第9話:そのツギハギは、前衛芸術(アバンギャルド)につき
魔界の荒野を、一台の豪奢な馬車が疾走していた。
牽引するのは、青白い炎を纏った四頭の「夢魔」。
漆黒の車体にはアビス家の紋章が輝き、本来ならば魔物たちがひれ伏して道を空けるはずの、威厳ある光景だ。
しかし、車内の空気は少々……いや、かなり微妙だった。
「……うう、揺れる。縫い目が、引きつる……」
「我慢してください、公爵様。あと少しで国境ですから」
向かいの席に座っているのは、継ぎ接ぎだらけの大男――仮のボディに入ったアビス公爵だ。
トロールの皮を無理やり縫い合わせたその姿は、フランケンシュタインの怪物そのもの。
馬車がガタッと揺れるたびに、彼(の仮ボディ)からは「ギチチ……」という不穏な音が鳴り、継ぎ目からピンク色の蒸気がシュウシュウと漏れ出す。
『リリエ……。やはり、私は影の状態で移動した方が良かったのではないか? この姿は、あまりにも君の隣に相応しくない』
公爵が、ゴツゴツした手で顔を覆う。
その仕草だけで、指の付け根の糸が一本、プツンと切れた。
「ダメですよ。アラクネ・シティは『織物の都』であると同時に、『形式美』を重んじる場所です。影のままで入国しようとしたら、『未加工の原糸』とみなされて紡績工場に連れて行かれますよ?」
『なっ……それは困る』
リリエはソーイングセットを取り出し、揺れる車内で器用に公爵の指を縫い直した。
「それに、私にとっては今の姿も愛おしいですけどね。……ほら、ここ。私が徹夜で縫ったステッチ、ハート型にしてあるの気づきました?」
『……! こ、これは……なんという愛の刻印……!』
公爵が自分の左手首を凝視する。確かに、縫い目が小さなハートを描いていた。
ボッ!!!
歓喜のあまり、首の継ぎ目から盛大にピンク色の蒸気が噴き出し、車内が視界不良になる。
「けほっ! もう、興奮しないでくださいってば! また破けちゃいます!」
前途多難なハネムーン。
けれど、リリエの口元には笑みが浮かんでいた。
こんなドタバタも、彼と一緒なら楽しい冒険だ。
***
やがて、馬車は急停止した。
窓の外を見れば、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
「わぁ……っ!」
二つの断崖絶壁の間に、巨大な銀色の「巣」が架かっていた。
それが、織物の都『アラクネ・シティ』の正体だ。
鋼鉄よりも強く、絹よりも美しい魔糸で編み上げられた空中都市。
無数の吊り橋が血管のように走り、その上を極彩色の衣装をまとった蜘蛛人族たちが行き交っている。
街全体が、巨大なレース編みの芸術品のようだ。
『……到着したか。ここが、アラクネ・シティ』
「すごい……! 空気中に漂う魔力まで、繊維みたいにキラキラしてる!」
職人の血が騒ぎ、リリエが窓に張り付く。
しかし、その感動はすぐに遮られた。
「おい、そこの薄汚い馬車! 止まれ!」
関所の門番――下半身が巨大な蜘蛛である男が、槍を突きつけてきたのだ。
彼は派手な刺繍入りのジャケットを着崩し、いかにも「業界人」といった風情で、馬車から降りてきた公爵(ツギハギ男)をジロジロと見た。
「ひ、ひぇっ……!?」
門番が悲鳴を上げて後ずさる。
無理もない。ツギハギだらけで、所々からピンク色の煙を吐く巨漢が現れたのだから。
「な、なんだその醜悪ななりは! ここは美と流行の発信地、アラクネ・シティだぞ! そんな粗大ゴミのような格好で入国できると思っているのか!」
『……粗大ゴミ、だと?』
公爵の瞳(サファイアの義眼)が、スゥッと冷たく細められた。
周囲の気温が一気に氷点下まで下がる。
たとえ仮の体でも、中身は魔界最恐のアビス公爵だ。その「威圧」だけで、門番の足(八本全部)がガクガクと震え始める。
「ひぃっ! な、なんだこのプレッシャーは……!」
『私の身なりを笑うのはいい。だが……このボディを仕立てた、私の妻の技術を愚弄することは許さん』
公爵の背後から、不定形の影がゆらりと鎌首をもたげた。
門番が恐怖で失禁しそうになった、その時だ。
「お待ちください、あなた」
リリエが公爵の前にスッと出た。
彼女はニッコリと、しかし目は笑っていない「営業スマイル」で門番に向き直った。
「門番さん。貴方、流行に疎いようですね?」
「な、なんだと? 小娘……」
「この継ぎ接ぎ(パッチワーク)こそが、今、魔界の最先端を行く『グランジ・ネオ・ゴシック』スタイルですけれど?」
「……は?」
門番がぽかんと口を開けた。
リリエは畳み掛けるように、公爵の腕の「ハート型の縫い目」を指差した。
