Episode3 セイラ7号
H28.12.11改稿しました。
小高い丘の上に建てられた、古びたお屋敷の主であり、医業を営むルルス・ウォルフは、食堂で午後のティータイムを楽しんでいた。
ルルスは藪医者として知られているため、殆ど患者が訪れることは無く、お屋敷はいつも閑散としていた。
助手のダークエルフであるアーニャの準備した紅茶とお茶請けのクッキーは、大部分が自家製であるにも拘らず、舌の肥えたルルスをして唸らせる香り高い風味と、控えめで上品な甘さが特徴だった。
一般には藪医者として認識されているルルスであるが、その正体は年齢不詳の外見上はただの人間にしか見えない長命種で、真理に至った高名な錬金術師であった。
一般の錬金術師の目的は、卑金属から黄金を得ることや、『賢者の石』を合成することであるが、ルルスの目的は究極の乙女を創造することであり、その手段としてホムンクルス創造技術の改善に、日夜研鑽していたのだった。
ルルスにとっては貴重な賢者の石も、究極の乙女を創造するための素材でしかなかったのだ。
お屋敷の内部は、診療室や病室といった一般的な病院の部分と、ルルスたちの居住区から構成されており、錬金術関係の設備は見当たらなかった。
実は、お屋敷は砦跡の上に建てられていた。
お屋敷の地下には、食糧庫跡や牢獄跡から成る広大な空間が広がっており、そこに錬金術の工房を置いていたのだった。
地下2階は、ワンフロアを使用した大部屋で、『ドールセラー』と呼んでいる。
このドールセラーには、多数の未覚醒ビンテージホムンクルスが安置されており、アーニャはお茶の準備の前に、彼女たちの状態をチェックしていたのだった。
「ルルス様、『セイラ7号』の培養液が劣化しております。このまま放置すれば、数年の内に『セイラ7号』は死亡いたします」
「そうか、では『セイラ7号』は覚醒処理に回してくれ。彼女は、再来月に開催される奴隷オークションに出品する」
「了解しました」
『セイラ7号』は、淡い金髪の乙女の姿をしたビンテージホムンクルスである。
現在の設定年齢は15歳で、長く伸びた頭髪の間から撓に膨らんだ胸の存在を見て取ることが出来る美少女であった。
オリジナルのセイラは、今から約140年前に死亡したセイラ・イライザ・ノーストンという名の修道女であり、生前は麗しい神託の巫女として知られた人物だった。
勇者に乞われて魔王討伐に旅立ったが、最終局面で落命し、没後、聖女に叙された偉人であった。
聖女セイラは貧乳であったが、ビンテージホムンクルスとして仕込む際に、巨乳因子を織り込んでいた。
身体的特徴に関しては、ルルスの趣味に合わせて幾つもの改善を施されていたが、主たる記憶情報は聖女セイラのものであった。
ただ、ルルスが入手した聖女セイラの遺体は損傷が激しく、四肢の一部が欠損していたり、腐敗していたりした。
回収できた記憶は、朧げなものに留まっていたため、ビンテージホムンクルスに対しては、基本人格で補強して刷り込む必要があった。
ティータイムが終わり、アーニャはルルスの言い付けにより、『セイラ7号』の覚醒処理に取り掛かっていた。
現在の『セイラ7号』は、培養液が充填された培養漕の中で、揺蕩っている。
アーニャは、滅菌処理して厳重に封印された培養漕の格納蓋を外し、移動クレーンのような牽架装置を培養漕の直上に移動した。
それから、柔らかな繊維で撚られたロープで、『セイラ7号』を固定して培養漕から吊り上げた。
そして、培養漕の横に降ろし、全身を濡らす培養液を清潔なガーゼで拭った後、ストレッシャーに乗せたが、皮膚呼吸から肺呼吸に切り替わったことにより、咽た以外に自発的な活動は見られなかった。
この場で簡単な検査を実施したが、内臓などには異常は無く、外見的にも機能不全は見られない健康体であった。
ただ、胸の大きさはアーニャ以上に豊かであり、眺めていると妬ましい。
アーニャは、ストレッシャーに乗せた『セイラ7号』を、タイル張りの処置室に連れて行き、頭髪を背中の半ばの長さでカットし、全身をシャワーで隈なく洗浄してから乾燥させた。
