懐柔
驚愕がひと段落した後、私がいなくなった後の事を琉生から聞いた。
まるで部外者であるかのように、全員会社から追い立てられたらしい。
私物すら持ち出せなかったと聞いて、自分の情けなさに涙が出た。
「すまない…すまないっ、琉生、皆にも、謝らないと」
「泣くなって、洸の所為じゃねぇだろ?」
「だがっ」
「洸様、悪いのはあの方々です、洸様ではございませんわ」
「そうだよ、洸さんは悪くないよ」
嗚咽を堪える事しか出来ない私を、三人がかわるがわる慰めてくれる。
せめて、皆の私物を。あと、退職金や失業給付の申請を。
動かないと世間的に存在が抹消されかねない、生物学上の私の兄はそれ位簡単にやる。
「家に戻る」
「ちょ、え、洸さん!?」
「洸、お前そんな身体で」
「医者として、今動く事はおすすめ出来ませんわ!」
「急がないと、私の死亡届が兄の手で提出されてしまう」
びきっ。
…空気が凍った。
「それ位の事はやりかねない。下手すると父の手で葬儀の手配がされていそうだ」
「…おい、美空」
「美空ねーねー…」
「考えたくもありませんけれど、あの方々なら確かにやりかねませんわ…」
兄妹揃って、そんな顔をしないで欲しい。
「気にしないで欲しい。蔑にされるのはいつもの事だ」
だからこんなに図太くなった、となるべくおちゃらけた風情で言ったが。
…更に空気が重くなった。何故だ。
着いてくると言った三人を押し留めて、家に着くと招かれざる客がいた。
「お待ちしておりました、洸様」
「心にもない敬称をつけるな、柊」
「いえいえ、一応敬ってはおりますよ?社長の遺伝子の欠片を保有なされておられるのですから」
欠片ときたか。まぁ、俺の扱いなど精々そんなものだろう。
目の前で慇懃無礼に形だけの礼をとってみせる男は、柊。遺伝子上の父親の第一秘書だ。
「何の用だ、葬儀の用意でもしていたのか?」
「そんな勿体ない事は致しません。社長のお時間が洸様如きにとられてしまうではありませんか」
「では何故ここに居る?用などない筈だが」
「貴方のお兄様は今、お仕置きの真っ最中です」
「…は?」
お仕置き?
「流石にやりすぎでしたからね、もみ消すのに少々手間取りました。
こう見えても社長には多少の采配を振るう裁量を頂いておりますので」
お仕置き…。同情心の欠片もわかないのは無理もないと思うが、人としてはどうなのだろうか。
「私と致しましてはもっとスマートに事を運びたいのですよ、洸様」
「…?」
「貴方が家族同然に可愛がっている従業員達の命が惜しかったら、会社の全権を譲りなさい。」
「会社の権利など、あいつが全部持っていっただろう?何を今更」
「貴方の可愛い可愛い従業員の一人が、酷く抵抗しましてね」
部屋の影から出てきたのは。
「陸!?」
「洸、しゃちょ…」
会社の経理事務を一手に引き受けてくれていた、陸だった。
「彼がどうしても口を割ってくれないのですよ。実印や権利書の場所をね?
あぁ、あと三人も捕えてありますよ?一人だけ手を出すと周りが煩い方はどうしようもありませんでしたが」
叔父さん…美空の父が、琉生を護ってくれたのか。
「すぐに渡す、全員を解放しろ」
「話が早くて助かります」
実印や権利書が入っている手提げ金庫を渡すと、柊が要らないゴミを捨てるかのように陸をぽいっと床に投げ捨てる。
「陸っ」
「しゃ、ちょ…らめれす、あそこ、は、おれたち、みんなで…」
「お前達より大事なものなど、私には何一つない」
「しゃ、ちょぉ」
「辛い思いをさせた…すまない」
ぶんぶんぶん、とぼろぼろの姿で首を横に振る陸。
「他の皆は何処だ」
「本当に貴方は、社長の遺伝子が入っていると思えない程愚鈍ですね。いちいち全員を捕える手間などかけている筈ないでしょう?」
「無事、なのか」
なら、いい。
そう言おうとしたら。
「既に懐柔済みですよ」
陸が驚愕に目を見開く。
後の三人が…柊の後ろに、立っていた。