1日目 ~ファンタジー(災難)のはじまり~
大木があった。
私がめいっぱい首を上に向けても、木のてっぺんどころか、枝さえ見えない。
大木の話を、大木の事を知らない人に話すと、決まってその大きさを小さく見積もる。
幹の直径を口にすれば、大抵驚いた顔が見られるが、そのあとすぐに『想像できない』と、困った顔をされるのがオチだ。
言うならば、その大木は『大地が大木を支えている』のでは無く、『大木が大地を支えている』とさえ言えるほどの大きさなのだ。
そういった例えを思い出す度に、私は頭を下げ、股の間から世界を逆さに見て、地球が根っこの上に乗っかっている様を見ていた。
私の名前は瑠璃。
華やかな名前だとよく言われるが、大木のある平原から少し離れた村に住んでいる、ただの村民である。
周囲に男の子が多かったせいか、私は時折、自分が女の子だという事も忘れて男の子達と遊んだ。
でもいつしかそれも飽きて、気づいたら大木の事ばかり考えるようになっていた。
校舎の屋上からよく大木を眺めたけど、枝の周りだけいつも霧がかっている。
年季のある先生でも、あの霧が晴れた所を見たことが無いそうだ。
妖精の仕業だとか、大木の神様の仕業だとかよく噂されていた。
もちろん私がそれで納得するはずがない。この目で見なければ、神様だって何だって信じない。私は、たまに自分でも扱いに困る頑固さを持っているのだ。
とは言っても、未だあの大木を囲う林にすら近寄った事が無い。と言うのも、あの林は入る事すら禁止されているからだ。
あの林に入った人間は、これまで何人も行方不明になっている。
ずっと行方不明のままの人間もいるが、無残な死体となって発見される者もいる。猛獣にやられたように、原形も無いほどめちゃくちゃな状態で発見されるものだから、誰も危ぶんで近寄らなくなった。
私は卒業したら町に行くつもり。でも、あの大木の秘密が分からないままでは心残りになってしまう。
だから私は密かに林に入る計画を立てていた。
今朝は昨日の雨も上がり、美しい陽気だった。
私は、濡れにくい丈夫なスニーカーを選んで外に出た。この日にしようと決めていた。
30分ほど歩き、大木を囲う林の前に来た。早朝の静けさが恐怖を誘う。最も、こんな時はどんな静けさだろうと恐怖になるのだが。
今までに林から戻って来た者は何人もいる。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせ、私は林の中に入った。
林では水たまりを避けて歩く。猛獣に気付かれでもしたら大変だ。
早朝なら、猛獣は寝ているだろうと思ってこの時間を選んだのだが、今考えると、ちょっと浅はかだったかもしれない。
私は恐怖が強まっていくのを感じた。
動物と呼べるものは、野鳥くらいしか見当たらなかったが、とりわけ、注意を奪う鳥の鳴き声さえ私には怖かった。
「景色ってのは、遠くから見るに限るよね……」
不安を紛らわす為に、心で思っている事が小声になって出る。
小声を発していると心が落ち着いていく……
私は過剰な緊張が少しずつ溶けつつあった。
だが次の瞬間、大きな黒い影が現れた!
「きゃあ!」
――鳥だった。私は大げさに腰を抜かしてしまった事を恥じた。
小声に頼って安心していると、突然の大きな音に対処できないんだな。私は一つ賢くなった。
今の声で猛獣に見つかったかもしれないと思い、私はなんとなく辺りを見回した。
すると、大木のある方向に何かが落ちているのを見つけた。
何だろう?恐る恐る近寄ってみると、それは40cmほどの大きさの、人の形をした…………そう、いわゆる『妖精』だった。
高まる心臓の鼓動を強く感じる。まさか妖精が実在するなんて……!
私は妖精が思ったより大きい事に驚いた。生まれたての赤ん坊より少し小さいという程度だった。
妖精は人間の言葉がわかるみたいだった。
「アナタノチカラスコシワケテ……アシ……クジイタ……」
妖精は小さな声で喋った。
私は驚きながらもじっくりと妖精を観察していた。髪はピンク色で、服は着ている。羽も、虫の羽を大きくしたような半透明の大きな羽だ。
「力を分けると言っても、私には何もできないわ。とりあえず家に帰って手当てしないと……」
「イイノ!ココニテヲアテテ……」
妖精は私の手を掴んで、足に手を当てさせた。すると足が緑色に輝き出した!
