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修羅の国戦記  作者: 甘木智彬
【AggressiveWorld-黎明の器士-】
6/38

6.遭遇


 ブヲヲオンヲヲンッ――!


 盛大にエンジンをふかしながら、単車がトラックを包囲するように動いている。

 やはり、ガラの悪いヤクザ崩れの暴走族だ。近くで見たからといって評価が逆転することはない。ほぼ全員がノーヘルで、未成年に見える何人かはタバコを咥え、中には酒瓶片手に運転している者までいる。


 先頭の特攻服に身を包んだ一人が(ガン)を飛ばしてきたので、望月もクイと顎を上げて真っ直ぐにその瞳を見返す。過度に睨むと喧嘩を売ることになるし、かといってこちらから逸らせばナメられる。極めて微妙なラインを求められるやりとりだ。


 が、いずれにせよ、望月は喧嘩を売りたいわけではない。


「おーっス。良い単車(いいの)乗ってんじゃん」


 ある程度彼我の距離が縮まったところで、こちらから声をかける。


 単純な話だが、自分の愛車を褒められて嬉しくないヤツはいない。ガンを飛ばしてきた若者も心なしか自慢げになって、少しだけ攻撃的な態度を引っ込めた。


「おうよ。それ(トラック)お前のクルマ?」

「いや。適当にその辺から盗ってきた」


 望月が事も無げに答えると、坊主頭の一人が「パネェ」と言って笑う。


「へー、どうやったん? キーピック?」

「フツーに家の窓ガラスぶち破って、中で鍵探したよ」

「やるゥ」


 ぴぅっ、と口笛を吹く特攻服男。彼は周囲を顎で示してみせた。


「っつーか、これヤバくね。大人誰もいねえし」

「ヤーバいね。マジで」


 相槌を打ちながら、『大人誰もいねえし』という台詞に妙に納得した。この暴走族の若者集団にも、『大人』はいないのだ。おそらく成人は一人もいない――眉毛全剃りで老け顔になっている奴は何人もいたが。


「…………」


 しばし、互いの距離感を測りかねたように、双方とも押し黙った。微かな緊張を孕んだ場に、単車の排気音だけが響く。


「……で、お前誰よ」


 沈黙の末、特攻服男が投げかけてきた問いは、何とも平凡なものだった。


「望月。望月望(もちづきのぞむ)


 望月が即答すると、族の一人が「望月……?」と声を上げる。


 そちらを見ると、年長の若者の単車に相乗りした、一人の少年と目が合った。側頭部に剃り込みを入れてワルぶったファッションをしているが、周囲の族に比べると随分とあどけない顔立ちをしている。年齢的には中学生、あるいは高校一年といったところか。


「おう、『ナオ』、知り合いか?」

「あ、知り合いっていうか……」


 特攻服男に『ナオ』と呼ばれた少年は、気まずげに頬をかいて望月から視線を逸らした。その顔にどこか見覚えのあった望月は、目を細めて記憶を辿る。


「……ああ、お前もしかして海藤(かいどう)の弟か? たしか直人(なおと)だっけ。昔会ったことあるよな」

「……お久しぶりっす」


 望月の指摘に、ナオ――海藤直人(かいどうなおと)はばつが悪そうに会釈した。


 海藤直人の兄――海藤勝(かいどうまさる)とは、中学以来の友人だ。今はある事情で少し疎遠になってしまったものの、昔はよく一緒に遊びに出かけたりカラオケに行ったりしていた。その際、直人と顔を合わせる機会も度々あったが――


(まさか族に入ってたとはな……)


 当時はもう少し真面目な少年に見えたが、と考えてから、自分も他人(ひと)のことは言えないと思い直し肩をすくめた。何はともあれ、この集団の中に顔見知りがいたのは大きい。


「おいナオ、こいつ誰だよ」

「俺のアニキのタメっす」

「お前の兄貴って高三だっけ」

「ハイ。……そっすね」

「ほーん。お前どこ校?」


 望月に向き直って特攻服男。この手の人種はなんで人の所属を知りたがるんだろうな、とうんざりしつつ、しかしそれをおくびにも出さずに、望月は「乙幡第一」と答えた。


乙幡第一高校(オツイッコー)?」

「ガリ勉かよ……」


 族の何人かが鼻で笑う。


 乙幡第一高校は、校則が緩い割に就職率も進学率も悪くない、手堅い高校として知られている。と言っても一部の有名進学校に比べると全く難しくない高校なのだが、この連中からすれば十分に『ガリ勉』なのかも知れない。


