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違いのわかる少女

先刻目にしたのと全く同じ、流れるような理想的投球フォーム。


祈る篠崎監督は集中力を極限まで発揮、研ぎ澄まされた視線の先には無防備な子羊、ミットのみで硬球の捕球にかかる少年に一切の遠慮なしで小川湊が今まさに右腕を振るわんとしていた。


全てがスローモーションになったような気がした。

ゆっくりと流れる光景で湊が投げ出したボールの角度を見て監督は絶望する。鋭く叩きつけられたように放たれるボール、その軌道はワンバウンド待ったなし。全身の血の気がサッと引ける、その音すら聞こえた。いっそ目を背けてしまいたかったが、そのボールに視線が吸い寄せられる。嘆息するほど美しい。空気抵抗も重力も、そのような世のしがらみを我関せず、すっぱりと自由奔放に突き進む様は見るものの琴線に良く響いた。


迫る大惨事。それが予期された未来、そのはずだった。


ヒーローは奇跡を起こす。

篠崎の目は釘付けになっている。信じられない光景だった。この世の自由を体現したようなボールは予想よりはるか上方を疾走し、スーサイド気分、防具放棄捕手である内藤耕太の仮想ストライクゾーン低めいっぱいに構えられたミットに飛び込んだ。


本来なら厳重に注意しなければならない。硬球の危険性をしっかりと叩き込まなければならないのだ。篠崎は指揮官としてはイマイチだったが、優れた指導者であった。しかし、ヒーローの魅力、その眩しさは教育者の眼を眩ませた。


あろうことか小川ー内藤のバッテリーはグラウンドの中心に陣取っていた。

完全フル装備、誰が見てもキャッチャーの出で立ちの耕太と、硬球は危ないよと篠崎から小言を頂戴した湊がマウンド上で打ち合わせ。


「監督は振らないって言っているけど、組み立てを意識して投げるからね」


「ストライクが入れば良いんじゃないの? ボールは来ているから思いきって腕振り抜きなよ」


「甘いよ!耕太。エースたるものねじ伏せるだけじゃなく、冷静に試合を作らなければならないのだよ」


フフン、とエース論を語り上機嫌な湊は親指を立てて歯を見せた。

口元に寄せたミットの中で小さくため息をついた耕太だが、気を取り直し同じように親指を立てて、踵を返した。

ホームベースの後ろに腰を下ろすと、左腕に抱えたマスクを装着。視線をあっちへこっちへ動かし右打席の篠崎を観察する。湊は剛球投手のくせして、いやにリードにうるさい。独自の配球論に酔っているのだ。なお悪いことに、語る相手がイエスマンの耕太しかいなかった。口を酸っぱくして言われた打者の観察を怠らないあたりからも伺えるであろう堂々たるイエスマンっぷり。そんな環境なのだから、まったく特異な進化をしてしまった。



湊塾の唯一の生徒である耕太は塾長の欲しいままにサインを出す。塾長は満足気に大きく頷くと、ワインドアップへ。

湊が天へと両腕を伸ばしきる、その一瞬で耕太は内角よりに構え、左腕を突き出す。そのまま、ミットを下げることなく剛球を押さえる。塾長はキャッチングにもこだわりがあった。的となるキャッチャーミットをずらすな。

球威に負けないよう、フレーミングしやすいよう、ミットで反動をつけて捕球するのは、誤りではない。プロのキャッチャーでも多数派であろう。しかし、湊は気が散るからやめろと一蹴。お手本として元横浜ー中日の谷繁捕手の映像を山のように持ちより耕太に叩き込んだ。そうしてようやっと球威に負けない捕球を完成させた。審判がいたとしたらその腕を上げるだろう。仮想ワンストライク。


続く投球は外へ制球重視、やや置きに行く球速の落ちるストレート。ナイスコース。打ちにきているわけではないから、この配球に意味はあるのかという寂寥感をひとまず押し殺して、仮想カウント0ー2からサインを送る、よし来たと湊も承諾。

仮想決め球は外への全力全開ストレート。まだ肌寒い春のグラウンドに不釣り合いの熱気を帯びたボールだった。


「ワンダウン! ナンバーツーしまってー行くぞっ!」


湊はいきなり後ろを振り向いて叫んだ。外野手は一塁線からフェアゾーンに向けてのフライノック、内野手は三塁線でサードからレフト方向へのゴロノックをしていたので誰も応じることはなかったが。


耕太が返球しようと引いて、行き先を失っていた右腕をハッとしたように上げて、かなり遅れてナンバーツー、と返事をした。



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