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所謂、ハウリングというものだった。
耳をつんざくような凶暴な響き。それは僕だけじゃなく、会場にいる生徒、先生全員に不快感を与えたようだった。
その時僕は、足元がおぼつかなくなるような錯覚に陥った。立ち眩みなのか、全く同じ状況・風景の場所に瞬間移動させられたような、そんな感覚だった。
また予知が起こったのかと思ったけど、未来の光景は見えてない。
『おっとー、ごめんね、俺とした事が動揺のあまり、マイク裁きをミスっちまったぜ。えっとー、佐倉君? ありがとうございましたー。歴代の告白企画参加者でも、ダントツの勇気を示してくれましたね。いやホントマジで』
司会の声に、現実に引き戻される。
――女子のパンツが大好きです!
体育館のステージ。告白企画なんてもので、そんな恥辱にまみれた告白をした僕。
僕は加古さんを守るために、ひたすらに汚名を被った。断じて僕の胸の内をさらけ出したわけじゃない。いや、嫌いってわけじゃないけど、それでも好きってわけでもないと言うか。
ああもしかしたらこれも加古さんに録音されてるんじゃないだろうか。そしたら死にたくなるな。
「あー佐倉、後で職員室来るように」
僕が頭の中でモヤモヤと後悔と悲壮を駆け巡らせていると、ステージ下にいたらしい不動先生の言葉が、マイクもないのにハッキリ響いてきた。
うなだれて、返事する。
僕の学園生活は、たったいま、音を立てて終わりを告げた。
新たにマイクを持った司会が、イベント進行のために恐る恐るステージ上に戻ってくる。
もういたたまれなくなって下りようとした時、司会が続けたあり得ない言葉に足を止める。
『それでは改めて、かこさくらちゃんに告白していただきましょう』
慌てて振り向くと、怯えた様子の加古さんの姿が目に入って、僕は堪らず視界の男子に詰め寄る。
「どうしてですか? 僕は加古さんの代わりに告白したはずでしょう?」
『いや、ぶっちゃけみんな君の告白で引いちゃったでしょ。ここらで女の子の甘い告白がないと、お口直しできないのよ。この子以外の参加者って男の子だけなもんで』
「でも、だからって……」
「佐倉」
横から名前を呼ばれて振り向く。
不動先生はなぜか厳しい目つきで僕を咎めるように見上げていた。
「お前が代わりに告白する事は認められてたわけじゃないだろ。いま告白しなきゃならんのは『加古桜』なんだ」
「はっ? 何言って……」
「ふどう、せんせい……?」
あまりに予想外な、自分達を追いつめるような不動先生の言葉に頭が真っ白になる。
「参加希望を出したからには、責任は果たすべきだ」
「だから参加希望なんて……」
それ以上、続ける事ができなかった。
先生の態度が、言葉が、目が、明らかに僕と加古さんを非難していた。
助けると約束したのは不動先生のはずなのに、いまの先生は本気で加古さんを晒し者にしようとしている。
わけが分からなかった。
この状況も、先生の心中も、人を貶める悪意も、何もかも分からない。
呆然と、僕は加古さんを見る。
加古さんは崩れ落ちて泣いていた。
両手で顔を覆って、嗚咽を漏らしている。
それを見た瞬間、あの光景が脳裏にフラッシュバックした。
この数日、頭から離れなかった光景。
現実になくて、現実になってしまうかもしれない未来。
鬱々とした雨の中、血を流しながら倒れる女子生徒――加古さんの死体。
これはきっと、この先の結末なんだ。信頼していた不動先生に裏切られて、大多数の生徒からの嘲笑の視線に晒された挙句、心というやつがボロボロになってしまった彼女の末路。
そう考えた途端、いままで感じた事もないような怒りが胸の奥から湧き上がってきた。
なんで、どうして、加古さんがこんな目に遭わなきゃいけないのか。
ただ未来が見えるってだけで、たったそれだけで、加古さんみたいな普通の女の子がこんな仕打ちを受けなきゃいけない?