 勿論、望月は机にかじりついて勉強するタイプではないし、そもそも学校ですらハミ出し気味の不良だ。佐京のような大学受験勢と比べると、『ガリ勉』などと呼ばれても片腹痛いだけ――加えて、直人の兄と同年代(タメ)なのは事実だが、今の望月は高校二年生だ。


 だが、そんな複雑な胸中を表に出さず、望月は朗らかな笑みを浮かべた。


「なに、ガリ勉ってほどじゃねえよ。それにしても直人、本当に久しぶりだなぁ。まさか『走り』やってるとは知らなかったが」

「ハイ、この間、舎弟にしてもらったんすよ」


 照れたように、後頭部をかきながら直人。後悔はおろか、むしろ嬉しそうなその顔を見て、望月は「そっかー」と作り笑いで頷いた。


(ロクでもない連中と関わり合いになりやがって……)


 どうなっても知らんぞ、と心の中で呟く。


「ところで望月さんも変わったんすね。最後に会ったときと全然違うっすよ」


 返す刀で、無邪気に言う直人。望月は一瞬、渋い顔になった。その点は、指摘されると痛い部分だ。


「……まぁな。俺も色々あったんだよ。……そりゃそうと(まさる)は元気か? しばらく会ってないんだが」

「……さぁ。元気なんじゃないっすか」


 望月が兄について尋ねると、一転、直人はそっぽを向いてぶっきらぼうに答える。おや、これは何かあるぞ、と望月の眉がぴくりと跳ねた。記憶にある限りでは、直人はどちらかというとお兄ちゃんっ子だったのだが。


「おっ、カワイイ子乗せてんじゃーん」


 そのとき、助手席側に回った族の一人が小牧に気付いた。ぴ~ぅっ、と誰かが冷やかすように口笛を吹く。現金なもので、若者たちは一瞬で望月に対する興味を失ったらしく、「マジで~?」「イイね~」などと言いながらわらわらと助手席側に集まってきた。


「おーホントだ、カワイイじゃん!」

「コイツの彼女か? 中学生くらい?」

「ねー、キミどこ校?」


 じろじろと不躾な、そしてどこかギラギラとした視線を浴びせてくる若者たちに、小牧は「えっと……」と愛想笑いを浮かべて、助けを求めるように望月を見やる。先ほどの望月の言葉を忘れていないのだろう。


「…………」


 望月は敢えてすぐには助け舟を出さず、ワイワイと騒ぐ若者たちを慎重に観察していた。そしてその場にいる全員が――直人も含めて――小牧を『見た』ことを、しっかりと確認する。


(――よし)


 この中に小牧の顔見知り、あるいは、小牧を知る者はいない。


「この娘、親戚なんだよ」


 望月は息を吐くように嘘をついた。


「遠くから遊びに来てたんだけどよ。『こんなこと』になっちまったし、家まで送ろうと思って」

「おう、オレが送ってってやろうかぁ?」


 バロロンバロロンとエンジンをふかしながら、族の一人がひょうきんな笑みを浮かべる。小牧は「あはは……」と曖昧な笑顔でそれに答えた。


「遠くからって、どっから?」

「鹿児島」


 さらりと答えた望月に、小牧が一瞬何か言いたげな顔をするが、「遠っ!」「メッチャ遠いじゃん」「パネェ」と盛り上がる若者たちはそれに気付かなかった。


「いやーもう昨日とかマジでヤバかったわ、一緒に電車乗ってたんだけどさ」


 話を流すように、望月は言葉を重ねる。


「ほら、大人消えたじゃん? 俺らそんとき電車の中だったわけよ」

「……それヤバくね?」

「ヤバイ。フツーに停まる駅スルーしてさ。どうしよっかなーって思ってたら、」


 大げさにお手上げのポーズ。


「目の前に別の電車が停まっててさ。もちろんノーブレーキで走りっぱなし。運転手いないから止まんねえし」

「やっば!」

「パネェな」

「そんで?」


 若者たちはエンジンをふかすのも忘れて話に聞き入ってる。


「結局そのまま追突して、ガッツリ脱線した。一両目はフツーにブッ潰れて、二両目もグッシャグシャ。俺らは三両目まで逃げたから何とか助かったけど、アレはガチで死ぬかと思ったわ」

