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大洋を二度越えて  作者: 陽再昇 (ひはまた のぼる)
1/2

序,1,2,3,4,5章 改訂版  2018.08.17

物語の展開は1990年代初期ですが、回想で1960年代中旬に戻る場面もあります。したがって、本文は昭和40年代初期の会話形式となっています。  全文は序章も含めて11章で、400文字原稿用紙 約200枚、(約100ページの文庫版に相当)です。 


文節の順番を整え、文節内の視点も固定しましたので内容が分かり易くなっていると思います。 抜け字や誤字なども訂正し、文章も短く書き直しました。 

『大洋を二度越えて』陽再 昇著 file: 大洋を二度越えて2018-12S2a



序章

 

 瞼の外が明るいのに気が付き秀雄は目が覚めた。目を開いたが、真っ白で眩しかったので直ぐに目を閉じてしまった。気を失う前の記憶は冷たく酷く居心地の悪いところだったが、それがどこだったのか思え出せなかった。何故か頭の中は酷く混沌としており、ここはどこだろうかと考え出した。色々と思い出そうとしているうちに段々と思い出してきた。そうだ、自分はストックホルムに来ているんだ。そして、この数日か一週間だったか思い出せないが、色々な出来事があって、人生が急変しそうになっていたことを思い出した。それは、こういうことだった。


 何日か前、ストックホルムの南百五十キロくらいのことろにあるノルショッピング市に行ったんだ。そして、以前学会で知り合ったスウェーデン人、その人の名前は思え出せないが、彼に会って就職の話をした。採用されなかったと思うのだが、その後ストックホルムに戻って、市内でぶらぶらしていたんだ。市内観光バスに目が付き、観光バスに乗ったところ、自分一人だけが観光客だった。若い女性バスガイドの名前は確かジャネファーとかだった。彼女は北米アクセントの流暢な英語を喋り、二時間も彼女と話しているうちに親しくなっていたんだ。


 観光バスから降りる時、ジャネファーを夕食に誘ってみたところ、彼女は喜んで同意してくれたのだ。その後、彼女と一緒に薄く雪化粧したストックホルムの旧市街、ガルマ・スタンにあるレストランに向かって歩いて行ったんだ。








               

第一章 出逢い


 ガルマ・スタンの街並は中世紀のまま残された黄色っぽい石壁の建物に狭く囲まれており、ガスランプを真似た外灯に照らされていた。石畳みの舗道に積もった雪は人に踏みつけられ殆んど消えかかっていた。踏まれていない舗道脇の雪は白いまま固く凍りつき、氷点下の寒さを残していた。しかし、街並は少し歩いただけでは氷点下の寒さを感じさせないものがあった。

厚いカーテンに隠れた二重ガラス窓からすすけたような電灯の明りが舗道にこぼれていた。その明かりは石畳みを歩く者をほのぼのと温かく感じさせていた。ガルマ・スタンの夜は人影が殆んどなく、そのせいか、まるで歴史博物館の展示物のような無人地帯を錯覚させるほどだった。時おり通り過ぎて行くコート姿は足音だけを響かせていた。落ち着いたストックホルムの静かさは無口なスウェーデン人の如く、明りのついた窓からはなんの音も聞こえなかった。

 ガルマ・スタンは幅広い川の中に浮かぶ周囲二キロもない三角形の島で、その廻りには小さな島が三つくっついていた。島の北側には質素で堅牢な作りの宮殿と政府の建物が並んでいた。そこから南へ向かった数本の狭い通りがあり、その通りの両側にはブティックや画廊、レストランとかいった商店が十六世紀の姿のままぎっしりと並び立っていた。宮殿から東に下った通りの端にフェム・スモー・ヒュッス(小さな五軒の家)という名の老舗のレストランがあり、そこで秀雄はジャネファーと夕食をしていた。


 午後九時に近い、この時間帯はそのレストランを出入りする客はいなく、中にいる客たちはもうすでに豪華な夕食を済ませ、つくろいでいた。しかし、レストランの中は驚くほどに静かなのだ。よく見ると、薄明るいランプに照らされた客の口は開いているものの、聞こえるべき声は低く、静かに話しているからであった。


 二人の晩食は薄く切られたニシンの酢漬けのオードブルから始まり、メインコースであるスウェーデン特産のトナカイのステーキ料理はもうとっくに終わっていた。デザートのチョコレート・ケーキも食べ終えていたところだった。初めてのデートではあったが、初対面のぎこちない話し方はもうとっくに消え、以前からの知り合いであるかのように、二人とも気楽に思うまま喋り合っていた。


 「ねぇ」とジャネファーが会話が少し途切れたとき英語で言い出した。「わたしたちが子供の頃はもっと雪が積もていたし、う〜ん、市内でもクロスカントリー・スキーをしていたわよぉ」と、話しの語尾を跳ね上げたスウェーデン人独特の同感を得たような話し方で、語調は上がったり下がったりしながら唄っているように言った。

 テーブルに向いあって座っている秀雄は彼女の言ったことに少し驚かされた。何故なら彼女は二十才半ばに見えて、自分より二十才くらい若いと思ったからだ。彼女には自分が同じくらい若く見えるのだろうか。それとも、彼女が使った英語の『we』は『わたしたち二人』と言う限定的な意味ではなく、ごく一般的な誰をも指さない意味だろうか? しかし、そんな使い方をしたはずはないと思った。何故ならば、スウェーデン語の『vi』は英語の『we』と全く同等であると、習ったことを秀雄は思い出していたからだ。まさか単語の使い方を間違えたわけではあるまいが、まあそんなことはどうでもいいと思いながら英語で言った。

「うん、それは二十年くらい前、そうだなあ、一九七〇年頃のことだろう? あのころ僕はアメリカの大学に留学した時だったけど、ボストンでも雪がよく積もっていた」

これで彼女が自分の年齢を知り、驚くのではと考えていた。しかし、彼女はなんの驚きも見せず、

「う〜ん、そうね、地球全体がだんだんと暑くなってゆくみたいよぉ」と、言った。

「やはり、車の排気ガスや火力発電所などから出る炭酸ガスの影響かも知れない」と、呟く様に秀雄が言うと、

「それ!」と、テーブルに両肘をもたれかけていたジャネファーは、急にダークブルーの目を輝かせながら「グリーンハウス効果のことでしょう?」と、訊いた。

「うん、そう。でも炭酸ガスの量が増えたのか、その証明がまだうまく出来ていないらしいけど」 

「どうやって証明するのかしら?」と、あどけなく言った。

「地球物理学専門の友人から聞いたんだけど、グリーンランドや南極の厚い氷に含まれた炭酸ガスの量を計れば解るとかで、もうグリーンランドでは氷を掘り出す作業が始まったとか言ってたよ。いずれは一万年くらい前の氷も掘り出すとか」

「へーぇ、うまく結果が出るといいけど.....」

「結果が出ても、その結果をどうするかの方が難しい問題だと思わない?」

「う〜ん、そうね、一ヵ国の問題ではなくて、世界全体で解決しなければいけないわねぇ」「そうだけど、ストックホルムの夏もやはり昔よりも暑いのかい?」

「う〜ん、そうね、そう思うわよぉ、でも夏のストックホルムの方が冬よりもいいわよぉ、夏になったら、また来ればいいのに、う〜ん」と、ジャネファーはニコニコしながら、肩をすぼめた。

「うーん、そうしたいけど、スウェーデンの人は夏になるとみんな南へ旅行するって聞いているから、その時、君にまた会えるかなぁ?」と、また来る予定はないのに、ジャネファーにまた会いたいばかりに、そんな言い方をした。

「あら、それはそうよぉ、わたしがここにいる限り逢えるわよぉ」と、本気だから信じてという様な顔をして、「う〜ん、それに、この夏はどこにも行かずに、大学に入る準備しなくちゃぁいけないの」と、言って頭を左右に軽く振りながら続けた。「だからわたしここにいるわよぉ、う〜ん、高校を出てからもう五年間も勉強していないから、今年は本当に真面目にやらなくちゃぁいけないのよぉ」

「最近のスウェーデンの若い人は高校卒業してもすぐには大学に行かないと聞いていたけど、君もそうなんだね?」

「う〜ん、そうよ、今頃の新入生、特に女学生の平均年齢は二十代半ばっていうから、わたしもその一人になりそう、う〜ん」と、少しがっかりする様な目をして、空になったコーヒーカップをいじくり出した。


 「でも、ドイツにいた時、勉強しなかったのかい?」

「西ドイツにいた時はドイツ語だけ勉強したの」

「そうか、まだ西と東が合併される前だから三年前に行ってたんだね」と、頷きながら、「じゃあ聞くけど、ドイツ語と英語どっちが難しい?」と、尋ねた。

「う〜ん、そうね、ドイツ語はスウェーデン語と似た単語が多いから、その点楽だけど、文法は英語の方がスウェーデン語に近くて、まあどっこいどっこいな感じ、よぉ」と、言ってジャネファーは目をくりくりとさせた。

「ふうん」

「じゃあ、スウェーデン語とドイツ語どっちが難しかったの?」と、尋ねた。

「そうだなぁ」と、上を見ながら言って、秀雄は考えてみた。ドイツ語は大学で必須だったので仕方なしにやったくらいで、なんとか単位が取れたことくらいしか覚えていないのに気がついて、顎を手に載せてコーヒーカップを見ながら言った。

「その前に日本で英語を学ぶのが大変だったよ。でも、英語で学んだドイツ語とスウェーデン語をくらべると、ドイツ語の方が難しかったなぁ。だけど発音はスウェーデン語の方が厄介だと思う。読み書きはなんとかなっても、話すのも聞くのもフランス語と同じくらい難しいと思う」

「へーぇ、スウェーデン語ってそんなに発音し難いの?」

「うん、英語にない発音も難しいけど、単語の前後関係で発音がなまってくるところはなかなか聞き取り難いんだ」と、秀雄は頭を左右に振った。

「そうね、その点はフランス語もスウェーデン語に似たところがあるわよぉ、う〜ん」と、秀雄の顔をじろじろと見ながら尋ねた。「ねぇ、いったい何ヶ国語喋れるの?」 

「喋れるのは日本語と英語の二つだけだよ」と、笑いながら答えた。

「じゃあ、何ヶ国語勉強したの?」

「日本語以外は四ヶ国語になるけど、フランス語は今でも時々、気が向いた時するくらいで、真面白にやったのは英語とスウェーデン語だけだよ」

「でも、よりにもよってなぜスウェーデン語を勉強したの?」

「大学時代にスウェーデン系のアメリカ人の友達もいたけど、仕事でスウェーデンに来た時、何もかもスウェーデン語で書かれていて困ったんだ」

「う〜ん、じゃあ、独学したわけ?」

「まあね最初はね、そうだったけど、結局は後になって大学で一年間講習を受けてしまったんだ」

「へーぇ、大学へ戻って勉強したの?」

「当り前のことだけど、人間は頭を使わないと動物と同じだから、いつも何かを学うべきだと思んだ。ところで、大学に入るためにどんな勉強するの?」

「生物と化学を復習して入試の準備しておかないと、希望の大学へ行けなくなるのよぉ」と、言って、ジャネファーは目を落して頭を振った。

「大変だなぁ。でも君の専攻したい科目だから面白いのでは? 僕も好きだった化学を専攻しておけば良かったんだけど」と、秀雄は頭を捻った。

「あら、それじゃ、今から大学に戻って化学を勉強すれば?」

「それは、ちょっと遅すぎたみたい.....もう人生の半ばなので」

「ふふっ、今さっき、いつでも何かを勉強するべきだと言ったのは誰だったかなぁ〜」と、ジャネファーは笑った。


 彼女のえくぼの笑顔がとても可愛いと秀雄は思った。顔の掘りはそれほど深くなく、鼻もあまり高くなく、高い頬に大きなダークブルーの瞳を持った彼女はブロンドではないが、やはり肌も白く北欧的なところがあった。厚化粧したアメリカの女性の顔にはもう見慣れてしまっているので、薄化粧か化粧をしていないジャネファーの顔が素朴に見えた。しかし、それが故に親しみやすく、こうして話し合っているうちに彼女にも意外と魅力があることを見つけ、自分の心が彼女に引かれて行くのを感じていた。


 「そうだね、矛盾しているね、僕は」と、苦笑しながら言った。「それはそうと、もう夜遅いから、トンネルバーナ(地下鉄)まで送って行こうか?」と、折角、夕食を付き合ってもらいながら退屈させては悪いと思って、そう言った。

「まだ九時前だから、遅くはないわ、最終電車は十二時半だし、それに遅くなるって家に電話かけておいたから、大丈夫」と、腕時計を見ながら言い、「ねぇ、川のほとりから見えるウペラヒュッス(オペラハウス)ってとっても綺麗なの、見に行きましょう?」と、誘いかけた。


 夜遅くまで友達と遊んで帰ることもあるのか、彼女にとってはまだ時間もあるらしく、どうやらもっと長く話しを続けたいらしく思えた。秀雄にとっては、ジャネファーと北欧ムードいっぱいの夕食を一緒にできたことだけで、とても嬉しかった。しかし、冬のストックホルムの夜は幻想的で彼女と一緒に歩くことはさらに素晴らしと思った。すでに、二人は二時間近くもフェム・スモー・ヒュッスで会話を楽しんでおり、夕食の皿などはもうかたずけられ、コーヒーカップには乾いたコーヒーの跡が残っていた。


 レストランを出た二人は曲りくねった狭い石畳みの道を宮殿の方へ向かって、白い息を出しながら歩き出した。寒冷の米国東北部のニューイングランド地方に住み慣れた秀雄は黒いトックリの上に茶色っぽいセーターを着、その上には分厚いオリーブ色のフィールドコートを着ていた。ジャネファーは白いトックリの上に北欧特有の花模様の入った紺色のカーデガンを着、極地で使われる様な軍服のコートを着ていた。ストックホルムナ(ストックホルム市民)は結構気品のある高価なドレスを身に着けるほうであるが、こういったラフなスタイルも意外と見かけるのである。

