盲蛇に怖じず
無知な者は、何も恐れずに向こう見ずなことも平気で行動できるということ。
私のせいで人が死ぬ。
もしその事実を受け入れるのであれば、私はいつまでもあかりたちの家に厄介になるわけにはいかぬ。私の事情を彼等に押し付けるなど、絶対にあってはならぬ事象だ。
帰りはあかりに声をかけられる前にうまく逃げ果せた。優しい彼女のことだ、事情を話したところで一緒に帰ろうなどと抜かすのだろう。
それではいけない。それでは、いたずらにあかりの命を脅かすだけである。
なるべく単独で行動するべきだと思い、校門裏から抜け出そうとした瞬間、閉鎖された門を挟んだ先に一人の人物が立っていた。
「やぁ☆ 待ってたよ」
霧雨である。
「……何故ここに」
「ポケ●ンやってた♪」
そいつは鼻歌を歌いながら、耳からポケットの中にまで通づるコードを指でくるくる絡めて遊んでいた。
「もしかしたらここから可愛い子猫が迷い込んでくるんじゃないかなーって思ってさ。そしたら思惑通り一匹のにゃんこが」
確かこういうのを不審者というのだったか。
「そんな顔しないでよ~。別に獲って食いやしないからさぁ」
「……私は一人で帰る。邪魔するならフリードに咬ませる」
「あかりちゃんと喧嘩した……わけでもなさそうだね。むしろ別の問題が発生したような感じかな? それであかりちゃんを巻き込みたくなくて、わざわざ裏門から出ようと考えたってとこ?」
こいつは千里眼でも心得ているのだろうか。
「でもどうだろうねぇその選択は。俺は別にあかりちゃんなら問題ない気がするよ」
「何故?」
猫とも鷹とも例え難い、けれども確かに何かを見据えているような目で、霧雨は言う。
「あの子は“蛇”だから」
「……意味がわからん。あかりはヒトであろう」
「ものの例えさ。あの子は蛇だ。それもただの蛇じゃない。猫も人も食らう化け物だ。むしろ君はあかりちゃんを注意した方が良いんじゃないかな? 現に一回殺されかけたわけだし」
「あれは違う!」
鉄柵のようなその門を掴むようにガシャンと叩き、向こう側に立つ霧雨に訴える。
「あの時のあかりは、あかりであってあかりではなかった。もしかしたら別の誰かが何らかの方法であかりを操っていたのかーー」
「希望的観測で周りを見失うのは愚者のやることさ。もし君の言う通りだったとして、あかりちゃんである意味は? 女のあかりちゃんじゃなくて男の俺の方が明らかに力があるし、より確実に殺せる。それに君自身を操るということだってできたはずさ。なのに犯人は何故そうしなかったんだい?」
「あかりはあの時のことを覚えてはおらぬのだぞ!? それに、霧雨だって突き飛ばされていたではないか!!」
「解離性同一性障害って知ってる? 一人の人間に全く別の人格が生まれる病気なんだけど。この場合、別人格が動いてる間は主人格の意識はないし記憶もないケースも決して少なくない。
それと俺が突き飛ばされたのは、あかりちゃんを含めた人間という生物が常日頃から力をセーブしているから。本当に全力を出せば場合によっては普通の人も普段の10倍以上の力が出せるといわれてるくらいだしね」
そんな馬鹿な。
じゃあ、私を殺そうとしたのは、あかり……!?
