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花蟷螂

白い蘭のような姿に擬態した蟷螂かまきりのこと。その姿に惑わされて来た獲物を捕える。

アタシがまだ「裏」にいた頃は他のキリアたちと城で生活していたから、一人暮らしなんてものは今まで経験がなかった。


ジンが千耳市に行くらしいという話をキリア総長のレイヤから聞き、すぐに部屋を借りてそこに住むことになったのだけれど。




「一人暮らし……マジきつい……」




思わずそうひとりごちてしまうくらいに、毎日が修行だった。


料理、洗濯、掃除……。洗濯は近くにコインランドリーがあるし、掃除は掃除機とかいうもので済ませられるからまだいい。




問題は料理だ。


卵をレンジに入れたら爆発しててんやわんやになったし、フライパンで直にものを焼いたら焦げ付いて大変だった。あと砂糖と塩の違いがわからん。小麦粉ってどう使うんだ。落としたら軍警察に摘発されないか。

あとは少々とひとつまみの違いとか、適量がどれくらいかとか、150〜200とかって結局どれくらい入れるのが正解なのかとか……頭が痛くなる。




これが「表」……化学の地の厳しさというものか! 城の使用人らは一体どうやってあのような立派な料理を振舞っていたのだろう。




何とか味噌汁と目玉焼きくらいは作れるようになったアタシは、近所のスーパーで適当な食料を買い込み、公園経由で家路についていた。




通りかかったその公園で、見覚えのある姿を発見する。



油の切れたブランコが悲鳴をあげる度、「表」の人間であるそいつの、ひと癖ふた癖ある赤い髪が揺れる。


哀愁漂うその後ろ姿に、思わず立ち止まってしまった。




「お買い物行ってたの?」




どうやって気づいたのか。そいつが、振り返りもせずに言う。




「まあな。あんたはここで何をしてんだ?」


「ちょっと揉めちゃってね。追い出されちゃった」




足を投げ出し、空を見上げる。雨は当分降りそうもない。




「あんたさ。あいつらに余計なことでも言ったんじゃないのか」


「そんなつもりないんだけどなぁ。普通に、思ったこと言っただけで」


「……お前、本当バカだよな」


「類ちゃん酷~い」




声は弾んでいるが、振り返らない。

意地でも顔を見せたくない、ということなのだろうか。一体何があったというのか。



雀が2羽、公園の中央で向かい合って鳴いている。仲間だろうか。一緒に地面の虫をついばんでいるように見える。


すぐ後ろを車が横切り、風で髪が乱れた。




「……おっちんがね。死んだんだ」


「……おっちん?」


「幼馴染。小さい頃はよく遊んでてさ。でかくなったあとも、よく一緒に飲みに誘ってた。そいつがさ、こないだ遺体になって発見されたって」




耳鳴りがした。


世界が、こいつと2人きりになったような錯覚。




「コンクリートから不自然に棘が生えてて、それに串刺しになって死んでたらしいよ。警察は事故他殺両面で調べてるってさ」


「……他殺だろ」


「類ちゃんがそう言うのなら、そうなんだろうね」




なんでこんなに他人事なのだろう。

仲良くしていた幼馴染が死んだというのに。




「変なこと言ってごめんね。俺、こういうのあんまり得意じゃなくって」


「得意?」


「泣けないんだ。俺」




そこでようやく振り返ったそいつの顔はーー酷いものだった。


笑ってない。悲しんでもいないし、怒ってもいない。

つまり、無表情。




「昔からそうだった。運動会の練習でうっかり転んですりむいても泣けなかったし、友達と喧嘩しても絶対に泣けなかった。ペットが死んだ時も、感動するって評判のテレビも映画も、俺の涙腺を刺激しなかった」