 二人共コートにはフードが付いていたが、レストランの温かさがまだ残っているせいか、後ろに垂らしたまま歩いていた。ガルマ・スタンの路地は昼間は賑やかだが、夜が更けるにつれ人影は消え、店が閉まった今ではすっかりと静かになり、古風な街灯に照らされていた。それはまるで十六世紀から閉まったままの様に見えた。


 石畳みを歩いている二人の足音は周りの石作りの建物に響き、飽きもせず同じような話しに夢中な二人の声は足音の響きに消されがちだった。二人は宮殿を取り囲んだ高い石壁のそばを通り過ぎ、ストール運河に架かる橋を渡った。国会議事の建物であるリックスヒュッスの前にある厳しいリックスガータンと言う、今にも着飾った騎士が飛び出してきそうな短い通路を通り抜けた。ストックホルムの北区に面したノルストローム川に架かる橋に辿り着いた。


 「ヒデオ、あれがウペラヒュッス、綺麗でしょう?」と、言って、川の斜め対岸にあるガムラスタンと調和の取れた石作りのオペラハウスを指さしった。オペラハウスは明々かとライトに照らされ、黒い川の水面に反射していた。その黒い水面には白く薄い流氷が絶えまなく、カラカラと橋桁にあたる音を立てながら流れていた。秀雄は橋の欄干に両肱をついて水面に反射するオペラハウスを眺めていた。水面に反射する明かりはここに限らずどこでも綺麗に見えるものだと思いながら、

「うーん、綺麗だね。やはり、ストックホルムは、君の言う通り、ヨーロッパで一番綺麗な街だと思う」と、言った。

「わたし、ストックホルムから出たくないわ、大学だってここにしたいし」と、ひとりごとの様に岐いた。「う〜ん、これはわたしだけじゃないのよ、ストックホルムで生まれ育った者ならみんなここを出たくないの、よぉ」と、言って、秀雄のそばで欄干にもたれかかった。

 その時、秀雄は自分自身の大学受検時代のことを思い出したのだ。

「大学入試って若い時、一番辛いことだけど、あっと言う間に終わるから、今頑張らなくちゃあ」と、まるで父親か先生みたいな口調でジャネファーに言い、彼女の背中を軽く撫でて励ました。

「分かっているわ、でも楽をしようと思えば、ドイツ語を専攻すればいいし」と、言って流氷を見ながら、ため息をついた。「色々と考えちゃうわ」

「今からそんなに悩んでいたら頭が白くなるよ?」

「うん、そうね、今晩は楽しくしましょう!」と、言って、ジャネファーは笑顔を見せた。

 秀雄は彼女の言い方が気になって、突然尋ねた。

「ジャネファー、ボーイフレンドはいないの?」

「いたけど、今のところいないわ」と、けろっとして答えた。

「こんなこと聞くべきじゃないけど、そのボーイフレンドどうしたの?」

「彼は大学卒業してから就職先でいい人ができて.....」と、頭を横に振りながら言い、口を濁らした。

「ごめん、やはりこんなことは聞くんじゃなかった」と、言い、変なことを聞いたことで後悔したが、彼女が

「いいのよ、もう彼のことはどうでもいいんだから」と、言ったので安心した。

「じゃあ、目ぼしい人を探しているんだね」

「いや、別に探してはいないけど、今のままではそんな人はなかなか見つかりそうもないの」と、彼女は眉毛を引き上げて頭を軽く左右に振った。

「それ、どうして?」

「今の仕事じゃあ、顔を合わせる人が少ないし、限られているからだと思うの」と、何か本当のことは言いたくないらしく、むしろ秀雄のことをもっと知りたいのか

「あなたはガールフレンドがアメリカにいるんでしょうね?」と、尋ねた。

 同じ様な質問が出ることは予想しており、答えはいつもながら同じであった。

「ずっと前にいたけど、今のところ、いないよ」

「じゃあ、あなたも探しているわけね?」

「いや、もう探す様なことはしてはいないんだ」

「あら、どうして?」

普段なら、面倒だから『はい、そうです』と答えていたはずであったが、アメリカの女性と違った雰囲気を持つジャネファーに聞かれ、つい本当のことを言ってしまったのだ。それに滅多にこのことについては細かく話すことはなかったが、

「もう二十五年くらい昔のことだけど、日本にいた時、強烈な恋をした人が未だに忘れられなくて….」と、自分の過去を喋り出したが、黙ってしまった。プライベートなことを聞かされたジャネファーは少し驚いた様で黙ってしまった。


 会話に途切、気まずく感じた秀雄は話題を変えようとしたが、さっきから感じていたことをそのまま口に出してしまったのだ。

「話しは変わるけど、君と初めて会ったのは今日の昼過ぎ、あのウペラヒュッスの前だったけど、こんなふうに君と話していると、なんとなく以前から知り会っている様な感じがしてしょうがないんだ」と、言ったが、これは少しキザだったと感じて気まずくなり、下に流れる流氷に目を向けた。恥しくて少し身体が熱くなるのを感じたが、冷たい風に消えた。


 会話が個人的なものになり、二人の存在に触れたことを秀雄の方から言われ、ジャネファーも彼の言ったようなものを次第に感じを始めていたので、身体が震えそうになった。流氷を見つめている秀雄の横顔を覗いて、ジャネファーも流氷に目を向けた。二人とも一時、黙ってしまった。ジャネファーはこんな気持になったのは久しぶりであった。彼女の元彼ヨワケムに始めてデートに誘われ、アバのコンサートに行ったのは十六才の時であった。あの時、感じたじーんとした快い気持が今しているのだ。その時、自分の過去を思い浮かべてしまったのだ。


***


 もう考えなくなってきてはいたが、不意に高校時代からのボーイフレンド、ヨワケムと歩んできたことが脳裏を通っていった。スウェーデンの高校は課程によっては長くて、ジャネファーが卒業したのは十九才になった年であった。ドイツ語を身に付けたくて、高校卒業後、西ドイツに二年間も遊学していた。

 ストックホルムに戻ってからはドイツ語と英語ができるということで市内観光バスのガイドの仕事につき、一年間だけするのつもりでいた。だが、慣れてしまったアルバイトみたいな仕事が辞められ難くなり、すでに三年目となっていた。もうとっくに仕事の新鮮さは無くなってきていた。将来は自然環境に関した仕事をしたくて、大学で園芸学か植物学を専攻することを夢にしていた。しかし、今では単なる夢に留まりそうになっているのだ。と云うのは去年の秋、ヨワケムと別れて以来、大学への準備をする気力を失ってしまったからだ。


 同級生だったヨワケムは高校卒業後、ジャネファーが西ドイツに行っているあいだ徴兵した。一年間の徴兵から戻ってそのまま大学に進み、去年の春大学を卒業し就職していた。後で分かったのだが、ヨワケムの同僚である女性とは専門的な話題ができ、次第に親しくなったらしく、自分との会話は物足りなくなったらしかった。

 そう言った経緯は知らず、突然ヨワケムは理由もなく交際が終ったということを電話で伝えてきた。納得が出来なかったのでヨワケムに会いに行った。しかし、そこにいた彼の恋人を紹介され、何も言わずに彼の前を去ったのだ。その後ヨワケムに電話をかけたが、彼の別れたい理由は中途半端な言い方で聞かされた。それが不満で、どうしても彼と二人きりで会いたかった。


 自分の懸命な要求に応じて、彼は仕方なしにもう一度だけ会うことを約束してくれた。ヨワケムと二人きりで会えば以前の様に喧嘩しても数日後には仲直りしていたのだから、今回もその様にまた寄りが戻せると期待していた。ところが、いつもにもなく彼は冷たく応じ、納得できる理由は告げなかった。


 「わたしのどこが嫌いなのよぉ?」と、ヨワケムに突っ込んで聞いた。

「う〜ん、別に嫌いになったわけじゃないけど、俺たち、大人になってお互いとも変ってきたんだよぉ。だからもうこれで終ったんだよぉ、わかるだろう?」

「わたしはそうとは思えないけど」

「これ以上言わなくても、誰だって理解できるはずだがな」

ヨワケムはこれでもわからないのであれば、ドイツかぶれしたジャネファーの考え方が以前とは違ってきているんだと思った。彼女をもはや単なる友達としか感じられなかったが、彼女の短所を口にすることは避けた。


 しかし、六年間も付き合っていて心から信頼していたヨワケムは二人きりで会う約束を破り、近くに待たせておいた恋人を呼び寄せ、その女と共にジャネファーの前を立ち去ったのだ。立ち残されたジャネファーは泣き顔を隠したまま佇んでいた。自分にないその女の魅力はどこにあるのだろうかと考えてみたが、ヨワケムと同じくらい背の高いブロンドの女の顔を良く見ることもしなかった。


 彼がこんなにまで変ったのはその女のせいにしてしまった。その女の前で侮辱されたことはそれほど気にしなかった。だが、そのことをヨワケムが友達に言い散らし、次第に友達の中に流れていった。その噂のせいか友達でさえ遠ざかって行く様な気がしていた。そういったことがあってか、自分自身、自然に人付き合を避けがちになってしまったのだ。最近の付き合う人間といえば、ガイド関係くらいとなり、それも時間つぶしの様なものなのだ。

 以前は朗らかな方ではあったが、暗く憂欝な感じのする自分自身になっているのにも気が付いていた。しかし、その状態から抜け切れず、大学入学の準備もする気もなく焦燥感が出ていた。毎晩、夕食後は自分の部屋に引き込もってしまう様になり、それを心配する両親の気持ちもにも気がついていた。


                   *


 そんなところへ、その日、ガイド客としてアメリカ訛りの英語を喋る秀雄が突然現われ、初めて会った時から感じが良く、気さくで知性的な年上の彼に好意を感じていた。スウェーデン人と比べ背は低いが、スウェーデン北部に住む原住民サミーみたいな細い目とガッチリとした肩を持ち、角ばった顎があり、かわいいと思った。

 日本人はもちろんのこと、東洋人とはデートどころか言葉を交わしたのはこれが初めてであった。彼と話しているうちに、良い意味ではないが俗に云う、オリエンタルという滑稽なイメージが彼にはないどころか、感覚的には西洋人と変わりないことに気が付いた。それとも今まで想像していた東洋人のイメージは偏見的であったのかも知れないと思った。気楽そうな彼の仕草からはアメリカ人に良く見かけるところがあるのにも気が付いていた。ツアーの最中、彼と話していると、次から次へと驚く様な知らなかったことも聞かされ、いつもにはなく新鮮なものを感じ、快い刺激を受け少し興奮していた。

 ツアーの後、秀雄から夕食に誘われた時、躊躇なく応じてしまったのだ。誘いをかけられたことも最近は珍しいことではあったが、ヨワケム以来誘いを断ることが多くなってきていた。それがヨワケムの知人であればなおさらであった。秀雄が自分の過去とは無関係なのがなによりも気楽であった。このデートで秀雄を知るにつれ、アメリカ人に多いうわべで軽薄な気質が意外とないどころか、もっと奥深い人間味を感じさせ、次第に彼の魅力に引き寄せられていた。


                 ***


 欄干にもたれかけた二人は黙ったままカラカラという流氷の音を聴きながら流氷を見つめていた。秀雄は黙り込んでしまったジャネファーに振りかえって、言い出した。

「こんなロマンチックな街で、君みたいな素敵で可愛い人と偶然会えるとは本当に想像もしなかったよ」

スウェーデンの男性はこんなに大っぴらに言うことがなく、例え口のうまい嘘だとしても、そう言われてジャネファーは嬉しくなった。ジャネファーの胸は急に熱くなり、頬がほてる様な気がした。思わず秀雄に抱きつきたい衝動に震えた。だが意外にも彼は冷静で不動だったので、目を輝かせたまま彼を見つめることで精いっぱいだった。しかし、今晩限りの付き合いであるということが口惜しくて、複雑な気持になり真剣な顔をして言った。

「う〜ん、そうね、わたしだって、初めて会った男の人と、こんなに楽しく、それにこんなに長くお話しができるなんていうことは、今までになかったわよぉ」

プライベートな話題を回避し、大っぴらに意見を発言しないスウェーデン人らしさはドイツ生活で不利だったせいか、特に外国人と接する時は感じたまま発言する様に心がけていた。そうでもなければ、このような言い方はしなかったはずだったと思い、少し恥ずかしくなった。


 「僕達、どこか気が良く合っているんだ、きっと」と、ほんのりと赤くなったジャネファーの顔を見ながら言った。

「う〜ん、わたしもそんな気がしていたの、でも今晩限りでお仕舞いっていうのは、本当に残念だわ。わたしたちの出会いは哀れな奇遇ね.....よぉ?」と、ジャネファーは目と目を合わせて同意を求める様な顔をしながら言った。

秀雄は微笑しながら右腕をジャネファーの右肩にかけて、彼女を引き寄せ、

「じゃあ、残りのひと時を大切にしよう!」と、言った。

「う〜ん、そうしましょう」と、ジャネファーも微笑しながら秀雄の腰に腕をまきつけ、頭を彼の肩にもたれかけた。


その時、またヨワケムのことを思い出していた。ヨワケムに肩を引き寄せられると、いつも自分の頭はヨワケムの脇の下に入っていた。秀雄の肩に頭を傾けるのは変わった感じがし、ジャネファーはその新鮮な刺激に少しばかり興奮していた。

 

 秀雄はジャネファーの頭に頬を寄せ、彼女のフレッシュな香水の香りに気が付いた。最近、挨拶以外は女性と身体を寄せ合うことがなく、今こうしてロマンチックに女性と身体を寄せ合うことは久し振りであった。二人は身体を寄せ合ったままゆっくりと橋を渡り始めた。街灯に照らされた赤みがかったストローベリー・ブロンドのへアーは、長めにきちんとカットされた秀雄の黒髪と対照し、燃える様に明るく見えていた。誰が見ても、初めて逢ったばかりの二人連れとは見えず、しかも二人の年齢の差も気が付かせないかも知れなかった。しかし、自分自身、気にならないのだが、ジャネファーに気を使い、「僕達、年がかなり離れているけど、気にならない?」と、聞いてしまった。