生まれて初めて自分の中に芽生えた、怒りというものを、僕は上手くコントロールできない。
加古さんをこんなになるまで追い詰めた観客が、先生が、僕自身が、憎い。
「……ふざけるな」
気付けば、言葉が口をついて出ていた。
「……ふざけるなよ、お前らっ!」
持ってたマイクに、ありったけの怒りをぶつける。
『ふざけるなふざけるなふざけるな! そんなに加古さんをいじめて楽しいか! 嬉しいか! 満足か! お前らがそんなに無遠慮だから、無神経だから、追い詰めるから……』
感情が形にならず、言葉が途切れる。
ここで僕は、冷静になるべきだった。何より優先するべきは加古さんの事だったのに、僕はあろう事か、自分の感情を爆発させる事を選んでしまった。
彼女を庇う振りをして、背中を押してしまった。
絶対言ってはいけなかったはずの言葉で。
『お前らのせいで加古さんはっ、この後死んじまうんだぞぉぉ!』
さっきとは意味の違う沈黙が、体育館を覆った。
誰もが段階を飛ばした告白――否、狂言に言葉を失っている。
加古さんは僕の言った事が理解できてないのか、呆然と目を瞬かせている。
『……えーと、佐倉くん? お前、マジでステージ降りた方がいいよ。つーか、降りろ』
底冷えするような、司会の声。異端を見るような、観客の視線。
その全てが、僕に集まっていた。
その時ようやく僕は、自分が何を言ってしまったのかを悟る。
やってしまったとか、間違えたとか、そんな事を考える前に、僕に向けられたはずの司会の言葉に従う人影があった。
「……っ!」
すべての中心にいた加古さんが、ステージから飛び降りて走り出す。そのまま生徒の間を突っ切り、体育館を飛び出していってしまう。
「加古さんっ! 待って!」
加古さんの姿が見えなくなった頃になって、やっと僕もその後を追う。
待って、待ってほしい。
違うんだ、僕が言いたいのは、そうじゃなかった。
飛ばされるヤジ、ブーイングを受けて、足を引っかけられながら、無様を晒すのも構わず、加古さんを追いかけて僕も体育館を飛び出した。
◆
人って、こんな無自覚に酷い事ができるのか。
同じクラスだけど話した事のない、ステージの上で立ち尽くす女子生徒の姿を見て、そんな風に思った。
明らかに嫌がらせであそこに立たされてる事は、みんな分かってるはずなのに。
あの子が何も告白する事なんかないのは、一見して分かり切ってるはずなのに。
なんで煽るように、責め立てるように、野次を飛ばせるのか。
悪意も敵意もなく、人を傷付けられるのか。
女の子が逃げ出していく。
それを見て、観客達が口々に彼女の悪口を言っているのが聞こえてきた。
僕は十六年の人生で初めて、人が怖いと思った。
◆◆
体育館を飛び出していった加古さんを、情けない事だけど、僕は早々に見失った。
だけどどこに行けばいいのかは、なんとなく分かる。
何度も未来予知で見てきたはずなのだ。彼女が死んでるその状況を。
鬱々とした雨の中、人通りの少ない校舎裏で倒れる彼女を。
周りには、彼女の命を消せるような凶器はなかった。だから多分、加古さんは屋上から飛び降り自殺を選択してるはずだ。
いつもなら、学校の屋上なんてものは解放されてなくて、だから立ち入りなんて出来ないはずだけど。
それでも僕は知っている。
この学校で、彼女は、彼女だけは屋上に立ち入る権利を持っている事を。
「加古さん!」
叫びながら、僕は屋上のドアを開ける。
やはりというか、想像通りそこには加古さんがいて、古びたフェンスに手を掛けている所だった。
外はいつの間にか雨が降っていた。予知で見た映像にますます状況が近付いてるようで、心臓がうるさいくらいに跳ねる。
「……マサキくん」
加古さんは、虚ろな目で僕を見た。
「……何やってるのさ、加古さん。そんな危ないところにいないで、また一緒に学校祭でも見て回ろうよ。そうだ、もう一回ヤンデレ喫茶でも行かない? またリコたんと加古さんの険悪な会話とか見てみたいな……」
「何やってるの、って?」
僕の言葉は、半分も加古さんの耳に届いてないみたいだった。いや、届いていた、という方が正しいのか。少なくとも、ステージ上での僕の迂闊な発言は、しっかりと彼女の心に響いていた。
「マサキ君が、言ったんじゃない。私は死ぬんだって」
雨脚が、いっそう強くなった気がした。
僕はフラフラと、間抜けな足取りで彼女に近づく。
「私、バカみたいだよね」
彼女が儚く笑う。
「あれだけ信頼してた不動先生にも裏切られちゃって」
フェンスにゆっくりともたれかかる。
「マサキ君にも気を使ってもらってたのに、それ全部台なしにしちゃって……」
滑らかな動作で、僕から顔を背ける。
「そういえば、なんで体育館の出来事も、私が死ぬって事も、マサキ君には分かってたの?」
彼女がそう言った時には、僕は加古さんのすぐそばまで迫っていた。
手を掴んで、何を言いたいか、何を言うべきか逡巡する。
謝りたい。
僕にも未来予知の超能力があるんだ。
体育館での事なんて気にしないで。
僕の言った事なんて嘘だよ。
――加古さん……死なないよね?
