていた悩みの種だ。周辺の村々を襲い、金品を巻き上げ、女子供を連れ去る。逃げ足も速く、おまけに賞金首も数人幹部として確認されており、壊滅させるには生半可な戦力では不可能だと言われていた。だからこそ、この男が盗賊団の幹部を引き摺って街に訪れた時には騒ぎが起こった。
その時のことはよく覚えている。
白髪の男と全身鎧を纏った女性が盗賊団の幹部を引き摺ってきたと——。
「う~ん。そう言えばその時から全く噂がないな。どこかに隠れているのか?」
手配書にも人々の噂にも出てくるのは酒場の女店主と男の傭兵の話だけだ。男が指名帝配されて怖気づき、既に街から逃走しているのか。それとも一緒に街に潜伏しているのか。男が陽動の役割を果たし、その間に何かをしようと別行動しているのか。様々な考えが浮かんでくる。
「まぁ、それは俺が考えることではないか」
頭を捻って考えるものの、解決することができなくなるとあっさりと男は疑問を放り出す。
自分が考えられることなのだ。優秀と名高い都市長補佐がこのことに気付いていないはずはない。それにまずは自分に与えられた役割を果たさなければならない。
「さて。それじゃあ、そろそろ部下の様子でも見に行くか」
椅子から立ち上がり、硬くなった体を解す。
犯罪者のせいでいつもより部下も気を張ってしまっている部下を気遣うことも隊長の仕事だと様子を見るために扉を開ける。
廊下に出ると他にも複数の扉があり、その横を男は歩いていく。
扉の先にあるのは食料だ。野菜、穀物、肉、魚、酒。扉の数だけ保存している食材の種類がある。それぞれの部屋は魔術道具によって適切な保存環境に保たれ、長期の保存を可能にしていた。
様々な食糧の入り混じった臭い、冷気などが扉の隙間から廊下に流れ出てくるのを感じる。中の空気が流れ出ているということは保存環境が崩れかねない重大なことだ。後で工事の必要性について報告しようと忘れぬように頭に刻んでおく。
「さて、おーいお前達。元気でやってるか?」
廊下を出て食糧庫の入口付近にいるであろう部下へと声を掛ける。気の抜けた声が響くが、返事は返ってこない。
「おーい。どうした。差し入れを持ってきたぞー。嘘だけど」
初めは寝ているのかと思っていたが、外には少なくない数の人数がいたはずだ。全員が寝ているはずがないので、聞こえていないのかと思い、今度は声量を上げてみるが、返事は返ってこない。
辺りを見回す。そこは静かな夜の街が映っていた。
「…………」
男の纏う空気が切り替わる。
腰に下げられた剣に手を添え、何時でも抜けるようにし、視線は何も見逃さぬように辺りを見渡す。
外にいた部下はおらず、争った形跡もない。異常な光景を目にしつつも、男は先程部屋に来た部下が休んでいるであろう小屋へと走る。
「おい!! お前達!!」
扉をあけ放ち、大声で呼びかける。
だが、扉を開けた先には誰も存在していなかった。小屋の両側には簡易な寝台が数人分置いてあり、シーツが捲れていた。
生活感があるのに誰もいない。小屋から出て行ったのならばすれ違うはずであるのに、ここに来るまでに男は誰とも会っていない。
異常だ。異常だった。
部下全てが跡形もなく消え去ることをそれ以外にどうやって言葉で表せればいいのか男には分からなかった。
分かっているのは、今ここには自分しかいないということだけ。
「(何かが起きたのだ。俺が部屋で寛いでいた時に何かがっ)」
剣を抜いて男は走り出す。向かうのは食糧庫が襲われたことを知らせる鐘。助けを呼ぼうにもここを簡単に離れる訳にはいかない。かと言って一人でこの異常を解決できる訳でもない。
鐘を鳴らせば、少なくとも援軍は来る。そう考えて男は鐘のある場所——食糧庫の入口付近まで戻ってくる。
そこは先程と同じく、部下の姿はいない。血痕も、争った形跡もない。
「何だ。まだいたんだ」
違ったのは、そこには人間の形をしただけの怪物がいたことだろう。
男の目に一瞬だけ移ったのは、先程まで気になっていた傭兵の二人組である金色の髪の女だった。