「そんなこと気にならないわ。それにあなたってそれほど歳上に見えないわよぉ」と、言って彼の顔をちらっと見た。


 橋を渡った二人はオペラハウスの方へ向かって歩き、オペラハウスの前で立ち止まった。話し声の中には笑い声も聞こえていた。そして川岸に戻り、反対側に見える宮殿を眺めているうち、流氷の話しにでもなったのか、秀雄は歩道の脇に残っていた雪の塊を流氷に目めがけて投げた。後ろにいたジャネファーは雪の塊を秀雄の背中に投げて、オペラハウスの前にある橋に向かって、逃げ出した。ジャネファーを追いかけた秀雄は彼女を後ろから掴まえ、彼女を抱き寄せて左右に振り回した。子供の様にふざけ合い、ジャネファーの無邪気な悲鳴も聞こえたが、二人はげらげら笑っていた。


 二人は再び身体を寄せ合い、そのまま橋を渡って十六世紀の中に漂うガムラスタンヘ戻って行った。川のほとりをジャネファーと仲良く歩いているうちに、秀雄は二十数年前の記憶と錯覚し始めていたのだ。


               


第二章 回想


 秀雄の視線がジャネファーに対して熱かった理由もあった。ジャネファーは自分が高校時代交際していた輝子に似た感じがし、背丈も同じくらいであった。それに、髪を後ろに結んだポニーテールのへアースタイルは輝子とそっくりなのだ。高校卒業後、輝子と別れて以来、無意識に輝子の髪型を探していた。大きくぱっちりとした潤んだ瞳を持った輝子は、可愛いえくぼもあった。彼女の通っていたミッションスクールでは一番可愛かった、と言っても言い過ぎではなかった。

 ジャネファーの仕草や態度から感じる温かい思いやりのある性格も輝子と似ていた。輝子とはとても気が良く合い、話しをし始めると、まる一日中終らなかったのも同じみたいなのだ。ジャネファーが恥しそうに照れたりするところや、言葉は異っていても何か考える様な話し方まで輝子に良く似ており、苦笑しながらジャネファーとの会話を楽しんでいた。ジャネファーの中に輝子がいるのではという錯覚さえ感じ始めていた。


 二十数年前、輝子と初めてデートをしたのは偶然ではあるが、寒い夜であった。それ以来、デートは決まった様に、歩行者天国の長い商店街を歩き、喫茶店に入ったりしていた。夕食をレストランで食べた後は橋を渡って公園に行き、夜の更けるのも忘れて公園のベンチに座って川の流れを眺めながら話しに夢中になっていた。市の中心部にある広い公園の両側は川で囲まれていて、公園には橋が幾つか架けてあった。それから二十数年も経った今、ジャネファーと川岸を歩き、橋を渡ったりしていると、否応無しに懐かしい故郷のことを思い浮かべてしまったのだ。


               ***


 真面目に勉強していた輝子は京都の希望校である短大に受かったが、秀雄は望み高く難関な旧帝大のひとつを狙っていたが落ちてしまった。私大も二期校も受けずの一本勝負だったので輝子の京都出発を駅のプラットホームで見送った後は、わびしいくも予備校通いとなった。浪人生活をし始めた早々、両親の知人であるアメリカ人から留学の招きがあり、留学してはと母から勧められ、一晩中迷ってしまった。


 その知人家族はキリスト教を通じての知り合いで、米国東海岸北部のボストン郊外に住んでいた。父の話では昔ピューリタンが移住した辺りなので、知人家族は厳格で勤勉だと想像し、行くのならその覚悟で行けと父が忠告した。日本人が全くいないところだから、日本食どころか日本式のお風呂もないのよと、母が付け加えた。秀雄はそういっことには全く気にならず、一番気になったのは輝子のことだった。輝子は自分の歩む道を既に出発しており、しかも彼女のコースは短距離だった。ところが自分はまだ出発点に残っており、翌年、希望校へ合格する保証などはなかった。


 その当時、一ドルは三百六十円と固定していて、重労働なアルバイトをしても一日千円稼げたくらいであった。羽田からボストンまでの片道航空券は二十四万円もし、国際電話は三分間五千円という、今では想像もつかないほど高かった。というわけで留学してしまえば、夏休み帰国することはできず、大学卒業するまで帰国できないという条件付きだった。

 不十分な英語の為、一年くらい留年することも覚悟しなければならず、そうすると結局は少くとも五年間の島流しみたいなものだった。と云う訳で、留学を終えて帰国する頃、輝子は二十四才になっているはずで、結婚していても可笑しくない年頃であった。


 一晩中考えた末、思い切ってアメリカに留学することにしてしまったのだ。たが、予想していた自分の将来があまりにも変わり過ぎて、それを把握できず未知への不安もあった。それに、輝子のことを考えると更に複雑な気持だった。しかし、予備校通いから英会話教室と英文タイプのレッスンに変わり、留学の準備に取りかかったので、灰色の浪人生活から開放された、始めのうちは気分的に心良かった。

 とはいえ、輝子との長期の別れの日が近づくにつれ、内心酷く憂欝になって行った。だがその頃の留学は極めて稀で、型破りなことだったので、そう言った潜在的な影の暗さには誰も見識しなった。いつもなら秀雄の心境を読み抜く母でさえ、憂鬱な秀雄には気が付かなかった。


 夏休みに輝子が京都から帰って来るのを待ち、その間は彼女と文通を続けていた。秀雄にとっては輝子に会える待ちに待った夏休みが来たが、大学の学生会の合宿に参加したり、寮の友達と旅行したりして、輝子はすぐには帰省しなかった。それは秀雄を避けていたのではなく、ある理由で家に帰ることをできるだけ遅らせたいのだと彼女は伝えていて、秀雄はその理由を良く理解していた。夏休み半ば頃、やっと輝子が故郷に戻って来て、毎日の様に彼女に逢い、教会のグループと共に瀬戸内海の島でキャンプもした。


 楽しい夏休みがあっという間に終わり、輝子が京都に戻る前日の夜更け、彼女の家の玄関前で、

「僕がアメリカから帰ってくるのは五年後になるけど、君は短大を卒業し就職して、もしかすると.....誰かと結婚しているかも知れないね?」と、彼女の顔を伺う様に聞いた。輝子は結婚は考えられないほど遠い将来のことで返事に困り、

「うーん、結婚しているかどうかは分からんけど、多分、色々な人に会うとは思う」と、正直に答えた。

 十八才だった秀雄にとっても、結婚は遠い先のことであったが、なにかもっとはっきりとした答を彼女から聞きたかったのだ。しかし、彼女の言った『色々な人』とは他の男のことで酷くがっかりしてしまった。だが自分の狼狽えた表情は見せまいと俯いてしまった。その時、『僕を待っていて欲しい』と言いたかったのだが、どう言うわけか口には出せなかった。俯いたまま大きく息を吸い、唾を飲み込んで頭を上げた。笑顔を見せながら輝子の手を両手で握って、

「じゃあ、明日、駅に見送りに行くよ」と言って別れた。


 別れた後、帰りの電車に乗った秀雄は輝子が言った『色々な人に会う』という言葉に悩まされていた。挙げ句の果て彼女との関係は片思いだと思い込み、すごく悲観的になってしまった。もう彼女のことは諦めるより他にないと決めてしまったのだ。約束しておきながら輝子の見送りには行かないことにした。 


      *


 別れる時、輝子は当分秀雄と逢えなくなることを寂しいとは思ったが、翌日は疎ましい実家を出でて寮に戻れることで気持ちの焦りみたなものがあった。そういった訳か別れを秀雄のようには辛くは感じなかった。


 翌日、輝子は約束を破ったことのない秀雄が見送りに来なかったことで気になったが、昨晩の悲しそうな様子だった彼を思い出し、見送りに来て涙顔になるのが嫌で来なかったのかも知れないと思った。

 

 新学期の始まった輝子は相変わらずキャンパスの生活が楽しくて、秀雄のことは忘れがちになっていた。それに、今まで彼は身近にはいなくても、頻繁に文通をしていて、気持ちの上ではいつも身近な存在だったので、渡米前には彼から連絡があるものと、思っていた。しかし、微妙な笑顔を見せながら手を握って、『明日、駅に見送りに行くよ』と、言ったのが、彼の最後の言葉となるとは思いもしなかったのだ。 


                *


 留学間近になった秀雄はもしも留学中、輝子のこと想うとホームシックになり、留学そのものが失敗になると思え、彼女のことを忘れようと必死だった。一ヶ月後、羽田空港に向かう道中、その頃出来たばかりの新幹線に大阪で乗り継いだ。京都駅に一時停車した時、前もって輝子に連絡しておけば、最後の別れを告げることが出来たはずだった。しかし、思い詰めた彼は、輝子を諦めるために出発の日時を知らせるどころか、留学先の住所さえも伝えずに渡米してしまったのだ。


                *


 留学した当初はホームステイ先の家族に毎日囲まれて、アメリカ人の生活様式を吸収するのに精一杯だった。ホームステイ家族は秀雄の家族と似た構成で、秀雄と同じ歳の長男と高校に通う二歳下の次男がいた。長男はすでに遠くの大学に行っており、期末休み以外は不在だった。次男は放課後、部活やアルバイトで夕方ごろ帰宅していた。ほぼ毎日、秀雄は家族全員と揃って夕食をし、その後は決まったようにリビングルームでみんなと一緒にテレビを見ていた。

 異色人種が極めて少ない地域だったせいか、入学した隣の町にある短期大学では日本人どころか東洋人でさえ一人もいなかった。日本人が珍しいらしいのか、色々な学生に引っ張られ通しで、休憩時間でさえ一人きりになることがないほどだった。そうした訳で、日本のことや輝子のこと思い出す時間はは殆どなかった。


 バスや電車とかいった交通機関がないところではあったが、通学は運良く同じ大学に入学したホームステイの知人の息子の運転する車に便乗させてもらうことができた。放課後は通学路の途中にあるホームステイのお父さんの勤務先の会社まで乗させてもらっていた。 

 その会社で午後五時までプリンターの組み立てのアルバイトを一日も休まずやっていた。学友の都合が悪く便乗できなかった朝はお父さんが遠回りだがわざわざと大学まで乗せて行ってくれたこともよくあり、秀雄の父が予想していた通りの誠実な人だった。


 大学の勉強は日中キャンパスで出来なければ夕食後やっていたが、リビングルームのテレビが喧しいこともあり、勉強をし易い環境ではなかった。しかし、学業は無論英語であるがその内容が易しかったので、それほど時間をかけて勉強する必要がなく気にならなかった。

 週末は勉強で忙しくない限り、最初のころはホームステイ家族の一員として芝刈りなどの庭仕事の手伝いや買い物に同伴するとかいったごく普通の米国人家族がする週末の雑用を共にしていた。時にはホームステイ家族の親戚や友人達と一緒にバーベキューをしたり、色々なところに連れて行ってもらたりして、結構週末は慌ただしく過ごした。と言う訳で、一人きりになることはなく、輝子のことを思い出す暇もなかった。


 日本にいた時、秀雄の家族は毎週日曜日の朝、揃って教会に行き礼拝をしていた。これは日本では稀な習慣であったが、ホームステイでも同じことをしており、生まれて初めて教会に通うことが普通なのだと感じた。

 クリスマス行事も秀雄の家族がやっていたのとよく似ていた。十二月に入るとクリスマス・ツリーをリビングルームに立て、家族揃って飾った。違うのはそのツリーの大きさで、秀雄の家では高さ一メートルくらいだったが、ホームステイでは二メートルもある天井に届くほどだった。

 

 その樅の木は日本の教会で立てていた様なクリスマス・ツリーを思い出させた。夜になると、ツリー・ライトが点火され、綺麗に飾られたツリーの美しさに見とれていた。渡米前のクリスマスのことを思い浮かべていたのだ。それはクリスマス・イヴの礼拝中、礼拝堂の前に並んだ聖歌隊がローソクを手にクリスマスの賛美歌を歌っている場面だった。聖歌隊のガウンを羽織り一心不乱に歌っている輝子の姿とローソクの火に輝く潤んだ瞳は秀雄の記憶に強烈に残っていた。


 アメリカの元旦は日本と比べ酷くあっけなく、元旦の翌日は普通の日で、みんな出勤していた。年明け後一週間くらいは大学のクリスマス休暇の続きではあったが、アルバイトをしていた秀雄は元旦早々ホームステイのお父さんと一緒に出勤した。丸一日中の八時間勤労をしたので、正月気分は台無しだった。正月を開けた最初の週末、家族みんなでクリスマス・ツリーを解体して、輝子の潤んだ瞳を思い出す機会がなくなりほっとした。


 アメリカの生活や大学に慣れて来るにつれ、家族に引っ張り回されることが少なくなり、一人になることが多くなりだした。何か他のことに没頭しないと、輝子のこと思い出すのではと心配になり、大学内のクラブ活動を考えてみた。しかし、車を持っていなかったので、通学でさえ難しくて放課後や週末にあるクラブ活動は無理だった。

 仕方ないので、遊び好きなアメリカ人学生達とよく遊ぶようになりだした。好みではないが大学のフットボールやバスケットボールなどの試合を見に行ったり、キャンパス内のダンス・パーティーなどで気をしのぎらすこともあった。時には週末の夜、学生たちと馬鹿騒ぎをしたり無理に酔っ払ってみたりしたこともあった。酔いから覚めた朝、酔っていた自分は泣いたピエロだと思い、惨めに感じた。 


 そういった滅茶苦茶な馬鹿騒ぎをする者と付き合うとトラブルになるかも知れないよと、お父さんが注意してくれたこともあった。ある週末の夜、レストランの駐車場にクルマ数台で別々にやって来た大学の友人等、七〜八人と数分ばかり立ち話をしていたところ、パトカーが来て、『散らばれ!』と怒鳴られた。みんな乗って来た車に飛び乗って、その晩中途半端だったがそのまま家に戻った。そのことをお父さんに話したところ、公共の場で無許可の集団、特に若者の集団はこの地方ではどの町でも条例違反なのだと教わった。


