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蜀犬日に吠ゆ

見識の狭い人が賢人の言動を疑い、非難すること。

仕事中。停車中の車内にて、とんでもないメールが来た。



僕の家は時間的経済的余裕などない。15年前に親を亡くしてから、高校生の妹と2人で暮らしていくことだけで精一杯だ。


だというのにである。

そんな妹から、とんでもないメールがきた。




「『ネコさん、拾いました』、だと……!? 」




思わず自分のスマホを砕きたくなった。


よりにもよって猫を拾ったというのか、この小娘は。猫は毛が抜けるし掃除が面倒だしあちこち飛び回るから家が荒れるのは目に見えている。これがもし犬ならば百歩譲って外飼いにして許してやったところだが、猫。よりにもよって、猫だとは。




「へぇ、よかったじゃないですか古賀先輩。猫ってほっとけば自分で食事もトイレも済ませるっていいますし、楽そうな動物ですよね」




そんな能天気なことを言い出した短髪眼鏡のこの女ーー遠藤えんどう燐火りんかに対し、思わず睥睨した。


何故こんな、色気も可愛げもない女にそんなことを言われなければならないのか。


遠藤燐火。20そこそこの僕の後輩なのだが、こいつは女らしさのかけらもないくせに、行方不明の婚約者を探すために警察になったとか浮ついたことを抜かしている。絶対騙されていると思うのだが。




「猫を甘く見過ぎだ遠藤。いいか、猫というのはーー」


「あーはいはい。先輩、潔癖性にも程がありますって。猫は命ある生き物なんですから」


「ならお前は、ゴキ●リも同じ命ある生き物だから殺すなとでも言うのか!」


「……と、とにかく! 妹さんの意見も尊重してあげてください! 大事な家族なんでしょ」




そう言われるとぐうの音も出ない。家族。たしかにあかりは家族だ。たった一人の、大事な妹だ。

彼女がいたから、僕は今日まで頑張れた。あの日一度死んだ僕を、見事に生き返らせてくれた。だから彼女には感謝しなければならない。



それはわかっている。わかっているのだけれど。




「よりにもよってなんで猫なんだ……犬ならともかく……」


「先輩、猫に何か恨みでもあるんですか? めっちゃ引くんですけど」


「うるさい! だいたいお前はーー」


「おい古賀! 遠藤! 騒ぐな、気付かれる!」




仕事中であることも忘れて騒いでいた僕らを止めた第三者は、僕の同僚でもある佐々木(ささき)長矛(おさむ)。僕よりも2、3歳年上である程度なのだけれど、中肉中背で貫禄があり、実年齢よりも老けて見える。


しかし彼は僕以上にしっかりした人間だ。その証拠に、僕らの無意味な喧嘩を止め、今現在張り込み中の身であることを思い出させてくれたのだから。



そう、僕らは凶悪犯の張り込みをしていたのだった。多くの偽名や整形により今の今まで行方が知れていなかった連続強盗殺人犯。ようやくそれらしき人物の住所を割り出し、こうして目立たぬようボロアパートの前を張り込んでいたというのに。


僕としたことが……とんでもない失態である。




「緊張感が抜けすぎだ、古賀。それに遠藤も」


「……すいませんでした」


「全く……最近の若いモンは」




いやあんた僕とそんなに歳変わんねーだろ。それとも僕とあんたの間が若者とおっさんのボーダーなんか。


などと感想を浮かべていると、アパートの方から硝子が割れるような音が聞こえた。

車内に緊張が走る。間違いなく、2階の犯人の部屋からだ。



一斉に車を下り、階段を駆け上る。奴はまだ部屋に戻っていないはずなのに、何故あんな音が?


奴の部屋に到着し、インターホンを鳴らす。もしかすると、誰かが監禁されているのかもしれない。あの殺人犯は、どれだけの罪を重ねれば気が済むんだ。


しかし、その人物は、僕が鳴らしたたった一回のチャイムでひょっこり出てきた。

思わず殴りたくなる衝動を抑える。






「うぃっす。あれ、灯夜とうやじゃん? 何してんの」




「何してんのじゃねぇ……てめぇが何してんだ……!」




またこいつかと思った。いつもこいつは僕の行く先々にいて、色々引っ掻き回しては去っていく。そんな自由人な天パイケメンのクソ野郎。


てかこいつさらっと住居不法侵入やらかしてんじゃねぇか。自由にも程があるぞ。




「……あの、先輩。この人誰ですか」


「……僕の高校時代のクラスメート」


霧雨きりさめくんです! よろぴくぴく~☆」




頭の横に斜めのピースサインを決め込み、ウインクしててへぺろポーズをする霧雨というこの男。



はっきり言おう。気持ちが悪い。




「サメだかシャチだか知らんが、とにかく住居不法侵入で逮捕だ」




佐々木が手錠を取り出してそう言った時、霧雨は両腕をさっと後ろに回して拒否した。




「もーう! 酷いなぁ。俺さっきまで拉致監禁されてた被害者なんだけどー」


「嘘つけ。いいから腕出せ」


「本当だってば。そのためにわざわざ花瓶割ってロープ切ったのにぃ」


「……花瓶を割った?」




さっきまで霧雨を疑ってかかっていた佐々木が眉をひそめる。そうか、さっきの音は花瓶だったか。




「なぁ霧雨。お前どうして監禁されてたんだ? 心当たりとかあるか?」


「んー、あるにはあるけどさぁ。俺は俺で犯人追ってたら捕まった的な? 大事な人質だからしばらく生かすみたいな? 警察に金品請求してやるとかなんとか」


「要するに自業自得じゃねぇかボケ」


「てへぺろ☆」




気持ちが悪い。




「でもさー。拉致られたおかげで犯人の性格とか生活とか色々わかったよー? だからおじさん、俺のことどうせ連れてくんならさぁ、容疑者じゃなくて重要参考人として連れてってくんないかなぁ?」