「アリガトウ。アナタ、オンジンネ……」
妖精はめいっぱいの笑顔を見せた。
泥にまみれていたので傷は見えなかったが、どうやら今ので治ったようだ。
「ワタシタチノクニニキテ……オンガエシシタイ……」
「国って?」
「コノキノウエヨ」
妖精は上を指差した。
私は驚いた。初めて訪れた林で、こんなにも早く大木の秘密を知る事ができるなんて!
心臓の鼓動を感じる。
私は期待を膨らませながら、妖精のご好意に甘えることにした。
妖精が私に触れると、私の体が宙に浮き始めた。
「えっ、えっ!?」
妖精が小さな笑みを浮かべた次の瞬間、すごいスピードで私と妖精は上空に向かって進み始めた。
「うわぁ!」
ぐんぐんスピードを上げ大木の、幹の傍を駆け上がる。
「ちょっと!ストップストップ!」
「ゴメンナサイ。マホウヲカケテ、5分クライシカコウカガナイノ・・・」
片言の言葉で妖精が呟いた。
何メートルくらい登ったのか全然分からなかった。何しろ生まれてこのかた、上空に向かってこんなに進んだ事が無いからだ。
そのまま2,3分進むと、霧に包まれた大木の枝らしきものが見えてきた。それまで一本も枝らしい枝が全く無い事に驚いた。
端から端まで何キロにも渡って伸びている枝。その枝には、びっしりと木の板が敷き詰められていた。
「ココガワタシタチノクニヨ・・・」
国という言葉が引っかかったが、その疑問はすぐに晴れた。
私たちが板の上に降り立つと、そこには夥しい数の妖精が忙しなく動いていた。沢山の建物、市場のようなもの、色んな服を着て飛び回る妖精達。そこは確かに国と呼んでもおかしくないほどのスケールであった。
大木の枝は、ほぼ垂直に、そして均等に枝を付けている。その上に上手く板が重ねられている状態だった。
ビルで例えると、1階、2階という風に階層がきっちりと分かれている。私達のいる一番下の枝が最も広いので、上を向くと階層の数が分かる。板が張り巡らされているのは、5階までのようだった。
これほど大きな木の枝全てに板が張り巡らされている。それが5階もあるのだから、その大きさは相当なものだった。
私は心が踊った。私の知らないこんな世界があるなんて……!
「サア、コッチニキテ・・・」
さっきの妖精が喋った。
私たちは、大木の幹に沢山かけてある、ハシゴを使って上に登り、3階の部屋に向かった。妖精は飛べるのに、ハシゴをかけているのが不思議だ。でも歩いている妖精もいるから、多分、常時飛べるわけでも無いのだろう。
私は沢山いる妖精をじっくりと眺めながらハシゴを登った。
女の子も男の子もちゃんといるが、みんな子供みたいな容貌だった。たまに覆面のようなもので顔を隠している妖精もいた。
妖精達の半分くらいは私のことを見ていたが、もう半分はまったく興味が無さそうだった。
私は3階の、ある大きな木造り(と言っても、ほとんどの建物が木造りなのだが)の家に入れてもらった。そこでは妖精たちがふざけあったり、物が浮遊してあちこち飛び回ったりしていた。
「お帰りなさい、ミーア」
私を連れてきた妖精はミーアというらしい。
「ただいま!ねえ、聞いて聞いて!この人全然臭くないのよ!」
ミーアが勢いよく流暢に喋りだした。さっきまでとは様子が全く違う事に驚いた。
「そう……やはり私達が正しかったのね!」
そう言ったのは、リーダー格と思われる、山吹色の短い髪をした妖精だった。
「ホントだ、全然臭くない!」
他の妖精も寄ってきた。なんで匂いの話ばかりなんだろう……
それに妖精はとても上手に人間の言葉を喋っている。
あの妖精は演技で私をここに連れてきたって事かな。
私に助けられた事など全く話さないミーアを見て、きっとそうだろうと思い、イラだった。
「あなたの事は私たちが守ってあげるからね」
リーダー格の妖精はそう言った。私は全くわけがわからなかった。
すると、後ろから誰かが建物の中に入ってきた。
「久々じゃないか。よくやった。」
赤毛の、カールした長髪の妖精だった。傍にはハンマーのようなものが浮いていた。
そしてその横には側近と見られる青毛の妖精と、後ろにはボディガードのような妖精が2人いた。
「マーヤ!あんたもこれまでだからね!」
リーダー格の妖精が、マーヤと呼ばれる赤毛の妖精に向かって怒鳴った。
マーヤは気分を害したらしく、怒鳴り返した。
「どういう意味だ!」
「この子を匂ってみなさい」
そう言われたマーヤは不思議そうな顔をしながら、私の近くで鼻を動かした
「う、うそっ!こんな事が……」
マーヤは私の体を、確かめるように何度も匂っていた。
リーダー格の妖精は得意そうな顔をしていた。
マーヤは露骨に顔を歪めていた。切れ長の目が一層細くなっていた。
「こんな事があっていいはずがない……」
「マーヤ様、いかがいたしましょう?」
青毛の妖精が尋ねた。マーヤは青毛の妖精に小声で何か呟いたかと思うと、背中を向けて去っていった。