 アメリカ人には色々と異なった人種や風習、習慣があり、それなりに彼らの常識は日本の常識と比べると幅広い、言い換えれば『緩い』のだ。それゆえ、無意識に迷惑な行動をする可能性もあり、社会秩序を乱さないようにと、自由な国でありながら法律や条例が日本以上に細かく書かれているらしいと、秀雄は自分なりに推測した。こう言った、無意味に車を乗り回すものは大抵は恋人を持っていない野郎ばかりだった。無論、輝子が近くにいればこう言ったことはするはずがなかったと思った。


 その頃秀雄はまだ十九歳で、米国制度では二十一歳未満の未成年だった。未成年という訳か、他人の子供を預かっていることを意識してか、子供扱いされて自分勝手に好きなことはさせてくれなかった。それは日本にいた時よりも自由が束縛されたような感じだった。 

 色々と日本とは勝手が違い、他の学生がやっているから良いのだと思い込み、思いがけないことで失敗や危なっかしいことをやっていたのだ。その都度ホームステイの両親から注意された。時には、実の親よりも厳しかったこともあった。しかし、反抗することなく、二度と同じ間違いはしないようにしていた。アメリカの真面な成人になるには、習うことが沢山あったのだ。


 夏休は五月末から始まり、ホームステイのお父さんと一緒に毎日通勤し、週四十時間のアルバイトを新学期が始まる九月までしていた。大学のクラスメイトの多くも同じ様に夏休みは週四十時間のアルバイトをして学費を稼いでいたので、気にならなかった。だが、日本の高校時代の友達が夏休み中、旅行などで満喫している様子を手紙で知り、ガッカリしたこともあった。

 しかし、自分の留学が日本からの送金無しの条件だったので、在学中も夏休みもアルバイトで学費を稼ぐことには不満はなかった。運良くホームステイ先から通学できる範囲以内に大学があったので、生活費が浮いたことは幸いであった。


 留学当初、何人かの日本の友達から手紙が来ていたが、母以外には手紙を書くことは滅多にしなかった。日本語の手紙を書くと輝子のことを思い出させるからなのだ。返事を怠ったせいか一年くらいで全く来なくなってしまった。


 二学年が始まる時、一緒に通学していた学友が退学したことを知り、一時焦った。退学した理由は学業に付いて行けないとかで、他にも何人か欠席者がいて、彼らも退学したらしいと云う噂だった。運良く同じ町から通学している他の学友の車に乗せてもらって通学することが出来るようになり、ほっとした。しかし、いつまでも他人に頼って通学できるのか分からないので学生寮を考えてみたところ、ホームステイのお母さんの提案で運転免許を取る準備をし始めた。


 だいぶ運転が上手くなって来た時、ホームステイのお母さんの車をお母さんが助手席で見守る中、運転して大学へ行ったこともあった。学友の放課後を待つか、学友に自分の放課後を待ってもらうという不便なことが時々あり、時にはお母さんにわざわざ片道二十分の大学にまで迎えに来てもらったことも何度かあった。

 アメリカは大都市でない限り日本の様な交通機関がなく、郊外に住むには車は必需品なのである。一番悩まさせたのは言うまでもなく、車を持っていないことであった。もしクルマを持っていれば、キャンパスで顔見知りの女学生をデートに誘うこともできたかも知れなかった。クルマ無しでは交際も出来ないと云うことも思い知らされたのだ。



                *


 短大を卒業した後は四年制大学に進むことを望み、片道三十分で通学できるボストン近郊にあるアイビーリーグの様な有名校ではないが好評のある工科大学を選んだ。その大学の二学年に編入することができた。新学期の始めはホームステイのお母さんの車を借りて通学していたが、ホームステイの両親から中古車を買うことを勧められたので、喜んで中古車販売店に行った。

 そこで適当な値段の中古のトヨタを見つけたが、運良く、ある高齢婦人が五年間乗っていたスウェーデン製のボルボを見つけ、夏休みアルバイトで稼いだ貯金を叩いた。トヨタは日本に戻ればいつでも乗れると思い、値段はトヨタよりも少し高かったがボルボにしたのだ。ボルボは五年間乗っていたとは思えないほど内装が綺麗で、良く整備されており走行距離もそれほど高くなかった。

 自家用車を所有することで自動車保険や車の整備、ガソリン代などで色々と費用がかかって来るのだが、そういった費用を経済的に保つ為の助言を沢山してくれたのは言うまでもなくホームステイの両親だった。無論、お父さんが購入時にテスト運転してくれ、太鼓判を押してくれたわけで、まさかそのボルボが大学卒業後十年間も走ってくれるとは思いもしなかった。

 車を持つということは自立したことになり、ホームステイ家族への負担を軽減することができ、ほっとした。アルバイトが単なるプリンターの組み立て作業から検査作業も兼ねる職務になり時給も増えたので、ほんの僅かではあったが、毎月収入の一部を食費に使ってもらうことにした。無料で居候しているのと違い、気分的に幾分楽になった。ホームステイのお母さんは秀雄を自分の息子のように世話をしてくれていたのだが、食費を快く受け取ってくれ、自ら取った責任を誠実な良い心がけだと褒めてくれた。


 せっかくクルマを持つことになったのだが、理工系の単科大学だったので女学生は極めて少なく、言葉を交わす機会さえもなく、従って交際することは全くなかった。しかし、念願だったクラブ活動が出来るようになり、陸上部を選んだ。日課の暇を見つけてはキャンパスの運動場を走っていた。

 体格差、特に足の長いアメリカ人学生等とは競争しても勝ち目が無かったが、耐久力ならなんとかなり、長距離では彼らになんとか挑戦することが出来た。しかし、彼らに挑戦することは主な目的ではなかったのだ。目的は自分自身であり、自分の記録に挑発することに専念していた。それに長時間走っていると頭の中が空になり、悩みとかいった煩い事を考える機会がなくなるので好んでやっていた。週末は郊外の道を一人で走ったり、天気が悪くても数時間走っていた。同じコースを走り、前の記録と比べる、といった意味もないことに没頭していたのは、輝子のことを思い出させない為だった。


 クリスマス休暇中、ノルウェー系アメリカ人の学友に誘われてニュー・ハンプシャー州の山地に行き、クロスカントリー・スキーの味を初めて覚えた。それ以来、クロスカントリー・スキーの虜になってしまったのだ。暇さえあれば週末はその山域までの片道二時間を一人で運転して行き、クロスカントリー・スキーをしていた。そこで偶然出会ったカナダのモントリオールから来ていたフランス人グループと気が良く合い、急速に親しくなって行った。 

 秀雄のクラスメートのほとんどが二〜三歳年下だったのと比べ、五歳くらい年上のフランス人グループとは興味深い会話に富み、留学して以来初めて有意義で楽しく時を過ごすことができたのだ。と云う訳で、三日連休などはモントリオールまでの片道五時間の道のりを一人で運転して行き、彼らとスキー・ツアーや夏はサイクリングなどもするようになっていた。フランス語会話の練習をし始めたのもその頃だった。米国生活に慣れると同時に行動範囲を拡大して行き、有意義に満ちた時を作れるようになった為か、輝子のことを忘れることに成功したかのように見えた。


               *


 輝子は何も言わずに去った秀雄の心境を察していたが、アメリカで落ち着いたら必ず彼から手紙が来ると思っていた。しかし、一年過ぎても便りは来なかった。その頃、彼女自身卒業間近で、就職活動で忙しくなり、秀雄のことはあまり頭になかった。しかし、秀雄の送っている毎日の様子を想像したこともあった。彼の勉強は全て英語なので相当苦しく、それに毎日アルバイトをしながら大学に行っているのだから至極忙しくて手紙を書く時間どころか、私のことなんか彼の頭にはないのかもと想像していた。


 帰省する度、彼のことが気になった。彼の母とは教会で顔見知りでありながら一度も話をしたことがなかったし、母親を心配させる様に思えて、彼のことを尋ねようとはしなかったのだ。身近だった彼から音信がない為か、彼を思う心は次第に強くなって来ているのにも気づいていた。夜空を眺めながら、地球の反対側にいる彼と同じお月様を見ていないのだと思うと、侘しくなったこともあった。しかし、もう後、一年か二年で卒業して帰国するはずだと思いながら、その日を期待していた。



 渡米して五年後、リンゴの白い花が咲き出した五月中旬、ホームステイの両親が見守る卒業式、秀雄はついに電子工学学士号を受け取った。編入した時は同じ学科に八十人くらいたのだが、卒業したのは二十人くらいに減っていた。アメリカの高校生は大学受験がないので、高校生活を大いに楽しんでいるが、大学に入ると高校の時とは違い学業に励まなければ卒業出来ない。


 ところが、秀雄は日本の高校とアメリカの大学両方で学業に追われ、しかも休暇はアルバイトに費やしたので日本の大学に行った友達のように遊ぶ暇がほとんどなかった。これは不公平だとつくづく感じていた。時には手紙で母にその不平を溢していた。

 その気晴らしとして、卒業後、帰国前に大いに遊ぶつもりでいた。帰国は東回りにし、西ヨーロッパを半年くらい遊んでから日本に帰ると母に伝えていた。その旅行費は夏のアルバイトで賄うので離米は九月になり、帰国は翌年春頃になると考えていた。


 しかし、苦学を終え晴々したのはつかの間で帰国を思うと、輝子はもう誰かと結婚していると思い、憂鬱になってしまったのだ。卒業前から、母の手紙には帰国すれば見合いさせたい娘を持っている知人が何人かいると書かれていたが、秀雄はその返事はしなかった。それに英語が出来るのだから通訳や翻訳などの仕事はいくらでもあり、就職は帰国してから探せば良い、と母は書いていた。だが、アメリカの大学で工学士号を得た者を技師として採用する会社は日本にはないとも書かれてあったのには失望していた。

 そういった理由もあって、秀雄は帰国する気にならず、大学院に進むことも考えていた。しかし、四月初旬に提出しておいた大学院の願書の返事はなく、卒業したときには諦めていた。仕方がないが、ヨーロッパ旅行の後は日本に帰るつもりでいた。


 ところが、七月になって大学院受託された通知を受け取り、早速母に連絡した。あまり期待はしていなかったが驚いたことには、五年間も会っていなかった母は大学院に行くことを喜んで賛成してくれたのだ。卒業した工科大学の大学院にも推薦されてはいたが、願書は出さなかった。五年間も家族同様に育ててくれたホームステイ家族にあまりにも迷惑だと思い千マイルも遠く離れたシカゴの大学院を選んでいたのだ。無論、他の大学院に行くことで専攻分野の視野が広がるという利点もあった。だが、一番期待していたことは気兼ねな居候生活から卒業し、気楽な一人暮らしをすることであった。


 八月半ば、ホームステイ家族がフェアウェル・パーティー(歓送会)を開いてくれた後、秀雄はボルボの大きなトランクに本や衣類を積め込み、スキーを屋根に、ロード・バイクをバンパーの後ろに乗せてシカゴに向かって出発した。道中テントで二晩過ごしながら千八百キロの高速道路を時速百三十キロで運転してシカゴに辿り着いた。シカゴ郊外のキャンプ場で数日暮らしながら下宿を探した。


 その頃、日本円が変動性になると同時に国外送金額も大幅に許可された為、両親から学費と生活費を送金してもらえることになり、アルバイトもせず、下宿しながら通学することが可能となったのだ。下宿とはいっても、食事どころかキッチンもなく、トイレ・バスルーム付きの個室を借りただけであった。無駄使いしなければアルバイトで貯めておいた貯金は卒業するまで充分な見積もりであった。

 大学院生活は毎朝キャンパスに車で行き、学生寮の大食堂で朝食を取ることから始まった。月・水・金は三科目の講義で、火・木は実験だった。四年制大学の時は学問を『学ぶ』ことであったが、大学院では『研究』だった。同じ専攻の大学院生は五人だったので講義は会議室の大きなテーブルを囲んで行われ、教授との懇談とも言えた。

 講義の後は各個人が徹底的に調べ込むのだから『研究』と言ったほうが正しいかも知れない。大学院生には各個人、机と本棚だけで部屋いっぱいの狭い研究室を与えられた。秀雄は自分の研究室で誰にも邪魔されず、たっぷりとある時間を研究に費やした。それが苦に思えず没頭することが出来たのだ。

 気分転換として、学友たちと打ち合わせて学生会館かキャンパスのカフェーなどに行き、スナックや昼食をしていた。夕方は学生寮の大食堂に行き夕食、その後はカフェーか図書館に行き文献探しなど研究の続きをやっていた。秀雄の研究室は工学部の建物の地下にあり、夜間は誰も居なくて不気味だったので滅多に行かなかった。研究ばかりでなく、体育館にはほぼ毎日行きトラックを走ったり、夜は学生会館にある映画館や音楽喫茶に行くこともあった。というわけで、ほぼ毎日大学のキャンパスで一日中過ごし、夜遅く下宿に戻って眠るという日々だった。


 賑やかだったホームステイと違い、一人暮らしになることに不安がなかったとは言えず、相変わらず輝子のこと考えると憂鬱になることがあった。しかし、大学院生活に慣れ始めるとそういったことは次第に薄れていった。その理由は総合大学だったので女学生が多く、キャンパスで知り会ったアメリカ人女学生らと交流をし始めたからだっだ。

 男女共同の学生寮の大食堂で朝晩食べていたので、当然ながら初めのうちの付き合いは食堂で毎日見かける女学生達との単なる出会いだった。仲良くなり始めると、長い年月考えもしなかったデートに誘う機会を考えるようになり、これまで忘れていた心嬉しさを感じた。北欧系の移民が多いミネソタ州に近かったせいか、交際した相手は北欧系の苗字で金髪が多かった。


