周章狼狽
予想していなかったことが起こって、酷く慌てるさま。
ホームルームが終わった後、先生に暴露ないようにこっそり携帯を見たら、メールが一件入っていた。
家政部の部長からだった。今日作るはずだったケーキの材料を持ってくるのをうっかり忘れたらしい。全くもう、おドジさんなんだから。
部活開始は一時間くらい後になるということだったので、一度アッカリンと一緒に帰ることにしようと決め込んだのだけれど。
「一緒に帰ろう\アッカリーン/」
「だからその呼び方……じゃなくて、ネコさんお見かけしませんでしたか?」
「ネコくん?」
クラスメートがわらわらしているのは見えるけれど、その中にあるはずのネコくんの姿が見当たらない。
ネコくん。アッカリンがつけたあだ名みたいなもので、今の名前は古賀猫助。アッカリンのセンスは独特だから、今更ツッコミを入れるまでもないけれど、問題はそっちじゃなくって。
「そういえばいないね、ネコくん。先帰っちゃったんじゃない?」
「最近物騒だから、一緒に帰ろうと思っていたのですけれど……」
アッカリンの言う「物騒」というのは、決して人間の起こす犯罪事件に限った話ではない。
最近は本当におかしなことが起きている。北渡川周辺でオオサンショウウオみたいな模様の人食い蛇が目撃されたり、本州では町内会じゅう獣に食い散らかされたような死体がたくさん転がっていたという話もある。海外では吸血コウモリが大量発生していて、死者も多いとか。
政府はこれらの事件を、地球温暖化や大気汚染により生まれた突然変異種によるバイオハザードだと各メディアで発表していた。
「まぁ、確かに心配だね……携帯とか持ってないの?」
「それが、さっきから電話もメールもしているのに返事がなくって……」
「んー、やっぱり行き違いで帰っちゃったんじゃない? 私たちも帰ろ?」
「そう、ですね。帰りましょうか」
アッカリンは、庶民とは思えないくらいの優雅さと上品さがある。そのおかげか男子のみならず女子からも人気があって、月に5通ずつくらいラブレターを貰うことがあるとか。
ああ……私も男子だけでいいから、いつかラブレター欲しいなぁ。
ポップキャンディ(いちごミルク味)を咥えながら見ていても、アッカリンの美しさは色褪せることを知らない。眩しい。眩し過ぎる。
こんなアッカリンを妹に持った灯夜さんが羨ましい。勉強はできるし、おまけに美人で。才色兼備なんて漫画やドラマだけだと思っていたのに、中学になってからその概念ががらりと変わった。
こんな子と友達ってだけでもこんなに嬉しいのに、一つ屋根の下で暮らしてるなら尚更そのステータスは自慢になる。嗚吁、将来は海外へ駆け落ちしてアッカリンと結婚したい。
百合ウェルカム。
頭の中ではアッカリンとあーんなことやこーんなことをして楽しんでいたけれど、現実ではただオトモダチとしてお喋りして階段を下っているだけだ。いつかこんな妄想が現実に変わることを祈っている。
……そういえば前にアッカリンと灯夜さんがお世話になったっていう叔父さんの頭が薬缶みたいになってたけど、灯夜さんもアッカリンもいつかハゲたりするのかな?
灯夜さんはともかく、アッカリンがハゲたら大変だ。何せ女の子だし、将来嫁に行ってハゲで旦那さんと揉めるかもしれない。どうして嫁に来る前に頭を見せなかったんだとか、謎の試験みたいなこと言われそう。
「……あ」
不意に、アッカリンが立ち止まる。生徒玄関に通づる階段の、中段あたりだ。
どうかしたのかと、アッカリンと同じ方向に目を向けると、噂のネコくんがどこかで見た男の人と一緒にいた。
ネコくんがこっちに気付く。
それを見たアッカリンは、何やら不機嫌そうだ。
目だけで会話しているような感じだ。それはまるでテレパシー。え、あなたたち高台家の血筋なの?
