第3話:パッチワークの祈り、名前のない子供たち
「奈落の館」の中庭には、この世の果てのような静寂が満ちているはずだった。
しかし、その日の午後は違った。風に乗って聞こえてきたのは、衣類が擦れる不快な音と、押し殺したような小さな、すすり泣くような声だった。
私はアトリエの窓から下を見下ろした。
そこには三人の子供たちがいた。一人は背中に小さな、未発達な翼があり、一人は不自然に細長い腕が四本、もう一人は全身が半透明の鱗で覆われている。彼らは皆、かつて王都で「規格外」として放逐され、アビスに拾われた魔族の孤児たちだ。
私の目は、彼らの姿よりも先に、その「装い」に釘付けになった。
それは服と呼べる代物ではなかった。誰かが捨てた古い軍服の残骸や、煤けた麻袋を無理やり繋ぎ合わせた、継ぎはぎだらけのボロ布。翼のある少女の袖は、羽ばたくたびに突っ張り、皮膚を擦り剥いている。四本腕の少年の上着は、余分な腕を隠すために無理やり胴回りを太く仕立てられ、彼の華奢な体格を無様に押し潰していた。
「……また破けてる。これじゃ、院長先生に怒られちゃう」
翼のある少女が、力なく呟いた。
「院長」というその言葉が、私の脳内で鋭い火花を散らせた。かつて王都の最下層、灰色の孤児院で私を「7番」という番号で呼び、規格に合わない子供を「不良在庫」として処理していたあの男の顔が、鮮明にフラッシュバックする。
私は手に持っていた銀のメジャーを、指が白くなるほど強く握り締めた。
懐にある**「ロイヤル・ブルーの端切れ」**が、私の胸を焦がすように熱くなる。泥の中から拾い上げたあの日の青は、私にこう囁いている気がした。「そのままにしておくのか」と。
「そこ、止まりなさい。……今から公開処刑を始めるわよ」
私が中庭に足を踏み出すと、子供たちは怯えたように身を寄せ合った。彼らにとって、大人の接近は常に「選別」か「罰」を意味していたのだろう。
「……処刑? 僕たち、何か悪いことした?」
「ええ、大罪よ。その『絶望的に機能性のないゴミ』を纏って、私の美学を汚していること自体が、仕立て屋に対する反逆罪だわ。……全員、私の後に続きなさい。今すぐその拘束衣を脱がせてあげる」
魔導服飾の専門技術:立体裁断と「成長の余白」
私は三人をアトリエへと連行した。
広々とした作業台の上に、アビスから預かった「深淵の魔石」で浄化した、最高級の魔力伝導布を広げる。
子供たちは、贅沢な布の輝きに圧倒され、震える手で自分のボロ布を抱きしめていた。彼らにとって、服とは「隠すべき醜さ」を包む包帯でしかなかったのだ。
「いい? よく見てなさい。服っていうのは、貴方たちの欠点を隠すためのものじゃない。貴方たちの『個』を、この世界で唯一無二の誇りに変えるための旗なのよ」
> 【リリエのプロの眼:異形へのアプローチ】
> * 問題点: 異形の部位(翼や多腕)を「異常」として隠そうとする設計。それが関節の可動域を奪い、精神的な圧迫を与えている。
> * 解決策: 立体裁断による空間の再定義。布を平面で捉えず、着用者の動きをシミュレーションしながら「三次元のゆとり」を構築する。
> * 魔法的処理: **星魂糸**をプリーツ(ひだ)の中に多重に折り込む「可変構造」。子供の急激な成長に合わせて、魔力に反応して縫い目が自動的に拡張する「成長の余白」の付与。
>
私は指先を突き出し、集中力を極限まで高めた。
爪の隙間から、銀色に輝く星魂糸が溢れ出す。一本一本の糸に、私の精神力――魂の破片を編み込んでいく。
「一ノ型・派生――『空間縫合・万象の型紙』!」
私の指先が空中で踊る。
星魂糸は子供たちの複雑な輪郭を正確にトレースし、見えない型紙を構築していく。翼の子には、飛翔時の風圧を逃がすための流線型のスリットを。四本腕の子には、独立した四つの肩甲骨が干渉しないよう、バイアス方向に伸縮性を持たせた特殊なアームホールを。
(くっ……、やっぱり三人同時はキツいわね……!)
