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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第二章 蜜月(ハネムーン)は、硝子の靴より歩きやすい靴で
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第9話:そのツギハギは、前衛芸術(アバンギャルド)につき

 魔界の荒野を、一台の豪奢な馬車が疾走していた。

 牽引するのは、青白い炎を纏った四頭の「夢魔ナイトメア」。

 漆黒の車体にはアビス家の紋章が輝き、本来ならば魔物たちがひれ伏して道を空けるはずの、威厳ある光景だ。

 しかし、車内の空気は少々……いや、かなり微妙だった。

「……うう、揺れる。縫い目が、引きつる……」

「我慢してください、公爵様。あと少しで国境ですから」

 向かいの席に座っているのは、継ぎ接ぎだらけの大男――仮のボディに入ったアビス公爵だ。

 トロールの皮を無理やり縫い合わせたその姿は、フランケンシュタインの怪物そのもの。

 馬車がガタッと揺れるたびに、彼(の仮ボディ)からは「ギチチ……」という不穏な音が鳴り、継ぎ目からピンク色の蒸気がシュウシュウと漏れ出す。

『リリエ……。やはり、私は影の状態で移動した方が良かったのではないか? この姿は、あまりにも君の隣に相応しくない』

 公爵が、ゴツゴツした手で顔を覆う。

 その仕草だけで、指の付け根の糸が一本、プツンと切れた。

「ダメですよ。アラクネ・シティは『織物の都』であると同時に、『形式美』を重んじる場所です。影のままで入国しようとしたら、『未加工の原糸』とみなされて紡績工場に連れて行かれますよ?」

『なっ……それは困る』

 リリエはソーイングセットを取り出し、揺れる車内で器用に公爵の指を縫い直した。

「それに、私にとっては今の姿も愛おしいですけどね。……ほら、ここ。私が徹夜で縫ったステッチ、ハート型にしてあるの気づきました?」

『……! こ、これは……なんという愛の刻印……!』

 公爵が自分の左手首を凝視する。確かに、縫い目が小さなハートを描いていた。

 ボッ!!!

 歓喜のあまり、首の継ぎ目から盛大にピンク色の蒸気が噴き出し、車内が視界不良になる。

「けほっ! もう、興奮しないでくださいってば! また破けちゃいます!」

 前途多難なハネムーン。

 けれど、リリエの口元には笑みが浮かんでいた。

 こんなドタバタも、彼と一緒なら楽しい冒険だ。

 ***

 やがて、馬車は急停止した。

 窓の外を見れば、そこには息を呑むような光景が広がっていた。

「わぁ……っ!」

 二つの断崖絶壁の間に、巨大な銀色の「巣」が架かっていた。

 それが、織物の都『アラクネ・シティ』の正体だ。

 鋼鉄よりも強く、絹よりも美しい魔糸マギ・シルクで編み上げられた空中都市。

 無数の吊り橋が血管のように走り、その上を極彩色の衣装をまとった蜘蛛人族アラクネたちが行き交っている。

 街全体が、巨大なレース編みの芸術品アートのようだ。

『……到着したか。ここが、アラクネ・シティ』

「すごい……! 空気中に漂う魔力まで、繊維みたいにキラキラしてる!」

 職人の血が騒ぎ、リリエが窓に張り付く。

 しかし、その感動はすぐに遮られた。

「おい、そこの薄汚い馬車! 止まれ!」

 関所の門番――下半身が巨大な蜘蛛である男が、槍を突きつけてきたのだ。

 彼は派手な刺繍入りのジャケットを着崩し、いかにも「業界人」といった風情で、馬車から降りてきた公爵(ツギハギ男)をジロジロと見た。

「ひ、ひぇっ……!?」

 門番が悲鳴を上げて後ずさる。

 無理もない。ツギハギだらけで、所々からピンク色の煙を吐く巨漢が現れたのだから。

「な、なんだその醜悪ななりは! ここは美と流行の発信地、アラクネ・シティだぞ! そんな粗大ゴミのような格好で入国できると思っているのか!」

『……粗大ゴミ、だと?』

 公爵の瞳(サファイアの義眼)が、スゥッと冷たく細められた。

 周囲の気温が一気に氷点下まで下がる。

 たとえ仮の体でも、中身は魔界最恐のアビス公爵だ。その「威圧」だけで、門番の足(八本全部)がガクガクと震え始める。

「ひぃっ! な、なんだこのプレッシャーは……!」

『私の身なりを笑うのはいい。だが……このボディを仕立てた、私の妻の技術を愚弄することは許さん』

 公爵の背後から、不定形の影がゆらりと鎌首をもたげた。

 門番が恐怖で失禁しそうになった、その時だ。

「お待ちください、あなた」

 リリエが公爵の前にスッと出た。

 彼女はニッコリと、しかし目は笑っていない「営業スマイル」で門番に向き直った。

「門番さん。貴方、流行モードに疎いようですね?」

「な、なんだと? 小娘……」

「この継ぎ接ぎ(パッチワーク)こそが、今、魔界の最先端を行く『グランジ・ネオ・ゴシック』スタイルですけれど?」

「……は?」

 門番がぽかんと口を開けた。

 リリエは畳み掛けるように、公爵の腕の「ハート型の縫い目」を指差した。

「見てください、この意図的な不均一さ(アシンメトリー)。そして、内なる情熱を可視化したピンク色のスモーク・エフェクト。既存の『美しさ』へのアンチテーゼとして構築された、最新の前衛芸術アバンギャルドですわ」

