危機管理を叩きこむべきとみた
目が覚めたら、枕元に先ほどの女性がいた。
座ったまま寝ているのは、間違いなく私の看病をしてくれていたからだろう。
起こすのは忍びないが…現状を知りたい。一体何がどうなって私はここにいるのか。
つんつん。
つんつん。
服を引っ張った。本当は肩をゆするなりしたいのだが、まだ起き上がれそうにない。
つんつん。
つんつん。
繰り返すと、ようやく…
「ちょっと何あたし寝てるの!駄目じゃんっ、おにーさん看てるんだからっ」
急な声にびっくりして硬直していると。
「おにーさん、目、覚めたの!?良かった!」
嘘偽りのない、満面の笑みがそこにはあった。
不幸自慢をするつもりはないが、作り物の表情ならすぐに判る程度には人の顔色を読むのには慣れている。
見ず知らずの私の為に、こんな笑顔を見せてくれるなんて…。
少し呆けているうちに、冷えピタをはがされ額にふれられ額と額をくっつけられた。
…硬直した。
落ち着け私。硬直している場合ではない。今までこんな経験がなかったとはいえいい年をした男が額を合わせた位で硬直してはいけない。
「うん、大分下がったね。あ、喋るのはちょっと待って」
現状を聞こうとしたら喋るのをとめられ、昨日使わせてくれた吸い飲みが口元にあてられる。
「ポカリだよ。ゆっくりでいいからね」
そっと頭を支えられ、ゆっくりポカリを飲ませて貰う。
喉が渇いていると思われたのだろう。実際水分が欲しかったので、実にありがたい。
こんな風に看病して貰った事がないので、実に面映い。彼女のご両親は、きっととても細やかな子育てをなさったのだろう。
「おにーさん、何処か痛む所は?物凄く気持ち悪いとかはない?あ、声出すのまだ辛いなら」
「いや…大丈夫、だ」
「良かった。でもあちこち打ち身とかあったから、まだ動いちゃ駄目だよ。今おかゆ作るから。状況説明はそれ食べながらするから」
そこまでして貰う訳には、と言う前に彼女はキッチンに向かってしまった。
そしてそこで気付いた。この部屋はどう見てもワンルームだ。
つまり。女性の一人暮らしの部屋に私は転がり込んでしまったらしい。…正直、女性の部屋に入ったのも初めてだ。
どうやって出て行こう、と考えていると。美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり、小さくお腹が鳴った。
…彼女に聞こえてはいないだろうか。
「お待たせ。身体起こすよ、目眩がしたら言ってね」
細い腕がゆっくりと私の身体を起こしてくれ、クッションを背にあててくれる。
「これで良し。あ、卵大丈夫?」
「あぁ」
食べられないものはないが…本当に頂いていいのだろうか。
躊躇していると、なんとお茶碗に盛りつつふーふーと醒ましてくれている。
その。これは世間一般の常識的な病人看護の方法なのだろうか?看病などされた事がないから皆目検討がつかないが…。
断る間もなく、お茶碗を持たされる。
「いただきます、っと」
彼女が口にしたのを見て、実際絶食状態で餓えていたのもあり、ありがたく頂くことにした。
胃が驚かないよう、ゆっくりと食べながら彼女の話を聞く。
「食べながらでいいから聞いてね。昨日の夜、おにーさんはすぐ傍の公園で倒れてたの。
意識もなくて怪我もしてて、本当なら救急車呼ぶべきだったんだろうけど、あたし持ち合わせがなくて。
でも、警察呼んで待ってたらおにーさんもしかしたら死んじゃうかもって思って。で、うちに運んだの。
急に熱があがったりしたら流石に救急車呼ぼうと思ってたから起きてるつもりだったんだけど、寝ちゃってごめんね。」
「いや、気にしなくていい。その…助けてくれて、ありがとう」
むしろ放置されても文句は言えない状況だ。
見知らぬ男を一人暮らしの部屋に運んで、ここまで甲斐甲斐しく看病してくれている事に感謝こそすれ文句など欠片もない。
自分の事ながら、少々危機感が無さ過ぎるとは思うが。
「何処か連絡する所ある?ちょっと待ってね、携帯持ってくるから」
「いや、私は独り身だ…特に連絡する者はいない。」
「でも、多分色々持って行かれちゃってるよ?カードとか止めなくていいの?」
「家に帰らないと連絡先が判らない。それに全て指紋認証仕様だ…使えないだろう」
万が一に備えて、キャッシュカードは全て指紋認証仕様(出金限度額制限もかけてある)、部屋もオートロックで掌紋と声紋が一致しないと開かない。
大事な書類などは全部家の隠し金庫に保管してある。虹彩と掌紋の静脈パターンの組み合わせとパスワード入力を経てようやく開く、といった具合だ。
…待て。確か、会社の実印は隠し金庫の中に入れてあった筈だ。
という事は…まだ会社の実権は、私にある?それともそれすら、あの男は書類偽造で作り替えてしまったか…?
「あ、そうだ、ここが何処だか気になるよね。住所は」
お節介とは思うが、彼女には危機管理を叩き込んだ方がいいかもしれない。
それに、住所より先に聞きたい事がある。
「その前に」
「はい?」
「助けてくれた恩人の名を、教えてくれないか」
恩人、と呼ぶと。彼女は照れたようにはにかんで、名前を教えてくれた。
もちろんすぐさま私も名乗った。
「あたし、島袋琉那。」
「私は、咲坂光だ。」
私達は互いの顔を見て、くすっと笑った。