第25話:吸血薔薇の温室、あるいは王都に響く粛清の足音
廃都グレイヴの復興は、勇者カイトという「重機」の投入により、劇的な加速を見せていた。
「らぁぁぁっ! 聖剣奥義・空裂斬!!」
ズババババッ!!
カイトが白銀の聖剣を横薙ぎにする。
本来なら魔王の首を飛ばすはずの斬撃が、今は庭園を埋め尽くす「雑草(人食い植物)」を綺麗に刈り取っていく。
「ふぅ……。どうだ、リリエ! 芝刈り完了だ!」
カイトが額の汗を拭い、ドヤ顔で振り返る。
その体には、リリエ特製の「作業用カジュアルウェア(泥汚れ防止・速乾機能付き)」が馴染んでいる。
「素晴らしいです、勇者様! 断面がスパッとしているから、植物へのダメージも最小限ね。さすが聖剣、最高の『園芸バサミ』だわ!」
「……褒められてんのか、武器を冒涜されてんのか分かんねぇ」
カイトは複雑な顔をしつつも、まんざらでもなさそうだ。
彼にとって、この数日間の労働は新鮮だった。
ゲームでは「ボタン一つ」で終わる作業が、ここでは自分の筋肉と技量を使い、目に見える成果(綺麗な庭)として残る。
NPCの好感度上げではなく、リリエやアビスからの「助かった」「すごい」という生身の感謝が、彼の乾いた心を潤し始めていたのだ。
『フン。まあまあの手際だな、小僧』
アビス公爵が、テラスから優雅に見下ろす。
『だが、本番はここからだ。……あの「温室」を開けるぞ』
アビスが指差したのは、館の裏手に佇む、巨大なガラスドームだった。
内部は赤い霧で満たされており、外から中の様子は窺えない。
かつての領主が、植物研究のために建てた魔導温室だ。
***
ギギギギ……。
錆びついた扉を、ゴーレムのテツが押し開ける。
ムワッとした熱気と共に、甘ったるい、しかしどこか鉄錆のような匂いが溢れ出した。
「うわ、なんかヤバい匂いすんぞ」
カイトが鼻をつまむ。
一行が足を踏み入れると、そこは「赤」の世界だった。
壁も天井も、そして地面も、真紅の蔦植物で覆い尽くされている。
そして、その中央に咲き誇っているのは、人の顔ほどもある巨大な薔薇だった。
花弁は濡れたように赤く、中心からは鋭い牙が覗いている。
「ギャァァァァッ!!」
薔薇が咆哮した。
植物のくせに叫び声を上げ、鞭のような蔦をカイトに向けて打ち込んできた。
「うおっ!? なんだこいつら!」
カイトが聖剣で蔦を弾く。
『ほう……『吸血薔薇』か。魔界でも希少な、高魔力植物だ』
アビスが解説する間にも、薔薇たちは一斉に襲いかかってくる。
どうやら、久しぶりの獲物(栄養分)に興奮しているらしい。
「燃やしますか!? 俺の火炎魔法なら一掃できますけど!」
カイトが手に炎を灯す。
「ダメ!!」
リリエが悲鳴に近い声を上げて止めた。
「燃やすなんてとんでもない! 見てください、あの花弁の色! 『ロイヤル・クリムゾン』よ!」
リリエは危険を顧みず、暴れる薔薇の前へと歩み寄った。
その目は、猛獣を見る目ではない。最高級のシルクを見つけた時の目だ。
「吸血薔薇の色素は、洗濯しても絶対に色落ちしない『永遠の赤』として伝説になってるんです! ああ、まさか群生地があるなんて……!」
「い、いや、食われるって! リリエ、下がれ!」
カイトが焦る。
だが、リリエは鞄から巨大な注射器(錬金術用の採取器具)を取り出し、ニッコリと笑った。
「あなたたち、お腹空いてるのよね? 美味しい『肥料』をあげるから、その赤いエキスを少し分けてくれない?」
リリエが取り出したのは、テツが地下の鉱脈から掘り出した「魔力結晶の粉末」を水に溶かしたものだった。
純度の高い魔力水。
それを薔薇の根元にザバッとかけると――。
「フ……フシュゥゥ……♪」
暴れていた薔薇たちが、ピタリと止まった。
そして、恍惚としたように花弁を震わせ、大人しくなったのだ。
どうやら、人間の血よりも、高純度の魔力の方が「美味」だったらしい。
「よしよし。今のうちに採取よ!」
リリエはハサミを取り出し、剪定(という名の収穫)を開始した。
「カイト君、そっちの蔦を押さえてて! 公爵様は水やりをお願いします!」