 だが、仲が深くなり相手の価値観に違和感を感じ出すと秀雄は自ら引き下がっていた。

その頃の価値観はホームステイしたニューイングランド地方が根本だったし、ホームステイのお父さんを見習った潔癖で誠実な生き方を実践していた。同じアメリカ人でありながらこの中西部の人はニューイングランドとは少し異なった考え方を持っており、馴染め難かったのだ。

 特に、中西部の人は言うことと行動が合っていないことがよくあり、親しく振り舞いながら距離を置いている感じを持っていることにも気が付いていた。ホームステイのお母さんが注意してくれた、『ニューイングランドの外の人間は少し違んだよ』ということを実感していたのだ。結果からして、ホームステイの両親は規律正しい大人になる様にと育ててくれたわけである。ホームステイは思いもせぬ人生で有意義な経験となったと自覚し、良い両親を二組持てた幸運を神様に感謝していた。


 大学院二年目頃から中西部の異様さに鈍感になったのか、又は馴れてしまったのか、在学中で一番長続きしたのは輝子の面影のあるスウェーデン系アメリカ人女学生であった。学期末などの長期休暇は彼女のミネソタ州の実家へ泊りがけで何度か行っていた。初めてスウェーデン語を教わったのは彼女の両親からで、スウェーデンの色々な話しも聞いていた。彼女の両親もボルボを持っていたので、同じスウェーデン製の車を持っていたことも良い印象を付加えていたかも知れなかった。まさかその時、数年後にスウェーデン語を本格的に勉強するとは思ってもいなかった。

 しかし、彼女が結婚話しを口にし始めると、価値観の不和が気がかりだったことを口実に交際は冷えてしまった。本当の理由は輝子のことが脳裏に浮かんで来て、彼女が遠い日本で持っているような気がして結婚する気にはなれなかったのだ。だが、それは妄想に過ぎず、輝子はすでに結婚しているのが現実的であると思っていた。それゆえに、敗北感もあった。


 そういった理由で大学院卒業後、帰国を避けるため米国内の勤務という条件でシカゴにある日系の会社に就職していた。驚くことには、アメリカ国内でありながら日本並の残業に振り回されていた。遠い将来どころか、目先の休暇中何をするかなどといったことを考える暇もなかった。無論、幸か不幸か輝子のことを考える時間はなかった。


 あっという間に三十代になった頃、米国内の学会で偶然出会った元工科大学時代の同級生の紹介で、ボストン郊外にあるアメリカの企業に転職することが出来た。ホームステイ家族や旧友のいる第二の故郷、ニューイングランドに戻れたのだ。残業から解放された秀雄は学生時代やっていたスキーやサイクリングに本格的に熱中できる様になった。

 そのレースにも興味を持ち、レースとは言っても相変わらず自分自身の記録に挑戦していたのであるが、そのトレーニングなどから来る肉体的な疲労で心にすき間もなく、満足をしていた。真夏の太陽の下、猛烈にペタルを踏み、夏が終り紅葉が散った後も寒さに挑戦してペタルを踏んでいた。雪が積もれば、クロスカントリー・スキーに履き替え、森や林の中を滑り抜け地吹雪きで天と地の境界も見えない雪原を風に向かって滑っていた。ロード・バイクの整備をしならがら春を待ち、また夏がやって来た。輝子を思い出すことはほぼ消えたみたいであった。


 何年もこの繰り返しをしていたが、胸の中にカラ風を感じ出し、それを無視することが出来なくなり、甘く情熱的な愛を渇望し始めていた。以前帰国した時、両親の家で高校時代の未整理の写真の入った書類袋を見つけ、アメリカに持ち帰っていた。しかし、書類袋の中は見ないままにしておいた。そんなある日、ついに輝子の写真を書類袋の中から取り出して見てしまったのだ。

 白黒写真は二人がいつも行っていた公園で写したもので、写真を見ているうちに、ワンピースを着た輝子がついさっきまで自分のそばにいる様な感覚になった。輝子がいつも気品のあるスタイルの良いドレスやコートを着ていたことや、ドレスの着こなしが上手だったことも思い出していた。


 二十年間の歳月、見なかった輝子の姿を見た瞬間、一度は諦めた昔の恋に再び火を点けてしまったのだ。それまで時々、輝子のことを思い出しては切ない思いをしていたのだから、火は消えていなかったというのが本当であろう。輝子の潤んだ瞳をじっくりと見つめていると、居ても立っても居られなかった。酷くわびしくなり、輝子との出会いは二度と戻らぬ過去で、若き過ちと悟り、ひどく後悔した。

 短大を出てなぜ受付嬢の仕事をしたのかと思うと、輝子の心境が気になり、また今頃、彼女はどこで何をしているのだろうか? 果たしてこの世にいるのだろうかと考えたりすると、気がたまらなくなり、日常生活にも障害を出すほどだった。


 いつかは輝子と再会したいという望みは常にあったが、もし輝子が幸せな結婚生活を送り、秀雄のことを思い出せなかったり、又は自分に対して怒りや憎しみを持っていれば、それこそ取り換えしのつかない心の痛みを受けることになると思っていた。それを暗示て、その後、何度か帰国したものの輝子を探そうとはしなかった。

 しかし、その逆に、もし輝子が独身のまま自分の帰国するのを待っているとすれば、彼女の美しさからしてまさかそうとは思えないが、それは最悪で、そんなことを考えると酷い罪悪感に襲われた。結果的には、輝子に何も言わずに留学したことの罪であり、今でもこんなに悩まされているのはその罰に違いないと思った。


               ***


 二十数年も過ぎた今、輝子に似たところのあるジャネファーといつ終わることもない会話を楽しんでいるのである。ジャネファーの英語の話し方にはスウェーデン人特有のアクセントがある。しかし、それは秀雄がスウェーデン語を理解しているからそう感じるのかも知れないが、英語を話している彼女の唇の動き方で特に『i』の発音の仕方がアメリカ人とは少し違っていて、エキゾチックでセクシーにも見えた。

 今のスウェーデンはアメリカ並かそれ以上進歩した社会ではあるが、スウェーデンの女性はアメリカの女性と違って、女らしさがまだ残っており、ジャネファーにそれを感じていた。ボーイッシュで自分とは対称的な活発で大胆な女性を好んでいたのだが、それはあまりにも女らしく振舞い過ぎる日本人女性にその点が足りないと感じたからであって、男性同様に振りまうアメリカ人女性を気に入ってしまったのは若き学生時代の頃であった。しかし、今では女らしさの殆んどないアメリカ人女性には関心が薄れ、久し振りに感じさせられる女らしさと輝子に似た感じのジャネファーに秀雄の心はひどく動揺していた。





第三章 ディスコ・ダンス


 人影のない外灯に照らされた中世期の街に舞い戻ったジャネファーと秀雄はあてもなく歩いていた。寒い中、温かい漂いに包まれた二人だけの世界を作っていた。ジャネファーが飽きもせず付き合ってくれているので、秀雄は腕時計を見るのを避けていた。しかし、小一時間も氷点下の中を歩いているうちに心底冷えてきて、通り過ぎたパブの窓明りが暖かそうに見え、

「寒くない」と、ジャネファーに尋ねた。パブの窓を見ていた秀雄に気が付き、ジャネファーも、どこか入りたくなったのか、

「うん、そうね、どこかに入る?」と、言った。

「どこかこの辺でいいところ知っている?」

「どんなところがいい?」

「静かなところはどう?」

「そうね、混んでいないところがあるけど、わたしが知っているのはノルマルム(北区)になるわよ」


 北区まで歩くには寒過ぎると思ったが、ジャネファーの推薦したところへ行くことにした。二人はまたストール運河とノルストローム川を渡って北区に入った。明るい商店街を歩いて、クングスガータンの横道にあるレストランを兼ねたパブに入った。


 ジャネファーが言った通り、中はそれほど混んでいなかった。壁に面したボックスシートが空いているのを見付け、脱いだコートをテーブルの反対側の座席に置いて、二人は並んでベンチシートに腰かけた。

「あぁ〜、寒かった」と、言ってジャネファーは秀雄に身体をすり寄せた。まだ身体の表面は冷たくて、お互いの身体の温もりはすぐには感じなかった。秀雄は自分の年齢が気になるのか、あたりを見回しながら言った。

「ここは色々な年代の人がいるんだね?」

「う〜ん、夜、出かける人なら誰でも立ち寄るみたい、ちょっと一休みしながら食べたり飲んだりするのに丁度いいところなのよぉ」

「ジャネファー、何を飲む?」と、秀雄はウエイトレスがやって来るのを見て、注文の用意をしようとした。逆にジャネファーが

「ヒデオ、何を注文したい?」と、秀雄に聞いた。

体が冷え切っていたので、本当はホットチョコレートにしたかったが、ジャネファーの身体の温もりを感じ始めて

「ノルウェーのブルービールあればそれにしたいけど・・・、勘定は僕が取るから君の好きなものを注文しておいて」と、ジャネファーに頼んだ。フェム・スモー・ヒュッスではジャネファーはまるで外国人であるかの様に黙って、秀雄がウエイトレスに注文しているのを脇で聞いていたのだ。ジャネファーは早口のスウェーデン語でウエイトレスに注文した。秀雄は全部は聞き取れなかったが、スウェーデン語で注文している彼女の横顔を惚れ惚れしながら見て、スウェーデン語がもう少しできればと思った。


 「ガムラスタンは静かだったけど、ここは都会にいるっていう感じがするね?」

「セーデルマルム(南区)に行くと、また違った感じがするわよぉ、あそこはもっと庶民的なところだから、よぉ」と、ジャネファーが言った。

「君はノルマルム、それともセーデルマルムのタイプなんだろうか?」

「わたしはどっちでもないわ」と、ジャネファーは言いながら笑った。

「じゃ、ガムラスタンだ、きっと」

「ふふっ!」

「ガムラスタンを歩いている時の君は、あの雰囲気に良く似合うと感じてたんだから」

「ふふっ、そんなことないわよ」

 秀雄はジャネファーの腰に巻いていた手でくすぐりだしたら、

「いゃん!」と、彼女は声を上げて笑い出した。ざわざわとしたパブの中ではそんな笑い声はあまり目立たなかったが、近くのテーブルにいた五十歳くらいの男が気付き、二人をじろじろと見つめ出した。しかし、二人共周りには注意を払わず、ウエイトレスが飲物を運んで来た時もくすくす笑ったり、身体を捻ったりふざけ合っていた。


 ウエイトレスが飲みものをテーブルに置いていった後、秀雄はビールのコップを手にし、真剣な顔をしてジャネファーに視線を向け、彼女がそれに気が付くまで待っていた。秀雄の真剣な顔に驚いたジャネファーは笑いから醒め、ワイングラスを手にし、秀雄を見つめた。

「僕らの素晴らしい今宵のために! スコール(乾杯)!」と、言ってビールのコップをジャネファーのワイングラスにカチンと当てた。ジャネファーも、「スコール」と、言ってワインを口にした。


 乾杯の仕方は世界どこでも同じ様には見えるが、バイキング時代からの伝統ある乾杯の儀式はお互いの目を合わせ真剣にやるのが習慣であることを、外国人である彼が意外にも正式に成し遂げたのにはジャネファーはいささか驚いた。しかし、この乾杯でさっきまで陽気だった気分から醒めて、今夜限りでおそらく二度と逢うことのない彼と一緒にいることで、どうしょうもない焦燥感に襲われた。

「ねぇ、どこで乾杯の仕方を習ったの?」と、ぼんやりと尋ねた。

「学生時代、スウェーデン系のアメリカ人の友達から」

「へーぇ」と、あまり会話に乗り気のない言い方をした。それに気が付いたのか、秀雄は

「君、憂鬱な顔をしているけど?」と、言ってジャネファーの顔を覗いた。

「別になんでもないけど・・・」と、言ってワイン・グラスをテーブルにおき、秀雄に寄りすがった。秀雄は右手をジャネファーの腰に巻いた。


 その時突然、さっきから二人の様子を見ていた男が立ち上がり秀雄たちの方にやって来た。その男は何も言わずに、自分の飲み物を秀雄たちのテーブルに置き、勝手にテーブルの反対側の座席に置いてあった二人のコートを片方へ押しよせて腰かけた。二人は驚いて座り直し、その男を見た。かなり飲んでいたらしく、赤い顔をしていた。

「こんばんは」と、その男は英語で言い、「フィリピン人?」と、しょぼしょぼした赤い目で秀雄を見ながら英語で尋ねた。二人は困った様な顔をしてお互いの顔を見合わせた。秀雄は酔っ払いに向かって

「向こうに行って来れ!」と、力強く英語で言った。

「ただ質問しただけなのに?」と、酔っ払いは年配のスウェーデン人に多い英国アクセントの英語で言って動こうとしなかった。

「いや、フィリピン人ではない」と、秀雄は機嫌の悪い目付きで答えた。

「じゃ、なに人?」

「日本人」

「日本人? へーぇ、日本人にしては英語がうまいなぁ」と、その男は驚いたように言った。

「もういいから、僕らの邪魔をせず、自分の席へ戻ってくれ」と、秀雄が強い口調で言うと、酔っ払いは秀雄を見直してスウェーデン語で何かぶつぶつ言いながら立ち上がって、元の席へ戻って行った。


 「本当にしようのない酔っ払いだわ、スウェーデンの恥じだと思わないのかしら、あんなのが多くて恥ずかしくなっちゃうわよぉ、う〜ん」と、ジャネファーがしかめつら顔をした。

「こんなことが以前来た時もあったけど、これはスウェーデン特有みたい」と、秀雄が笑い「酔っ払わないと恥ずかしくて赤の他人に話しかけられないところは.....」と、言った。

「追っ払ったのは良かったけど、万が一、喧嘩にでもなりゃしないかとハラハラさせるじゃない。あの酔っ払いはずいぶん大男なのに、あなた、恐くなかったの、よぉ?」

「別に恐くはなかったよ」と、言い秀雄はニヤニヤした。「それに、あいつは酔っ払っているから、なにもできゃしないよ」

「でも英語で、ちゃんと話していたからかなり正気だったと思うわよぉ」と、ジャネファーは少し固い口調で言った。

「ずいぶん、きつい言い方をしたけど、喧嘩になったらどうするのよ?」

「えへへっ、僕は生まれつき口が大き過ぎるんだ、だけど心配しなくて大丈夫だよ、日本男児として柔道が少しは出来るから」と、言って笑った。ジャネファーは秀雄の顔を見て微笑しながら、彼の右腕に抱きつき自分の頭を彼の肩に寄せた。