それについて護衛の妖精も出ていった。
「一体何なの?私にも説明して欲しいんだけど……」
私はようやく口を開く余裕が出来たので、説明を求めた。
「これからあなたには役所に来てもらいます。そこで説明しますから」
と、リーダー格の妖精は淡白に返した。
私は期待を裏切られた事もあり、少し声を荒らげて言い返した。
「でも私は、助けた恩返しをするって言われて来たのよ?」
「そう。それは知らなかったわ、ごめんなさい。おもてなしは役所の後になってしまうけど、いいかしら?」
私はお礼をせがんでいるみたいで、それ以上何も言えなかった。
それ以上にこの妖精は、人の扱いに慣れているといった様子だった。
私の不満を感じ取ったのか、私をなだめるように、その妖精は笑顔を作った。
「私はリーシャ。よろしくね。あなたの名前は?」
役所は下から5階層目、つまり一番上にあった。
枝はてっぺんに向かうに連れて短くなっているから、5階層目はそれほど広くなかった。
静かで、ほとんどが整った建物ばかりだ。
隣には、リーシャ。あと他に2人の妖精が私の後ろについていた。
さっきのマーヤという赤毛の妖精にも護衛がいたが、この国はそんなに物騒なのだろうか。
それにリーシャ自身、彼女の身長を凌ぐほどの棍棒を宙に浮かせている。
私達は役所の入り口に来た。
私が入れる大きさの建物はそれほど多くないが、役所は私が見てもなかなかの大きさを誇っていた。
「連れてきたわ」
リーシャが言った。衛兵と見られる、揃いの長い棒を持った2人の妖精は、無言で道を空けた。
「さあ、こっちよ」
何も分からないまま入っていく。
私とリーシャが衛兵の横を通り過ぎる。
その瞬間、無言の衛兵が突然持っていた棒を構えた!
「ギャッ!」
後ろを歩いていた、リーシャの護衛の妖精が2人同時に棒で殴られた。
「きゃあ!」
私は腰を抜かしてしまった。棒は私の背丈より高く、力で何とかできるとは、まるで思えなかった。
「このっ!」
リーシャはすぐに棍棒を振り上げる。
宙に浮いていた棍棒が、勢い良く振り回された!
「ぐあっ!」
衛兵の一人が棍棒を受け、倒れた!
その時、もう一人の衛兵が棒を立てて、地面を2回打ち鳴らした。
すると、奥からもう2人、衛兵がやってきた。
リーシャは必死に私を守ろうとした。
しかし3人がかりの妖精には敵わず、なんなく倒されてしまった。
「さあ、来い!」
衛兵は私に触れた。すると私は宙に浮いて、行動の自由を奪われてしまった。
「ま、待て!」
リーシャが叫ぶのも虚しく、私は連れ去られてしまった。
私は手足をぶん回したが、空中に浮いた私がいくら動いても、滑稽な姿を晒すだけであった。なんなく私は『誘拐』されてしまったのだ。
私が連れてこられたのは一番下、1階層目の隅にある建物だった。
中には人間サイズとも思える牢屋があり、私はそこに入れられた。
間もなく、衛兵の姿をした妖精は去っていき、代わりに5人ほど妖精がやってきた。そして私を、さほど珍しそうにもせずに見てきた。
「こいつが新しい人間ね。全く臭くないそうよ」
「本当かしら。でもアレはするんだよね?」
「あたし、あれみたことないの」
「え、ホントに!?」
妖精達が話している。私には何のことか全く分からない。
「ほら人間、アレしてみなさいよ」
「アレって何よ!」
私は怒鳴った。
「うんちよ、うんち!」
すると、よほどその言葉が面白かったのか、傍の妖精が腹を抱えて笑い出した。
「はぁ!?」
私は怒った。何たる侮辱。少女を捕まえてそんな事をさせようとするなんて。
「うんちってすごい臭いがするんでしょ?」
「私嗅いだことあるけど、臭くて死ぬかと思ったわ」
「あれはこの世で最も汚いものよ。最悪だわ」
妖精がひっきりなしに喋る。
「あんた達だってするでしょ!」
私は言い返した。
「するわけないじゃない。あんな汚いもの!」
中央の妖精は言った。私はビックリして言った。
「じゃ、じゃあ何を食べてるの?」
「私達は何も食べない。雨と日光だけで生きられるの。あなた達みたいな低俗な生き物と一緒にしないでちょうだい」
正直驚いた。
でも糞をするからと言って、劣っているわけではない。
そう言いたかったけど、言っても聞きそうな連中では無かった。
「さあ、うんちしなさいよ!早く!」
私はその言葉に怒って牢を蹴った。大きな音にビックリして妖精達が後ずさりした。
「ふん、どうせその中に居たら、するしか無いんだから。せいぜい我慢していなさい」
妖精達は一人だけ牢屋番を残して去っていった。
するとまた間髪入れずに妖精が一人入ってきた。最初にいた青毛の妖精だった。
とても機嫌が悪そうだった。
青毛の妖精は牢屋番をしていた妖精に話しかけた。
「リーダーには何か考えがあるらしい。だからとりあえず弱らせておく。どっちにしろ消す事に変わりは無いがな」
青毛の妖精は壁に掛けていた棒を宙に浮かせ、私の所にきた。
消すって、もしかして私の事!?