頭の中を色々な言葉が駆け巡って、それでもなんとか言葉を絞り出そうとしたところで。
不穏な音が、鳴り響いた。
それは、悲しいくらいにタイミングの悪い音。年季の入ったフェンスが、彼女が体を預けていたフェンスが、ゆっくりと、だけど確かに鮮やかな動きで――壊れた。
そのまま彼女の体と、手を掴んでいた僕ごと、人通りの少ない校舎裏へ向かって落下していく。
つまりは、僕と彼女は――いや、彼女は狙い通りなのかもしれないけど――図らずとも飛び降りの形を取ってしまった。
それは、終わってみればあっけなかった。
数秒間の浮遊感とも言える感覚の後、確かな衝撃が僕と彼女の身体を駆け抜ける。
頭から生暖かいものが流れていくのが分かった。
身体が言う事を聞こうとしなかった。
もうすぐ死ぬんだって事が、ありありと実感できた。
痛みと恐怖で瞑っていた目をなんとか開ける。
するとすぐそこには、当たり前だけど加古さんが倒れていた。
喜びも悲しみも読み取れない、虚ろな表情。
即死、という言葉が思考の乱れた脳裏に浮かぶ。
「ぁぁ……ぁぁ……」
悲しいくらいにみじめな嗚咽が、僕の口から洩れ出してくる。
――死ん、でる……? 加古さん……が?
自分の状態を棚に上げて叫びそうにり、その間際にある事に気付く。
予知で見た映像と、いま見ている現実に、若干のズレが生じていた。
予知の僕は確かに、死んでいる加古さんを立って見下ろしていたはずだ。
その祖語に気付いた瞬間、僕は自分の超能力が未来予知なんかじゃなかった事を思い出した。
◆
あの観客共と一緒の空気を吸いたくなくて、理由をつけて体育館を出た。
目的もなかったから、とりあえずあの逃げた子を捜そうとしたら、外の方から雨音を割って大きな音が聞こえてきた。
まさかと思いながらも、音の発生源に向かったら、そこであの女の子が死んでいた。
漫画やドラマの中ではありふれている、だからこそ現実味には欠ける光景。
女子生徒の表情からはもう、一切の感情というものが抜け落ちていた。
彼女の名前も分からなくて、胸が締めつけられるように痛む。
――こんな事になるって分かってたら、助けてあげられたのかな?
そう考えた途端、彼女の身体が浮かび上がって屋上に消えていった。
「えっ……?」
あまりに非常識な事態に頭がついていかない。
そんな中、雨が上がり、あり得ない速度で太陽が東方向に昇って行き、人が何人もビデオテープの巻き戻しみたいに後ろ向きに通り過ぎていく。
僕が何も理解できない内に、太陽と月がいつもと真逆の方向から昇って何度も落ちていく。
そして気付けば僕は、学校の校庭に立っていた。
◆◆
浦島太郎の都市伝説。
乙姫の時の超能力が浦島に継承された理由は、諸説が二つあった。
殺したせいで呪われたか。
看取った事で引き継がれたか。
前者だと思っていた。
人を殺したせいで呪われて、その呪いで自業自得の目に遭うなんて、物語の定番だから。
でも、違ったんだ。
時の超能力は、その人の死を看取る事で継承される。
加古さんがおばあちゃんの死を看取って未来予知の超能力を受け取ったように。
思い出す。
――クラスの女子三人組に囲まれる加古さん。
――ステージで一人立ち尽くす加古さん。
――雨の中、血まみれで死んでいる加古さん。
あまりにリアルで、現実に見たとしか思えないような鮮明な映像。
当たり前だ。見たとしか思えない、ではなく、実際に見ていたんだから。
そう、僕の超能力は未来予知なんかじゃない。
僕の超能力は、時間回帰だ。
そして僕は、その事を忘れていた。
ただそれでも、衝撃的だった記憶だけは残っていて、それを思い出す度に未来予知なんて勘違いをしてただけ。
「ははは……」
なんて馬鹿なんだろう。
結局僕は、加古さんが自殺すると分かっていて、それを止められなかった。
それどころか今回は僕のせいで、加古さんは屋上から身を投げた。
僕は加古さんを、より酷い絶望に叩き落として殺しただけだった。
「……ごめん…………ごめん……」
こんな事なら、タイムリープなんてできなければ良かった。
そうすれば、加古さんはただ自殺するだけで済んだのに。
僕が、僕が勝手な事をしたから、加古さんは――
「ごめん……何もしなければ……良かったのに……僕が余計な事、したから…………だから……」
景色が巻き戻る。
期せずして時間回帰の超能力が発動したのだと、遅れて僕は理解した。
また、この一週間を繰り返す事になる。
加古さんと出会ってしまった、この一週間を。
なら、なら今度は、今度こそは――
何もせず、加古さんの自殺を見届けよう。