「スウェーデン人は喧嘩なんてしないだろっ?」と、ジャネファーの耳元で秘かに言った。

「めったにね。ハリウッドの映画に出て来るアメリカ人みたいな喧嘩はしないわよぉ」

「本当に良い国に住んでる君が羨ましいなぁ」

「スウェーデンに住みたいのなら、このままここに残っていればいいのに、よぉ?」

「そう出来ればいいけど、住むところも仕事もないんだから無理だよ」

「難民だったら、着の身、着のままで来ているのに、不公平だわ、う〜ん」

「ちょと待ってよ」と、秀雄は言ってジャネファーから離れ「それは違うっていうこと知ってるだろう? 祖国に住みたくても住めないから倫理上、入国を許可しているのを。僕みたいに自分勝手な場合とは意味が違うって」と、教えるように言った。

「それはそうだけど、あまりたくさん許可していたら社会福祉費が足りなくなってしまうわ、難民って働きもせず、恩恵ばかり受けているんだからよぉ」

「でも、そのうちに彼らは祖国へ帰って行くから心配ないだろう?」

「まあね、早く帰ってくれるのならいいけど」と、言って右手で頬杖をしながら聞いた。「ねぇ〜、オスロへ行った後はそのままアメリカへ帰るの?」

「オスロの後はついでにコペンハーゲンを見物してから日本へ行き、その後アメリカへ帰る予定」

「日本にも? じゃあ世界一周するっていうこと?」と、ジャネファーは驚いて目を丸くした。

「いや、ちょっとややっこしいけど、オスロとコペンハーゲンはストックホルムからの巡回ルートの切符だから、再び出発点のストックホルムへ戻ってからオスロに行き、そこから北極経由で日本へ飛ぶから半周だよ」

ストックホルムにもう一度戻ってくることを聞いた彼女は、しめたと言わんばかりに、

「ストックホルムにもう一度戻って来るわけね?」と、嬉しそうに聞いた。

「うん、そうだけど飛行機の乗り換えだけで、ストックホルム市内まで来るような時間はないと思う」と、残念そうな顔をしながら言った。ジャネファーはがっかりした顔で尋ねた。

「それはいつの予定なの?」

「日程はまだ決まっていないけど、予定では数日から一週間後で、乗り換えで数時間くらい待たされるはずだけど、日程変更が自由にできるようになっているから」と、秀雄は言った。「でも、どの日になるかはわからないよ」

「決まれば連絡してくれるっ? う〜ん、時間があれば空港まで逢いに行くかもしれないから」

「そんなに僕に逢いたいわけ?」と、秀雄は少し驚いて、言葉を落してしまった。恥しそうに微笑みながらジャネファーは

「う〜ん、今はそう思うけど、数日経ったら気が変わるかも知れないわね」と、言った。

「じゃあ、もし予定を変更して、ストックホルムにまた数日でも滞在できるようにしたら、また君と逢える?」

「う〜ん、それなら、また逢いたいわよぉ。ねぇ〜、そのように予定変えたらいいのに?」と、少しはしゃいだ声で言った。

「それなら明日、どのくらい変更できるかどうか空港で聞いてみる。できれば長く居られるようにしてみる。でもこれは保証なしだよ。最高三ヵ月間ビザ無しで滞在できるけど航空券はどうかな?」

「うん、どっちにしても、分かり次第連絡して欲しいわ?」

「もちろん」

今晩限りの出会いではなさそうなことになり、ジャネファーの気持は幾分か安らぎ、蕉燥感も薄らいだ。そのせいか、また朗らかな彼女に戻ったのが、秀雄にも感じ取れたほどだった。


 三十分も経たないうちに身体が温かくなってきた二人は、別に行くところはなかったが例の酔っ払いがまだジロジロと二人を見ているので、パブを出ることにした。もっとここに長く居たかったのだが、どの席に移ってもその男からまる見えみたいなので、出るより他になかった。


 地下鉄の中央駅へ向かって身体を寄せ合ってゆっくりと歩いていた。お互いに口にはしなかったが、もうそろそろ別れの時間が近づいていることを感じて、二人共黙り込んでしまった。通りかかった本屋のショーウィンドーに置いてある植物や花の本に気が付いたジャネファーは秀雄の手を引っぱって店の前で立ち止まった。ガラス戸の中に見える白いアネモネの絵ハガキをジャネファーは指さして

「春になったら、あの白いアネモネがストックホルムの周りいっぱいに咲くのよぉ」と、嬉しそうに言った。「う〜ん、その光景は本当に素晴らしいの、アネモネがいっぱい咲く春が待ち通しわぁ〜」

「まだ真冬だというのに、そんなことを言って、この冬どうやって過すんだい?」

「遠いけど時々スキーに行ったり、でなければ室内スポーツやダンスくらいしかできないわよぉ」

「ダンス?」

「う〜ん、そう、ディスコに行って踊りまくるのよぉ」と、言って、ジャネファーは立ち止まり、ダンスをするかのように両手を上げて体を少し捻った。秀雄は振り向いて、ダンスのポーズをした彼女を見ながら呆れた様に言った。

「ダンスってディスコダンスのことかい?」

彼女がモダンダンスかバレーでもやっているのかと思い違いしていたのだ。

「うん、そうね、アメリカ英語で言えばファースト(fastの意味)ダンスのこと、その場所のことをそう呼ぶだけ」

「へ〜ぇ、場所のことをそう呼ぶわけ? アメリカでもそう呼んでいるかも知れないけど、僕知らなかった」

「う〜ん、どう、入ってみる今晩、よぉ?」

「君が行きたいのなら行くけど.....」と、あまり乗り切のない言い方をした。

「じゃ、行きましょう、一度くらいスウェーデンのディスコってどんなものか見ておくといいわよぉ」


 二人はまた歩き出した。別にすることもないので秀雄は行くことにしたものの、友人の結婚式に招待された時、ダンスをするくらいで、長い間ダンスをしたことがなく、音楽と合わせて踊れるかどうか心配になってきていたのだ。

「僕、ダンスが下手だけどいい?」

「そんなこと気にしなくていいわよ、ダンスの上手な人なんかいないんだから、う〜ん」


 ディスコからは音楽があふれていて近づいたことを感じさせた。ディスコの前に来ると、パステル色の電光が音楽にあわせてピカピカとドアからはみ出していた。中に入った二人はコートを預けて、薄暗いダンスホールの中に入って行った。ここではどんなダンスをしているのか秀雄は気になっていた。フラッシュに照らされる度に見える一瞬止まった光景から大勢がダンスをしている様子が見えると同時に、アメリカのテレビや映画などで見るダンスと変らないのに気がついた。アメリカと違って見えるのはみんなスウェーデン人らしく異色人種は見あたらなかったことであった。


 ジャネファーは秀雄の手を取ってダンスの出来そうな空いた場所に導き、テンポの早いロックミュージックに合わせてダンスをし始めた。秀雄は音楽のテンポに合うまでは気兼ねしながら身体を少し動かしていたが、テンポに慣れてくるにつれ手足を大きく振り、身体も大きく捻りだした。こう言ったダンスは体を音楽に合わせて気楽に身体を揺さぶれば良く、その方が格好良く踊れるのだと秀雄は思い起こしていた。フラッシュに照らされる都度、ジャネファーの髪が大きく左右上下にふわふわと振れるのが見えた。音楽は止まる間もなく連続に流れ、二人共汗ばみながら楽しく踊り続けた。二十分くらい踊り続けていると音楽が一旦止まったので、

「ジャネファー、ひと一息休もう」と、秀雄が声を上げた。


 ジャネファーは秀雄の手を取り、混雑した中をウロウロと歩き回って、空いたテーブルを探していた。その時、

「ジャネファー!」と、呼んでいる女の声があった。薄暗く、しかも騒々しいロック・ミュージックが始まり、その女がどこから呼んでいたのか分からず、二人とも立ち止って辺りを見回していた。突然、若いブロンドの女がジャネファーの前に現れ、二人を近くのテーブルへ連れて行った。丸いテーブルにはジャネファーと同年代の男女四人がテーブルを囲んで座っていた。

 ジャネファーは呼んでいたブロンドの女と話しをし始め、秀雄をその女に紹介した。テーブルにいたグループにも彼は紹介され、スウェーデン語で簡単な挨拶をした。挨拶の後、秀雄は隣のテーブルから椅子ふたつ持ってきて、ジャネファーと一緒に彼らのテーブルに割り込んで座った。


 「本当に久しぶりじゃない、ジャネファー?」と、ブロンドの女が言った。「元気そうだけど、どうしてんのよぉ?」

「う〜ん、相変わらずよぉ、あんたこそどうしてんの? クリスマスはどこに行ったの?」とジャネファーがブロンドの女に尋ねた。

「今年はどこにも行かなかったの。で、あんた...」と、ブロンドの女は言いかけたが、ヨワケム無しではどこにも行かなかったはずだと思い、すぐに話題を変えた。「お連れの方は誰なのよ? 今まで見たことのない人だけど」と、ブロンドの女は緑色の目で秀雄を指して言った。

「彼は今、アメリカから来ていて、きょうの観光バスのお客さんだったの。で、夕食に誘われたわけ」

「ふうん、もうヨワケムはいないんだから、う〜ん、これからこういうことが良くありそうねぇ?」

「ねぇ、覚えてる? う〜ん、ずっと前、ハンサムな黒髪のイタリアのお客さんとデートした時、ヨワケムが酷く怒ったのを?」

「うん、そういうことがあったわね、だけど黒髪でハンサムな男ってエキゾチックで惹かれるのは仕方がないわよね〜、私らはよぉ?」と、ブロンドの女が言い、二人とも吹き出した。

「う〜ん、じゃあ、彼は今晩限りの人なのねっ?」

ジャネファーは少し考えてから、

「決まったわけじゃないけど、来週また逢えそうなの」と、答えた。

「へーぇ? じゃあ、単なる通り過ぎの観光客じゃないのねっ?」

「うん、そう、今仕事を辞めてのんびりしているとかで、暇だからここに長くいてくれればいいんだけど」

「う〜ん、そう、この人をお気に入りなのねぇ?」と、冷やかした。ジャネファーはニコニコしながら頷き、テーブルの周りに座っている友達を見回した。


 音楽が大きくて会話が聞こえ難くいばかりか、スウェーデン語は少ししか話せないので秀雄は黙って聞いている振りをしていた。隣りに座っていた軍人みたいな短い髪型の男がスウェーデン語で話しかけてきた時、ゆっくりと話してくれないと分からないとスウェーデン語で言ったところ、その男はあまり上手でない英語で喋り出した。ここにいるグループは古くからの友達で、時々ジャネファーも元彼と一緒にここに来ていたと云うことを聞かされた。もしかすればジャネファーの元彼もいるのではと気にかかり出したが、ジャネファーは相変わらず忙そうにブロンドの女と話しており、秀雄の配慮を一向に構わない様に見えた。

 秀雄はやや後ろ向きになったジャネファーの首元を見つめているうちに、彼女の肩にそっと手を乗せた。ジャネファーは少し驚いて秀雄に振り返って微笑し、肩にかかった彼の手を右手で愛撫しながら、彼の手を膝の上に置いていた左手の上に導いた。秀雄の手を両手で愛撫しながらブロンドの女と話しを続けていた。その後もジャネファーは時々秀雄に振り返っては笑顔を見せていた。


 突然、テーブルの反対側にいたブルーネットの女が秀雄に話しかけてきたので、スウェーデン語で聞き直すと、その女はゆっくりとしたスウェーデン語で、いつまでここにいるのかと尋ねた。秀雄はスウェーデン語でぽつりぽつりと考えながら、

「明日出発し、数日後、再びストックホルムに戻って来る」と、言ったら、ブルーネットの女は、「戻って来たら、ここへ長く居たらいいのに、よぉー」と、言ってジャネファーを指さした。ジャネファーは相変わらずブロンドの女と忙しそうに噺っていて、秀雄とブルーネットの女の会話は聞いていない様子だった。


 スローダンス(テンポの遅い社交ダンス)の音楽が始まると、そのテーブルにいたカップルたちが次々と席を立ち、抱き合ってダンスをし始めた。秀雄はジャネファーにダンスを求め、彼女の手を取ってダンスの広場へ入り、テンポの遅い曲に合わせて抱き合ってダンスをし始めた。その曲が終わって、またテーブルに戻ると、ジャネファーはさっきと同じ女と少しばかり話していたが、テーブルの反対側にいるブルーネットの女とも話しをし始めた。

 二人の話題が秀雄のことになったらしく、ブルーネットの女がまたスウェーデン語で秀雄に何か言い出してきたが、うわの空で聞いていたので聞き戻した。しかし、はっきりと内容が理解できずにいたら、ジャネファーが横から英訳してくれたので、秀雄は英語とスウェーデン語を混ぜて答えたりしていた。

「ジャネファーがあなたはダンスが上手だと言っているわよぉー」と、ブルーネットの女が秀雄に言った。

「そうかなぁ、そう思わないけど」

「来週も、またジャネファーと一緒にディスコに来くればいいのに、よぉー」

「うん、そうできるようにする」と、その女の口調に乗って答えたら、ジャネファーは嬉しくて秀雄にもたれかかった。


 テーブルで楽しそうに話しをしているジャネファーの横顔を秀雄はじっくりと見ることができ、その分だけ嬉しかった。他のスウェーデンの女性と比べてジャネファーは目立って綺麗とは言いがたいし、輝子と比べると輝子の方がはるかに可愛いと思った。しかし、そんなことはどうでも良く、今の時点で楽しい会話ができ、お互いに何か感じるものがあるみたいで、彼女のそばにいることだけでも嬉しかった。