アッカリンは少し溜息のようなものを少し吐くと、また一歩踏み出そうとしていた。
その瞬間に、キリキリと頭が痛む。
反射的に、アッカリンの腕を掴んだ時だった。
生徒玄関のガラスドアが一斉に割れ、熱風が入り込んできた。
ガラスの破片が、ドアの近くにいた人の腕や足、頭、目、首に刺さり、彼らを痛みと混乱で苦しめる。大半が、ショックで気を失っているようだった。
『やはりここにいたか。ジン』
頭の中で直接響く声。女の人の声だ。若い印象はあるけれど、神秘的過ぎて年齢が読めない。
ネコくんは後ろに振り返って、すっかり固まっている。割れたガラスドアの向こうから現れたのは、真っ黒なオーラを纏った狼だった。
正直頭がついていけないけれど、あれがヤバいものだということは初見でも理解できる。
「へぇ、君喋れたんだ? しかも結構いい声。声優になったら?」
ネコくんのすぐ隣にいた男の人が、まるで口説くようにさらりと言った。
あれ……誰だっけ? 私、この人知ってるんだけど。
『戯れ言を。小僧、死にたくなければ其所を退け』
「んーとね、やだ」
何か勝機があるらしく、余裕を見せる男の人。完全に嘗めてかかっている。
ここは彼に任せて逃げた方がいい。そう判断した私は、アッカリンの腕を強く引っ張った。
けれどアッカリンは、石のように動かない。
「アッカリン……?」
「…………」
「に、逃げようよ! ヤバいって、これ」
「…………」
どうして動かないんだろう。パニックでどうすることもできず、ひたすらアッカリンの腕を引きちぎる勢いで引っ張った。
もしかすると、アッカリンはアッカリンでパニックになっていたのかもしれない。人は本当に怖くなると動けなくなるって何かの本で読んだことがある。
「アッカリン!! ねぇアッカリンってば!!」
「どうかなさいましたか?」
階段の上から降りかかってきた声。まさしく天の声に縋る気持ちで見上げると、麗しきロング黒髪の眼鏡委員長こと泉水乃楽様が降臨していた。
「ああっ、委員長! アッカリンヤバい助けて!!」
「……よくわかりかねますが、承知しました」
前から堅い人だったけど、ここまで堅かったっけ? とか考えていると、乃楽様の髪が突如青色に変わり、制服も白のブラウスの上に水色のノースリーブジャケット、胸元にはアクアマリンに似た色の楕円形の宝石が接着、下は蒼のミニスカートと革製のロングブーツといった、ファンタジーな風合いの格好へと変身した。
「任務遂行準備。一般の方は速やかに下がってください」
「下がれって、動けないんだけど」
「優先順位第一位、ジンの守護。第二位、アサシンの排除。第三位、一般人の救出。以上を以って任務を遂行します。スタート」
「え? 何?」
謎の魔法少女と化した乃楽委員長は、階段をワンステップで降りただけに留まらず、手のひらに杖のようなものを召喚して、それを狼ーーじゃない、いつの間にか赤毛の美人さんになってるーーへと振り下ろした。
魔法少女なんだから魔法使えよ! と思った直後に元狼さんは間一髪で杖を回避し、もといたところのコンクリートの床の表面がガチガチと音を立てて凍りついた。一応これも魔法だったらしい。
「ほぉ、キリアか。しかしこの状況ではまともに魔法も使えまい」
「それはお互い様でしょう。ジンを狙う野蛮人が」
「何とでも言え。貴様らはジンの妻になることしか考えておらぬのだろう? その可能性を否定された瞬間に裏切る癖に」
「黙れ」
よくわかんないけど、さっきと違う意味でヤバい。え、何? 乃楽ちゃんは男のご機嫌取りのためにこんなことしてるの? なんか痛くない? これ何の昼ドラ?
混乱してると、誰かに腕を捕まれた。
「何をしていらっしゃるのですか茉莉菜さん! 逃げますよ!!」
「えぇ……?」
さっきまで全く動かなかったアッカリンだった。自分のことは棚に上げて、何故か私怒られてる。
……なんか色々納得いかないけど、アッカリンの意識が戻ってきたならまぁいいかと、そう思うしかなかった。




