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小川さんちの湊ちゃん

彼女はヒーローだった。


ヒーローは自分で道を切り開く。だから、小学校4年になったとたん、待ってましたとばかりにリトルリーグの門を叩くのは、実に自然なことである。

ヒーローは仲間を引き連れて切り開く。だから、門を叩き、こじ開けるさいに、強引に幼なじみである自分の右手首を締め上げるように握っているのも、自然の摂理。

自分の右手が千切れるのが早いか、ヒーローが緩めるのが早いか。内藤耕太は祈るように眼前の光景を見つめていた。


ヒーローは基本的に人の話をあまり聞かない。思い立ったら一直線。さらに自分のためには多少の道理をなぎ倒して進む。関係各所との調整に勤しむお役所仕事なヒーローや万全のアフターケアで長期フォローアップするヒーローはあまり見ない。


小川湊は一方的に投手志望である旨をまくし立てて、もっと言うとエースは自分であると主張して引かない。チームスポーツのなんたるかをまったく理解していない狂犬に大人は優しくグラウンドの隅っこを指差し、投球練習させるように背中をそっと押した。少子化の波、時代の波に押され子供の確保が難しい世の中を生き抜くため、追い返すでもなく、鉄拳制裁でもなく、希望を少し叶えてやって、それから人間形成を行うことにしたのだろう。耕太は大人の対応の、そのそつのなさに深々と感謝した。


そろそろ右手に血流をやらないと、とんでもないことになりそうだったからである。

いとおしそうに、耕太が右手を擦り、暖かみを取り戻している間に湊は特に選別するでもなくグラウンドに置かれたカゴから硬球を一掴みし、自分のリュックからグローブとミットを用意していた。



そして狂犬が狂犬でいる理由を湊は大人たちに叩き込む。



「アップ十、そこからは座ってね」


湊はミットを耕太に押し付けると、手早く指示し距離を取る。

ここでいうアップはお互いに立ち投げでのキャッチボール。初球は山なりに緩く、段々強度を上げていく。何度も行った、二人だけの儀式。

6球目。かなりの球が放たれていたが、まだこのときは注目を奪うには至らない。皆遠くにいたため、けたたましい風切り音も、異常に落ちないボールにも気付いていなかったからだ。


「耕太! ちょっと力入れるよ」


7球目を投げる前、肩が出来たのか湊が叫んでブンブン両腕を振る。耕太も腕をあげて応答。ついでに、好奇心旺盛なチームメイトがこの時点で視線をやっていた。

耕太が了解したのを確認すると、湊はゆっくり振りかぶる。両腕が天高く伸ばされると、力強く右足を踏み変えた。左足を胸元まで引き上げ、両腕を顔の前まで下ろす。そこから骨盤を捻り込み、左足を伸ばし腕を広げる。一瞬、世界が止まった。と、そこから骨盤を逆回転。左足を力強く踏み出してそのまま体重移動。しかし、ボールの握られた右腕は最後まで抵抗、背中に引き上げられたままだった。体が変にグニャリと歪んだ瞬間、遅れたぶんを取り戻すかのように弾かれた右腕は猛然と前方へ。最終的に加速度付きで右腕が振られ、雄々しく右足を蹴った。


ボールの行方は? 軌道を追いかける前に、小柄な少年の胸元から獰猛な音が鳴り響いた。


その威嚇するような捕球音は、グラウンド中の注目を寄せた。一部始終を見ていた者はあんぐりと口を開け、今しがた気付いた者は混乱したように黒目を揺らす。


視線の嵐の中、耕太は小学校4年生に相応しい速くも遅くもないボールを投げる。


「ナイスボール! 走っているよ」


耕太のコメントにフフンと鼻を鳴らすと、湊はまったく同じフォームを再現して見せた。3球もである。


グラウンド上の大人ーー監督の篠崎は驚愕していた。小学校4年生が硬球の重さに負けず、キッチリ固めたフォームで投球している。ありえない。なぜ、どうしてが頭の中を埋めつくし、注意が散漫になった。


だから、耕太がよいしょとしゃがんだことにも反応が遅れた。


マスク、レガース、プロテクター、カップ、メット。それら防具を一切つけずに耕太は左膝をつき、姿勢をさらに低くした。裸一貫。身を守るのは己のミットのみ。危険も危険。良い子は決して真似してはいけない所業である。


篠崎監督があっ、と気付いた時には、小川湊は投球動作に入っていた。止めなければならないが、止められない。下手に声かけて暴投した場合どうなる。すっぽ抜けるならいい。ここで怖いのが叩きつけた場合だ。初日に怪我なんぞされた日には、たまらない。だから、そつのないはずの大人は祈った。祈りながら眼前の光景を見つめていた。それしかできなかった。


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