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サクラの咲く7日間  作者: 高木翔矢×打押
8/13

3周目


   ◇◆◇


「っぶ!」


 鈍い痛みが、顔面に走った。

 両手で顔を抑えて、思わずその場にうずくまってしまう。


「大丈夫かよ、マサキ。思いっきり顔面にぶつかったぞ」


 指の隙間から、配そうにのぞき込む直人の顔とサッカーボールが覗けた。僕の鼻に激突したのは、多分これだろう。


「急にボーっとして、どうしたんだよ……って、お前凄い顔してるぞ」

「……え? あ、うん」


 直人に言われて気が付いたけど、僕は確かに凄い事になっていた。額に大粒の汗、溢れんばかりに流れる涙。

 だけど顔面だけじゃない。激しい動悸に、震える手足。僕の全身という全身が異常を訴えていた。


「世界の終わりでも見て来たみたいな顔してるぜ」


 直人の言葉に、僕はなんとか笑顔を作って答える。


「何それ、最近読んだラノベの台詞?」


 あ、ばれた? なんて直人は笑ってるけど、僕は内心笑えない。

 確かにそんな光景を見た気がしてくる。


 バカ騒ぎの体育館、ひたすらに憎悪を覚える男の姿、鬱々とした雨、そして……見知らぬ、だけど見覚えのある女子生徒の死体。


 白昼夢ってやつだろうか。だけど、そんな初めてのレア体験がひたすらにほの暗いイメージなのはゾッとしない話だと思う。

 次々に頭に浮かんでくる、苦い光景。

 それは不気味なぐらいリアルな映像だった。

 それを取っ払おうと、ブンブンと頭を振っていると、口の中にヌメッとした感覚があった。


「て、いうかお前、鼻血出てるぞ」


 自分で気がつくのと、指摘されるタイミング。それはほぼ同時だった。


「無理せず保健室行って来いよ、先生には俺から伝えといてやるよ」


 僕は慌てて応急処置を施しながら、直人の言葉に素直に従って保健室に向かう事にした。

 鼻を押さえながら校舎に向かう途中で、僕は何気なく考えてみる。

 夢に出てきた女の子。僕は確かに会った事がある気がする。だけど、それは一体どこでの事だろう?