 一時間くらいダンスやテーブルに戻って話しをしたりしていると、ジャネファーの友人たちが帰宅し始めたので、ジャネファーと秀雄もディスコを出ることにした。氷点下の外気はダンスで熱気した身体を冷すのには丁度良かった。

「楽しかった?」と、ジャネファーが聞いた。

「うん」

「ごめんなさいね、わたしばかりが話しに夢中になって」と、秀雄の顔を覗き込みながら「あの人たちに逢うのは久し振りだったのよぉ」と、言った。

「そうだと思ってた。謝らなくていいよ。あぁして、君の楽しそうなところを見るのも、僕は結構楽しかったから」

「タック(ありがとう)」と、言って、秀雄にしがみついて、彼の頬にキスをした。

「さて、もう十二時過ぎだけど、どうする?」

「そうね、あなたがオスロから帰って来たらまた逢えるかしら?」

「うん、是非そうできるようにする」

ジャネファーは腕時計を見て、「じゃあ、わたしもう帰るわ、今なら最終電車に間に合うから」と、言った。

「トンネルバーナまで君を送って行くよ」

二人は地下鉄の中央駅へ向かって歩き出した。


 昼間のように明かるく整然としたプラットホームに立った二人はお互いに無言のまま長く見つめ合っていたが、やがて最終電車がプラットホームに入ってきた。電車のドアが開き始めると二人は一瞬、固く抱きしめ合った。ジャネファーは秀雄から一歩うしろへ下がって離れたが、お互いとも両腕を抱えたまま、顔をじっくりと見つめ合った。ジャネファーは秀雄の黒い瞳を、秀雄はジャネファーの青い瞳を忘れない様にと見つめていた。

「ヴィーセス(また会いましょう)」と、ジャネファーは言って電車に乗った。

「セスヴィー(じゃあ、また会おう)」と、秀雄は言った。

 ジャネファーはドアのそばでふりかえり立ったまま、秀雄を見つめていた。ドアが閉まるとジャネファーはニコニコしながら手を少し上げて振った。涙ぐむ寸前だった彼女は大きく息を吸い込んだ。秀雄も手を振り、電車が動き出すと、彼女には聞こえないが「バイバイ」と、声を出さず口を動かした。





第四章 迷い


 その時の秀雄は明日のオスロ行きの後、すぐストックホルムに戻りたい気持ちになっていた。ただ良い思い出を作るつもりで、気軽な気持で話し易いジャネファーを夕食に誘ったわけであるが、彼女の魅力に引かれてしまったのだ。しかも輝子のことを今までになく思い浮かべさされるようにもなってしまった。それに、あまりにもジャネファーとの関係が急速に進み、これから先の日程まで変えらさせそうな情況になっているのだ。

 電車がプラットホームから出ていった後、頭の中はぼーっとしたまま、ゆっくりと駅の階段を上がり出した。自分のしていることが不可解になり、酷く考え込みながらホテルに向かって歩いた。


              ***


 十数年もボストン郊外にあるアメリカの計器会社でエンジニアとして務めていた秀雄は自分の専門分野が極めて狭い為か、新製品のデザイン開発に一段落した後は、ほぼ無用の存在となっていた。そのせいか、入社した二年目に一度昇格があったものの、それ以後十年も経ったが昇格がないのだ。このままだと昇格の可能性がないことに気が付き始めていた。

 昇格がないことで、課長に不満を言うと、課長は

「君の持ってる知識は我々の製品デザインに貢献しているが、君のコミュニケーション能力が他の職員ほどでないので総合評価点がC+となって、少なくともB以上でないと昇格候補に入れないんだ」と、この数年同じような言い訳をしていた。秀雄自身、英語が完璧でないことは分かっていたが、新製品であるデジタル計器のデザインの主導役として自分が唯一なのに、外国生まれの弱みを過大にこじつけた評価だとしか思えなかった。若く見えることや、あまり積極的でない気質も影響してるのかも知れないが、秀雄はそうとは思えなかった。

 しかし、大学院に進まなかった工科大学時代の後輩だったアメリカ人技師達が次々と昇格され、自分を追い越して行くことに侮辱を感じていた。日本の会社に残っていればこの様なことにはならなかったはずだ、と思ったのは後の祭ではあった。だが、残業から解放されたこの十数年間、好きなことが思う存分できたことには引き替えられないと思った。しかし、毎朝起きて通勤することが憂鬱になり出していた。

 職場で充実感を得るには転職する以外にないとは分かっていた。しかし、転職は引っ越しに継がり、狭い分野のため転職先は限られており、アメリカ国内ならテキサス州と西海岸くらいしかなかった。だが、そういった四季のない地域には住みたくもなかった。国外の転職先としては日本以外ならヨーロッパにもあるがビザの問題があった。とは言っても日本やスウェーデン、ノルウェーには仕事を通しての知り合いがあり、当てにはならないが国外の転職先の可能性を内密で探ってみたかったのだ。


 北欧は出張で数回行ったことがあったが、いつも真冬だった。しかし、そのどんよりとした薄暗い天気と北欧独特の冬の憂欝さが、まさに今の自分自身に丁度似合う様に思え、春を待たず長期休暇を取り、スウェーデン、ノルウェー、そして日本を回ってボストンへ帰る予定で、はっきりとした日程もなく旅に出たのだ。会社にはサバティカルとして無給休暇を取らせて貰っていた。だが、民間企業にはそんな都合のいいことができるところはなく、戻って来た時に復職できるかどうかは条件次第で全く賭けであった。職場とは無関係で信頼できる友達だけには話していたが、自分の車を売払い、アパートや電話なども解約しいた。整理した身周り品はホームステーした家族の地下室に保管させて貰って、会社へ戻ることは毛頭期待せず出発していたのだ。

 大まかな旅の予定はあったが、細かいことは風向き次第であった。しかし、ストックホルムで輝子に似た女に遭遇することは予想外であった。このままでは旅の目的の一つとして日本で輝子を探し再会することが後周りになりそうな気がし始めているのだ。今度こそ輝子と再会することを決心しておきながらと、秀雄はジレンマに陥ってしまった。


               ***


 ホテルに向かって歩きながら、何度考えても同じ答えしか出ないことを繰り返し考えていた。このまま、ストックホルムに居残りジャネファーと付き合っていたいが、彼女がどこまで真剣なのかはっきりと分かっていない。もしスウェーデンに永住しているのであればこんなことは考えなくてもいいのだが、住むところもない通り過がりの旅人には手段は二つしかない。

 その一つは予定通りの行動をし、ストックホルムで乗り換える時、もしジャネファーが空港に来ればもう一度逢えることで、第二は、予定を変更してストックホルムに数日滞在することであった。しかし、はっきりとした予定が無いので、ビザの許す限りここに長く滞在することも可能なのだ。ホテルに戻って、明朝出発の荷作りをしながらもこの事を繰り返し考えていた。


               *


 ジャネファーの乗った電車の中は空に近かった。電車のシートに座った彼女は秀雄と再び会えるかどうか気になった。別れるとき見た彼の瞳はなんとなくこれで最後というふうな感じがして仕方がなかった。考えれば考えるほどジャネファーは憂鬱になり、ダークブルーの目は焦点もない遠い彼方を見つめていた。今宵は刺激的で本当に楽しかったのであるが、別れは予想もしないほどに辛かった。もしそうだと始めから分かっていれば、夕食に誘われたとき断わっておけば良かったとさえ思った。


 ひっそりとした家に帰ったジャネファーは両親を起さないように静かに自分の部屋に入り、ドアを閉じた。ピンク色のフランネルのパジャマに着換えて、温かいキルティング・ガウンを羽織りベッドに座わった。ナイトスタンドの引出しから花模様の入った布張りのカバーの付いた日記帳を取り出した。日記帳には日付けは書かれてなくて好きな時、勝手に書き込めるようになっているものだった。今日の出来事を長々とスウェーデン語で書き込み、『思わぬと所で、思わぬ人に会えた奇跡のような出会いだった』と、書き加えて日記帳を閉じた。

 再び秀雄に会えるかどうかも奇跡で、そのことを悩んでも仕方がないと思った。太古の北欧民族が暗く長い冬を洞窟の中で忍耐強く春が来るのを待っていた様に、成り行きに任すより他にすることはないのだ。もう何も考えずに早く眠りたかったが、彼に再び会いたいという気持が根強く心の奥底にあり、なかなか眠れなかった。


               



第五章 手紙


 翌日、秀雄は寝不足で朝起き難かったが、いつもの様に熱いシャワーを浴びた。朝、シャワーを浴びると新鮮な気分でその日が始まり、時としては浴びている最中、良い考えが浮かんできたり複雑な問題が解けたりすることがあった。残念ながらそう言った幸運はなく、ホテルのチェックアウトした後、外へ出た。


 一月初旬のストックホルムは夜明けが遅く、午前九時になろうとしているのにまだ薄暗かった。そのせいか、ショーウインドーの明りが舗道を照らしていた。クリスマスから二週間以上も経っているのに窓際には未だにクリスマスランプが飾られていた。しかし、そのランプの明りは通行人の心を明るくするせいか、時期遅れには見えなかった。熱いシャワーで身体はまだほてっている為かそれほど寒さを感じず、ホテル前の石畳の舗道に立ち、白い息を出しながら、呼んでおいたタクシーを待っていた。タクシーは時間通りにやって来て、バスターミナルへ行く。


 ターミナルの待合室は舗道側とその反対側のバス乗り場側がガラス張りで出来ていて、解放された感じをさせていた。冬の観光客がいない為か、待合室はそれほど広くはないが、待っている人はほとんどいなかった。ゆったりと整然としたスウェーデンの国民意識が反映してか、空港行きのバスが頻繁にあり、待つ人数も少ないのかも知れない。

 秀雄はバスの改札が始まるのをバス乗り場側のガラス戸近くで、大きなスーツケースとキャリオンバッグを足元に置いて立ったまま待っていた。暖房がよく入っており、目の前のガラス戸が開く度、入れ替わりに入って来る冷たい外気が快いらしく、アフターシェーブの匂いがぷんぷんとする顔をさらしていた。膝まで隠れる長い黒のウールのオーバーコートを着、両手をコートのポケットに深く突っ込んいた。コートのボタンは掛けず、その下に着ている縞入りの濃紺のスーツのボタンも掛けず、開いたままでいた。時々寒くなると、ポケットに突っ込んだままの両手で前を覆っていた。


 秀雄は複雑なことを考えているのだが、ガラス戸が開く度、駐車している大型バスのディーゼルエンジンの耳触りな騒音が飛び込んできて、考えごとは中断していた。足元のキャリオンバッグのポケットからは読みかけのペーパーバックが覗いていた。いつもなら座わらなくても、そのペーパーバックを読みながら待つはずであった。しかし、頭の中は昨夜考えていたことの続きをしているのだ。

 これから一週間、ジャネファーに逢わないでいると、彼女への情熱が醒めてしまうのではとも考える様になっていた。そうなれば逢わないほうが無難に思え、ストックホルムに戻っても彼女には連絡しないつもりになり始めていた。戻って来た時、まだ彼女への想いが強く残っていれば、勝手ながら彼女に電話をかければ良いと考えていた。もしその時、彼女が会うことを断れば、辛いかも知れないがそれで良いとさえ思う様になり出していた。

 その時、舗道側の入口から入ってきたドレスアップした女が、近づいて来るのに気が付き、秀雄はその方向へ目を向けた。その人物をぼんやりと見ているうちにはっとした。その女は秀雄の前に来て、

「へイ(英語のハロー)」と、ニコニコしながらスウェーデン語で挨拶をした。

「へイ」と、秀雄も挨拶をし「ジャネファー、ここへ何しに?」と、不審を隠しきれない 顔に微笑を含めて英語で尋ねた。

「少し早かったので、まだあなたがここにいるのではと思って立ち寄ってみたのよぉ」と、英語で喋り出し「きのうはどうもご馳走さま」と、丁寧に礼を言った。

「いや、こちらこそどうも、お蔭で昨日は本当に楽しかったよ」と、答えた秀雄は、けさのジャネファーの表情や姿が昨晩とは人違いするくらい違っているのに気がついた。

「昨日の君は可愛いかったけれど、今朝の君も本当に可愛いね」と、誉めながら厚化粧した彼女を見直した。

 紺色の温かそうなウールのオーバーコートを着たジャネファーはチークをシャープに入れ、目の際には黒いアイラインをくっきりと描き、青いアイシャドウも塗っていた。そのせいか、ダークブルーアイズが不自然に輝き、学生風だった昨夜の彼女の印象とはすっかり違って見えた。ストックホルムで良く見かけるお酒落なビジネスウーマンに豹変しているのだ。それなりに、大人びて見えた。

「それはどうも、あなただって、オーバーコート着てネクタイをしているから、始めは人違いじゃないかなと思ったのよぉ」

「オスロに着いたら早々、会合があるし、それにこの格好のほうが入国審査のとき、楽に通れるから」と、言い、オーバーコートに突こんだままの両手を開いてみせた。赤と紺縞模様のネクタイが白いワイシャツの前でひらめいた。ジャネファーは何か急いでいるらしく、早口で、「これ、荷物になるかしら?」と、言って、丁寧に包装された平べったい包物を秀雄に手渡した。

「.....もしもこの次、逢えなかったらと思って」

「これ本?」

ジャネファーはうなずきながら

「うん、そう。飛行機の中で退屈したら読んで。あっ、わたしもう行かなくちゃ」と、言って、秀雄に抱きつき彼の唇を求めた。秀雄はジャネファーの視線から直感し、唇を合わせ彼女を強く抱き寄せた。少し長いめのキスの後、ジャネファーは秀雄から離れ、

「へイドゥ(じゃあ又)」と、言って手を振り、ハイヒールブーツの固い音を立てながら急ぎ足で舗道側の出口へ行った。それはあっという間の出来事で、秀雄は後ろからジャネファーへ、

「へイドゥ」と、言ったが、

彼女は手を振っただけで振り向きもせず、ターミナルから出て行った。ターミナルを出て舗道の端で一旦立ち止まり、頭を下げ両手で顔を押えた。その様子を秀雄はガラス戸越しに見つめていた。

