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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第四章 玉座の毒蛇と、廃都に芽吹く愛の荊棘(イバラ)
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第26話:逃亡者たちの雪道、あるいは勇者のシフト変更

 北の国境付近、白銀山脈。

 そこは、吐く息さえ凍りつくような猛吹雪の世界だった。

 視界は白一色。天地の境目さえ曖昧なホワイトアウトの中を、二つの影が小さく蠢いていた。

「……はぁ、はぁ……っ」

 クロードの足が、膝まで雪に埋まる。

 感覚がない。

 最高級の革靴も、仕立ての良いウールのコートも、この大自然の暴威の前では紙切れ同然だった。

(……俺は、驕っていたな)

 クロードは、背中に負った重みを感じながら、自嘲気味に歯を食いしばる。

 王都の気候に合わせて「美しさ」と「シルエット」だけを追求した自分の服は、ここでは何の役にも立たない。

 リリエなら、どうしていただろうか。

 あいつならきっと、見た目は不格好でも、保温魔石を裏地に縫い付けた、生存するための服を作ったに違いない。

「……クロード、降ろして……」

 背中で、弱々しい声がした。

 ルミナだ。

 彼女は今、ただの少女として、寒さに震えている。

 かつての「聖女」としての加護は失われ、体温を保つ魔力さえ枯渇していた。

「私が重いから……これじゃ、二人とも……」

「黙っていろ」

 クロードは乱暴に、しかし決して離さないように彼女を背負い直した。

「俺は世界一のデザイナーだぞ? お前一人くらいの荷物、アクセサリーみたいなもんだ」

「……嘘つき」

「ああ、嘘だ。本当は鉛のように重い。……だがな、俺はこの『重み』が嫌いじゃない」

 クロードは前を見据えた。

 王都を出て三日。

 追っ手である「近衛蛇兵サーペント・ガード」は、執拗に追いかけてきている。彼らは、王都の毒蛇王が放った狩猟犬だ。

 目的は捕縛ではない。「狩り」を楽しむこと。

 だからこそ、わざと距離を取り、獲物が疲弊し、絶望する瞬間を待っているのだ。

「……クーン、グルルル……」

 風の音に混じって、獣の唸り声が聞こえた。

 近い。

 蛇兵たちが使役する魔獣『影狼シャドウ・ウルフ』だ。雪に紛れて音もなく忍び寄る暗殺者。

(ここまでか……?)