 美人の保険医なんて紙との上にしかいないような存在が、僕の学校には勤務している。

 だけど、その美人目当てで保健室に通うなんて輩は中々いない。なぜなら。


「痛い! 痛いですって」

「我慢してね。診てるから」

「いや、だからもっと優しく」

「いいからいいから、我慢我慢」


 綺麗な顔に似合わず、その先生は割と大雑把なのだ。怪我してる部位に触っているとはとても思えない無遠慮さで、僕の鼻を診察していく。


「骨に異常はないみたいね。念のために湿布でも張っとく?」


 清潔さをイメージさせる白衣を着た先生は、細かな顔の皴さえ糧にした年相応の美人顔で聞いてくる。

 本日二度目の涙目になりつつ、僕は先生の魔手から逃れられた事にホッと息をつきながら答えた。


「いえ、見栄えが悪くなるからそれはやめときます。ほっといても大丈夫なんですよね?」

「多分ね」


 不安の残る答えを告げた後で、もう二言先生がつけ加える。


「でもさすがに運動するのは危ないから、授業が終わるまではここで休んでいきなさい。ちゃんと汚れ落とすならベッド使ってもいいから」

「あっ、ありがとうございます」


 授業に戻るのは嫌だったので、喜んでお言葉に甘える。


「じゃあ私はちょっと職員室に行かなきゃならないから出るわね」


 そう言うと、先生は立ち上がってカーテンで隠れたベッドの方を見た。


「加古さん」


 その名前を呼ばれた時、不安が募るみたいに、だけどどこか安心するみたいな感覚が僕の中に渦巻く。


「分かってます。急を要するなら呼びに行って、それ以外ならソファで休ませておけばいいんですよね」

「さすが、すっかりこの部屋の主ね」

「主は先生です」

「じゃあ第二の主で」


 カーテンの向こうからの返事、その声の主と先生とのやり取りを聞いて、今更ながら僕以外にも人がいた事に気がつく。

 保健室の先生が出ていく事によって、姿の見えないその人と僕は二人っきりになってしまう。

 何か話した方がいいのかな、なんて考えをまとめるより先に思いついて、思い出す。


「加古、桜さん?」


 それはそのまま僕の口から発せられてしまう。


「……誰?」


 警戒心と不機嫌さを含んだ声音で、問い掛けてくる彼女。

 だけど僕は、彼女の問い掛けに答える事は出来なかった。

 加古桜、その響きになぜか安心と焦燥感を抱いた僕は、殆ど無意識で加古さんのいるベッドに向かっていき、そのまま――

 シャッ、と鋭い音を立ててカーテンを開いた。


「……突然、なに?」


 唐突に晒された彼女は、声に不機嫌さをより一層漂わせて、僕を見た。

 ああ、こんな事ってあるんだろうか。

 彼女は、白昼夢で見た死体と同じ顔をしていた。


「あの、私に見惚れるのはいいけど。まずは名前を名乗ってくれない?」


 彼女の呆れたような視線を受けて、僕は鈍くさく自分の名前を言う。


「えっと、加古さんと同じクラスの一年三組で、マサキって言うんだけど、知ってるわけ……ないよね?」


 すでに一度聞いたような気がして、殆ど確信を持ったまま、一応確認する。


「知らないけど」


 予想通りの返答、だけど続けられた言葉は予想が外れてほしかった。


「普通こういう時はフルネームで答えるものじゃない? 少なくとも名字か」

「あっ、いや、それは……」

「それとも、私に名前で呼んでほしいの?」


 この頃になると、加古さんには戸惑いよりもからかいの感情が見え隠れし始めた。

 そんな彼女の顔に、既視感と戸惑いを覚えて、僕は目線を斜め上に逸らしてしまう。


「佐倉将来。少佐中佐の佐に倉庫の倉、将来って書いてマサキ」

「さくら……」


 僕の名字を加古さんが反芻する。

 自分と同じ名前の名字を彼女はどう思ってるんだろう。だから言いたくなかったのに、とわずかな後悔と沈黙が場を支配する。

 だけどすぐに加古さんは呆れたような笑顔を作った。


「過去の桜に未来の桜、か。まるで漫画みたいね。最初に名乗らなかったのは運命でも感じちゃったから?」

「いや、ちがっ……わない、のかな?」


 からかうような彼女の言葉を、僕は否定する事が出来ない。曖昧に頷いてしまう。


「でも、いきなりカーテンを開けるのは失礼じゃない?せめて一声掛けてからでしょ。それとも君はトイレの個室に入る時、ノックをしないタイプ?」


 続けられる彼女の言葉は、正論過ぎてぐうの音も出ない。


「えっと、うん、ごめん」

「もしも私が、着替え中とかであられもない姿だったらどうするの?」

「それはとっても嬉しいかな」

「ちょわ」

「っぶ!」


 いきなり投げつけられたティッシュを、無様に額で受ける僕。


「とてもゾッとしたわ。でもその鈍い反射神経を見る限り、どうにかなりそうだけど」

「距離が近すぎるからだよ、せめてもう少し離れてたら避けられたね」


 負け惜しみみたいな事を言いながら、僕は額を擦る。

 さっきよりも柔らかくなった彼女の表情を見て、僕はずっと頭に浮かび続けているイメージを振り払おうと試みる。

 こんなに生き生きとしている彼女の死を想像するなんて、僕は一体どうしてしまったのか。

 なんて事を考えていれば、いきなり第三者の声……いや、僕の声が聞こえて来た。


『痛い、痛いですって』

『我慢してね。診てるから』


 さらには、いまはいない保健室の先生の声も。


『いや、だからもっと優しく』

『いいからいいから、我慢我慢』

『痛い痛い痛い痛い痛い!』

「って、それ! さっきの僕じゃん! 何録ってんの?」


 いつの間にか加古さんの手元に用意されたスマートフォンから、診察中の僕のなさけない声が流れてくる。

 加古さんは、ふふん、と意地悪くも可愛く笑うと自分の趣味――盗撮や盗聴――について面白おかしく説明してくれた。


 そんな彼女との会話を楽しみながら、僕の脳裏に響き渡る言葉があった。


 ――彼女と関わっちゃいけない。


 そんな風に僕のほの暗い感覚が訴えてくる。

 だけど、どうしてそう思うのか、分からない。

 ただひたすらに、早く彼女から離れろと、彼女と会うなという強迫観念が僕を支配する。

 でも、彼女ともっと話をしていたい。そんな想いも確かに存在していて。


『痛い、痛いですって』

『我慢してね。診てるから』

『いや、だからもっと優しく』

『いいからいいから、我慢我慢』

『痛い痛い痛い痛い痛い!』


 なんて事を考えていたら、先ほどの僕の無様が再び晒される。


「ちょっと! なにリピートしてんのっ!」

「だって、いきなりマサキくんがシリアスな顔で黙り込むんだもの。なんとかして場を和ませようかと」

「どうして当人の醜態をさらす事で、場を治められると思ったのさ!」


 怒鳴った後で、僕は呆れたようにため息をつく。


「まったく、加古さんって中々いい性格してるよね」

「あら、褒めてくれてありがとう」

「どうしたしまして、加古さんはあれかな? 皮肉って言葉を知らないのかな? 辞書で引いて教えてあげようか?」

「結構です。これで調べられるので。いまの時代、スマフォがあれば何でもできるわよね。言葉の意味を調べる事から、人の弱みを握るまで」


 加古さんはにこやかな表情でスマフォを持ち上げ言う。そのスマフォから『痛い、痛いですって』とう僕の声が聞こえてきたところで、僕は「ごめんなさい!」とひたすらに平謝り。