「あ、あり得ぬ! ならば兄者は何故それを私に知らせない!?」
「単純に知らないからじゃない? 君の首を絞めるまで、俺もあかりちゃんの人格に気づかなかったわけだし」
「……しかし、多重人格というのは、先天性のものではなく後天性のものと聞く。何かあるなら兄者も知っているはずでは」
「あいつはあかりちゃんのことなんか知らないさ」
「何故だ? 血を分けた兄妹だろう?」
霧雨はほんの少し足を縮め、うさぎのように跳ねて門の上に着地する。
ただでさえ私より幾分か身長のあるその男のその目は、まるで全てを見下しているかのようで温度がなく、氷よりも冷たく感じられた。
「あの二人は、血を分けてなんかいない。赤の他人さ」
「は……? 何を言って」
「君はあの二人がよく似ていると思っているみたいだけどそれは違う。一緒にいるうちに自然と似てしまっただけだ。根本は全く別モノだよ」
ひょいと、階段を一段下りるかのように、軽々しく地面へと降り立つ。
「この話はここまでにしよう。時間の無駄だ。それより君は早くここを出ることを考えた方がいい」
「え?」
「あれ、気付いてなかったのかい? じゃああれは君のお友達だったのかな~?」
ぞくっと鳥肌が立ち、嫌な予感に振り返る。
フリードとは真逆の狼。人間よりひとまわり大きく、全身は真っ黒。周りの光をも吸い込んでいるのか、黒いオーラのようなものも見える。
一目でわかった。これは、関わってはならぬものだと。
「こういう時は変に逃げ出したり死んだふりをしたら逆効果。正しい対処法をとって正しく逃げましょ~」
耳に入っていたイヤホーンというものを抜き、ポケットに入っていたものを出すと、そこに繋がるコードも抜く。
耳を覆いたくなる程の大音量。それを狼に向かって投げつけると、狼は耳を寝かせながら体を縮めてその場を離れていく。
「いっくよネコきゅん☆」
「え、ちょ」
背中と膝裏を掬うように抱え上げられた私。
俗に言うお姫様抱っことかいうものである。
「や、やめろ! 離せ! キモい!」
「え、キモいって何? これが一番効率いいんだけど」
両手が塞がった状態で、ハードルの如く門を飛び越え、狼との間の距離をうまく離せた。
が、なんせこれでは見た目が悪い。はたから見たらどう思うか。
「いいからこの抱き方やめろ! なんかやだ!」
「なんかって何さ。他の抱き方だと君に負担がかかるし、何より走り辛いから却下ね。あとBとLしか頭にないお姉様方のことは気にしなくていいよ☆」
「ぃああああああ!!」
この時の私の羞恥といったら言葉では言い表せない。
ジンと呼ばれし者ではあるが……私、もうお婿にいけない。
そんな精神的拷問の末、私は学校敷地の外……ではなく、わざわざ表門から堂々と入り直して再び校内へと上がりこんだ。
どうやら外へ出たと相手に思わせ、しばらく中に潜伏する算段らしい。なかなかに賢い戦法である。
「……しかし、よく入れたな。校内は関係者以外は立入禁止では?」
「ご心配なく。ちゃんと許可とってまーす♪」
そう言って霧雨が見せたのは、自らの首からぶら下げていた来客用カードであった。いつの間に用意したのか、とことん行動の早い男である。
通りすがりの女子が数名、霧雨をちらちら見ては頬を赤く染めている。顔は悪くないから仕方ないが、これでは目立ち過ぎて相手方にも身元が暴露てしまうのではなかろうか。
それに、あかりのこともある。もし彼女がこちらの存在に気付いてしまえば、あの狼に襲われてしまうかも知れぬ。それだけがなんとも気掛かりであった。
「ねぇネコくん。今日はあかりちゃんと帰りなよ?」
「は……!?」
反論しようとしたら、ぽんと頭に手を乗せられた。
「あかりちゃんは君がいなくなったことに気付いて、心配して探してるに違いない。心配かけるのは悪いことだって、親から教わった記憶がなくても認識はしてるだろう?」
「しかし霧雨、お前は先刻あかりは蛇だと」
「それはあかりちゃんのもう一つの人格が成しているものだ。今の人格は君を想う姉としての彼女だ。そんな彼女を不安にさせて、悪いとは思わないかい?」
思わないはずがない。
霧雨に言われるまでもなく、私はあかりを慕っている。それは姉として、家族として。
階段からあかりが下りてきた。茉莉菜も一緒である。
私の存在に気付いたあかりは、階段の中段ではたと立ち止まり、それに気付いた茉莉菜もまた彼女に合わせて立ち止まった。
その瞬間に、時間が止まったかと思った。
あかりは私を見つけ、ほんの少し不満そうに顔をしかめ、一歩踏み出したーーその時だった。
『やはりここにいたか。ジン』
頭に直接反響するような声がしたかと思えば、背後にあったガラスの扉が一斉にガシャンと割れ、膨らむような熱風が私たちに襲いかかってきた。