「はぁー!」

「マジパネェ」

「それ、そんときのケガか?」


 特攻服男が、望月の肩を指差す。


「そそ、なんかガラスでやっちまったっぽい」


 血の滲む包帯を勲章のように示しながら、望月は頷いた。


「どこで事故ったん?」

「東塩田。今も電車ブッ潰れてるよ」


 身振り手振りを交えた望月の説明に、彼らは興味を惹かれたようだ。


「マジで!」

「見に行こうぜ!」

「行こ行こ」


 騒がしく爆音を響かせながら、三々五々散っていく。去り際に、二人乗りしていた直人は少しぎこちない様子で会釈していった。


「……お前も大変だったんだな」


 最後に残ったのは、件のガン飛ばし特攻服男だ。望月の肩の包帯にどこか同情的な視線を注ぎながら、胸ポケットからタバコの箱を取り出し、一本咥える。そして望月にも箱を示して、「吸うか?」と首を傾げた。


「おっ、貰おうか」


 望月が受け取って口に咥えると、特攻服男がライターを差し出して火を点ける。しばし、二人して無言で紫煙をくゆらせた。


「じゃ、オレも行くわ」

「おう。気をつけてな」


 ブロロロ……と去っていく特攻服男にひらひらと手を振って、その背中が小さくなるのを見届けてから、望月は窓の外にタバコを投げ捨てた。隣で肩の力を抜いた小牧が安堵の溜息をつく。


「なんとかなったな」

「よかったです……望月さんって、」


 嘘をつくのも上手いんですね、と言おうとして、小牧は慌てて口をつぐむ。たとえ褒め言葉のつもりでも、字面を考えると、それもどうかと思ったからだ。


「ん?」

「えっと、その、望月さんって、タバコ吸うんですね!」

「いや、吸わない」


 ふん、と鼻を鳴らして望月。口の中の煙臭さに顔をしかめ、外にペッとつばを吐き捨ててからパワーウィンドウを閉める。もう一度後方を見やり、暴走族が去っていくのを確認した望月は車を再発進させた。


「やっぱりタバコはダメだよ。友達(ダチ)が何人か、吸い始めてから露骨に持久力落ちたもんな」


 ハンドルを握りながら、嘆息交じりにぼやく。


「さっきのは、吸ったフリしてたんですか」

「そうそう、肺には入れてない」


 口の中で煙をプカプカさせてただけ、と望月が笑うのを見て、「ふむふむ」と小牧は唸った。


(望月さんはタバコが嫌い……と)


 頭の中のメモ帳に書き留める。タバコは、姉が吸っているのを見ていただけで試したこともなかったが、今後も吸うことはないだろう。


「……それにしてもさっきの人たち。あんまり悪い人じゃなくて良かったですね」


 バックミラーに小さく映るスーパーを見ながら、小牧はぽつりと呟いた。

 単車に包囲されたときはどうなることかと心配したが、何事もなくて良かったと、改めて胸を撫で下ろす。


「望月さんの知り合いもいたみたいですし……」

「……うーん。そうだな」


 小牧の言葉に、一応頷くが微妙な顔の望月。


「まぁどっちかというとマシな連中だった」

「……『マシ』、ですか?」

「ああ。小牧ちゃんも見たろ、あいつらがバイクに貼ってたステッカー」


 火を噴く髑髏のマークを思い出して、小牧は「はい」と頷いた。


「あれ、【暴朧剄騎(ボルケイノ)】って暴走族のマークでさ。ここらじゃ一番性質(タチ)悪いよ」

「えっ」


 望月の言葉に小牧は目を見開く。決して暴走族の事情に詳しいわけではないが、それでも『ボルケイノ』の名は聞いたことがあったからだ。


「えっ、それって……あの(・・)ボルケイノですか?」

「うん、多分そのボルケイノ」


 絶対に喧嘩を売ってはならない、関わってはならない、という警句とともに知られている危険な不良集団。他の暴走族との衝突や抗争、窃盗や傷害事件、果ては違法薬物の横流しまで行っている、等々過激な噂にも事欠かない。裏では、暴力団との繋がりもあるのではないか、とまことしやかに語られているほどだ。


 先ほどの、トラックを取り囲んでいた若者たちのギラついた視線を思い出し、小牧はぶるりと体を震わせた。


「……何もなくて良かったです」

「ホントだよ。まあ、皆が皆そこまで悪いヤツじゃないだろうけどさ」


 ちら、と腰のホルスターに視線を落とした望月も、深々と頷く。


 それからしばらく走り、望月は国道を降りて『津久井』町に入った。車線変更をする際、自分たち以外に誰もいないのに、望月が律儀にウィンカーを出して後方を確認していたのが小牧には可笑しかった。