 なんだ、どうして僕は初対面のはずの女の子に対して、ここまでイニシアチブを握られているんだ。前世で何かやらかしたのか不安になる。


「そ、そういえば今週末ってもう学祭だね」


 彼女の意識をスマフォから逸らすために、僕は適当な話題を展開してみる。

 だが直後に、僕は自分の失策に気付いた。


「そうみたいね。私は出ないけど」


 殆ど興味のなさそうなその態度に、僕はなんと続けていいか分からず、言葉を止めてしまった。


 加古桜。不登校の生徒。

 いや、こうやって登校はしているわけだから、正確に言えば、保健室登校を続ける生徒か。

 加古さんは一度も話す機会がないまま、教室に来る事がなくなった。


 その理由を僕は知らない。

 だから不用意に学校やクラスに関わる話題なんて振るべきではなかった。

 いや、たとえ知っていたとしても、彼女の傷に触れてしまうような事を、大して関わりもない僕が気軽に話していいはずがない。


「学校祭か。私達のクラスの出し物って都市伝説とか名物料理とか、とにかく地元の研究だっけ?」

「そうだけど……なんで知ってるの?」

「先生から聞いたの。あ、担任の不動先生の方にね」

「そうなんだ……」


 なんでもないように話す加古さんに、どう答えるのが正しいのか悩んで、曖昧に頷く。

 そんな僕の様子を見て、加古さんは苦笑いを浮かべた。


「マサキ君、顔に出過ぎ。それじゃ私の方が気まずくなるじゃない」

「あっ、ごめん……」


 謝って、けど何を話していいか分からずに黙り込む僕に、加古さんは仕方ないなぁと笑う。


「私は別に、つらい事があってクラスに行かなくなったとかじゃないから、そんなに気を遣う事ないわよ」

「じゃあ、なんで来ないの?」

「いじめられるから」


 つい突っ込んだ質問をしてしまった僕に、加古さんはノータイムで答えた。

 この会話に、なんとなく覚えがあった。彼女の言葉の捉え方を、知っている僕がいる。


「いじめられるって、なんでそんな事分かるの?」

「あれ、意外。こういう言い方をしたら普通は、どんな事をされたの? とかって訊くものじゃない? まあ話が早くて助かるけど」

「もしかして、中学校時代に何かあって、それが尾を引いているとか?」

「そういうわけじゃないんだけどね……」


 加古さんの話はいまいち要領を得なくて、分かりづらかった。

 クラスの女子間で何かやらかしてしまったんだろうか。

 そんな事を考えた瞬間、見た事もない光景が頭の中に浮かんできた。


 ――クラスの女子三人組に囲まれる加古さん。

 ――加古さんが怒鳴り声を上げて、それに怒った三人組の一人が彼女の胸ぐらを掴む。

 ――その女子は脅すように一言二言呟いた後、加古さんを突き飛ばして去っていく。


 まるで本当に見た事があるみたいに、明確にそんな光景が思い出された。


「まあ簡単に言えば、可憐な私は女子から嫉妬の的ってわけですよ。男子が私の取り合いしちゃうから、優しい私はみんなが争わないように、こうして私の次に美人な保健室の先生に匿ってもらってるってわけ」


 ケタケタと笑いながら加古さんは語る。

 僕はいきなり浮かんできたいじめられる加古さんの姿に、何も言えなくなってしまう。

 白昼夢の事もあって――いや、あれは本当に白昼夢だったのか――加古さんと負のイメージが合致しすぎて、不安と焦燥を感じずにはいられない。


「んん? その熱い視線は、マサキ君も私に惚れちゃった?」


 図らずとも見つめる形になり、勘違いした加古さんが顔を覗き込んでくる。

 僕は上体をのけ反らせて、身体を離しながら目を逸らした。


「ごめん。人の弱みを握ってくる女子って、タイプじゃないんだ」

「握られるより握る方がいいと。マサキ君は紳士じゃないね」

「それどっちにしても上に変態の二文字が付くよね!」

「あ、よく気付いたね」


 そんな事を話してる内にチャイムが鳴る。

 着替えもあるし、そろそろ教室に戻らないと授業に遅刻するかもしれなかった。


「それじゃ、そろそろ僕教室に戻るね」

「うん。バイバイ」


 加古さんはあっさりと手を振ってくる。

 もう関わらない方がい。誰に言われたわけでもないけど、僕はなんとなくそう感じだ。

 手を振り返して、そのまま加古さんと別れようとした。


 だけど。

 保健室を出ようとドアに手を掛けたところで、少し悩んだが振り返る。


「また、話しに来ていいかな?」


 加古さんは驚いたのか軽く目を見開いて、すぐに楽しそうな笑みを浮かべた。


「やっぱり私に惚れちゃったんじゃない?」


 そうかもね、なんてカッコつけて言葉を返した。

 その時僕の胸中に渦巻いていたのは、なんだったんだろう? 有情だったのかもしれない。使命感だったのかもしれない。もしかしたら罪悪感みたいなものだったのかもしれない。とにかく、複雑な感情だった。




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