2日目 ~一難去ってまた一難~
翌朝、私たちは役所に向かった。
私の周りを5人もの妖精が囲み、厳重にガードした。
ここに来て、初めてゆっくり話す時間ができた。
「昨日の衛兵はマーヤの派閥の人間だったみたい」
リーシャが喋りかけてきた。
「あなたが役所に行ってしまうと私の主張が証明されてしまうから、それを恐れてあなたを誘拐したのね。まさか中立のはずの役所の人間まで手が回っているとは……」
リーシャは深刻な顔をしているが、私はお腹が減っている事しか頭に無かった。妖精は物を食べないので、今朝は水を飲んだだけだ。
しかし空腹の辛さを上回るほど、妖精に対する興味もあった。
「妖精ってどんな魔法が使えるの?」
「基本的には空を飛ぶか、物を浮かせるだけね。でも妖精の中には特殊な魔法が使える者もいるわ」
「リーシャも特殊な魔法が使えるの?」
「ええ、一人一つは生まれてから自分だけの特別な魔法が使えるの」
「私を殴ったプーケにも?」
「そうね。あの子は自分の事をアイドル妖精だと言ってるけど、その割にはあの子が特殊魔法を使う所を見た事無いわね。普通、ああいうタイプの子は自分の魔法を見せびらかすのに」
「リーシャにも特殊な魔法があるの?」
「あるけど、秘密よ」
「ケチねぇ……そういえば、枝の周りの霧も特別な魔法なの?」
「あれは役所の妖精が霧の魔法を習うの」
私は胸が踊った。
もしかしたら私も、習えば何か使えるかもしれない、と思った。
役所にやってきた。衛兵は相変わらずいたが、リーシャの様子を見る限り、今度は大丈夫のようだ。
役所の中を進むと、机が沢山ある部屋に案内された。
中央の奥が高くなっており、私はそれに向かい合うように立たされた。まるで今から裁判でも始まるみたいだ。
暫くすると、右手の奥から、仰々しい格好をした者が衛兵と共に入ってきた。
顔や体のほとんどが服で隠れていて、羽だけが外に出ていた。
さながら裁判長の妖精と言ったところか。
「静粛に」
元々静かな部屋だったが、裁判長はそう言うと、続けて喋り始めた。
「ふむ。その人間が新しく連れてきた人間だね?」
「そうです。マーヤの手の者にさらわれ、昨日は来る事ができませんでした」
リーシャが頭を下げて喋った。
「まあ、証拠が出てくればその件についても考えよう」
「して、私が聞きたいのは、その者が『無食肉人種』だという件についてなのだが」
「はい、私の鼻が確かであれば、この者は肉を食べないはずです」
臭いについて話していたのはこの事だったのか。
確かに私は小さい頃から肉を食べない、というかアレルギーで食べられない体質だった。
裁判長と護衛の妖精は、私の所に来て、匂いを嗅ぎ始めた。
「確かに臭わんな」
裁判長は驚いた顔をして言った。リーシャは得意な顔をしていた。
「本当に『無食肉人種』が存在するとはのう。今までさらった人間の中には居なかった故、空論じゃと思っていたが……これならば、長らく続いたお主とマーヤの決着も付くかもしれんのぉ」
裁判長は少し嬉しそうな顔で言った。
どうも肉を食べているか食べていないかが臭いで分かるらしい。今までさらった人間は皆、肉を食べていたから差別されていたが、私という存在でその理論が覆された、という所だろうか。
私は尋ねた。
「リーシャとマーヤはそんな事で争っていたの?」
「『そんな事』とは言ってくれるわね。私たちにとってはとても重要な事よ」
「どこが?」
私が聞くと、リーシャは一呼吸おいて話し始めた。
「いいかしら。あなたは人間の中ではまだ小さいから分からないと思うけど、他の生物を殺して食べる動物は低俗なの。
そこでマーヤのような過激派は人間を差別しているけど、私達は違う。人間の中にも他の生物を殺して食べない人種がいる事を信じて戦ってきたの。
あなたがその証人になってくれるおかげで、それが証明される。本当に感謝してるわ」
私は複雑な気持ちだった。低俗だとか、そんな気持ちで今まで肉を食べなかったわけじゃない。
でもリーシャと敵対したくなかったので、黙っておいた。
リーシャは裁判長に向かって話し始めた。
「長が正式に認めて下されば、私たちの正しさが証明されます」
「ふむ、そうじゃのう」
リーシャは嬉しそうな顔をしていた。
よく分からないけど、それで丸く治まるのなら別にいいか、と私は思った。
長と呼ばれる妖精は、ゆっくりと私に背を向け中央に戻ろうとした。
「ちょっと待った!」
その時、後方の入り口から大きな声がした。
ニキータ……それと、私が泥をぶつけたプーケもいた!