 クロードの視界が霞む。

 だが、その霞んだ視界の先に、奇妙な「光」が見えた。

 白一色の世界に、場違いなほど鮮やかな、紫と青のネオンサインのような輝き。

「……あれは……?」

 それは、山の向こうの盆地から天に向かって放たれている光の柱だった。

 まるで、「ここだよ」と迷子を呼ぶ灯台のように。

 ***

 同時刻、廃都グレイヴ。

 外の吹雪とは裏腹に、領主の館の中は暖炉の火と魔導灯で暖かかった。

 だが、その空気はピリピリと張り詰めている。

「ツムギちゃん、包帯用のさらしは煮沸消毒できた? テツ、予備のベッドの組み立て急いで!」

「キューッ!」

「グォ!」

 リリエが戦場指揮官のように指示を飛ばしていた。

 ダイニングテーブルの上には、食事の代わりに、薬草、糸、針、そして輸血用の魔導器具が並べられている。

 彼女の「嫌な予感」は、時間が経つにつれて確信へと変わっていた。

 指先の古傷が痛む。

 それは、かつてクロードと同じ工房で修行していた時代、何度も針で指を刺した時の記憶とリンクしている。

『……落ち着け、リリエ』

 アビス公爵が、リリエの肩に手を置いた。

『君の顔色が悪い。……客人を迎える前に、君が倒れては本末転倒だ』

「でも……! 近づいてるんです。すごく弱った、懐かしい気配が……」

 リリエは縋るようにアビスを見上げた。

「公爵様。……私、クロード様にはたくさん意地悪されました。私のデザインをダサいって笑ったし、下っ端扱いしてきました」

『ああ、知っている。我輩もあの男の気取った態度は好かん』

「でも……彼は、私の『ライバル』なんです。彼がいたから、私は負けたくなくて、ここまで針を磨いてこれた。……私の青春の一部なんです」

 リリエの目から、一雫の涙がこぼれる。

「だから、死なせたくない。……絶対に」

 アビスは目を細め、リリエの涙を親指で拭った。

 嫉妬? いや、そんなちっぽけな感情ではない。

 妻がそこまで想う相手ならば、それはアビスにとっても「守るべき身内」の範疇だ。

『……安心しろ。我輩のテリトリーに入った者は、たとえ死神であろうと連れ去ることはできん』

 アビスの影が、館全体を包み込むように広がった。

『それに、外には「最強の番犬」を配置してある。……そろそろ、吠える頃合いだろう』

 ***

 廃都の入り口、崩れかけた城門の上。

 勇者カイトは、吹き付ける雪をものともせず、仁王立ちしていた。

 彼が着ているのは、リリエ特製の「極寒冷地仕様・勇者ウェア(モッズコート風)」だ。

 フードの縁には、アビスが狩ってきた魔獣の毛皮があしらわれ、内側には発熱素材が使われている。

「……さみぃ」

 カイトは文句を言いながら、携帯食料の干し肉を齧った。

「なんで俺が夜勤なんだよ。勇者の労働基準法どうなってんだ。……なぁ、テツ?」

「グォ?」

 隣に立つゴーレムのテツが、雪をかぶったまま首を傾げる。

 テツもまた、関節部分が凍結しないように、リリエお手製の巨大なマフラーを巻かれていた。

「リリエのやつ、夕方からずっとソワソワしてやがんの。『来る』とか『予感がする』とか……オカルトかよ」

 カイトは鼻を鳴らす。

 だが、その目は決して油断していなかった。

 彼の手元に展開された半透明のウィンドウ――「勇者システム」のミニマップには、この周辺の地形情報がリアルタイムで表示されている。

 彼はこの数日で、自分の役割ロールを見つけつつあった。

 ここでは、誰も彼を「救世主」として崇めない。

 リリエは「力持ちのバイト君」と呼び、アビスは「生意気な小僧」と呼ぶ。

 だが、それが心地よかった。

 世界の命運なんていう重すぎる荷物を降ろして、ただ「この家の平和を守る」という、シンプルで具体的なクエスト。

「……ん?」

 カイトの目が、マップの端を捉えた。

 北の山脈ルート。

 白い雪原を表すマップ上に、微かな「赤い光点エネミーシグナル」が表示された。

 一つ、二つ……いや、十、二十。

 急速にこちらへ向かってきている。

「……来たな」

 カイトの雰囲気が変わった。

 バイト君の顔から、歴戦のプレイヤーの顔へ。

 彼はマップを拡大し、その光点の前を走る、二つの「青い光点フレンドリー」を確認した。

「生存者あり。……敵は、犬っころと……なんだありゃ? ステルス持ちの暗殺部隊か」

 カイトは立ち上がり、テツの肩をバンと叩いた。

「おいテツ、起きろ。仕事だ」

「グォ!」

 テツのルビーの瞳が赤く輝く。

「リリエの予感、的中だわ。……ったく、あの仕立て屋、予知能力(未来視)のスキルでも持ってんじゃねーの?」

 カイトは聖剣を抜いた。

 刀身が寒気の中で青白く輝く。

「シフト変更だ。……これより、土木作業員から『護衛任務エスコート』に切り替える」

 カイトが城門から飛び降りる。

 その背中には、リリエが刺繍した「S・Gセキュリティ・ガード」の文字があったが、本人は気づいていない。

 ***

 雪原。

 クロードの限界は近かった。

 足が動かない。体温が奪われ、意識が飛びそうになる。

 背中のルミナも、もう返事をしない。

「……クソッ……」

 倒れ込むように膝をつく。

 その周囲を、黒い影が囲んだ。

 影狼だ。

 十数匹の魔獣が、赤い目を爛々と輝かせ、涎を垂らして二人を見下ろしている。

 そして、その奥から、白いマントを羽織った男たちが現れた。

 近衛蛇兵。

 リーダー格の男が、仮面の下で冷笑を漏らす。

「追いかけっこは終わりだ、デザイナー殿。……陛下がお待ちだ。首だけでも持ち帰れば、報酬は変わらんのでな」

 男が剣を振り上げる。

 クロードはルミナを庇うように覆い被さった。

 魔法も、武器もない。

 あるのは、リリエへの対抗心だけで磨き上げた、プライドだけ。

(すまない、ルミナ……。俺の服は、お前を守りきれなかった……)

 刃が振り下ろされる――その瞬間。

 ズドォォォォンッ!!

 轟音と共に、クロードと兵士の間の雪原が爆発した。

 巻き上がった雪煙の中から、一人の少年が飛び出してきた。

「はいストップー! そこ、立ち入り禁止区域プライベート・エリアでーす!」

 軽い口調。

 しかし、その手に握られた聖剣は、蛇兵の剣を真っ二つにへし折っていた。

「なっ……!?」

 兵士たちが後ずさる。

 吹雪の中、パーカーのフードを被った少年が、ニヤリと笑って剣を担いだ。

「よお、おっさん。……ずいぶんボロボロの装備スキンだな。課金してねーのか?」

 カイトだ。

 彼の背後では、巨大なゴーレムのテツが、影狼を片手で掴み上げ、デコピン一発で彼方へと弾き飛ばしていた。

 ギャインッ! と情けない声が遠ざかる。

「ゆ、勇者カイト……!? 馬鹿な、貴様、魔王に殺されたのでは……!」

 蛇兵のリーダーが驚愕の声を上げる。

 王都の情報では、勇者は消息不明、あるいは死亡したことになっていたからだ。

「死んでねーよ。……むしろ、前よりコンディションいいくらいだ」

 カイトは首をコキコキと鳴らし、チラリと後ろのクロードを見た。

「生きてるか? ……安心しろ。ここから先は、俺たちの『庭』だ」

 カイトが剣を構える。

 その体から溢れ出るオーラは、王都にいた頃の刺々しい殺意ではない。

 もっと安定的で、強固な「守護」の光だった。

「さあ、かかってこいよ王都の犬ども。……『お客様』のチェックインの邪魔だ」

 廃都の灯りが、すぐそこまで迫っていた。

 絶望の雪原は今、勇者という最強のドアマンによって、希望へのエントランスへと変わったのだ。


(第26話 完)


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