お尋ね者
黒く、炭となった体が形を保てずに地面に崩れる。
何のために襲撃をしたのか、何のためにミーシャを連れて行こうとしたのか、何のためにあっさりとミーシャを捨てて戦いに挑んだのか。正直言ってこの怪物の目的が分からなかった。
残った理性で動いていたというよりも執念で動いていたように見える。恐ろしいことだ。それほどの無念が、忠義が、怨みがあの男にはあったのだ。
「ミーシャ、周囲に奴と同じ……魂?——だっけか。それを持ってる奴はいるか?」
「知らん。障害物に阻まれていたら魂も見えないしな。最も、あんな斬撃と炎の中でまともに魔術を発動させられる奴はいないと思うが」
「そうか」
その言葉を聞いてもう一度、シグルドは怪物だったものを見る。
最後に瞳に現れた恐怖。よく戦争でも見たものだ。人と人が殺し合えば稀に起こる光景だ。誰もが戦士として、騎士として立派に戦場で死ぬことを是非としている世の中。そんな者達がいる中で、戦場に出ることを嫌うのに、出なければならなくなった者達はいる。戦う覚悟を、死ぬ覚悟ができていない彼らは必ず最後は同じ目になる。
関係のない者を巻き込み、人に害をなす怪物となった者に慈悲はない。しかし、最後の最後で見せた瞳。あれだけはどうにも苦手だった。
「レイ殿、どうかしたのですか?」
「いや、何でもない」
レティーの問いかけにシグルドは振り向いて短く返事をする。
それと同時に、ガチャガチャと鎧が激しくぶつかる音が耳に届いた。
「騎士共か。遅いお付きで……」
「殿下、そのようなことを言っている場合ではありません。殿下だけでも隠れてください。この場は私とレイ殿が……」
「分かった。揉め事は起こすなよ」
姿隠しの指輪で忠告を残しながら姿を消す。シグルドはその忠告に頷くものの、内心は揉め事になるかもしれないなと呟く。その視線の先には、剣を抜き、戦意を迸らせる騎士達だ。一目で分かる。ものっっっっごく怒っている。
「…………一太刀ぐらい斬られた方が良いか?」
「本気で言っているのですか? 相手の誤解を解くためとは言え、自分の身を犠牲にするのはどうかと思いますよ。と言うか、ここは任せてください」
魔剣を鞘に納め、戦意がないことを伝えようとするが変化もない。ならば、一太刀ぐらいはと考えたシグルドだが、レティーが有り得ないと言わんばかりの視線を向けてくる。
確かに他人からすればドン引きするのも仕方ないのだが、シグルドの基準で言えば帝国の騎士の一太刀は受けても行動に支障が出ることはない。霜の巨人の一撃を耐えうる肉体は伊達ではないのだ。
しかし、シグルドが良しとしてもレティーからしてみれば心臓に悪い光景には違いない。上手くこの場を収めるためにカリアとして仮面を被り、シグルドを庇うように一歩前に出る。
「おーいっ!! 良かったぁ~。来てくれたんだね騎士さん!!」
向かってくる騎士達に向けて明るい笑顔を振りまき、喜びの表情を向ける。どんな者でも宥め、心を許してしまいそうになる笑顔。様々な客層が訪れる酒場でこの笑顔に堕ちなかった者はいない。
それにレティーを知っている者がいたのだろう。手を振るレティーの姿を見て、反応を示した者が少なからずいた。
「——?」
当然、その反応にレティーが気付かないはずない。表情、仕草から人の情報を読み取ることに長けているレティーからすれば手に取るように分かるのだ。その後に彼らの顔に浮かび上がった悲痛な表情も……。
「(斬られるかもしれませんね)」
一番前に立つ男を見て確信する。この男は端から話を聞くつもりはない。完全にこちらを敵として見ている目をしていた。
男がレティーの前に立つ。その距離は何が目的なのか剣の射程範囲。人一人斬るには丁度いい距離だ。予想が的中し、男は何も言わずに剣を振るう。
「淑女相手に何をしているんだ?」
火花が散る。間に割って入ったのは後ろにいたシグルド。揉め事を起こすなと言われたが、こんな状況を見て放っておけるシグルドではない。
黒く光る魔剣を抜き放ち、男の剣を吹き飛ばす。
「彼女は俺と怪物との戦闘に巻き込まれただけの被害者だ。刃を向ける相手を間違えてはいないか」
「——っ。コイツ等を拘束しろ!! 抵抗するのならば斬り捨てても構わない」
得物を折られた男は驚愕の表情を見せてから、後ろにいた部下達に命令を下した。対話をする気がない騎士達にシグルドは溜息をつく。
大きく息を吸い込み、声を張り上げた。
「ここを離れる!! 捕まれ!!」
街を壊し、住民を傷つけてしまったことは申し訳ないが今捕まる訳にはいかない。何のために声を張り上げたのか、誰に向けてかは相手も感づいているはずだ。
左腕をレティーの腰へと伸ばし、右腕をダランと伸ばす。そして、僅かな重みを感じ取った瞬間に地面を蹴り上げて跳躍する。
「追え!! 追うんだ!! 怪物を招き寄せた元凶を決して逃がすな」
大声で、わざとらしく目的を口にする騎士の男。まるで遠巻きに見ている住民に説明しているかのように聞こえるのは間違いだろうか。
「……わざとか?」
「わざとでしょうね。顔見知りがいましたが、裏があるように見えました」
レティーもシグルドと同じことを考え、シグルドに抱えられながら、先程見た騎士の顔ぶれを思い出す。先日店にいた騎士の二人組。カリアに恋心を抱いていた者達だ。
彼らが浮かべた悲痛な表情から考えるとシグルドだけではなく、あそこにいた者達全員を捕まえるつもりだったのかもしれない。
「これってお尋ね者になるのかな」
「嫌ですか?」
「いや、覚悟はしていたが、早くなったなと思ってな。取り敢えず身を隠せる場所を探そう。一体裏で何があったのかも知りたい」
「ならば、まずは私の地下部屋に行きましょう。この速度なら騎士達よりも先に付けるはずです」
レティーが間者として暗躍するために使われる部屋。
例え、上にある酒場に騎士達が押し入っても簡単に見つけることは難しい場所だ。部屋には街の外への脱出路もあるため、今から探すよりもいい手だ。
「分かった。それでいいか?」
シグルドの問いに返事をするかのように小さな手の感触が強くなる。シグルドはそれを肯定と取った。
力を込めて瓦を蹴り、跳躍する。
昨日と今日だけで色々と起こり過ぎた。
騎士が来たと思ったらスラムを襲い始め、情報を買うのも困難になり、情報を王国の患者の元に行ったら、怪物が襲い掛かって来たり、その怪物は実はアルゥツの体を乗っ取った帝国の騎士?だったり。そして、今は怪物を手引きしたと騎士に追われている。
放置した問題が雪だるまが坂を転がって大きくなっていくように、一つ一つを纏めて厄介になっている。
作戦を控えているのにそれ以前の問題になってきてしまった。一度、整理する時間が必要だ。
レティーの酒場を視野に捉え、ほんの少し速度を上げた。
その日、太陽が沈む前に街角に新たな手配書が張り出されるようになる。
白髪の男に茶髪で頭にバンダナを巻いた女性。
男の名はシグルド・レイ。女性の名はカリア。
どちらも近頃噂になっていた下水道の怪物を招き寄せた者として、賞金が賭けられた。
賞金に目が眩んだ者、怪物の手によってなくなった者の親族、街を守ろうと奮起する者が、この日を境に二人を探すようになった。