佐倉と桜Ⅱ
都市伝説というのは普通、その街でしか知られていない事件や場所が起源になる事が多い。
僕の班が学校祭で発表するために調べている都市伝説は、誰でも知っている童話がモチーフになっている、珍しいタイプだ。
だけどその都市伝説の元が童話だと知っている人は少ない。
なぜなら僕らの街に伝わる都市伝説は、超能力を持った人間が時折出現するというものだからだ。
超能力と言っても、念動力や瞬間移動といった一貫性のない漫画みたいなものじゃない。
ある人は過去に戻る事ができ、ある人は未来を見通す事ができ、ある人は時間を止める事ができた。
様々な超能力に共通していたのは、それが全て時にまつわるものだったという事だ。
およそ童話とは掛け離れた話に聞こえるが、元となっているのは誰もが知ってる昔話、『浦島太郎』だった。
いじめられている亀を助けると、そのカメに竜宮城へ案内され、乙姫をはじめとした人魚達に歓待されるが、地上に戻れば何十年も時間が経過しており、乙姫から貰った玉手箱を開いた結果老人になってしまうという、いわゆる悲劇のお話。
亀を助けるという善行をしているにも関わらず、最後は恩を仇で返される形になるのがこの話の面白いところであり深いところだが、僕の街だけに秘かに伝わっている『浦島太郎』は内容が少し異なる。
いじめられたカメを助けて竜宮城に行くところまでは同じだが、地上に帰ろうとする浦島を乙姫が引き止め、帰そうとしないのだ。
地上に戻ろうとする浦島をあの手この手で必死に妨害し、乙姫はとうとう、代々竜宮城の主に受け継がれる超能力まで使って浦島を引き留める。
乙姫だけが持つ能力――それが時を操る力だった。
浦島の地上への未練を絶つため、乙姫は竜宮城と地上の時間の流れをずらした。
竜宮城での一日が、地上での何十年に匹敵するように時を操作したのだ。
しかしいくら乙姫が必死に引き留めようが策を弄そうが、浦島は地上に帰る事を諦めようとはせず、地上では数十年が経っていると言う乙姫の言葉も信じようとはしない。
そして業を煮やした浦島は、とうとう乙姫を殺してしまう。
その後なんとか地上に帰った浦島だが、乙姫の言っていた通りそこは数十年後の世界であり、自分を知る人間は一人もいなかった。
その事実に絶望したと同時に、乙姫を殺した時、彼に引き継がれていた時の超能力が暴発し、浦島は一瞬にして歳を取って老人となってしまう。
それがこの街だけに伝わる『浦島太郎』の物語だ。
そしてその浦島の故郷は僕の住むこの街であり、浦島の子孫はなんらかの時にまつわる超能力を持っている。これが本題である都市伝説の本当の内容である。
「とりあえずはこんな感じかな」
「おっ、できたかマサキ」
概略を模造紙に写し終え、一息ついたところでクラスメイトの直人が声を掛けてくる。
「字はそんなに綺麗じゃないけど、下書きは終わったよ」
「上等上等。どうせ最後は女子に清書してもらうんだからな」
僕が書いた模造紙を眺めて、直人は満足そうに何度も頷く。
僕はなんとなしに、ふと思いついた疑問を直人にぶつけてみる。
「直人はこの都市伝説って信じてる?」
「あっ? そんなわけないだろ。今時ラノベでももう少し捻った設定考えるぜ」
「都市伝説とラノベを比べる辺り、直人も相当あれだよね」
「なんだよ。マサキは信じてるってのか?」
「信じるかどうかは別にして、昔は本当にいたって話だよ。未来が見える人とか、過去に戻れる人とか、浦島とは逆に若返る人とか」
「マジでか? そんなリアルラノベキャラが……」
「直人、同じ班なのにそんな事も知らないとか舐めてるの?」
ちゃんと資料に目を通しとけば知らないわけないのに。
