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皿嘗めた猫が科を負う

大悪人や主犯は捕まらず、小物ばかりが捕まること。

あれから、あかりからあらゆる食物を貰ったが、どれも私に合うものではなかった。


結局私が何を摂取して生きていたのかは分からず終いだ。唯一わかったのは、私の腕はあかりより細いということだけ。



胸に分銅でも入れられたかのように、体が怠くて仕方がない。声を出すことすら億劫で、息をするだけで精一杯である。



あかりの手が温かい。このままずっとこうして欲しいと願うものの、声が出なければそれを伝える術もない。少し指先をぴくりと動かしてみたが、あかりに伝わったかどうか怪しいものである。




「ネコさん……」




不安げな黒い瞳に吸い込まれそうになる。このまま死んでも悪くないとさえ思えて来た。


このような人間に出逢えて、私は本当に運が良かった。それだけで十二分に奇跡と言えよう。

私の人生に悔いはない……。




「お取り込み中すっいやせ~ん☆」




空気を読まぬ不届き者が、突然窓に張り付いてきた。誰でもいいから斬り捨てろと言いたい。




「どーも! いつでもどこでも駆けつけますがキャッチフレーズのキリサメ探偵事務所所長のかつら霧雨きりさめくんです☆ よろぴくぴくぅ~」




すると驚いたことに、あかりは迷わずに窓の鍵を開けて、不審者を招き入れてしまったではないか。


何を血迷ったのか、と私は言いたい。




「御機嫌よう、霧雨きりさめさん。良い日和ですね」


「相変わらずの鋼メンタルだねぇ、あかりちゃんは。母親が天璋院様のご祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘だって言われてもきっと驚かないんだろうね」




それはほとんど他人であろう。




「『吾輩は猫である』ですね。三毛子ちゃんが可愛かったことだけ覚えています」


「できれば人間サイドも覚えてて欲しかったな。まぁそれはさておき」




霧雨きりさめというその男は、ガサガサと音のする白い袋を掲げ、得意げな顔で言った。




「これ、そこで寝てる子に飲ませてごらん。きっと元気になるから」











美味かった。


ガラスコップというものに注がれた黒に近い紫色の液体は、甘味があるが仄かに酸味も含まれており、どこか懐かしい香りもあって心地良かった。




「ぶどうジュース……完全に盲点でした」


「食べることを知らなくても、飲み込むという動作を知っているのなら、飲み物はいけるんじゃないかって思ってね。北欧神話のオーディーンだってワインしか所望しなかったってくらいだし」


「へぇ。霧雨さんは何でもご存知なのですね」


「さすがに何でもは知らないよ」




心なしか、体が軽くなってきた。もう一口飲んで気力をつける。




「でもこれは素人判断でのことだから、この後きちんと病院へ連れて行ってあげてね。多分嚥下障害の類だろうし。あと、記憶喪失の人間を見つけたらすぐに病院か警察に保護してもらうこと」


「え?」


「さすがにあかりちゃん一人で面倒見るわけにはいかないでしょ? 灯夜だって仕事があるし。ここは第三者に保護して貰うのが一番だと俺は思う。何なら俺が預かっちゃおうか?」




その男を睨みつけると、男は気配を察知して愉快そうに笑った。




「冗談だって、冗談。君があかりのこと気に入ってることくらいわかってるって」


「君、ではない。私はネコだ」




ネコ。いわゆる猫からとったようだが、私はこの呼び名をいたく気に入っている。

何よりも恩人であるあかりがつけてくれた名だ。気に入らぬわけがあるまい。




「ネコ、ねぇ。本当にいいの? そんなへんちくりんな名前で」


「私が良いと言っているのだから良いのだ」


「喋り方も随分と古風なこと。これで一人称が『吾輩』だったら完璧だったんだけどね」




私のことをどこか小馬鹿にするこの男ばかりはどうも気に入らぬ。ところどころ癪に障ることしか言わぬのだ。あかりはこの男のどこを好いているのか全く見当もつかぬ。




「まぁネコさん。霧雨きりさめさんだって悪気があって言っているわけではないのですから」


「そうそう。俺だってネコきゅんと仲良くしたいもーん」




何がネコきゅんだ。馴れ馴れしいにも程がある。

しかしあかりがそう言うのであればそうなのかもしれぬ。こいつはやけに距離が近いだけで、私と友好的に接したいだけなのだろう。




「ところでお値段はおいかほどでしょうか」


「いやいいよ。やったことはただのおつかいだし」


「でも……」


「いいってば、気を使わなくっても。探偵なんて自由業だし?」




しかし受け付けられぬものは受け付けられぬ。この男がどう思おうと、私はこいつを好きになれそうもない。なにがあってもこいつばかりは、決して友人にはなれぬタイプである。



