蝸牛角上の争い
些細なこと、狭い世界でのつまらない争い。
古賀の姓を持っている私とあかりは、現在兄者の親族の家に厄介になっている。
私もあかりも未成年者の身であるので、事件が起きたばかりの地域から離れたところに居候させて貰うことは大して不自然なことではない。未成年者保護の観点では当然の結果と言えよう。
しかし、この状況は私とて納得がいかぬ。古賀の人間ではない者が3名ほど、私たちと共に一つ屋根の下で暮らしているのだ。シェアハウス、などと抜かしてはいるが要するに寄生虫だろう。うち2名は成人しているし、1名はそもそも人ですらない。
「あんらぁ! ネコくんとそのお姉さま、おかえりぃ~」
「ますたー! お二人が帰って参りましたー!」
「おかえり。ネコくん、あかりちゃん」
どうしてこうなった。
最後に発言したのは霧雨であるが、他2人はこちらに来るまで全く面識がなかった。
……否、全く面識がないというのは語弊がある。片方は私もあかりも既に会っていた。ただし、馬の姿としてであるが。
「ますたー、ご飯運びますね」
「ありがとうルーシー。じゃあこのお皿そっち持ってって」
「はーい」
この、霧雨を「ますたー」と呼ぶ幼女は、電車内で暴れていたあの金の馬であるらしい。髪は目が隠れる程長いが金糸のように繊細で艶があり、時折見せる赤い瞳は丸く、見た目は5歳くらいの幼子にしか見えない彼女の愛嬌の良さを示していた。
彼女が馬である、という何よりも確実な証拠といえば、頭からぴんと生えている大きな耳と、白いワンピースの下からのぞかせている金色の尾くらいだろうか。あまりにも特徴的過ぎる。
そんなことよりもーー彼女以上に深刻な問題が存在していた。
「ネコくぅ~~~ん、会いたかったわよぉお~~」
強く抱き締められた瞬間、ぞわっと全身の肌が粟立つ。
身の危険をも感じる、この女らしき生物。
見た目は麗しさもある、俗に言う水も滴る良い女である。腰まで伸びた艶やかで長い黒髪、透き通った肌に潤んだ唇。スレンダーではあるが小さすぎない胸。
まるで作り物のようだ、と形容したらーー本当に作り物であったという衝撃は今も忘れられない。
「ちょっとカンナさん。あんまりネコくんいじくり回さないの。困ってるでしょ」
「あんらぁそう? ごめんなさいね」
手を離した彼女? は、一般的な中年女のように片手を頬に、片手を手首から上だけをひらひら上下に動かした。
名を、水島寒太郎という。
カンナはこの男の源氏名だ。
そう、この美女は女ですらない。どういうわけか、心と体がちぐはぐになって生まれてしまったという、摩訶不思議な人種なのだ。「表」では割と良くあることらしく、そういうお店もいくつか存在するという話である。
ちなみに彼女? の前で本名の方を呼ぶと恐ろしいことになるらしい。類は友を呼び過ぎている。私にはもう手の施しようがない。
「お二方は学生なんですよね! ルーシーもいっぱいお勉強したいです」
ルーシーは霧雨の支持通りに、食卓に料理を次々と運んで行く。言ってる内容もやっていることも、ただの幼子とあまり変わらない。耳と尻尾が気になるが。
「ますたー、ルーシーにも学校行かせてください!」
「だーめ。ルーシーはお馬さんだから、学校行っちゃいけないの」
「なんでですか? ルーシーだってお勉強できますよ?」
「学校はお勉強するだけのところじゃないの。何よりも人間であることが大前提なんだから」
「そうなんですか? じゃあやめます!」
ルーシーは聞き分けの良い子だねぇ、偉いねぇ、などと言いながら馬耳幼女の頭を撫でる霧雨。ついでのように箸の束を渡し、テーブルに並べるよう指示した。
先に席についていた私たちの顔をちらりちらりと様子見ながら、箸をひと席ずつ置いていく。たたたと軽やかに霧雨のそばに立ち、くいと服を引っ張った。
「どうしたの?」
「れでぃーの様子が変です」
「れでぃー」というのは、ルーシーなりのあかりの呼び方である。ちなみに私のことは「じぇんとる」と呼んでくれている。
霧雨は「またか」と呟くと、屈んでルーシーと目線を合わせた。
「レディーは最近、お友達とうまくいってないんだ。前まではすごく仲が良かったんだけどね」