「その必要はない。ここが奴のアジトであることは既に調べがついている」


「あ、言い忘れてたけどここの住人ならもう戻ってこないよ? 張り込んでも意味ないんじゃないかな」




さらっととんでもないことを言い出した。いつものことだが。


佐々木は案の定血相変えて、霧雨の胸ぐらを掴み上げた。当の霧雨は全く動じてもいないが。




「なんだと!? まさか逃げたって言うのかっ!?」


「逃げた……ん~まぁ、逃げたねぇ」


「くそっ、また振り出しか!! 古賀、遠藤! この男を重要参考人として連行しろ!!」




言われなくてもそうする。知り合いだろうが関係ない。というかそんなに仲良くもないし。




「あのさぁおじさん。多分おじさんじゃあ犯人捕まえらんないと思うよ~?」


「あ"ぁ!?」




一刻も早く逃亡犯を捕らえたい気持ちを逆撫でするかのように、霧雨が謎の緩い説得をしてきやがった。

かと思えば、するりと僕たちの間をうまくくぐり抜け、猿の如く屋根の上へ軽やかに飛び移り、逆さまになった頭だけをひょっこり出す。自由な奴め。




「あっ! お前っ!!」


「犯人はこっからすぐ近くにある北渡ほくと川にいるよ~。気になるなら行ってみるといい。死にたくないなら別だけど」


「……はぁ? 何言って」


「俺としては、犯人をこのまま追いかけるよりは北渡ほくと川近辺を封鎖するべきだと思うけどね。んじゃ☆」




モグラ叩きのモグラみたいに、あっさりと姿を消した。

あの男はいつだってああだ。「霧」と名がつく割にはフェードインフェードアウトしない。いつも突然現れては突然消える。神出鬼没という言葉がお似合いだ。


それに加えてあの胡散臭さ。どうにも気に食わない。




「……と、とにかく北渡ほくと川に行ってみましょう! 何かわかるかも知れませんし」


「いや待て遠藤。これはあの霧雨とかいう男の罠かもしれん。ここは慎重に……」


「だからって凶悪犯をこのままみすみす逃すわけにもいかないでしょう?」




佐々木の言いたいこともわかるが、遠藤の言うことも尤もだ。

色々と癪だが、ここは大人しく北渡ほくと川へ向かった方が良いのかもしれない。



少なくとも、この時はそう思っていた。













北渡ほくと川へと車を走らせていると、妙に人が少ないことに気付いた。


川へ近づけば近づくほどに人気がなくなっていく。それどころか対向車すら見えない。


いくら平日だからってもう夕暮れ時だ。世間は帰宅ラッシュに入っているはずなのに、学生の姿すらないとは。




「なんだか不気味ですね……」




助手席に座っていた遠藤も同じことを思っていたらしく、不安げに声を漏らす。




「あの霧雨って男、一体何をしでかしたんだ」




煙草も吸えない車内で、佐々木の貧乏揺すりが始まる。かなり迷惑だが、佐々木は案外身勝手な人間だから一度火を付けるとどうしようもなくなる。


捜査のために今は我慢するしかないのだが、その分僕のストレスが溜まるから困ったものだ。




「あ! 先輩止まって!!」




遠藤が突然上げた声に驚いて急ブレーキをかける。北渡ほくと川近辺の住宅街のど真ん中で、タイヤが金切り声のような悲鳴を上げた。




「遠藤! なんだ急に!?」


「これ以上は危険です! 早く引き返して!」


「今更何をーー」


「もう我慢ならん!!」




とうとう佐々木の短い堪忍袋の緒が切れ、自分から車を降りた。




「ここから先は俺一人で行く! 腰抜け共はそこで待っていろ!」


「佐々木先輩!? 駄目です、戻ってくださいっ!!」




遠藤の悲痛な叫びも虚しく、乱暴な音を立ててドアを閉めた佐々木は、一人川へと走って向かった。




「ちょっと待て佐々木! 僕は別にーー」


「先輩! 駄目です、車を走らせては!」


「なんでだよ!! 」


「戻りましょう! こればっかりはどうしようもありません!」




なんなんだ、こいつは。


遠藤は時折何かを察したように、こうして頑固になることがある。それが原因で捜査が滞ることもある。一度こうなってしまった遠藤はあまり相手にしたくはないのだが。




「ぅぎゃあああああああああ!!」




突然、聞いたことのない野太い悲鳴が耳をつんざく。目を見張り、前方に注意を向けると、佐々木が血眼になって戻ってきた。




「た、助けてくれぇえっ!! 頼むからぁっ!!」




佐々木のあの顔は初めて見た。まるで何かに追われているようなーー




「ああもう言わんこっちゃない! 先輩、逃げますよ!」


「何言ってんだ! まだ佐々木が」


「諦めてください! ()()()()()です!」




その瞬間ーー




ばくり、と。

空から降ってきたかのように、5メートルはありそうな大蛇の頭が佐々木を丸呑みにした。


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