サイコパスとエンパス【後編】
連日の投稿ですみません。昨日が前編と書いてしまったもので、せっかくなので後編も書いておきます。と言っても頭の中のものをほりだしただけで、まとまりのないものかもしれませんが。
というわけで、サイコパスとエンパス【後編】です。昨日の【前編】はサイコパスについて、あと僕が出会ったサイコパスな人物について書きました。
前回の感想の中で書いてもらっていた、きっとそれはソシオパスというものだよ、とお声がありました。ネットで調べただけですが、サイコパスは生まれつきのもの、ソシオパスは後天性のもの、環境によってそうなったということ。すみません、僕もそこまで詳しくなくて、ソシオパスという言葉もはじめて聞きました。せっかく教えていただいた戯言士さんと、魔神さんに、嫌な言葉で返信をしてしまいました…ほんとにすみません。サイコパスという言葉が有名過ぎて、ほんとはソシオパスなんだけど、埋もれてしまってるような感じですかね…?僕の知識不足で不快な思いをさせてしまいすみません。
あ、でもタイトルはもうこのままでいきます、ややこしいので。
エンパスという言葉がサイコパスのことを調べる時に出てきました。正確にはサイコパスの対義ではないかもしれませんが、意味を調べるとでてきた言葉がこれです。
エンパス(Empath)とは、他人の感情やエネルギーをまるで自分のことのように強く感じ取り、吸収してしまうほど共感力・感受性が高い人の気質を指します。医学的な診断名ではありませんが、HSP(Highly Sensitive Person:Highly Sensitive Person)とも似ていますが、エンパスは特に「感情の共鳴・吸収」に特化しており、周囲の人の体調や感情の波に自分も影響を受けやすく、生きづらさを感じやすい反面、人間関係や自己成長に活かせる才能とも言えます。
共感をしすぎてしまう、という気質のことを言うみたいですね。これはどちらかというと良い性質な気がしますが、ただ無意識にも色んなことに共感をしてしまう、感情にも反応をしてしまう、そういうこともあるかもしれませんね。ほどよく共感ができて、ある程度は冷静に見ること感じることができるようなところも必要な気がしますね。
共感をできること、人の気持ちを分かろうとすること、誰かのために何かをしようとすること、誰かを思いやること。自分のためでなく、誰かのために何かをすること、ってなかなか難しいかもしれません。それが自分を犠牲にするものであったなら尚更です。ただ、そういう助け合いがあってこそ、この世の中って上手くまわっていくんじゃないでしょうか。
色々な技術が発達して、携帯電話からスマホになり、オンラインで色んなことができるようになりました。とても便利です。でも、便利になった分、とても冷たい世の中にもなっていると僕は思います。なんでもかんでもスマホがないとできなくなっていたり、何かといえばすぐアプリ。いいんですよ、便利にはなってますが、それができない、活用できない人はどうするんでしょう。時代遅れだと切り捨てられるんですか。
何かといえば、これが損だの得だの。コスパがどう、タイパがどう。いつから人間はそんなにせせこましくなってしまったんですか。しょうもない人間になってしまったんですか。
得にならなくてもいいじゃないですか。誰かが喜んでくれるなら。大切な人が笑顔になってくれるなら。困った人がいたら声をかけてあげたらいいじゃないですか。それが自分の何の得にならなくても。電車で酔っぱらいがふらふらしてて、ホームと電車の間に落ちそうになってたら、止めてあげて、座席に寝かせてあげたらいいじゃないですか。
その若者は何も感謝もせず、すやすや寝てますよ。でも命は助かったし、死にはしなくてもケガがなくてよかったじゃないですか。
僕はそんな場面に遭遇した時、うわっ!と避ける人ばかりで心が悲しかったです。下手するとスマホで撮影してこんな酔っぱらいがいた!とSNSにあげるやつ。そんなことにしか使えないスマホなら捨ててしまえばいいと思いますよ。
人間はいつからそんなに残酷になったのですか。優しさを示すと仇になると臆病になったのですか。やれパワハラだ、セクハラだと言われるから臆病になったんですか。可愛い女の子が寝ていたら助けるけど、汚いおっさんなら助けないですか?