         

 昨日のジャネファーは化粧をつけていたのかどうか分からなかったが、今朝の彼女は厚化粧をし、ひと間違えかと思ったくらいだった。それに今朝の彼女の髪はブラシをかけたままのふっくらとしたへアースタイルで、長いストローべリー・ブロンドの髪は紺色のオーバーコートの肩を被していた。厚化粧と違った髪型のせいか、輝子の面影が見当たらず、きのう見た輝子の面影は気のせいだと思えた。空港行きバスの改札が始まるまで、ジャネファーの姿が消えた舗道をぼんやりと見つめていた。


 バスに乗った秀雄はスーツケースとキャリオンバッグをバスの後方にある荷物置き場に置き、オーバーコートを脱ぎ窓際の座席にひとりで座った。ジャネファーのくれた包の中はストックホルム市の写真集であった。厚い表紙を開くと、中にはクリーム色の封筒が狭んであり、それを見た瞬間ぎくりとした。

 今さっき見たジャネファーには輝子の面影は見あたらず、輝子の置き換えという感覚が消滅したばかりであったし、それは期待にそむくこともなく、新鮮な出会いとして受け取っていたところであった。しかし、封筒を見た瞬間、秀雄は時間が止まったかの様に身体が凍り付いてしまい、二十数年前に舞戻りしてしまったのだ。


 バスが動き出して我に戻った秀雄は封筒を開いた。中にはクリーム色の便箋が一枚入っていた。便箋をを取り出し、丁寧に手書きされた英文の手紙を読み出した。


『ディア(愛しい) ヒデオ、


  昨夜はありがとう、とても楽しかったです。貴方に

  逢えてまだ見たこともない広い世界があることを知り

  ました。この広い世界の遠くから来られた貴方と偶然

  逢えたのは本当に不思議でなりません。早く再会でき

  ることを楽しみに待っています。

 

              ラヴ ジャネファー』


ラヴレターとは言い切れないジャネファーの手紙を何度も何度も読み直した。バスの座席の枕にゆったりと頭をたけかけたまま、時速百キロで走り去って行くどんよりと曇ったストックホルムの街並を見つめていた。街並は次第に遠くぼやけて行き、目を閉じると、懐かしい故郷の街並が浮かんできて、秀雄は二十数年前の場面に立っているのだ。


               ***


 秀雄が輝子の存在に気が付き始めたのは通っていた教会の高校生会に彼女が現れた頃だった。どう云う経緯か思い出せないが、彼女は三十人近くいた高校生会の会長となっており、恥しがり屋の秀雄にとっては、彼女は雲の上の眩しい存在であった。しかも彼女は飛び抜けて可愛いかったので、とある出来事が起きるまでは直接に言葉を交わす勇気がなかった。

 幼い時に受洗した秀雄は高校生になって、信仰を生涯確信することを自ら決心し、毎週土曜日に行われていた聖書学級に通い堅信の準備をしていた。そしてクリマス前の日曜日、礼拝堂で両親や信者など高校生会の生徒達が見守る前で堅信礼を受けた。その日は洗礼した大人が幾人かいたが未成年は一人もいなかったし、未成年で既に受洗していたのは信者の中でも秀雄一人であった。だからそうした彼の存在は教会でも稀れに見えていた。


 秀雄の母は教会の婦人会の役員として、会の催しの準備などで忙しく立ち回り、父は長老の一人として教会の様々な任務に就いていたので、両親は礼拝後、すぐ帰ることはなかった。中学生の弟は落ち着きなく活発だったので、礼拝後は友達と教会のどこか走り回っていた。その日も礼拝後、秀雄はいつものように礼拝堂の控え室で両親を待っていた。輝子が控え室にいた秀雄を見つけて、

「堅信礼おめでとう」と言って、二人は初めて直接に言葉を交わしたのだ。秀雄は堅信したことそのことだけでも幸せを感じ、世の中が何もかも素晴らしく見えていたので、輝子から祝福されたのもその一つとして受け取り光栄に思った。だが、その出来事が一生涯残る印象になるとは秀雄は思いもしなかった。


 数日後のクリスマスイブ、キャドルサービスの礼拝が終わった後、控え室にひとりでいた秀雄の前に、金色の十字架の刺繍入りの白い聖歌隊のガウンを羽織った輝子が突然現れて、

「これ、うちに帰ってから読んで」と、恥しそうに言って白い封筒を手渡し、秀雄が驚く間もなく去ってしまった。気になった秀雄は帰宅を待てず、一人で先に帰ることにし、深夜の空に近い電車の中で、学生服の内ポケットから輝子の手紙を取り出し読み始めた。

 読んでいるうちに、胸の中が急に重たくなり呼吸することさえも苦しく感じた。手紙には、秀雄の堅信礼した勇気を高く評価し、強い印象を受けたと書かれてあった。と同時に、彼女自身の信仰の弱さと生きて行くことが辛いことも書いてあった。それ故に教会に通い、神の救いを求めているのだとも書かれてあった。

 女性が個人的な悩みを特定の男性に打ち分けるのは、格別な理由があるに違いないが、秀雄は何故そんなことを輝子が手紙で伝えたのか考えもしなかった。ただ、早く彼女に会って話しをしたい気持ちでいっぱいだった。このことは二十年以上たった今でも秀雄はどんな理由があったのか意識していないのだ。以前、高校の同級生の女の子から呼び出されて悩みを打ち分けられたことがあったので、不思議に思わなかったのかもしれない。


 クリスマス後の最初の日曜日は秀雄にとっては待ちに待った日であった。礼拝の終わった後、礼拝堂から出てきた聖歌隊のガウン姿の輝子に思い切って、

「あの.....話しをしたいのだけど.....」と、恥ずかしそうに標準語に近い言い方で尋ねた。東京の山の手からこの地方に引っ越して来たのは秀雄が小学校に入学した時で、小学校低学年の頃、標準語から○○弁に徐々に変更していった。しかし、特定な方言は母が認めなかったため、家庭では標準語に○○弁を混ぜた喋り方をしていた。学校ではそういった範囲内の○○弁で喋り、揶揄わられない為に標準語の喋り方は避けていた。しかし、輝子が違う学校だったので、○○弁で喋らなかったのだ。

「えっ、今?」

「うん、もしそうできれば.....」

「じゃあ、ちょっと待っといてね、このガウンをおいてくるから」と、ガウンをつまんで見せ、にこにこしながら赤くなった輝子は、更衣室へ急いだ。


 垢抜けしたミッションスクールの制服姿の輝子と学生服姿の秀雄は教会を出ると、師走で混んだ繁華街を歩きながら静かなところを探していた。しかし、適当なところは見つからず繁華街を通り抜けしまい、広い公園にたどり着いていた。人通りの少ない川岸の冷たいベンチに腰かけて手紙のことについて話し出した。

 輝子は堅信したことが不可解だったようで、秀雄が生まれつきクリスチャンの家庭で育ったことや、両親が教会の信徒であることをこの時初めて知り驚いていた。そういった彼がとても羨ましいとも言った。

 何故輝子は生きるのが辛いのかと秀雄が尋ねたところ、輝子の母が義理の母であることをその時はじめて知らされた。義理の母の冷たい行為に苦しんでいる彼女が可哀想に見え同情した。その時まで、そう言ったことはテレビドラマや小説に登場する架空で大げさな話しだと思っていたのだ。実際に身近にあることを知り、心をひどく痛めた。その時の輝子の心境は非行するか家出寸前で、自殺も試みたことを聞かされ、さらに驚かされた。そんな悲惨なところを彼女は高校生会では全く見せなかったのにも驚いた。辛い彼女自身を一生懸命に隠していたのだと知らされた秀雄は、そういったことができたのは彼女の信仰のお陰だと思うと言った。


 それまでの輝子は活発で朗らかに見え、おとなしく消極的な秀雄とは対象的だったが、ネオンの反射する暗い川の水面を見つめながらそばに座っている彼女は弱々しく、めそめそと泣き出した。そんな彼女を見た秀雄は大きな衝撃を受け、こんな大きな悩みを個人的に知らされたことは生まれて初めてで、ひどく胸を衝れた。どうすれば良いのかそんな心持ちの用意などはしていなく、そのとき彼女を暖かく慰めることもできず、自分自身だって苦労していることを言ってしまった。それは進学のことで、秀雄にとては一番憂欝なことだった。だが、輝子の立場と比べる様なものではなく、無駄な慰めを言ったような気がし、恥ずかしくなった。しかし、輝子が個人的な悩みをこうして打ち明けてきた以上は、彼女の苦しみは人ごとではないと思い、なんらかの救いの手を伸ばしてやりたかった。

 その晩、秀雄は話題を徐々に変えて行き、いつの間にか話題は心理的、思想的なことで大人の社会を批判したすねかじりで世間知らずの学生の好む内容になって移って行った。輝子の濡れた瞳は明るい表情に戻り、二人は楽しく夜の更けて行くのも忘れて、未熟ながらも理想的な社会の話しを続けていた。


 その夜以来、毎週末のように礼拝の後、輝子と秀雄は喫茶店や公園のベンチに座って夜遅くまで、世間知らずの社会批評の論議をしたり学校のことなどを飽きもせず楽しく話し合っていた。学校が違うため、普段は日曜日しか会えない二人ではあったが、逢っている時間はあっという間に過ぎていった。お互いによく知り合ってくると、ただ会って話し合っているばかりではなかった。時には音楽喫茶で一緒に歌を唄ったり、二人きりで郊外の山でハイキングをしたり、屋内アイススケート場に行ったりしていた。

 秀雄にとっては輝子との会話が楽しいばかりか、男なら誰でも夢にでも描く様な可愛い女の子とただ一緒にいることも幸せだった。しかし、彼女の潤んだ大きな瞳の奥に暗い陰が見えるのは秀雄だけだったかも知れない。えくぼのある笑顔はとても可愛いかったが、秀雄には微妙に隠れた輝子の辛さが見えていた。


 以前、秀雄は同級生の女の子達から『かわいい』と言われたことが何度かあり、それは自分が小柄だったから、揶揄われたと判断し怒ったことがあった。そう言われる都度、彼女たちの年下の小さい弟と思われているみたいで残念だった。学校では目立つ存在ではなかったし、異性から人気のある様な逞ましい外観も持ってないので、輝子と交際しているのが秀雄自身不思議でもあった。しかし、男は外観より中身の方が重要であり、それを自分には釣り合わないような外観を持った輝子が発見してくれたと思っていた。その幸せを、神様に感謝することも忘れなかった。

 


                ***



 しかし、二十年以上も経った今、太平洋を超え、北米大陸を横断し、そして大西洋も渡った何万キロも離れた異国で、意外にも輝子に似た面影を持つ女性と同じ様な形で新しい付き合いが始まろうとしているのだ。秀雄は輝子の幻に取り憑かれているのではと内心疑うほどだった。


 ジャネファーの手紙を読んだ後、秀雄は空港までの小一時間、バスの中で身動きもしなかった。アーランダ国際空港に着くと、スカンジナビア航空のオスロ行きのゲートに行き、搭乗を待っている間もぼーっと考え込んでいた。他の客はみんなスウェーデン人かノルウェー人のビジネスマンらしく、スーツを着、誰も口を聞かず黙り込んでいた。考えごとをするのには丁度良く、秀雄は椅子に深くゆったりと座っていた。


 今は人生の分岐点に立ち、その決心ができず頭の中で空回し続けているのである。今朝ベッドから起きた時は一週間も経てば、輝子の幻を見た一時的な衝動も治るかも知れないと思えていたのだが、ジャネファーの手紙を読んでしまって以来、再び当惑してしまったのだ。

 それにキスされた唇にはまだ痺れみたいなものが残っていた。その時、ジャネファーがでかでかと口紅を付けていたとこを思い出し、はっとして唇を触わった。即座にハンカチを取り出して唇を拭いてみた。白いハンカチはジャネファーの口紅で少し赤み帯びた。空港のカウンターで荷物をチッエクインした時、本来待遇のあまり良くないスカンジナビア航空の係員が、やけに待遇のいい笑顔をしていた理由がわかり、秀雄はニタリと笑った。回りを見わしたが、誰も見ていなかったので、もう一度唇をごしごしと拭いてみた。


 ジャネファーがアメリカ人か日本人であればこれほどには迷わなくて済むに違いなかった。それに、ここ数年、二度とない様な恋であれば何もかも捨てても良いと、自分に言い聞かせていたはずではあった。しかし、異国ではどうしょうもなく、頭の中は狂いそうで、冷静になって一つひとつ考え始めてみた。

 

 『ジャネファーと自分との間にはどうすることもできない国境があり、その国境が自分たちの将来を決めようとしているかの様に見えている。いや、そうじゃんないんだ。僕と輝子との仲は僕にとってはまだ完全には終っていないのだ。輝子を探し、結果的に僕をどんな窮地に落してもそうしなければ、このままずるずるとジャネファーと逢っていたのでは、後ほどジャネファーを傷つけることになりかねる。もし輝子が僕によって傷つけられたままこの二十五年間近くも、僕の知らない遠い世界の片隅でひとりで寂しく過しているとすれば、僕はどんなに輝子に謝っても謝り切れない。このことを思うと気が狂いそうになるほど苦しくなる。こんな間違いはもう二度としてはならないのだ。だったら、いっそのことジャネファーに、もう逢えないと連絡しておくのがいい。しかし、そう焦るのは良くないと思う。まず輝子探しが先決問題だが、これは日本に帰らなくてもここから電話で出来るかもしれない。輝子に逢う必要があるか否かはそれからであり、もし輝子に逢う必要がなければ、帰国は延期しても良いはずである』


と、秀雄は結論を出した。やっと昨夜から考え続けていたことに解決の糸口を見つけて、ほっとした。これも今朝、ジャネファーが逢いに来てくれたからで、もしそうでなかったら、まだこれほどはっきりとした結論は出て来なかったかも知れないと思った。



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