「喧嘩しちゃったのですか?」
「喧嘩というか……そうだねぇ。茉莉菜ちゃんの一方的なものというかーー」
ガタッと、あかりが起立する。ぐっと、涙を堪えるように口を結ぶと、何も言わずに部屋へと引っ込んでしまった。
私には彼女を引きとめられない。あかりの心の傷を癒す力など持ち合わせてなどいないだろうから。
先程少し泣いて落ち着きはしたものの、それでも茉莉菜と共に帰れぬ寂しさには勝てず、帰宅中終始無言だった。
「……霧雨」
顔を伏せたまま、台所にいるであろう彼の名を呼ぶ。何も応えない。
「あかりや茉莉菜のこと……私には到底手に負えぬ。どうしたら良い?」
耳が痛い静寂。
視界にゆらゆら動いてる金色の影が入ってきたが、彼女もまた無言であった。
コトン、と皿を置く音に見上げると、目の前に霧雨の黒い双眸があった。彼は大皿に盛ったサラダを挟んで私を見ている。
恐ろしいくらいに感情のない、その顔で。
「あそ。じゃあ君には何も期待しない」
「え……」
「ちょっと!」
カンナが噛み付くが、霧雨はただ容赦なく淡々と口を動かす。
「君が何もできないのはよくわかった。もう君には何も頼まないよ。全部自分でやる」
「霧雨あんた……!」
「だって仕方ないじゃん。今は生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。ぬるいことなんて言ってらんないよ」
夏真っ只中のはずなのに、「寒い」と思った。
凍えるような寒さ。恐ろしいものに出くわしてしまったような恐怖で、体が動かなかった。
「生きるか死ぬかって……大袈裟じゃない? 世界が滅亡するわけじゃあるまいし」
「するんじゃないの? 変な生き物その辺にいるし。戦争が起きるかはどうでもいいにしても、それがそういう良くないものの前兆だとは思ってるよ」
「変な生き物」と言われて、ルーシーがびくっと身を縮める。しばらく震えていたがすぐに堪えきれなくなり、爆発するように泣き出した。
「あんたねぇ……!」
「別にルーシーのことだけじゃないんだけどなー。まあいいや。とにかくウザいんだよね、そういう矢鱈とかわいそぶる輩は」
ルーシーが「変な生き物」であることは否定しないらしい。同時に、「良くないものの前兆」であることも。
激昂したカンナは、私とルーシーの代わりに霧雨の胸倉をぐいと掴み上げた。
「言っていいことと悪いことがあるでしょう!?」
「事実を言っただけだよ。それに、そういうのははっきり言わないとわかんない奴ばっかだし」
唾を吐きかける勢いで叱責するが、霧雨は全く悪びれもしない。むしろ「何が悪い」と言わんばかりに自分の意見を主張する。
終始霧雨は無表情だった。胸倉を掴まれた時でさえ、その眉はぴくりとも動かない。
カンナには、それがまた気に食わなかった。
「この……!!」
平手打ちを食らわそうとしたのだろう。もう片方、空いている手をぴんと広げながら振り上げた。
がーー直後、その手首を掴まれる。
「カンナさんは感情的になりすぎ。動きがすぐ視える」
「…………!?」
無感情に、ただ流れるように、カンナの手首を掴んだ霧雨の手。
速すぎてその瞬間を我が目にとらえることができなかった。
「あかりちゃんもネコくんも、ルーシーも君も。どうして冷静になれないかな。俺には到底理解できないよ」
「何を言って……!」
「だいたいさ。いつ自分が死ぬかもわからないのに身内で揉めてる場合? 俺たちはただ仲良しこよしのお友達ごっこがしたくて集ったわけじゃないんだ。こんなちゃっちいことで喧嘩する程暇じゃないんだよ」
手首を捻ったかと思えば、次の瞬間にはカンナが叩き落されていた。
「俺は生き残る為なら何だってするよ? それを邪魔する奴は例え誰だろうと関係なく殺すまでさ」
ニコリと笑ったその顔がおぞましいと思うのは、彼の口から排出されているその言葉のせいだろうか。
痛みで顔を歪めていたカンナは、笑顔で殺人予告をするその男を見上げ、悔しげに睨む。
「前から思ってたけど……あんた、相当狂ってるわね」
「水島くんに言われたくないな」
禁句ギリギリの侮辱に、くっと歯を食いしばった。