「……そんなこと、あるのか?」


「あるんだね。母さんはそんな俺を心配してよく病院に連れてってくれたけど、その度にどこにも異常が見当たらないって言われたよ」




卵も入ってる買い物袋を、思わず落としてしまった。1個か2個、潰れたかもしれない。


そいつは一瞬驚いたような顔になると、すぐに笑った。




「なんで類ちゃんが泣いてるの?」


「し、知るかボケ!」




同情だろうか。

こんな奴に情が移ったのか、アタシは。




「泣かないでよ。別に俺そんなつもりで言ったんじゃないから」


「んぐっ……」


「そういう感情を出せない分、冷静でありたいと思うんだけどさ……どうも、言葉が選べない。どうしたら正解なんだろう?」


「うぅっ」


「だから泣かないでってば!」




感情がないわけじゃない。

こいつは、そういうのが苦手なだけなんだ。


そう思うと、余計に涙が止まらなかった。



ブランコの不自然な金切り声が聞こえたかと思えば、頭に温もりのようなものを感じる。気づけばそいつはアタシの目の前にいて、母のような眼差しでアタシを見つめていた。

それがあまりにも優しいものだから、余計に涙が零れてしまう。せき止めようにも止まらない。



そいつが苦笑いしながら、親指でアタシの涙を拭う。彼の体温が胸に染み込んでいくのを噛み締めていると、突然そいつは親指についた涙をペロリと舐めた。



驚いて涙も引っ込んだ。




「おまっ、何してんの!?」


「んー? 『裏』のコの涙を舐めたら俺も泣けるかなーって思って」


「なわけねーだろ!? 馬鹿じゃねぇのか!?」




ぺしぺしと胸を叩く。一応手加減したつもりだが、この阿呆は「痛いよぉ~」とほざいて笑うばかりだ。




「今お前、何をしたかわかってんのかっ!?」


「さぁ? 俺『表』の人間だからわかんないや」


「そういう意味じゃなくって……もういいっ」




目をくりくりさせ、口角をキュッと上げ、コテンと首を傾げる。間違いない、確信犯だ。


顔を見ると腹が立つので、回れ右で背を向けた。




「……キモい」


「えー?」


「女が泣いてるのを慰めたいのはわかるけどさ……舐めるとか、キモい」


「いいじゃん別に。ちょっとしょっぱかったけど」


「無理すんなボケが!」




思わず睨んでしまった。女慣れしてるのか単に無邪気な馬鹿なのか全くわからん。


さっき落とした買い物袋を見ると、案の定卵が何個か割れていた。勿体無い。無事な卵の方が少なそうだ。




「類ちゃんってさ、どうしてキリアになったの?」


「んだよ突然。……まぁ、待遇いいし収入高いし。ジンの嫁になるつもりはねーけど、下町で働くよりかはいいかなって」




全部事実だ。もしキリアとしての素質がなかったら、アタシは下町にある実家のパン屋で働いていたに違いない。ああいう繊細な作業は苦手分野だけど。




「ふーん……キリアって募集してんだ」


「募集してるのもある。けど、元々キリアとしての血族である者は強制的にキリアとして扱われるらしい。リンダとかがいい例だな。あ、今は遠藤燐火だったか」


「……なるほどねぇ」




何に納得したのか。


涙が引っ込んだとはいえ、泣きすぎて喉の奥が変な感覚になっている。痛いような熱いような、まだ本来の感覚が取り戻せない。




なのに。




「類ちゃんは頑張り屋さんなんだね。偉い偉い」


「ちょっ、頭撫でんな! 餓鬼のくせに!」


「餓鬼とか酷いなぁ。よく童顔とは言われるけど、俺こう見えて28だよ?」


「え、嘘、アタシより5つ年上……!?」




こいつ、このキャラでアラサーなのかよ。痛すぎるぞ。




「へー! 類ちゃん23なんだぁ? もーちょいいってるかと思った」


「ウチは代々老け顔なんだよ。悪かったな」


「大人っぽいって言ったつもりなんだけどなぁ。まあいいや」




大人っぽい、と言われて少しドキッとした。こいつの見立てでは、アタシが何歳に見えたんだろう。




「類ちゃんオムライスでも作るつもりだったの? 卵いっぱいあるけど」




この馬鹿は、アタシがさっき買ってきたものを勝手に漁っていた。


その手には、割れた卵が入ったパックが握られている。割れた殻の隙間から見える黄色い姿に、いささか罪悪感を覚えた。




「んな大層なもんじゃねーよ。それに卵ってどれも10個パックじゃんか」




その10個入りの卵パックを持ったまま、キョトン顔でアタシを見上げる。




「一人暮らし向けの少数パックもあるけど知らないの?」


「えっ嘘!? そんなんあるの!?」


「寧ろ何で知らなかったの? てか類ちゃんオムライス作れないんだ?」




ギクッ、と音がしそうだった。



アタシが作れるものといえば目玉焼きや焼き魚くらいだ。味付けしたり炒めたりはまだできない。


でもここで苦手だと素直に認めたら負けな気がする。




「つ、作れるって! んなの余裕だっつぅの」


「余裕、ねぇ。俺が作ってあげるから、一緒に帰ろ?」


「あー! お前信じてねーだろ!!」


「はいはい」




顔が熱い。


アタシがどんなに隠そうとしても、こいつには何でもお見通しのようだった。

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