「……もうすぐだ」


 ゆっくりと車を進めながら、望月は緊張した面持ちで周囲を見やる。

 町の中心から山側へ外れた郊外。ぽつぽつと飛び地のように建つ民家、張り巡らされた用水路、それ以外は田畑しかない辺境の地だ。


 溜め池の傍の大きな町道を抜け、小さな神社を通り過ぎ、その次の角を曲がって真っ直ぐ行った先が、望月の家となる。


「……ん?」


 しかし、溜め池を横切ったあたりで、望月は車を停めた。


「どうかしたんですか?」

「……なんか、変なものがある」


 訝しげな小牧に、望月が指差してみせたのは進行方向。丘の陰に隠れるようにして――何やら、ぼう、と輝く赤い光が見える。


 まだ距離がある上、丘で視線が遮られてしまうのでその全容ははっきりとしない。ただ一つだけ確かなのは、その光る『何か』が巨大である、ということだった。遠目で見る限りでは、何やら赤い光が渦を巻いているようだ。望月は試しに窓を開けてみたが、トラックのエンジンが回る以外は特に妙な音も聞こえない。


「…………」


 車内で、二人は顔を見合わせた。


「なんでしょうね……」

「気味が悪いな……」


 それぞれに呟くが、そのとき小牧がふと思い出したように、


「そういえば、昨日の夜も……空が赤くなってました」

「……そうなのか?」

「はい。望月さんが寝たあと、窓の外を眺めてたら空が赤く見えたんです。見ているうちに眠くなって、わたしも寝ちゃったんで、何だったのかはわかんないんですけど……」


 小牧の説明に、望月は顎を撫でながら「うーん」と唸った。


 好奇心と薄気味の悪さが心の中で戦っている。都合が悪いことにあの『何か』のすぐ近くに望月の家があるのだ。しばらく悩んだが、真夜中に周囲の人間が消え去ってしまった恐怖に比べれば、この程度の異変は大したことがないようにも思えてきた。


「まあ……ちょっと様子見ながら、進んでみようか」

「そう、ですね」


 ここでうだうだしていても何も始まらないので、望月は慎重に車を進ませる。しかし、丘を越えたとき、またしても車を停めることとなった。



 それは、異様な光景だった。



 今は枯れ草を残すのみとなった畑、その真ん中に屹立する光の柱。

 まるで竜巻の動画をスローモーションで再生しているかのように、赤い光がゆっくりと渦を巻いている。

 何よりも異様なのは、その巨大さだ。高さは優に百メートルを越えるに違いない。スケールが違い過ぎて遠近感が狂いそうになるが、近くの家屋と比べればそのサイズは一目瞭然だった。そして、その圧倒的な存在感とは裏腹に、一切音がしない――ひょっとしてあの光の柱は幻覚なのではないかと、思わず何度も目を擦ってしまう。


「……何あれ」

「……何だ、ありゃ」


 あまりに常軌を逸した光景に、二人揃って二の句が継げない。トラックのアイドリング音が、やけに大きく聞こえた。


「……あれ、何だと思います?」

「わからん。見当もつかない……」


 困惑の表情の小牧、呆然と首を振る望月。火の玉やら何やらのような超常現象の一種、と考えるにはあまりに安定し過ぎている。炎のような見かけをしているが、周囲の草木が燃えることもなく、ただただ無音で回転しているのが不気味だった。