自分が軽く喧嘩を売った事実にも気付かず、直人は時の超能力を妄想するのに忙しそうだった。
ため息をついて、僕は床に手をつきながら窓の外を見上げた。
太陽と空と雲と屋上の給水塔の他に、意外なものがそこからは見えた。
「こんなところで何してるの?」
学祭の作業も一段落ついて、暇な時間ができた僕は屋上に来ていた。
普段なら屋上は鍵が掛かって出入り禁止のはずなんだけど、どういうわけか今日は開いていた。
そして僕の前には先客が一人。
「そっちこそ。ここは立ち入り禁止だよ」
給水塔のある高台のヘリに座って僕を見下ろしながら、加古さんはからかうように笑う。
「それこそこっちの台詞なんだけど」
「いやいやむしろそれがこっちの台詞だよ」
加古さんはおどけて足をプラプラさせる。
その行動は僕の立ち位置からの角度だと、色々とまずかった。
中は見えてない。色も布地も分からない。だけど細くて綺麗な足が三分の二までは半ば条件反射で見入ってしまう。
「加古さん。見えてないけど見えちゃいそうだから、それやめて」
冤罪を回避するため予防線を張りつつ、注意を促す。
しかし加古さんは、目を逸らす僕の様子を見て恥ずかしがるどころか、足の振り幅を大きくした。
「あれれ~? マサキ君は何が見えそうなのかな? 私授業も受けてないお馬鹿さんだから、ちゃんと言ってくれないと分かんないな~」
「……加古さんが止めなくても、僕に実害はないんだよ? むしろ……」
「ん? んん? むしろ、何? マサキ君は私が足を振り続ける事で、むしろどんないい事があるのかな?」
言葉尻を捉えて、加古さんが見た事もない生き生きとした様子で訊ねてくる。
失言を拾われた僕は、もはやささやかな抵抗も無駄と悟って全面降伏する。
「すいませんでした。もう勘弁してください」
「マサキ君が何が見えそうだったのか言ってくれれば、止めてあげてもいいわよ」
にっこりと。実に気持ちのいい笑顔で加古さんはそう提案してくる。
観念し、僕はその条件を受け入れた。
「…………ツです……」
「きこえなーい」
お約束とばかりに、間延びした声でリテイクを要求してくる加古さん。
このあま。
「パンツです!」
「はいいただきました!」
僕の叫びに間髪入れず映画監督みたいなリアクションを返し、加古さんは床についていた手を持ち上げる。
そこにはこの前も見たスマフォが握られていた。
『パンツです!』
「ああぁぁああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!」
スマフォから流れ出てきた自分の声に崩れ落ちる。
同じ手に引っ掛かるとか、僕はなんて馬鹿なんだ。
「終わった……僕の高校生活……」
「ふふっ、大丈夫よ。私友達いないから」
リアクションに困る返しをされ、とりあえず羞恥の叫びが公開される可能性がない事に胸を撫で下ろす。
「一応僕は加古さんの友達のつもりなんだけど……?」
恥ずかしかったので、小声で目を合わせずにフォローする。
横目で見た加古さんは、意外だったのか軽く目を見開いた後、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「マサキ君にはもう聞かせたから除外したんだけど、何? そんなに自分の魂のシャウトが欲しい? 送ってあげようか?」
「結構です!」
一昨日まではまだ遠慮があったのに、昨日も放課後に話して割と打ち解けたせいか、加古さんは少しも猫をかぶろうとしないで、あけすけになっていた。
可愛い女子と仲良くなって心を開いてもらって、それは僕からしたら嬉しい事のはずなんだけど、素直に喜べないのはなんでなんだろう?