ぶどうジュースをもう少し飲もうとコップを傾けた時、口の中が空虚であることに気付く。もうなくなってしまったらしい。お代わりを要求しようと、黒い双眸のあかりに目配せする。





途端にーーあかりが私の上に覆い被さった。






「あかーーー」





言葉は、紡がれなかった。



あかりの両手は、私の首を覆い包むように広げられ、女のものとは思えぬ力で絞めてきた。


あまりのことに、あの霧雨きりさめですら目を丸くしている。




「あかりちゃん!?」




引き離そうと手首を掴んだが、私の骨と皮だけの腕ではびくともしない。


息ができず抵抗すらできぬ私の首を、徐々に力を込めて絞めていくあかり。その顔は、先程の穏やかなものとはうって変わり、悪魔のような形相へと変貌していた。




「あかりちゃん! どうしたの急に!?」


「……死ね……裏切り者……!」




あかりの口から漏れたのは、私に対する恨み言。


霧雨は背後から私とあかりを引き離そうと試みているが、彼女は石のように頑丈かつ頑固に私から離れようとしない。私が力尽きるまで絞めるつもりだ。




「あかりちゃん!!」


「……私は、お前を許さぬ……」


「あかりちゃんっ!!」




首にかかっているその手の指から引き剥がすことを思いついたらしい霧雨きりさめは、あかりの細く白いその手に自らの手を伸ばす。


するとあかりは、矛先を霧雨きりさめに変え、触れられたその手で霧雨を突き飛ばした。



細身の女がーー一人の男を突き飛ばしたのだ。


霧雨きりさめは飛ばされたその勢いに乗り、壁に体を叩きつけられ、力無く倒れこんだ。




「ごほっ……き、霧雨きりさめっ!!」




あかりの手の力が緩んだ隙に、思わずその名を叫ぶ。


無我夢中になった私の頭に、ふと意味の分からぬ単語が浮かび上がった。

意味は分からぬが、再び手が迫ってきている今しか、声が出せるチャンスはない。一か八かで試すとしよう。






「『フリード』!!」






その瞬間ーー



私とあかりの間に白い狼が、光を纏いながら現れた。


清らかで濁りのない白。

雪のように真っ白なその狼が現れたと同時に、あかりの顔が少しずつもとの形に戻っていった。



先程まで私の首を絞めていた両手はだらしなくぶら下がり、その表情は嘘のようにきょとんとしている。




「あかりちゃん……? ネコくん……?」




頭からの凄まじい流血を手で押さえながら、目を丸くする霧雨きりさめ。あかりも、何があったのかと言わんばかりにきょろきょろしている。

驚いたのは霧雨きりさめもあかりも同じらしいが、恐らくこの中で最も動揺していたのは私であろう。




「その……犬? いや狼かな……何? それ」




私の腕にすっぽりと収まっている小さな狼ーーフリードを指差し訊ねられる。

何と訊かれては分からぬが、これの名前だけは知っている。恐らくこれは、私の半身だったものだろう。記憶はないが、それだけは理解できた。




「こいつはフリード。私の半身である」


「半身?」




その時、ガチャッという音がした。扉の音である。


見ると、これはまた見知らぬ男が立っているではないか。



あかりと同じ髪色のその男は、女のように長く伸びた髪を一本に結わえているが、目つきは鋭く鷹のようだった。


男は胸いっぱいに息を吸い込み、目を見開いたかと思えば。







「てめぇら……人の妹の部屋で何やってんだぁああーーーーーーっ!!!」






そして、何とも不条理なことを叫んだのだった。

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