かなり脱線してしまいすみません。
物事についてとても的を射ているなぁと思う、中庸という教えがあります。簡単に言うと、なんでもほどほどに、ということです。
先程のことを言うと、サイコパス及びソシオパスは、何事にも共感が出来ず、罪悪感のカケラもない、冷静に残酷なことができる。これは悪いほうに極端ですね。
この反対は、共感しすぎてしまう、罪悪感がありすぎる、何事にも考えすぎてしまう。これもまた極端な例ですね。
何事もほどほどにというのは、色々なことに言えると思います。たとえば飲食店のセルフオーダー。モバイルオーダーや、タッチパネルで注文をするお店が増えましたね。QRコードを読み込んでスマホで注文をしてくださいと。場合によったら良いかもしれません。人と接することなく注文でき、会計もセルフ。料理が運ばれる時か、受け取る時だけ対面する。あとは誰とも接しない。
ただ、これがいつもどんな時もそうだったらどうでしょう。聞きたいことがあってもスマホで調べてください。なんでもデジタルになっていき、使いこなせる人にはとても便利な世の中かもしれません。ただ、それができない人は?そもそもスマホじゃない人は?
スーパーのレジではまだ有人と無人と両方ありますね。どちらかを選べる。セルフレジが苦手な人もいます。そのようにすればいいような気もします。
銀行の口座でさえも、ペーパーレスになっていってますね。子供のための口座を作りたい時は?
原則ペーパーレスとなっています。胸を張っていう銀行員。そんな銀行つぶれてしまえばいいと思います。おっと暴言。
でもね、ご年配の方達がやっぱり家にお金置いとくと心配だから銀行に預けときたい。銀行にいく。ペーパーレスをすすめられる。よくわからない投資をすすめられる。わからない。結局帰る。どこを向いて仕事をしてるんでしょう。
仕事というのは様々ありますが、人に幸せを与えるためにしているのではないですか?金さえあればなんでもいい?それは間違いです。人の心を失ってしまっては、それこそロボットが支配するマトリックスのような世界になってしまう。
もう話が逸れまくってしまってるので、元の話は置いておきましょう。人は決して一人では生きてはいけません。一人暮らしで立派に生活しているよ!!それは一人で生きているとは少し違います。立派に仕事をして、お金を稼いで、そのお金で家に住み、食事をし、楽しく過ごしている。ただ、仕事ができているのは働く場所があるから、仕事があるからですし、お給料をもらえてるのはその会社や、誰かがお金を払ってくれているからです。
さらに言うと、そのお金を使えるお店、食材を買うスーパー、コンビニ、カフェ、居酒屋、本屋さん、そのどれもが人がいないと成り立ちません。
水道、ガス、電気、生活のライフラインも勝手に湧いてるわけじゃないですね。
当たり前のように過ごしている日々。それは決して当たり前のことではありません。かといって、ひとつひとつのことに、毎度毎度感謝をするのか?それはそれで大変です。まぁそれも極端ですよね。ここでまた中庸の精神です。すべてのことにありがたい、ありがたいと拝む必要はないかもしれませんが、たまには、あぁ、自分は一人で生きてはいない。誰かが頑張ってくれてるから、こうやって生きている。そのくらいは感じれるでしょう。
それに、そのほうが淋しくないんじゃないですか。私はこの世の中で孤独だ。誰も話す相手もなく、ただ淡々と生きている。天涯孤独だ…。
いや、孤独じゃないですよ。すでに生きている時点で、色んな人の助けを借りてるんだから。そして、そういう貴方も。誰かを助けるために生きている。
何もないよ。僕には、私には、俺には、あたしには、ワイには、何もない。誰も必要としていない。
そんなことないです。あなたが生きているだけで。それだけで、誰かの役には立っている。その誰かが、名前も知らない、顔も知らない誰かであっても。そういう意味で言うと、いらない人間なんてないんですよ。もし、思い悩み、辛く苦しみ、あぁ、やだなぁと思ったとしたら。
それは少し、タイミングが悪いだけかも。
めちゃくちゃ偉そうに語っていますが、これは僕が勝手に思っていることなので、人によって考えは様々だと思います。それこそこの考えに共感する人。嘘くさ〜!と引く人。綺麗事ばかり並べやがって、と思う人。色々あると思いますが、僕の…
くろくまの頭の中は、現在こうなっています。
そういうオチかい。
サイコパスとエンパスの話は消えてしまいましたが、まぁ遠からず近からずという感じで、話してみました。まぁまぁ踏み込んだ話をしていますので、賛否両論あると思います。次回からは、好きな食べ物とか、読んだ本のこととか、違うエッセイになりそうです。
長々とまとまりのない話ですみません。あと、内容によっては、気分を悪くさせてしまっていると思います。これは僕の勝手な解釈と想像と、ついでに言うと希望と理想をごちゃまぜにしたような意見なので、決してこれが正しいとはもちろん申しません。でも、こうあればなとは思っております。
次回のくろくまの頭の中は、少し先になるかもしれません。と言いながら、すぐの投稿になるかもですが。またよかったらお付き合いいただければ幸いです。