「で、結局なにしてるの? こんなところで」
「今日は保健室に来る人が多いから、邪魔にならないようにこっちで時間潰してただけよ」
「人が来るって、なんでそんな事分かるの?」
僕の当たり前な疑問に、加古さんは左手に巻かれた、特徴的な黄色の腕時計を胸の前に持ってきて堂々と宣言する。
「私には未来が見えるのです」
「へー」
「欠片も信じてない目ね。もう少し興味示してくれてもいいと思うんだけど」
「すごーい。さすがは加古さん。加古(過去)なのに未来が見えるとか次元超越してるよー」
「むかつく……」
「それはそうと、そっちのぼっていい? 首が痛いんだよね」
「マサキ君って根性据わってるわよね。意外に。ホント意外に」
望んだ返答はなかったけど、否定もなかったからハシゴをのぼる。
加古さんも嫌がる事なく隣を空けてくれた。
「マサキ君は何しに来たの? ここって普段は鍵閉まってるんだけど」
やっと元の話題に戻る。
ここまで長かったと感じるのは、きっと勘違いじゃないはずだ。
「学祭の準備してたら加古さんが屋上にいるのが見えたから、どうしたのかと思って様子見に来たんだよ」
「ふむ。準備をサボってストーキングなんて、マサキ君はよっぽど私が大好きなのね」
「なっ、ちがっ……!」
当然の事のように目を見て言われ、咄嗟に否定しようとするも、それも失礼な気がして言葉に詰まる。
そんな僕の反応を見て、加古さんが含み笑いを零した。
その横顔がなんだかとても魅力的に見えて、知らず知らず胸が高鳴る。
「学祭か。マサキ君の班は何調べてるの?」
一瞬見惚れていたため、そんなありきたりな質問に不意を突かれ、慌てて答える。
「えっと、都市伝説だよ。ほら、超能力者が出るっていう、この街で有名なやつ」
「都市伝説……」
ピンときてないのか、加古さんが眉根を寄せて小さく復唱する。
僕は見惚れていた事を誤魔化すために、都市伝説の内容の説明を早口で始める。
童話『浦島太郎』が元になっている事。乙姫の時の超能力。浦島の殺人。
その全てを加古さんは普段殆ど見せない、真剣な顔で聞いていた。
「で、僕の班は乙姫の時の超能力が浦島に移ったのは、浦島が乙姫を殺した呪いのせいなのか、それとも時の超能力は術者が死んだら近くの人に継承されるものだったのか、議論が分かれる諸説を自分達なりに考えてるんだ。ちなみに班の意見は呪いの方ね」
理由は呪いとかそういうのが大好物なラノベオタクが班にいたから。反対意見は熱意と勢いに叩き潰された。
「ねぇマサキ君」
そんな事を思い出していると、珍しく真摯な瞳と目が合う。
「私がその時の超能力者だって言ったら、信じる?」
「はっ……?」
あまりに唐突な質問に間抜けな声が出る。
「そんなの……」
あるわけない。
けれど加古さんの真剣な表情が僕に続く言葉を呑み込ませた。
本気なのか手の込んだ冗談なのか測りかねて、僕は迂闊な事を言えなくなる。
「私は浦島の子孫で、都市伝説通り私の家系は代々時の超能力を継承してるの。嘘みたいな話だけど、ホントの話だよ。――って言っても、私が使える能力は一つだけなんだけどね」
そして加古さんは、さっきと同じ言葉を改めて繰り返す。
「私には、未来が見える」
今度は茶化したりなんてできなかった。
僕が黙ったままでいると、加古さんは校庭を指差した。
「多分もう少ししたら、学祭の準備が終わった男子が十人くらい来て、キックベースを始めるわ」
そう言って今度は正門を指差す。
「夕方の五時半頃には、迷い込んだ黒猫が入ってくるはず」
どう反応していいか分からない僕と目を合わせ、加古さんは寂しそうに微笑む。
「信じてくれなくていい。キックベースが始まったって、廊下を歩いてる時にたまたま男子が話してるのを聞いただけかもしれないし、黒猫も私が飼ってる猫かもしれないもんね」
自分の予知を否定するような事を言う加古さんに、僕は信じるの一言も口にできない。
加古さんは視線を足元に移して、再び足をプラプラさせながら小さな声で呟いた。
「だけど、私がクラスに行かない理由はこれで分かったよね?」
「あっ……」
そこでようやく僕は気付いた。
もし、もし本当に未来予知ができるのならば。
彼女は見たのだ。自分がいじめられる未来を。
経験するまでもなく、知ってしまったのだ。
「うっ……!」
そこでまた一昨日見た光景がフラッシュバックする。
――クラスメイトの女子三人に囲まれ、いびられる加古さん。
――そして、雨の中血まみれで死んでいる加古さん。
あまりにリアルで、現実に見たとしか思えないような鮮明な映像。
(……まさか……まさか僕も……?)
