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等価交換の原理

 柳沢はいつも自信なさげな奴だった。いつもうつむき加減で、まっすぐ前を向いて話をしているところを見たことがなかった。

 中学三年生の四月、担任の先生の提案でクラス全員が自己紹介をすることになった。誰もが無難に自己紹介を回していく中、俺の隣の女子生徒のところまで来て流れが止まった。そいつの声が小さくて、誰も聞き取れなかったのだ。

 担任が大きな声で、と促しても呟くように口を動かすばかりで一向に改善しない。やがて担任は、イラつきが募る前にそいつの順番を打ち切った。俺は変な奴だな、と思っただけで特に気に留めなかった。柳沢、という名前は後から友人に聞いた。俺は笑いながら、できるだけ柳沢とは関わらないようにしようと決めていた。


 柳沢はあっという間にクラスの人間関係からはじき出された。柳沢が教室に入るとクラス中の人間が一斉に注目し、声を出す度に失笑が起き、先生も目立つ生徒に便乗して柳沢をからかった。

「ホント、なんで本ばっか読んでるんだろうね」

「気持ち悪い」

 二人の女子生徒は、わざと聞こえるように話をしている。俺は箒で床を掃く作業に従事していた。

 柳沢は、聞こえているだろうが、動揺した様子を見せることなく、汚れた水を汲み替えにバケツを持って教室を出て行った。

 その様子を見届けた二人の女子生徒が、何か面白いことを思いついたように笑いあう。見ているこちらの気分が悪くなってしまうような笑い方だ。二人は、箒でのチャンバラに興じている男子生徒の一段に駆けよっていく。

 俺は掃除が終わったので、机をもとの位置に戻し始めることにした。それを契機に何人かが机の配置に取りかかる。

 教室が元通りになったところで、柳沢が戻ってきた。しかし、教室に足を踏み入れたところで立ち止まる。さきほどの女子生徒と男子生徒の集団から、笑いをかみ殺したような音が漏れる。そのうちの一人が、横目で何かを見ていた。

 机が一つだけ、教室の後ろに置きっぱなしになっていた。しかも、机の上に逆さに置かれた椅子はそのままになっている。柳沢は、一瞬表情を失ったあと、泣きだしそうに顔をゆがめた。教室の隅にいた集団の忍び笑いが一層大きくなる。何が起こっているのか俺は分からなかった。

 整然と並んだ机の中にひとつだけぽっかりと穴があいていた。俺は、誰かが机を戻し忘れてしまったのだと誤解して、教室の後ろにひとつだけ放置された机を両手でもった。教室内の何人かが、俺の方に視線を向けたのが分かった。

 柳沢が、すれ違いざまにぺこりと頭を下げてきた。一方、教室の端っこのほうで、

「正義の味方気どりかあ……」

 と誰かが呟いたのを耳にして、俺は自分がしていることの意味を理解した。

 さっきの女子生徒が思いついたのはこういうことだった。女子生徒は、柳沢の机だけ元に戻さないままにしておいたら、柳沢はどういう反応をするか、見ようとしていたのだ。

 それを俺が邪魔したのだ。俺は、クラス内のイジメは見逃せない、これ見よがしの正義のヒーローになってしまったというわけだ。

「なんなんだろう、あいつら」

 あいつら、というのは俺と柳沢のことで間違いなかった。俺のクラス内の立場が微妙なものになってしまったのは、これがきっかけだ。後悔しても遅かった。俺は、クラスの結束と引き換えに、柳沢理子の信頼を得ることになってしまったのだ。

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