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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第五章 偽りの聖女と、世界を染める虹色の反撃(レジスタンス)
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第33話:強制シャットダウン、夢幻の回廊へようこそ

 世界から音が消えた。

 風の音も、虫の声も、そしてあの賑やかだった廃都の息吹も。

 すべてが、粘つくような白い霧の中に飲み込まれてしまった。

 領主の館、大広間。

 勇者カイトは、薪が爆ぜる音だけが響く空間で、荒い息を吐いていた。

「……マジかよ。これ、ワンオペ(一人勤務)ってレベルじゃねーぞ」

 彼の周囲には、深い眠りに落ちた仲間たちが横たわっている。

 アビスとリリエは、折り重なるようにソファで眠っていた。

 クロードはルミナの手を握ったままカーペットの上で。

 幽霊メイドたちは形を保てずに薄い光の玉となり、宙を漂っている。

 魔獣たちも、ぬいぐるみのようになって動かない。

 カイトは、リリエが開発した『裏勝りコート』を引っ張り出し、一人ひとりに掛けて回った。

 表は地味な白だが、裏地には鮮やかな刺繍が施されたコート。

 それを掛ける行為が、今のカイトにできる唯一の「抵抗」だった。

「風邪引くなよ、おっさんら。……起きたら、特別手当ボーナス請求するからな」

 アビスの顔にコートを掛ける時、カイトの手が止まった。

 魔王の寝顔は、驚くほど穏やかだった。

 いつも不遜で、自信満々で、リリエのことになると見境がない最強の男。それが今は、無防備な子供のように安らかだ。

 それほどまでに、あの『歌』の強制力は強いのだ。

「……テツ。バリケードの状況は?」

「グォ……」

 入り口を見張っていたゴーレムのテツが、重々しく首を横に振った。

 館の窓や扉は、テツが家具や瓦礫を積み上げて塞いでいる。

 だが、白い霧は物理的な隙間など関係なく、壁を透過して染み込んでこようとしていた。

「チッ、結界ごと侵食されてるのか。……リリエのパーカーがなけりゃ、俺もとっくに夢の中だな」

 カイトはフードを深く被り直した。

 ミスリル繊維が微かに発光し、精神汚染を防いでいる。

 だが、頭痛は止まらない。脳の裏側をスプーンで削られるような、不快な感覚。

 ドォン!!

 

 突然、館の外壁が揺れた。

 ただの霧ではない。物理的な衝撃だ。

「……来たか」

 カイトは聖剣を掴み、立ち上がった。

 ウィンドウに敵性反応が表示される。

 数は――測定不能。

「テツ、ここは死守だ。リリエたちには指一本触れさせるな」

「グォ!!」

 カイトはテツと拳を合わせ、バリケードの隙間から外へと飛び出した。

 ***

 外の世界は、異界と化していた。

 廃都を彩っていた極彩色のネオンや、赤く輝く吸血薔薇の光は全て消え失せ、視界一面が乳白色の闇に覆われている。

 そして、その霧の中から、ゆらりと「それ」が現れた。

「……なんだありゃ。スライム? いや、ゴーストか?」

 それは、人の形をした白い泥のような存在だった。

 顔はない。足もない。

 ただ、王都の市民たちと同じ「白いローブ」のようなシルエットだけが、無数に蠢いている。

 【エネミー識別:純白の捕食者ブラン・イーター

 【特性:魔力吸収、精神同化】

「シャァァァ……」

 白き影たちが、カイトを見つけて口(のような穴)を開けた。

 そこから聞こえるのは、イノセントの歌声を歪ませたような、不協和音のノイズ。

「うるせぇんだよ! 夜中に騒ぐな!」

 カイトが地面を蹴る。

 聖剣一閃。

 先頭の影が両断される。

 だが、手応えがない。斬った端から霧となって再結合し、また人の形に戻っていく。

「物理無効かよ! クソゲーが!」

 影たちはカイトを無視し、魔力の匂いがする館へと群がろうとする。

 彼らの目的は殺害ではない。「同化」だ。

 眠りについたアビスやリリエの魔力を吸い尽くし、その存在を「白」の一部として塗り潰すこと。

「行かせるかぁぁっ!!」

 カイトは聖剣に魔力を込めた。

 切断ではない。放出だ。

「聖剣奥義・【ライトニング・バースト】!!」

 バリバリバリッ!!

 聖剣から青白い雷撃が放たれ、扇状に広がる。

 雷光が影たちを焼き焦がす。霧が蒸発し、嫌な臭いが立ち込める。

「ハァ……ハァ……! どうだ!」

 数十体を消滅させた。

 だが、霧の奥からは、さらに数百、数千の影が湧いてくる。

 終わりが見えない。

(……王都の毒蛇め。どんだけ執念深いんだよ)

 カイトは舌打ちする。

 あのフレデリック王は、軍隊を送る代わりに、王都中の「祈り」という名の魔力を凝縮して送り込んできているのだ。

 これは、個人の武力対、国家の総意システムとの戦いだ。

「でもな……!」

 カイトは聖剣を構え直す。

 震える膝を叩く。

「俺は勇者だ。……いや、今は『廃都グレイヴの警備員ガードマン』だ! 俺のシフトが終わるまで、この店は閉店させねぇ!」

 ズバッ! ドォン!

