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猫を追うより皿を引け

根本を正した方が良いということ。

乗客乗員含め10人死亡58人重軽傷という結末を迎えた、大型電車奇襲事件。



霧雨に懐いたあの馬は、とある国の神話に準えて「ルーシー」と名付けられた。雌であることにも驚いたが、霧雨がそれに気付いていたことにも驚愕を得た。


ルーシーは名付けられたことに満足すると、指輪へと身を転じ、霧雨の右手中指に収まった。



事件後、被害者でもある私は、あかりに首を絞められた以外は無傷であったが、念の為と入院させられることになった。他の人間も同様である。




「いやぁしっかし散々だったねぇ~♪ 俺死ぬかと思った」




隣には霧雨という馬鹿者が寝転んでいる。散々だったのは主にこいつのせいであるのだが、果たして本人に自覚はあるのか。




「よく言う。死ぬ気など更々なかった癖に」


「まぁね~。類ちゃんがいたから何とかなるかなーとか考えてたりなんかして」




こいつは一回死んだ方が良いのではなかろうか。




「ところでさぁ、類ちゃんさっきからうるさいんだけどどうしたの?」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」




霧雨の隣で寝ていた類は、瞳孔を開きガタガタ震えながら、壊れたラジオのように繰り返し謝罪していた。

うるさいとは言うが、だいたいが胡散臭いほどに呑気なこの男のせいである。




「霧雨……コンプレックスを意識するのは程々にした方が」


「え?」




たった一文字の、全く意味の持たないはずの台詞に、ドライアイス並の冷気を感じた。


これ以上口に出すのは危険であると判断し、生唾と共に言葉を呑み込んだ時だった。




「霧雨さん、いますか?」




病室の引き戸から、ひょっこり顔を出した、黒い艶やかな髪と黒い透き通った瞳の一人の少女。



古賀あかりーー私の義理の姉。



霧雨は寝巻き姿の彼女を目で捉えると、悪戯っ子のようににやりと笑い、




「いるよ~」




と、声高らかに返答した。




「あの、大したことじゃないんですけど……ちょっと気になることがあって」




そわそわしながら入室を躊躇うあかりに、霧雨は指先のみでぱらぱらと手招きした。




「入っておいで。不安なんでしょ?」




何もかもお見通しと言わんばかりである。あかりはしばらく狼狽えていたが、やがて恐る恐る入室するに至った。


類の前を通過し、霧雨のベッドの前に丸椅子を置き、腰掛ける。目は伏せがちであり、顔色は良くない。




「どうしたの? 怖い夢でも見た?」


「…………」




拳を握り、口を結ぶ。


泣き出すのではないかとはらはらしていたが、その心配もよそに彼女はその小さな口を開く。




「……ネコさんを殺そうとして……霧雨さんに止められる夢を見ました」


「へぇ、そうなんだ」




軽い。軽すぎる。もう少し真剣に聞いたらどうだろう。これでは彼女も相手を間違えたと思ってしまうに違いない。


話の内容からして、あかりの別人格とやらが関係しているのだろうが、霧雨は全く動じない。あかりも、よりによってどうしてこんな男を頼ったのか。




「でもさ、それって結局夢の話なんでしょ? なら別に気にすることはないんじゃないかな」


「でも……」


「それでも気になるというなら」




ふわりと、カーテンが動く。心踊る草木の香りが、我が嗅覚を刺激する。

窓から見える空がまるで青きキャンバスのように、目も届かぬほどの雲を描いていた。






「君も、覚悟した方が良いよ。場合によっては君も、ネコくんと同じ道を歩むことになる」






先程、コンプレックスのことで霧雨がドライアイスのようになったと言ったが、訂正しようと思う。あれは感情があった分まだ生ぬるい。



あかりに放った警告に近い忠告からはーー一切の温度を感じなかった。




「……それは、どういう意味でしょうか」


「さて、どういう意味だと思う?」


「はぐらかさないで下さい! 私は真剣に伺っているのですよ!?」


「真剣に、ねぇ。そこに覚悟はあるのかい?」


「あ、ありますよ! ありますとも!」


「自分が何者なのかもわからないのに?」




いつになく熱くなっていたあかりが、静止した。




「覚悟があると言ったね。なら俺がこれから言うことにも耐えられるね?」


「え……?」




あかりにとっては、予想外の反応だろう。

私も、たった今正気に戻った類も、霧雨がこれから口にするであろう言葉を先読みしていた。


けれどもーー止めるわけにはいかなかった。




「正気に言うよ、あかりちゃん。君は正真正銘『裏』の人間だ。そしてそこにいるネコくんとは実の姉弟なんだ」




後半は予想外だった。




「……すみません、霧雨さん。あまりふざけないで貰えますか」


「ふざけてないよ。これは事実だ。君とネコくんは間違いなく血の繋がった姉弟だ。じゃなきゃネコくんを裏切り者呼ばわりしたり、“本当は私がジンになるはずだった”なんて言わないでしょ?」




あかりがこちらを見やるが、こちらはまともに彼女を見ることができぬ。




「隠し子ってことも考えたけどねぇ。ネコくんは直属のジンみたいだし、隠し子が女の子だったら誰も相手にしないだろうし。それだったら本人すら意識しない段階のはずだからねぇ。恨みで弟を殺すなんて考えられないよ」


「……弟……?」


「“男兄弟が生まれなかったら、自分がジンになるはずだった。なのに生まれてきた。この裏切り者”……こんな感じだろうね。信じられないというのなら、DNA鑑定でもしてみたら? それでなくても君たち、ただでさえ輪郭がそっくりなんだから」




その時、私は初めて気付いた。

あかりの顔のパーツが、私にそっくりであるということに。




「……じゃあ、私は、こちらの人間ではなかった……?」


「そうなるねぇ」


「……私は……ジンに……父に、捨てられた子だったのですね……」


「普通父親って、娘を大事にする生き物なのにねぇ。酷い話だよ」




ーー女のジンなど、必要ない。


覚えてもいない父上の声が、今にも聞こえてきそうであった。




「この問題に君がどう向き合うかは君次第だよ、あかりちゃん」




そう告げると、迷うことなくテレビの電源をぷつりと点ける。

テレビの音量は低く設定されており、かのイヤホーンたるものが繋げられているため、殆ど音が聞こえない。




「……ねぇ類ちゃん」


「あ?」




背後の類に目を向けることなく、霧雨はこんなことを言い出した。




「蜂の魔獣って、存在するの?」

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