「なんじゃ、騒々しい」
「長、その人間は危険人物です。この者に汚らわしい排泄物をぶつけたのです。これこそ人間が野蛮である証!」
そういってプーケを前に出した。
なんとプーケは昨日、私が泥をぶつけたままの状態であった。その顔は未だに放心状態であった。
「排泄物をぶつけたというのは本当かね?」
驚いた長が、私に聞いてきた。
「いえ、あれはただの泥で……」
「どろ?どろとは何かね?」
「地上を覆っているものよ」
「その者は嘘をついております!地上を覆っているのは、このようなものではありません!」
「確かにそうじゃの。地上を覆っているものはもっとサラサラしたものだったはずじゃ。」
「それが雨に濡れれば、泥になるのよ!昨日は雨上がりだったじゃない!」
「その者は言い逃れをする為に嘘をついています!何よりプーケが精神に傷を負った事が何よりの証拠!その者に罪がある事に変わりありません!」
その言葉に納得したように、長は私に軽蔑の顔を向けた。リーシャも片手で頭を抑えてうつむいていた。
私は弁解したが、長はまるで聞いていない。明らかに気分を害したようであった。
「お主は厳重に処罰する故、覚悟する事じゃな。あとニキータ、貴様も罪人じゃ」
「えっ?」
「この者がさらわれたと聞いたのは昨日じゃ。おぬし、丸一日もその妖精を保護せず、生き証人にする為にそのままにしておいたな」
ニキータは『マズイ』といった表情をした。
「し、しかし、私は真実を明らかにする為に!それに夜は閉廷しているではないですか!」
「黙れ!何よりも妖精の保護を先んずる事、と『道徳法』に書いているはずじゃ!それを放り出して連れてくるとは……」
「長!お許しを!」
「おぬしにも相応の罰が待っておる故、覚悟する事じゃな」
そう言って、衛兵に何か命じると、衛兵はニキータとプーケを別々の場所に連れて行ってしまった。
「あなたもただじゃ済まないと思うわ……」
リーシャが言った。
「どうして?正当防衛じゃない!それに傷つけたわけでも無いのに!」
「地上生物の排泄物は、この世で最も汚らわしいもの。無食肉人種のあなたとは言え、許されるものじゃないわ」
私は肩を落とした。リーシャさえ私の言う事を信じてくれなかったからだ。
それにこの国の道徳はどこかずれている……
私はその後、衛兵に連れられて、役所の牢獄に入れられてしまった。結局同じ目に遭う運命なのか……
私は途方に暮れていた。
もしここから上手く逃げ出せたとしても、リーシャは、もう助けてくれないかもしれない。
私がリーシャの元に戻っても、リーシャには何の得も無いからだ。
リーシャは自分の意見を通す為に私を守ってくれていた。
私という、彼女の意見を裏付ける証拠が提出された今、助ける義理は無い。そう考えるとすべて納得できてしまう。
結局私には誰も仲間が居ないという事を再認識してしまい、悲しくなった。
私が牢の中で落ち込んで座っていると、微かな羽の音が聞こえた。
「いいザマだな」
やってきたのは、マーヤだった。
「どうしてここに?」
「ふふ、いい質問だな。確かにこの役所には、議論に関する目的が無い限り入れてもらえない。でも私は入れる。さてどうしてでしょう?」
マーヤはもったいぶった言い方をして私を小馬鹿にした。やはり私を出してくれる気など、さらさら無いようだ。
「ここにはニキータを助けに来ただけ。ついでに無様な人間を拝みに来たのさ」
私はつい言い返しそうになったが、それより少しでもこの国に関する情報が欲しかった。
幸い、この国にも道徳に関する観念があるようなので、情報さえあれば、出られる可能性が高まると思っていたからだ。
「どうして妖精は、人間を嫌っているの?」
「どうしてって、当たり前だろう!」
「人間なんて、他の生物を力で支配する、野蛮な種族なんだよ!」
「あなたたちだって力づくで私をさらったじゃないの!」
「あれは……も、目的の為にやむを得ない時だってあるのさ!」
マーヤはそっぽを向いて話を紛らわせてしまった。
「もういい。これから死ぬ人と話しても無駄ってものだ」
「死ぬって、まさか私は処刑されるの?」
「そうなるだろうね。これまでもそうだったし」
私は、村で起きている事件を思い出した。