「気色悪いですね……」

「だな……直接的な害はなさそうだけど、それにしてもこれは……」


 車のエンジンを切った望月は、額に手を当てて「参ったな……」と小さく呟く。単純にどう対処したものか思いつかず、二人して黙り込んでしまう。


「……迂回したらどうですか?」

「いや、俺の家、あれの根元あたりなんだよね……」

「ああ……」


 それは確かにどうしようもない、と小牧は口を尖らせた。


「うーん……じゃあやっぱり、近づいて調べてみませんか?」

「まあ、そうなるよなぁ。調べるか、ここで引き返すかの二択なわけだし」

「ひょっとしたら、何かわかるかも……こうなった原因、とか」

「俺も同じことを考えてたよ」


 突然人間が消えたかと思えば、今度はわけのわからない光の柱が出現していた。二つの異変に何か因果関係があるのではないか、と推測するのは当然の成り行きだろう。


「……よし、じゃあ行ってみるか!」

「はい! 行ってみましょう!」


 ぱん、と膝を打ってエンジンを再始動させる望月、元気よく頷く小牧。纏わりつく不安の影を振り払うように、二人は顔を見合わせて笑った。


 丘を下ってしまえば、光の柱まで――望月の家まで――ほぼ一直線だ。比較的見晴らしの良い、時折両脇に民家が建ち並ぶだけの田舎道をゆっくりと進んでいく。


「それにしてもデカいな……」


 ハンドルを握りながらも、光の柱を見上げて望月。青い空を背景に渦を巻く巨大な赤い光――近づけば近づくほど、その威容に圧倒される。これで嵐のような轟音でも響いていれば近寄ろうなどとは思いもしなかっただろうが、なまじ無音なだけに現実感に乏しく、それに引きずられるようにして危機感も薄かった。


「…………」


 興味深げに光の柱を眺める望月をよそに、小牧はやはり不安を隠せないようで、きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回している。そして、とある民家に目を留めて「あれ?」と訝るような声を上げた。


「ん、どうかした?」

「あっ、いえ、なんでもないです」


 ふるふると首を振る小牧だが、往々にして、こういった状況で気になる事物をスルーしても碌なことにならない。望月は直ちに車を停め、辺りの様子を窺った。


「何か気になったの?」

「えっと……その、さっき通り過ぎた家に誰かがいたような……」

「マジで?!」


 その言葉に、望月は迷いなくシフトレバーをR(リバース)にチェンジ。


「何処? どの家?」


 後退しながら、バックミラーを覗き込む。


「あの赤い屋根の家です……けど、はっきりとは見えなかったんです!」


 あたふたと答える小牧は、あくまで自信なさげだ。


「チラッと見ただけなんですけど……さっき通り過ぎたとき、二階の窓で、何かが動いた、よう……な……」


 窓から斜め後方の家を覗き見る小牧の言葉が、途切れた。


「……小牧ちゃん?」


 望月が声をかけても、小牧は答えない。ただ目を見開いて、石のように固まったまま何かに釘付けになっている。呆けている、のとは何かが違った。微かに青褪め血の気を失った顔は、芽吹く寸前の恐怖で彩られている――


「……?」


 運転席側からはよく見えない。身を乗り出して、望月も助手席側の窓から件の家を見やった。


 そして、固まった。


『それ』と、目が合った。


 赤い屋根の家。二階建ての何の変哲もない住宅。その二階の窓から、カーテンを掴んでこちらを覗き込む一対の黄色い瞳。緑色の肌にひん曲がった鼻、飛び出た犬歯と長い耳。くちゃくちゃと、何かを咀嚼するように口を動かしながら、じっとトラックを見下ろしている。


 と、その隣に、似たような顔が一つ増えた。一拍置いて、もう一つ。そしてさらにもう一つ。一つ、一つ、一つ――二階の窓を埋め尽くす、緑色の醜い顔、顔、顔――。


 望月の全身が、ざわりと粟立った。


「な……に、あれ……」


 震える小牧の声。その呟きと同時に、顔が二階の窓から消え始めた。といっても、煙のように消え去ったわけではない。もっと生々しい動きだ。


 単純に、窓の奥に引っ込んだのだ。そう、それは――「ちょっと下に降りてみるか」とでも言わんばかりの動作で――


「ギイッ、グシシャ……」

「ギャッギャッギャッ」

「ギギッ、シューッ!」


 一階の、叩き割られた窓から、ぞろぞろと姿を現す緑色の肌の小人たち。ボロボロの布きれを纏い、手に手に棍棒や錆の浮いた剣を握っている。背丈は小学生ほどか、それでいて頭が大きく、手足が異様に長い。そのフォルムは生理的嫌悪感を催すほどアンバランスで。


 ひっ、と小牧は息を呑んだ。


 先頭の一匹が、トラックを睨むや否やおもむろにその手の槍を構えたのだ。


 自分の背丈と同じほどの長さの、槍。


 錆付いた穂先がてらてらと鈍い光を放つ。


「ギギィ……」


 槍を、振り上げる。まるで弓がしなって、力を溜めるかのように――そしてその動きは、望月からは死角になっていて見えない。



「――望月さんッ走ってッ!!」



 小牧は絶叫する。



「逃げて――ッッ!!」




 その瞬間。




 びゅごう、と風を切る音。




 投擲された槍が、助手席の窓ガラスをぶち破った。



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