「見てください、この意図的な不均一さ(アシンメトリー)。そして、内なる情熱を可視化したピンク色のスモーク・エフェクト。既存の『美しさ』へのアンチテーゼとして構築された、最新の前衛芸術ですわ」
「あ、アバンギャルド……?」
「ええ。まさか、ファッションの都の門番たる方が、この高度な概念を理解できないなんてこと……ありませんよね?」
リリエが小首を傾げると、門番は脂汗を流して泳いだ目をさせた。
ファッション業界において、「流行を知らない」と言われることは死刑宣告に等しい。
「も、もちろんだ! し、知っていたとも! グランジ……なんとか! いやぁ、実物を拝見するのは初めてで、つい取り乱してしまった!」
「ご理解いただけて嬉しいです。では、通っても?」
「ど、どうぞ! ウェルカム・トゥ・アラクネ・シティ!」
門番は慌ててゲートを開けた。
堂々と関所を通過するリリエと公爵。
馬車の中で、公爵が感嘆の息を漏らした。
『……すごいな、リリエ。口八丁で押し通るとは』
「ふふ、人間界の古着屋でバイトしていた時の経験が活きました。『あえてボロボロなのがお洒落』と言い張れば、大抵の人は信じるんです」
リリエは悪戯っぽく舌を出した。
頼もしい妻の姿に、公爵はまたしても胸を撃ち抜かれ、耳からプシューッと蒸気を吹いた。
***
アラクネ・シティの中心街。
そこは、まさに色彩の洪水だった。
通りの両側には高級ブティックが立ち並び、ショーウィンドウには見たこともない素材のドレスやスーツが飾られている。
道行く人々も洗練されており、リリエの目は輝きっぱなしだ。
「見てください公爵様! あのドレス、妖精の羽を織り込んでる! あっちは、サラマンダーの革を使ったジャケット!」
『うむ。……だが、君の仕立てた服の方が魅力的だ』
「もう、公爵様ったら」
二人が予約していたホテル『シルク・パレス』に向かって歩いていると、街頭の巨大なモニタースクリーンに、ある映像が映し出された。
足を止める群衆。
画面に映っているのは、傲慢なほどに美しい、白銀の髪を持つアラクネの女性だった。
彼女は六本の腕を優雅に広げ、カメラに向かって微笑んでいる。
『――さあ、愚民ども。そして世界中の迷える子羊たちよ。今年の「魔界オートクチュール・コレクション」も、わたくし、マダム・アラーニェが頂点をいただくわ』
その背後には、彼女が仕立てたと思われる、生きているかのように動くドレスが並んでいた。
美しく、完璧で、しかしどこか……冷たい。
「……マダム・アラーニェ?」
リリエが呟くと、隣にいた老紳士(蛾の魔人)が親切に教えてくれた。
「お嬢ちゃん、田舎から来たのかい? 彼女はこの街の支配者にして、魔界最高の『編み手』さ。彼女の作る服は『洗脳ドレス』なんて呼ばれていてね、着た者を虜にして、二度と脱げなくさせるという噂だよ」
「洗脳……ドレス?」
画面の中のマダム・アラーニェが、挑発的な視線を投げる。
『素材? 技術? そんなものは二の次よ。わたくしが作るのは「支配」。……今回、メインモデルを務めるのは、特別に招待した“あの方”よ』
あの方?
リリエが首を傾げた瞬間、画面のマダムが不敵に笑った。
『待っているわ、アビス公爵。……あなたのその強大な魔力こそ、わたくしの最高傑作を飾るに相応しい』
「――えっ?」
リリエと公爵の声が重なった。
ざわめく群衆。
公爵(現在はツギハギ男)は、バツが悪そうに視線を泳がせた。
『……そういえば、招待状に「モデルとして出演を乞う」と書かれていた気がする』
「聞いてませんよ、そんなこと!」
『文字が小さすぎて読んでいなかったのだ……!』
リリエは頭を抱えた。
ハネムーンでゆっくり素材探しをするはずが、いきなり「ファッションショーのメインモデル」としてロックオンされているなんて。
しかも、相手はこの街の支配者で、どうやら公爵の魔力を狙っているらしい。
リリエの職人としての直感が警鐘を鳴らす。
あのマダムの服は、危険だ。
公爵に着せたら、きっとロクなことにならない。
(……上等じゃない)
リリエは顔を上げた。
瞳に、静かな闘志の炎が宿る。
「公爵様。予定変更です」
『え?』
「素材集めは最速で終わらせます。そして……あのマダムよりも先に、私があなたに『最高のスーツ』を作ります」
リリエは、画面の中の傲慢な女王を睨みつけた。
「私の旦那様を、着せ替え人形になんてさせません。あなたを一番格好良くできるのは、世界で私一人だけだって、この街全員に証明してやりますから!」
宣戦布告。
アラクネ・シティの空に、甘いハネムーンの終わりと、激しい「お針子バトル」の開幕を告げる鐘が鳴り響いた。
(第9話 完)