私は恐怖した。だがその時、
「にきーたちゃん」
突然、牢屋番の妖精がニキータと呼ばれる青毛の妖精を呼び止めた。二人の妖精は目を合わせた。
「ああ。そうだったな。但しあの事は秘密だぞ。プーケ」
そのあと、ニキータは舌打ちをすると、棒を壁に掛けて出て行ってしまった。何とか棒で殴られるのは免れたようだ……
私を助けてくれたと思われる、プーケという妖精は黄色い髪をしており、左右にダンゴ状に髪を結ってある、とても可愛らしい妖精だった。
その妖精は青毛の妖精が出て行ったのを確認すると、こっちをむいて喋った。
「あたし、うんちみたことないの。みせてくれる?」
そう言って一人で笑い出した。
そして、壁に掛けてある棒――の一つ上に掛かってある巨大なハンマーを宙に浮かせて牢の中に入ってきた。
「ねえ?」
そう言った瞬間、ハンマーを振りかぶり、私の頬に思い切り叩きつけてきた。
「ギャッ!」
凄まじい痛みが頬を走る。
私は逃げようとしたが、すぐにその妖精に触れられ、宙に浮かされてしまった。
その後も妖精は情け容赦なく私にハンマーを叩きつけた。私は血を吐き、何か喋る力さえ失ってしまった。プーケは終止笑っていた。
「ふぅ。すっきりした。のどかわいちゃったなぁ。またあとでくるね」
プーケはそう言って、ハンマーを壁に掛けて牢屋番もせずどこかに行ってしまった。
私は自分の運命を呪った。
夜も深まった頃、プーケが帰ってきた。そして暗がりの中でうつ伏せになっている私を見て、
「やなことがあったの。きいてくれる?」
と言ってハンマーを宙に浮かせて牢の中に入ってきた。
それに合わせて、私は伏せていた体を起こした。
「妖精さん。いいもの見せてあげようか?」
「いいもの?なになに?」
プーケが近寄ってきた。
私はプーケの顔に投げつけた。
――そう、彼女達曰く『この世で最も汚いもの』を。
「それは私のうんちよ!」
そう聞くと、プーケはビックリした表情のまま固まった。私はその隙を見て牢から逃げ出した。
「ぎええええぇぇぇぇ!!」
妖精が叫び出す中、私は全力で逃げた。
あ、言っておくけど、実際に投げたのは靴の底についた泥。
連れ去られたのが雨あがりで本当に良かった。
ほとんど地上に降りない彼女達なら、とっさには見分けられないだろうと思ったけど、上手くいって良かった。
1階中央のハシゴを渡り、3階の、最初に案内されたリーシャの所まで脇目もふらず駆け抜け、潜り込むように入った。
リーシャが驚いた顔をして私の方を見た。
「瑠璃!良かった。生きていたのね!」
私は事情を全て話した。汚物と偽り、泥を投げつけた事は言わなかったが。
「そう、それは大変だったわね……でももう大丈夫よ。
明日、役所に行く事ができれば誘拐される事は無くなるわ。それまでは私達が絶対に守るから安心して」
私が助けた妖精、ミーアが傷を癒す魔法を持っていたおかげで、体の痛みは治まり、その夜は何とか安心して眠る事ができた。
一応これで恩返しは受けたけど、何か複雑な気分だ。