頭髪は髪留めで固定して、ポニーテールに結ってから、下着と病衣を着せていったが、当然のことながら目覚める兆候は見られなかった。
そして、ルルスの手により、保管されていた聖女セイラをベースとした記憶が刷り込まれた。
それから、お屋敷の2階にある病室のベッドに寝かせて、下準備は完了した。
おそらく、明日には覚醒するだろう。
翌朝、朝日が病室に差し込み、『セイラ7号』の瞼を刺激する。
『セイラ7号』はゆっくりと瞼を開けていくと、カーテン越しの柔らかな陽光と、見慣れぬ板張りの天井が、目に入ったのであった。
初めて見る場所であり、如何して此処にいるのか『セイラ7号』には理解出来なかった。
また、身体が重く、動くことも出来ない……。
「こ……こ……は……? ……」
可愛い小振りな口を開けて声を出したところ、発声するのも一苦労であった。
声自体も、自分が出したものとはとても思えぬ、皺枯れた老婆のようであった。
起き上がれずに悪戦苦闘していると、唐突に病室の扉が開かれ、白衣を着た男女が病室に入ってきた。
「だ……れ……?」
「おお! 覚醒したようだぞ!!」
ルルスは、『セイラ7号』の顔を覗きこんだ。
「俺はルルス・ウォルフ、お前の造物主だ」
「わ……たくし……は……しゅう……ど……う……じょ……で……す」
「記憶も良好で素晴らしい。アーニャ、後の世話を頼む」
「ルルス様、了解しました」
そう言って、男性の方は、病室から退出したのであった。
目覚めた初日、『セイラ7号』は起き上がることは出来なかったが、数時間もすると空腹感を覚えた。
アーニャから与えられたのは、極薄い重湯で薄い塩味がしたが、口に含み、ゆっくりと嚥下するといった行為を繰り返して、お腹がくちてくると、生きているという実感から、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
さきほど病室に現れた失礼な男は、よく理解出来ないことを言っていたが、自分は魔王から受けた傷で死んだものと思っていたのだが……、なんとか助かったのであろうと、前向きに考えることにした。
数日もすると、『セイラ7号』は杖を突きながら歩行するまでに回復し、会話も自然なものとなっていた。
「おはようございます、セイラさん。ご機嫌は如何ですか?」
「おはようございます、アーニャ様。大分良くなりました」
『セイラ7号』は、彼女本来の鈴を転がしたような可愛い声で、挨拶を交わすことが出来ていた。
「朝食後、ルルス先生よりお話があります」
「分かりました……」
ルルス先生とは、目覚めた日に顔を合わせた失礼な男のことだろう。
一体どんな話があると言うのだろうか? 治療費に関して、自分は清貧な修道女なので、返済は分割でお願いしないといけないわ、などと考えていると、ルルスがやって来た。
「おはよう、『セイラ7号』。今朝は調子が良さそうだな」
「わたくしはシーラ教の修道女で、セイラ・イライザ・ノーストンと申します。『セイラ7号』などでは御座いません!!」
『セイラ7号』が、やや喧嘩口調で返事をした。
「聖女セイラは、貧乳だったと記憶しておるが、貴女の胸はどうですかな?」
ルルスは、 ― ニヤニヤ ― しながら、無礼な質問をしてきた。
確かに、自分は、胸が小さいというコンプレックスのあったことを思い出し、右手を胸に当てたところ、とても柔らかく豊かな胸がそこにあり、訳が分からなくなったのであった。
「どうやら、困惑しているようだな?」
「聖女セイラは約140年前に亡くなっている」
そう言った、ルルスは、古びた本を手渡してくれた。
「こ、これは??」
「その本は、勇者の魔王討伐記で聖女セイラのことも書かれている。大分混乱しているだろうから、今日はここ迄にしておく」
そう言うと、ルルスは病室を後にした。
ルルスから手渡された古びた書物には、確かに彼女の成した冒険が克明に記述されており、魔王に斃された後、聖女の称号が贈られたところまで記述されていた。
では、わたくしは誰だというの?
『セイラ7号』とは一体何なの??