「今まで何人の人間をさらったの!?」
「さあ?私が生まれる前からだからな。今まで妖精の事を知って、生きていた人間はいない」
私は、林で見つかった無残な死体を思い出した。
「林で見つかった死体はみんな無残な姿だったわ。あれはあなた達の仕業なの?」
「ああ。私たちが人間を『落とした』結果だろうね」
「なっ……!」
林でたまたま見つかった無残な死体は、猛獣に襲われたのでは無く、妖精の国から落とされた結果だった。
「なんて残酷な……」
「人間に言われたくないな」
「何よ!」
私は自分が処刑されるという事に内心動揺していたが、一歩も引かなかった。矛盾だらけの妖精の道徳に、納得がいかなかったからだ。
「こんな事してる場合じゃないわね。助けに来た私が捕まっちゃうわ」
「助けるったって、鍵は衛兵が持っているんじゃ……」
「私なら鍵なんて無くても大丈夫。と言っても、もうニキータを助ける理由も無いけど、リーダーとして仕方なく、な」
「え?」
「何でも無い……じゃあな。次に会う時はお前が処刑される時だな」
嫌味たっぷりにそう言うと、ニキータを探す為に、マーヤはどこかに行ってしまった。
周りが可愛らしい妖精ばかりで、実感していなかった。私はこのまま処刑されるを待つだけの身だという事をマーヤに突きつけられ、ようやく現状を理解し始めていた。
妖精の話なんて、村で一度も聞いた事が無い。
つまりそれはマーヤの言う通り、生きて帰った者がいないという確固たる証拠だ。
私は怖くなった。
善悪の道徳が狂っている事ほど恐ろしいものは無い。
人間が虫けら同然だという道徳観が一つあるだけで、殺人でも何でもまかり通ってしまう。
私は恐怖と共に胸の奥から湧き上がる感情に意識を向けていた。
このまま処刑されるだけでは死んでも死にきれない。
そう、大きな使命感のようなものを感じていた。
――その日の晩の事であった。
マーヤに助けられたニキータは、絶望していた。
妖精の国では、一度でも役所に捕まって投獄された者は不道徳者とみなされ、差別されてしまうからだ。更に言えば、いくら過激派と言えども、投獄されるというミスをしでかしたニキータは、帰っても居場所が無い事を思い知るだけであった。
せっかくリーダーであるマーヤの右腕にまで上りつめたのに、その権力が瞬く間に、地に落ちてしまったのだ。
ニキータが恨んでいるのは瑠璃では無かった。
放っておいても処刑される人間に怒りをぶつけても仕方ないと思ったのかもしれない。
いずれにせよ、怒りの矛先は黄色い妖精、プーケに向かっていた。
「あいつさえちゃんと牢屋番をしていればこんな事にはならなかったのに……」
ニキータは夜更けにプーケを呼び出した。3階の人気の無い建物の裏だった。
「なあに?にきーたちゃん、こんなじかんに。あいどるはよふかししちゃだめなのよ?」
いつもの調子で喋るプーケ。
「プーケ、お前にいいものがある」
ニキータがそう言うと、プーケの顔が青ざめた。
「もう『いいもの』はいやなの!」
プーケが癇癪を起こした。瑠璃の『いいもの』が汚物だったのを警戒しているのであろう。
ニキータには何が何やら分からなかったが、それもいつもの事なので問題にはしなかった。
「悪い悪い、でもとってもいいものなんだ」
「いいものってなに!にきーたちゃん、ないふもってるからこわいの!」
「ナイフなんて持ってないさ。ほら」
ニキータは両方の掌をプーケに見せた。何も持っていないのを確認するとプーケは安心した。
「ほら、こっちに来い。他の奴に見られちゃマズイものなんだ。特別にお前にだけ見せてやる」
「うん!なになに?」
そう言ってプーケが近寄った瞬間、鋭利なナイフがプーケを貫いた。
「うっ!」
そう叫んだきり何も言わず、プーケは大量の血を流して地面に倒れた。
ニキータは持っている物を見えなくする魔法を持っていた。
妖精の国にはナイフを作る資源など無かったが、人間をさらった際、いくつかの持ち物が国には出まわっていたのだ。
「お前は前から邪魔だったんだ。ナイフの存在も知られているしな」
ニキータは殺しが初めてでは無いような素振りだった。
死体は放置し血のついたナイフを3階のリーシャの屋敷、リーシャがよく使っている引き出しの中にそっとしまった――