「あ、アバンギャルド……?」

「ええ。まさか、ファッションの都の門番たる方が、この高度な概念を理解できないなんてこと……ありませんよね?」

 リリエが小首を傾げると、門番は脂汗を流して泳いだ目をさせた。

 ファッション業界において、「流行を知らない」と言われることは死刑宣告に等しい。

「も、もちろんだ! し、知っていたとも! グランジ……なんとか! いやぁ、実物を拝見するのは初めてで、つい取り乱してしまった!」

「ご理解いただけて嬉しいです。では、通っても?」

「ど、どうぞ! ウェルカム・トゥ・アラクネ・シティ!」

 門番は慌ててゲートを開けた。

 堂々と関所を通過するリリエと公爵。

 馬車の中で、公爵が感嘆の息を漏らした。

『……すごいな、リリエ。口八丁で押し通るとは』

「ふふ、人間界の古着屋でバイトしていた時の経験が活きました。『あえてボロボロなのがお洒落』と言い張れば、大抵の人は信じるんです」

 リリエは悪戯っぽく舌を出した。

 頼もしい妻の姿に、公爵はまたしても胸を撃ち抜かれ、耳からプシューッと蒸気を吹いた。

 ***

 アラクネ・シティの中心街。

 そこは、まさに色彩の洪水だった。

 通りの両側には高級ブティックが立ち並び、ショーウィンドウには見たこともない素材のドレスやスーツが飾られている。

 道行く人々も洗練されており、リリエの目は輝きっぱなしだ。

「見てください公爵様! あのドレス、妖精の羽を織り込んでる! あっちは、サラマンダーの革を使ったジャケット!」

『うむ。……だが、君の仕立てた服の方が魅力的だ』

「もう、公爵様ったら」

 二人が予約していたホテル『シルク・パレス』に向かって歩いていると、街頭の巨大なモニタースクリーンに、ある映像が映し出された。

 足を止める群衆。

 画面に映っているのは、傲慢なほどに美しい、白銀の髪を持つアラクネの女性だった。

 彼女は六本の腕を優雅に広げ、カメラに向かって微笑んでいる。

『――さあ、愚民ども。そして世界中の迷える子羊たちよ。今年の「魔界オートクチュール・コレクション」も、わたくし、マダム・アラーニェが頂点をいただくわ』

 その背後には、彼女が仕立てたと思われる、生きているかのように動くドレスが並んでいた。

 美しく、完璧で、しかしどこか……冷たい。

「……マダム・アラーニェ?」

 リリエが呟くと、隣にいた老紳士(蛾の魔人)が親切に教えてくれた。

「お嬢ちゃん、田舎から来たのかい? 彼女はこの街の支配者にして、魔界最高の『編み手』さ。彼女の作る服は『洗脳ドレス』なんて呼ばれていてね、着た者を虜にして、二度と脱げなくさせるという噂だよ」

「洗脳……ドレス?」

 画面の中のマダム・アラーニェが、挑発的な視線を投げる。

『素材? 技術? そんなものは二の次よ。わたくしが作るのは「支配」。……今回、メインモデルを務めるのは、特別に招待した“あの方”よ』

 あの方?

 リリエが首を傾げた瞬間、画面のマダムが不敵に笑った。

『待っているわ、アビス公爵。……あなたのその強大な魔力こそ、わたくしの最高傑作を飾るに相応しい』

「――えっ?」

 リリエと公爵の声が重なった。

 ざわめく群衆。

 公爵(現在はツギハギ男)は、バツが悪そうに視線を泳がせた。

『……そういえば、招待状に「モデルとして出演を乞う」と書かれていた気がする』

「聞いてませんよ、そんなこと!」

『文字が小さすぎて読んでいなかったのだ……!』

 リリエは頭を抱えた。

 ハネムーンでゆっくり素材探しをするはずが、いきなり「ファッションショーのメインモデル」としてロックオンされているなんて。

 しかも、相手はこの街の支配者で、どうやら公爵の魔力を狙っているらしい。

 リリエの職人としての直感が警鐘を鳴らす。

 あのマダムの服は、危険だ。

 公爵に着せたら、きっとロクなことにならない。

(……上等じゃない)

 リリエは顔を上げた。

 瞳に、静かな闘志の炎が宿る。

「公爵様。予定変更です」

『え?』

「素材集めは最速で終わらせます。そして……あのマダムよりも先に、私があなたに『最高のスーツ』を作ります」

 リリエは、画面の中の傲慢な女王を睨みつけた。

「私の旦那様を、着せ替え人形になんてさせません。あなたを一番格好良くできるのは、世界で私一人だけだって、この街全員に証明してやりますから!」

 宣戦布告。

 アラクネ・シティの空に、甘いハネムーンの終わりと、激しい「お針子バトル」の開幕を告げる鐘が鳴り響いた。


(第9話 完)


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