疑問が次々に湧き上がり、その日の晩はとうとう眠ることが出来なかった。
翌日の昼前、ルルスは再び病室にやって来た。
「どうだ、『セイラ7号』、現状は理解できたか?」
「貴方の仰ることは理解出来ません。わたくしは、ここに存在しています!!」
「頭の固い奴だな。お前は、聖女セイラをベースにして、俺が創造したホムンクルスだよ」
「嘘ですわ!!」
「確かホムンクルスとは、小人形態の人造物で、知能も低かったはずです!!」
「ほお、ホムンクルスのことを知っているのか?」
「勇者様と旅をしている途中で出会った錬金術師殿が、お人形サイズのホムンクルスを連れていました」
「そうか、そうか」
「百歩譲って、わたくしがホムンクルスだとすると、あと数年しか生きられないのでしょうか?」
ルルスと会話して不安になってきた『セイラ7号』は、無意識に最も気になることを尋ねていた。
「通常のホムンクルスは、『セイラ7号』の言った通りだ。だが、俺の創造したビンテージホムンクルスであるお前は、通常の人間と変わらぬ思考や身体機能を有し、寿命も一般人と遜色が無い!!」
「本当なのですか?」
「うむ」
ルルスが断言すると、『セイラ7号』は強張った身体が弛緩していくのだった。
ところが、である。
ルルスから、次なる爆弾が投下された。
「お前は、再来月に開催される奴隷オークションに出品するために、覚醒させたのだ」
「貴方は、偉大な女神でいらっしゃる、シーラ様の使徒であるところのわたくしを、奴隷に落とすというのですか!!」
「それは、造物主の権利だろう」
この日、『セイラ7号』とルルスの話し合いは、平行線を辿り、お開きとなった。
あの無礼な男は、わたくしを奴隷に落とそうとしている……、 ― イライラ ― と考えていると、いつの間にか夜明けとなり周囲が白んできた。
「おはようございます、セイラさん。今朝は寝不足なようですね」
「おはようございます、アーニャ様」
「ルルス先生が呼んでいますので、診察室にお越しください」
「……そうですか」
嫌な予感がするものの、お世話になっているアーニャの指示に逆らう訳にはいかず、渋々アーニャの後ろをついて行った。
診察室には、外来の患者はひとりも居らず、ルルスが椅子に腰掛けているだけだった。
「おはよう、『セイラ7号』。今日はお前の身体検査を実施するので、ここで全裸になれ」
「な、なんと無礼な……」
顔を真っ赤にした『セイラ7号』は、怒りの余り小刻みに震えながら、胸を両腕で隠し、その怒りを表現していた。
「あまり反抗するようなら、この場で処分する」
ルルスから脅され、『セイラ7号』は着衣に手を掛けたのであった。
と言っても、簡単に着られる病衣と下着だけなので、『セイラ7号』は直ぐに全裸となっていた。
「こちらに来い!」
「変なことをすれば、舌を噛みます」
「別に変なことはしないよ。この姿見の前で、お前の身体を説明してやろうと言っているのだ」
「……、分かりましたわ……」
『セイラ7号』は、両腕で胸と股間を隠しながら、姿見の前まで歩いてきた。
「両腕は後ろで組んで、身体を良く見せなさい」
そんな指示がルルスから発せられ、『セイラ7号』は仕方なく指示に従った。
すると、いつの間にか目尻に涙が溜まり、羞恥から肌理が細かく瑞々しい頬が赤く染まり、そこに涙が流れて行ったのだった。
意外にもルルスは、『セイラ7号』が落ち着くまで辛抱強く待ってくれた。
「なんとか落ち着いたか?」
「……は……い」
「それでは説明しよう。まず初めに、お前の胸に付いている巨乳と言っても過言ではない立派な乳房について、お前はどう考えている?」
「わたくしが寝ている間に成長したのでは?」
「そんな都合の良いことがある訳が無い。その巨乳は、俺がホムンクルスを創造する際に巨乳因子を加えたからだ」
「次に、魔王に斃された聖女セイラの遺体には、左手と右足が切断されて欠損していたが、お前は覚えていないか?」
指摘されると、『セイラ7号』には魔王と闘った時の記憶と指摘された部位が、確かに斬り飛ばされたという苦い記憶と共に蘇ってきた。
「わ、わたくしは……、本当に人間では無いの……」
とうとう、ルルスの説明を受け入れた『セイラ7号』は、再び声を殺して泣き出した。
「本来、お前は、目覚めさせる予定では無かったのだが、培養システムに異常が見つかり、そのまま放置すると、お前が死んでしまうので急遽、目覚めさせたのだ」
「どうして、わたくしを奴隷オークションに出品するの?」
「通常、大部分のビンテージホムンクルスは、貰い手が決まってから目覚めさせるのだが、研究資金が不足した時には奴隷オークションを活用していたのだ。お前の場合も似たようなケースだと諦めて、出品されてこい」
「わたくしは……、見知らぬ異性に肌を許す心算は……ありません」
『セイラ7号』は、途切れ途切れに訴え掛けた。
「現状のお前ならば、性奴隷に落とされるのは確実だろう。だが、奴隷オークションの開催まで、まだ日数がある。その間に聖女としての才能が開花できれば、その運命から逃れられるのでは?」
ルルスからのアドバイスを受けた『セイラ7号』は、聖女セイラが持っていた神託や治癒魔法が行使できないかと努力した。
明日は、奴隷オークションに出品されるために、荷馬車に載せられてオーガスの街に出発する日であった。
だが、無情にも聖女セイラが持っていたスキルは、何ひとつ発現してはいなかった。
出発当日、『セイラ7号』は、無言のまま檻で囲われた奴隷専用の荷馬車に載せられていた。
衣服は布地が少なく薄いために、身体の線が浮き出る奴隷服に着替えさせられ、逃亡防止に足枷を付けられると、どこから見ても立派な奴隷だった。
わたくしは、性奴隷に落とされる……、と考えていると、自然と涙が溢れてきた。
奴隷オークションは盛況で、なんと『セイラ7号』の順番は最後だった。
それだけ『セイラ7号』の美貌が突出していたことの査証だったのだが、現在の『セイラ7号』には、何の慰めにもならなかった。
「それでは、本日最後の奴隷で御座います」
「出品者によると、出自は明かせないものの、高貴な生まれで、彼のシーラ教の聖女であるセイラ様と、瓜二つであるとのことで御座います」
袖口からオークションの舞台に上がった『セイラ7号』を見た客たちは、あまりの美しさに固唾を呑んでいた。
粘りつくような客たちの視線が痛い!!