 カイトは踊るように戦った。

 リリエが作った服は軽い。動きやすい。

 まるで、彼女の手が背中を押してくれているようだ。

(思い出せ。リリエの言葉を。アビスの不敵な笑みを)

 孤独なゲーマーだったカイトにとって、ここは初めてできた「帰る場所」だ。

 温かいスープ。くだらない喧嘩。

 それを「白一色」に塗り潰されることだけは、我慢ならない。

 ***

 同時刻、王都シンフォニア。

 玉座の間で、フレデリック王は水晶玉に映るカイトの姿を見て、冷笑を浮かべていた。

「しぶといねぇ、異界の勇者よ」

 王はチェス盤の上にある、白いポーン(歩兵)の駒を大量に盤上にぶちまけた。

「だが、所詮は個人の力。……数の暴力と、システムによる圧殺。これこそが『統治』だ」

 王は指を鳴らす。

「イノセント。ヴォリュームを上げろ。……あの子守唄を、葬送曲レクイエムに変えてやれ」

 大聖堂の塔で、イノセントが大きく息を吸い込んだ。

 彼女の目から、血の涙が流れる。

 限界を超えた魔力の放出。

 キィィィィィィィン――――!!!

 高周波の歌声が、衝撃波となって北へ放たれた。

 ***

 廃都グレイヴ。

 カイトの耳元で、何かが弾ける音がした。

「ぐ、あぁぁぁぁぁっ!?」

 パーカーのフードが、耐えきれずに裂けた。

 ミスリル繊維が焼き切れ、カイトの脳に直接、歌声が突き刺さる。

 激痛。

 そして、その直後に訪れる、甘美な麻痺。

(あ……やば……)

 カイトの視界が霞む。

 聖剣を取り落としそうになる。

 目の前には、白い影の大群が迫っている。

「寝るな……寝ちゃダメだ……」

 カイトは自分の腕を噛んだ。血の味が口に広がる。

 だが、体は鉛のように重い。

 ドサッ。

 カイトは膝をついた。

 白い影たちが、彼を飲み込もうと覆い被さってくる。

「……クソ……。俺、まだ……こたつ……入ってねぇのに……」

 意識が途切れる寸前。

 カイトは最後の力を振り絞り、館の扉の前に立ちはだかった。

 そして、聖剣を扉の鍵穴に突き刺し、自らの体をバリケードの一部として固定した。

(絶対……開けさせない……)

 白い影が、カイトごと館を飲み込んでいく。

 廃都の灯りは完全に消え、世界は白一色の静寂に閉ざされた。

 ***

 ――そして、意識は沈む。

 深く、深く。

 物理的な世界から切り離され、精神の深淵へと落ちていく。

 リリエは、夢を見ていた。

 それは、幸せな夢ではない。

 彼女がまだ「リリエ・アールグレイ」という名前すら持たず、ただの「7番」と呼ばれていた頃の、灰色の記憶。

 冷たい石畳。

 破れた布切れ一枚を奪い合う、痩せこけた子供たち。

 孤児院という名の、子供捨て場。

『お前には価値がない』

『ゴミはゴミらしく、端っこで震えていろ』

 院長の声が響く。

 幼いリリエは、部屋の隅で膝を抱えていた。

 寒かった。お腹が空いていた。

 何より、心が寒かった。

 世界には色がなかった。空も、地面も、人々の顔も、すべてが濁った灰色に見えた。

(ああ……ここだ)

 眠りの中のリリエは理解する。

 ここは、私の原点オリジン

 私が最も恐れ、そして最も憎んだ場所。

 だが、その灰色の泥の中に、きらりと光るものがあった。

 幼いリリエが、ゴミ捨て場で拾い上げた、一枚の小さな端切れ。

 誰かが捨てたドレスの残骸だろうか。

 それは、鮮やかな「青」だった。

『……きれい』

 幼いリリエの瞳に、初めて光が宿った瞬間。

 その青い布切れを胸に抱いた時、彼女は知ったのだ。

 この一枚の布が、冷たい風を防ぎ、そして何より「惨めな自分」を「特別な自分」に変えてくれる魔法であることを。

(そう。……だから私は、針を持った)

 夢の底で、リリエの意識が覚醒しかける。

 だが、白い霧がそれを阻む。

 

『おやすみなさい、リリエ』

 どこからか、優しい声がする。イノセントの声だ。

『もう戦わなくていいの。ゴミ拾いなんてしなくていいの。……この真っ白な世界で、永遠に眠りましょう?』

 甘い誘惑。

 霧が、リリエの手から「青い端切れ」を奪おうとする。

(……離して)

 リリエは夢の中で、その布を強く握りしめた。

 現実世界では敗北したかもしれない。

 だが、ここからは精神こころの戦いだ。

 夢幻の回廊――それぞれのトラウマと記憶が交錯する迷宮の扉が、静かに開かれようとしていた。

 アビスもまた、別の夢の中にいた。

 そこは、彼が望んでも得られなかった「人間としての平凡な幸せ」がある世界。

 毒蛇王が仕掛けた、残酷なほどに甘い罠。

 強制シャットダウン完了。

 システム、再起動リブート

 ログイン先――【深層心理:迷宮ラビリンス】。

 世界を染める戦いは、物理次元を超え、魂の色を巡る最終局面へと移行する。


(第33話 完)


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