犬が西向きゃ尾は東
当然のことをいうこと。
「申し訳ありませんでしたっ!」
誤認逮捕ということで、先程まで通り魔事件の犯人として拘束していた男性に深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ紛らわしいことをしてしまって申し訳ございません。でもここがアメリカだったら確実に訴訟モノ……」
「すみません!」
「いえ、いいんです。寧ろ命があっただけラッキーですよ。蜂が死んだのが私の手前だったようなので」
男性の胸ポケットから、バイブ音が聞こえる。「失礼」と一言断ると、彼はスマホを出して画面を確認し、電話に出た。
「Hello? This is Kazu. Arethere any problems?」
流暢な英語だ。けれどもゆっくりと言い聞かせるような印象があって、まるで子供と話しているかのようだ。
「……Oh,really? Ha-ha!! It's so good news!!I look forward to return home!!」
帰国が待ち遠しいと言っているらしい。どうやら電話の相手は異国に住んでいるという愛娘からのようだ。
「Okay,I love you. Bye」
アイラブユー、だと?
日本では信じられない文化だ。そんな甘ったるい言葉を軽々しく口に出せるなんて。
「娘さんですか?」
遠藤も同じ思考だったらしく、彼にそう訊ねる。彼は彼で嬉しそうに頷いた。
「ええ。今年で5歳になったばかりで。可愛い盛りです」
「国際結婚なんですよね? いいですねぇ。奥さん美人なんでしょう?」
「はい。料理もできる自慢の妻です」
惜しげもなく家族自慢をする。僕にも自慢の家族がいるぞ。あかりとか。
「早く帰って娘に会いたいです。バイオハザードで、お互いいつ死んでもおかしくない世の中なので」
その時僕は、今まで目を逸らしていた事実に直面せざるを得なかった。いつ死んでもおかしくない。確かにその通りだ。「裏」の反乱のせいで僕は一度死にかけたことがある。もしあの時遠藤がいなければ、僕は今頃ここに立っていないはずなのだ。
「それでは、私はこの辺で」
「あっ、白石さん!」
彼を呼び止めた遠藤は、胸ポケットから一枚名刺を出し、慣れた手つきでそれを差し出した。
「何かありましたらご連絡下さい。こんな世の中で、お力添えできるかどうかわかりませんが」
「おや、心強いですねぇ。では私も」
白石さんも、バッグから黒い革製の名刺入れを出して、その中から一枚名刺を抜き出した。
「ライターの、白石千光といいます」
「『千』と書いて『かず』ですか」
「はは、変わってるでしょ?学生時代は『センコウ』って呼ばれてました」
よく合掌されましたよ、と笑う白石さん。ある種のいじめのようにも思えるが、受け取り方は本人次第なのだろう。
ではまた、と、会釈して足早に去っていくその後ろ姿は、家族のために働く父親のそれそのものであった。
「……あ」
その後ろ姿が、昔見た父の背中によく似ていて。
「……先輩?」
思わぬところで思考が止まっていたところに、遠藤が僕を呼び戻してくれた。
ああ、と、返事にならない返事をしてしまう。駄目だ、これじゃいけない。ちゃんと返さないとーー
「電話鳴ってますよ?」
言われて初めて気づいた。確かに、胸ポケットからブーブー音がする。
遠藤が気づいて僕本人が気づかないなんて、と、やや羞恥心を抱きながら電話に出る。
「……もしもし?」
『あ、もしもし古賀さん? すみません、ちょっと確認したいんですけど』
「越智か……なんだ?」
電話の主は、遠藤の同期である越智からだった。先輩呼びする遠藤と違い、こいつは僕を「さん」付けで呼ぶ。できれば先輩呼びにして欲しいところだが、こいつは何度言っても聞かない。
『えっと……こないだ白い鼻毛を見つけたのですけど』
こいつが霧雨の幼馴染だと知ってからは色々なところを諦めた。類は友を呼ぶとはよく言う。
「……切るぞ」
『あっ、間違っ……じゃなくて。あ、あれ~? 古賀さん如きがそんなこと言っていいのかな~? 我、越智東馬ぞ? 我、霧雨の幼馴染の越智東馬ぞ?』
「…………越智」
『調子に乗りました』
こいつのいいところは、あいつみたいにのらりくらりかわさずに素直に謝るところである。
『それで本題なんですけど、本当に確認したいことがありまして』
「……返答は内容次第だな」
『すみません! ……実は、件の通り魔事件で死亡した被害者の正確な人数を確認して欲しいんですけど』
なんだ。ちゃんと仕事してるじゃないか。
……人数?
「確か、26人じゃなかったか? 必要なら後でまた確認するが」
『……いえ、必要ありません。俺もそう記憶してますから』
「は? じゃあ何で」
『……あまり信じたくないんですけど……』
越智の様子がおかしい。
いや、もともとおかしな奴だが、今日は輪をかけておかしくなっている。
何故わざわざ被害者の人数を調べる必要がある? それも、忘れたわけでもないのに。
季節外れとも思える冷たい風が、一瞬頬を撫でた。
『1人……足りないんですよ』
「1人?」
『はい。戻ってもう一度調べてみようかとも思うのですがーー』
不意に、言葉を詰まらせる。
越智は霧雨に似ておちゃらけているが、奴と違って常時本音を隠している感じが否めない。
それはまるで、霧雨と同じ顔の仮面をつけて生きているような。
『すみません、やっぱり戻って確認しますね。もしかしたらただの思い違いかもしれませんし』
「? ……ああ、わかった」
やはり様子がおかしい。
越智は、1人足りないと言っていた。一体何のことだろう。
もうすぐ夏休みの時期なのに、やけに風が冷たく感じる。空は蒼く、植林がざわざわと騒ぎ立てた。
「僕は僕で……調べた方が良さそうだな」
なんとなく、嫌な感じがするから。