「どうしたの? マサキ君」
いきなり加古さんが顔を覗き込んでくる。
「顔真っ青だよ。ごめんね。こんなわけ分かんない話したから……」
「いや、そんな事ないよ。それより……」
意を決して、僕は加古さんに訊ねた。
「それよりその時の超能力者って、加古さん以外にもいたりするの?」
僕の質問に加古さんは驚いて、だけどすぐにはにかんだ笑顔を見せる。
「信じてくれるのね」
好意的な勘違いに胸がざわつくが、否定はせずに続きを聞く。
「私以外にはいないはずよ。前の超能力者だった私のおばあちゃんは亡くなったし、その超能力を引き継いだのが私だから」
「そう、なんだ……」
「暗くならなくていいわよ。おばあちゃんは病死とかじゃなくて、寿命だったんだから」
またも僕のリアクションを誤解して、加古さんは優しく笑む。
それを見るのは、どんな事情にせよ心苦しかった。
「加古、いるか?」
不意に屋上の扉が開き、誰かが入って(出て?)来る。
「あ、先生」
「おう、そこにいたか」
眼下からこちらを見上げるのは、僕と加古さんの担任である不動先生だった。
「ん? なんで佐倉まで一緒にいるんだ?」
「いや、まぁ、ちょっと……」
なんでと訊かれても答えに困るので、曖昧にお茶を濁そうとする。
不動先生はそんな僕から早々に見切りをつけて、視線を加古さんに向ける。
「マサキ君は私の友達ですから」
にっこりとそう言い切る加古さん。
僕はその隣で、加古さんが友達と言ってくれた事に若干の感動を覚えていた。
「そうなのか。なんだか意外な組み合わせだな」
「それってもしかして、私に友達がいない事を遠回しに揶揄してません?」
「被害妄想は程々にな。加古」
加古さんのからかいを慣れた様子でかわす先生。
加古さん対処検定三級は取得してそうな対応だった。
なんにせよ、先生の出現で重たかった雰囲気はどこかに流れていく。
「それで先生、今日はもう時間ですか?」
左腕に巻いた黄色の腕時計を見ながら加古さんが訊ねる。
「あぁ。俺もこれから忙しくなるからな。いまを逃すと鍵を貰いに来る時間がなくなるかもしれんのだ」
「りょーかいです」
敬礼して、加古さんは素直にハシゴを下りる。
僕もそれに続いて、気になった事を先生に訊いてみる。
「先生が加古さんに屋上の鍵を渡してたんですか?」
「まあな。保健室ばかりに引きこもるのも迷惑になるから、たまにこうして屋上を開けてやってるんだ」
校庭を見下ろしながら大きく伸びをする加古さんには聞こえないように気をつけ、こっそりと先生と話す。
「……屋上開けるよりクラスに馴染ませる方が先じゃないですか?」
「俺が言う事じゃないかもしれんが、無理して引き入れるのはそれこそ危険な気がしてな」
「確かに……」
不登校の生徒をクラスに馴染ませようとして、逆に問題が起きるなんていうのは、ドラマや映画の世界じゃよくある話だ。
ましてや、加古さんは未来予知でいじめられる事が殆ど確定してしまっている。
「ほら加古。もう行くぞ」
「はーい」
校庭を眺めていた加古さんが踵を返して校舎のの中へ入っていく。
僕も後を追って、先生とはそこで別れた。
保健室に戻る加古さんになんとなくついて行き、窓の外で男子がキックベースを始めてるのを見て声を掛ける。
「不動先生は加古さんが未来予知できるって知ってるの?」
「知らないわよ。高校に入ってからはマサキ君にしか言ってないから」
その言い方に少しだけドキッとする。
「なんで、僕にだけ?」
だけどその言葉に含まれた意味を考えれば、浮かれてなんていられなかった。
「なんでだと思う?」
想像は簡単についた。
未来予知なんて超能力を持った人が、どんな目で見られるか、どんな扱いを受けるか。
だからこそ僕にだけ告げた理由は、自惚れでなければ一つしか思い浮かばない。
「マサキ君を信じてるからじゃないわよ」
だけど僕の甘い予想を加古さんは先読みして否定する。
「ただ、試してるだけ」
「……何を?」
「ふふっ、ひみちゅ」
可愛らしく人差し指を口に当ててそう言うと、加古さんはノックもなしに保健室の中に入って行ってしまう。
閉められたドアに追う事もできず、僕は宙ぶらりんになった解答を持て余して立ち尽くす。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、ため息をついて学校祭の準備のために教室へ向かう。
だけどやっぱり、色んな事が頭を巡って全然役には立てなかった。
早目に帰された僕は、校門を出る時小さな黒猫とすれ違った。
それを見て、加古さんの未来予知は本物なんだって確信する。
だけどそれなら、僕の頭に浮かんだあの光景は、本当にただの白白昼夢だったんだろうか。