視界が急激に狭まる。心臓の鼓動が、耳の奥で鐘のように鳴り響く。
星魂糸は、術者の精神状態を鏡のように映し出す。少しでも迷えば、糸は切れ、子供たちの繊細な魔力回路を傷つけてしまう。私は意識を繋ぎ止めるため、わざと奥歯で舌を噛んだ。鉄の味が口の中に広がり、痛みが一時的に朦朧とした意識を覚醒させる。
「リリエ様! 鼻から血が出ています!」
鱗の少年が悲鳴を上げたが、私は止まらない。
「静かにしなさい。……今、貴方の『輝き』を一番綺麗に見せる角度を決めているんだから」
名前を縫い込む:誇りの再定義
どれほどの時間が過ぎたのだろうか。
作業台の上には、深い夜空を思わせるネイビーと、鈍く光る銀色の刺繍が施された三着のセットアップが完成していた。
「……できたわ。……袖を通してみて」
子供たちは、恐る恐る新しい服を纏った。
次の瞬間、アトリエに歓喜の声が上がった。
「動ける……! 翼がどこにも当たらない! それに、すごく温かいんだ……!」
「腕が……四本とも、自分の意思で動いてるみたいに軽い。今までの服は、僕を縛っていたんだね」
鏡を見た子供たちの瞳には、もはや怯えはなかった。そこに映っていたのは、醜いバケモノの子ではなく、王宮の騎士にも負けない気高き戦士のようなシルエット。
私はふらつく足取りで彼らに近づき、首元のタグを指差した。
「いい、そこを見て。……番号で呼ばれるのは今日でおしまいよ」
そこには、星魂糸で一文字ずつ、金色の美しい刺繍が施されていた。
「そのタグには、貴方たちの名前が縫い込んであるわ。この服を纏っている限り、貴方たちは誰の在庫品でもない。……世界でたった一人の、かけがえのない個人なのよ」
子供たちが、わっと声を上げて私に抱きついてきた。
小さな手の温かさ。翼の柔らかな感触。
かつて「7番」だった私が、ゴミ捨て場で一人で泣いていた夜に、誰かにして欲しかったことを、私は今、プロとして彼らに届けることができたのだ。
魔王の帰還と、王都の不協和音
「……全くだ。我輩の魔石を、ガキどもの布切れに使い切るとはな」
アトリエの入り口で、いつの間にかアビスが腕を組んで立っていた。
彼は不機嫌そうな声を装っているが、その瞳は、見違えるほど凛々しくなった子供たちの姿を、静かに肯定するように見つめていた。
「陛下……。領収書なら、私の命を削っておいたわ。文句ある?」
「フン、死なれては困ると言ったはずだ。……その顔を見ろ、幽霊の方がまだ血色がいいぞ」
アビスは大きな一歩で私に近づくと、倒れそうになった私の肩を、当然のように支えた。
その時、彼の外套のポケットから、一通の手紙が床に落ちた。
拾い上げたその手紙には、王都の威圧的な紋章――聖女イノセントが統べる「衣服管理局」の刻印があった。
『親愛なる奈落の守護者へ。……貴公の館にて、未認可の魔導服飾が広範囲で行われているとの報告を受けた。これは王都が定める「衣服管理法」に対する明らかな挑戦である。近日中に、一級査察官を派遣し、不適合品の全回収および焼却処分を執行する』
不適合品。回収。焼却。
その言葉が、私の逆鱗に触れた。
「……私の服を、焼却するですって?」
私はアビスの胸元を掴み、真っ白な顔で不敵に笑った。
「陛下。……査察官とやらが来たら、教えてあげましょう。……私の服は、焼くには少し『熱すぎる』ってことをね。……次のコレクションは、王都の正義をバラバラに解体する『反逆のドレス』に決まりだわ」
「……クク、いいだろう、リリエ。我輩も、その傲慢な査察官がどんな顔で脱がされるのか、楽しみにしているぞ」
王都から迫る、画一化という名の巨大な影。
それに対し、私は「個性」という名の針を研ぎ澄ませる。
奈落の館に住む異形の子供たちが、自由のランウェイを歩くその日まで、私の糸は決して途切れることはない。
第3話完




