(5)
「そうやって路頭に迷ってる時に出会ったのが、あの人だった」
「ほんとに、不幸中の幸いだね」
「大幸いだよ。こういうのも変な話だが、捨てられて良かったって思ったよ」
*
「どうしたの? 大丈夫?」
彼女が現れたのは捨てられてから二日程たった頃だった。歩き疲れ、空腹と喉の渇きでへたりこんでいる所に、仕事帰りなのかスーツ姿の彼女は優しく声をかけダッフルの頭を撫でた。
「可哀想に……歩けないのかな、この子。よし。ちょっとごめんよ。よいしょ!」
そしてどこをほっつき歩いていたかもわからない汚い自分を、彼女は躊躇うことなく両腕に抱え込んで歩き出した。
この時まだ彼女の言葉も分からない状態だったが、ダッフルには感覚で分かった。
――この人は、あいつらとは違う。
疲れと彼女に包まれた安心感からか、ダッフルは彼女の腕の中で気付けば眠りに落ちていた。
次に目を覚ました時、ダッフルはどこかの家の和室に寝転がっていた。何やら心地良い風が当たるなと思っていると、扇風機が自分の方に向いてぐるぐると風を送っていた。
「あ、起きた」
声が横から聞こえダッフルが声の方に首を向けると、昨日の夜の彼女が微笑んでいた。彼女は腕を伸ばし、ダッフルの頭をまた優しく撫でた。
不思議な感覚だった。彼女が触れているのは自分の頭なのに、何故だか身体の内側からじんわりと暖かくなる、経験した事のない心地良い感覚だった。
「お腹、空いたでしょ。ちょっと待ってて」
彼女はとたたっとその場を離れ、すぐに何かを持って戻ってきた。
「お口にあえばいいんだけどねー。犬飼った事ないから適当に買ってきちゃった」
銀の皿の上にはころころとした小粒のようなものと、瑞々しい何かの切り身のようなものが乗っていた。
香ばしい匂いが鼻をつくと、呼応するかのようにぐうっと腹が鳴った。ダッフルは目の前の食事にむしゃぶりついた。ぶわっと旨味が口の中に広がった。しかし腹が減り過ぎていた事もあり、味を丹念に楽しむ間もなく、がつがつとよく分からないがうまい何かをがむしゃらに頬張った。
「よっぽどお腹空いてたんだね。可哀想に」
「首輪がついてるから、やっぱり捨て犬なんだろうな。ひどい奴がいるもんだ」
彼女の横に初老の男性が立っていた。おそらく彼女の父親だろう。父親は彼女と同じようにダッフルの頭に手を置いて頭を撫でた。わしゃわしゃと少々荒く、彼女と違い大きくごつごつとした掌だったが、そこからはちゃんと彼女と同じように優しさが伝わってきた。
「安心しろ。ここがお前の新しいお家だ」
なんて言っているのかは分からなかった。
でももう、安心していいんだという事は、なんとなく分かった。
*
「色々よくしてもらったよ。普段の世話はもちろん、車で遠くに連れて行ってくれたりもしたしな。これが家族かって感じだった」
僕達もコロと一緒に小旅行に行ったりした。普段と違う景色を見て、コロはどう思っていただろう。楽しそうにしているように見えたが、ダッフルの話を聞いてコロもちゃんと楽しんでくれていたんだろうとなと少し安心した。
「このあたりもよく一緒に散歩したよ」
「え?」
その瞬間ズキっと頭に少し痛みが走った。
「そうなの? じゃあひょっとして僕ら――」
「かもな」
僕とダッフルはどこかで会っているかもしれない。でも僕はダッフルの事を思い出せない。コロと散歩していてパグと散歩している女性とも会った記憶はどうにもない。
「改めて考えると不思議な関係だよな。言葉は通じないけど共存してるって」
「そうだね。伝わってるか分からないから、一方通行になってる事も多かったかもしれないけど、ダッフルの話を聞いてると、案外分かり合えてたのかもなってちょっと安心した」
「互いが互いを想って尊重してりゃ、言葉なんて多くはいらねえもんなんだよ」
「なんだか、カッコイイね」
「人間同士がどうかなんて詳しくは知らねえけど、言葉が分かり合えるからってうまくいくもんでもねえんだろ。結局心なんだよ、きっと。多くの言葉を並べ立てても理解し合えない事もある。言葉じゃなくたって、心が向き合ってたら、たいがいうまくいくもんなんだよ」
「なんだかちょっと、セリフがくさいよ」
「おい、馬鹿にすんじゃねえよ」
「してないよ。その通りだと思うよ」
家から帰ってくると、尻尾を振ってこちらに近寄ってくれたコロ。コロの心はきっと僕達にちゃんと向いてくれていただろう。
「お前今、俺じゃなくてコロと喋りたかったって思っただろ」
「ちょっとね」
「言っとくが、俺だって同じだからな」
不思議な夜の、不思議な出来事。パグと言葉が通じるだなんてファンタジーに、最初は驚いて馬鹿げてるとさえ思った。けど、そのおかげで間接的にコロの気持ちに近付けた気がする。
「でも、なんで言葉が通じてるのかって理由は、なんとなく分かったよ」