『セイラ7号』は、彼女の身体を値踏みする厭らしい視線に、初めて晒されたのだった。
奴隷オークションでは、舞台にあがった奴隷が自身の特技を披露した後、奴隷服を脱いで全裸となり、客たちに品質確認をして頂きながら競られる手筈となっていた。
主の決まった奴隷たちは、所有の焼印が捺された後に退場していた。
『セイラ7号』の耳には、先に主の決まった奴隷たちが、焼印を捺される恐怖と、捺された痛みに泣き叫ぶ声が残っていた。
「それでは、奴隷が特技を披露いたします」
わたくしは……、肌を晒すくらいなら舌を噛もうと、ぼんやりと考えていると、特技の披露を促された。
『セイラ7号』は覚醒してからまだ2週間ほどであり、特技などは持っていなかったのだが、半分無意識の内に女神シーラを称える賛美歌を独唱していた。
『セイラ7号』の声は、まるで天上に住まうと伝えられる伝説の歌姫セーレの如き美声であり、客たちはここが奴隷オークション会場ではなく、神聖な神殿の中であるかのように錯覚していった。
更に歌が進むと、『セイラ7号』を中心として淡い緑色の癒しのオーラが展開され、持病を患っていた客たちは、女神の奇蹟たる治癒魔法で患部が癒されていった。
今や客の一部は、『セイラ7号』を拝んでいる者も散見される事態となっていた。
「それでは奴隷の品質確認に入ります」
騒然となった奴隷オークション会場であったが、気を取り直した司会進行の壮年の男はいつも通りに品質確認を宣言したところで、会場の奥から席を立った老人に口上を遮られた。
「この方のオークションは差し止める!!」
年齢を感じさせぬ、朗々たる声が会場内を響かせた。
「こら、邪魔をするな!!」
「年寄りの出番じゃないぞ!」
罵詈雑言が会場のあちこちから上がった。
「此方に御座すのは何方と心得る、恐れ多くもシーラ教のヤーレン枢機卿だ」
老人に付き添っていた逞しい体格の漢が、老人の身分を詳らかにしたところ、一転して奴隷オークション会場は沈黙に覆われた。
「わしはヤーレンじゃ。立場上、幾人もの聖人が遺された聖遺物に触れる機会があるが、先ほどの奇蹟の波動は、確かに聖女セイラ様のものであった」
そう言うと、ヤーレン枢機卿は、周りを見回した。
「わしは、この娘御を神殿に導かねばならぬ」
ヤーレン枢機卿は、威厳の篭った声で指摘した。
「お客様、オークションは始まっておりますので落札して下さい」
ところが、司会進行の男が反論を試みた。
「ばかもの!! これだけの規模の奇蹟を起こした聖なる乙女の柔肌を、衆人環視に晒すとはシーラ様の怒りを恐れぬのか!!」
「……では如何致しますか?」
流石の司会進行役の男も、ヤーレン枢機卿の一喝には降参したのであった。
「オークションは中止とする。乙女はわしが神殿に導く」
こうして『セイラ7号』の競りは強制的に中断され、貴人が乗る輿に乗せられて、シーラ教の本殿へと連れて行かれたのであった。
当日、ヤーレン枢機卿が奴隷オークション会場にいたのは、彼が異端審問部門の責任者であったため、教団の暗部を担う人材を求めての行動であった。
『セイラ7号』は、高位神官の厳しい審問により聖女として認められ、1年もすると筆頭巫女に登り詰めていた。
更に、数年後には、神託のスキルも開花させ、今やシーラ教を代表する聖女となっていた。
ちなみに、オークションが強制中止させられた『セイラ7号』の価格は、最低落札価格の金貨100枚となり、創造したルルスは大赤字を計上したのであった……。
そういえば、『セイラ7号』は、やけに記憶が鮮明だった。
記憶を回収したときの状況では、ぼんやりと思い出す程度であったはずなのだが……。
もしかすると、『セイラ7号』は、聖女セイラが輪廻した存在だったのかも知れないなどとルルスは考え、赤字の原因を聖女セイラに押し付けて行ったのであった。