「……俺、勇者なんだけどな。なんで庭師やってんだろ」
カイトは文句を言いながらも、手際よく蔦を捌いてリリエをサポートする。
『諦めろ小僧。リリエの「創作意欲」の前では、魔王も勇者も下働きに過ぎん』
一時間後。
そこには、大量の真紅の花弁を抱えて満足げなリリエと、棘で生傷を作りながらも「クエスト達成感」を感じているカイトの姿があった。
「見て、この赤! これでドレスを染めれば、どんな夜会でも主役間違いなしだわ!」
リリエは花弁を光に透かし、うっとりと呟いた。
だが、その美しい「赤」を見つめるアビスの瞳には、ふと暗い影が走った。
『……赤、か』
血の色。命の色。そして、警告の色。
胸騒ぎがした。
この平和な開拓生活の裏で、王都に残してきた「火種」が、そろそろ燃え上がる頃合いではないか、と。
***
その予感は、最悪の形で的中していた。
王都シンフォニア、マイスター・クロードの工房。
かつて王室御用達だった看板を下ろした工房は、今は静まり返っていた。
だが、その静寂を破るように、多数の足音が響いた。
「……何の用だ」
クロードが作業の手を止め、入り口を睨む。
そこに立っていたのは、近衛蛇兵を引き連れた、フレデリック王その人だった。
「やあ、クロード。精が出るね」
王は杖をつきながら、工房の中を値踏みするように見渡した。
そして、部屋の隅で、慣れない手つきで編み物をしていた少女――元聖女ルミナに視線を止めた。
「おや、そこにいるのは……『廃棄品』の元聖女様かな?」
「ッ……!」
ルミナがビクリと肩を震わせる。
彼女は今、淡いピンク色のワンピースを着て、普通の少女として暮らしている。だが、王の冷たい視線が、かつての「道具」としての記憶を呼び覚ます。
クロードが、ルミナを庇うように前に立った。
「陛下。彼女はもう聖女ではありません。ただのルミナです。……何の用件でしょうか」
「用があるのはそっちではない。……『新しい聖女』の衣装合わせだよ」
王がパチンと指を鳴らす。
兵士たちの背後から、一人の少女が連れてこられた。
ルミナと同じ、白銀の髪。
ルミナと同じ、ガラス玉のような無機質な瞳。
だが、その瞳には光がない。完全に焦点が合っていない。
まるで、精巧なビスクドールのように。
「……なっ」
クロードが息を呑む。
ルミナも目を見開いた。
「……私と、同じ……?」
「紹介しよう。教会が秘密裏に培養していた『聖体クローン』の完成形。……コードネーム『イノセント』だ」
王は、人形のような少女の頭を撫でた。
「ルミナは感情などという不純物が混ざって壊れてしまったが、この子はいいぞ。自我がない。命令された通りに祈り、光り、死ぬ。……実に効率的だ」
吐き気を催すような言葉だった。
フレデリック王は、ルミナの「人間化」を失敗作と断じ、代わりの「部品」を用意したのだ。
「クロード。この子に最高の聖衣を作れ。……来週の即位式でお披露目だ」
「断る」
クロードは即答した。
「俺はもう、人を縛る鎖のような服は作らない。……俺が作るのは、人が生きるための服だ」
「ほう?」
王の目が細められた。
「王命に逆らうか。……まあいい。代わりの職人はいくらでもいる」
王はニヤリと笑い、ルミナを指差した。
「だが、古いモデルがその辺をうろついていると、新しい製品のブランドに関わる。……処分が必要だな」
ジャキッ。
蛇兵たちが一斉に剣を抜く。
ルミナの顔から血の気が引く。
だが、王はすぐに手を挙げた。
「まあ待て。余も鬼ではない。……猶予をやろう」
王は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、クロードの作業台に投げた。
「北の廃都に、面白い見世物小屋ができているそうだな? 魔王と仕立て屋の夫婦ごっこか。……そこに『聖女の残骸』を送り届ければ、良い嫌がらせ(プレゼント)になるかもしれん」
「……どういう意味だ」
「逃げるなら今のうちだ、という意味だよ。クロード」
王は楽しそうに笑った。
「ただし、国境までは『狩りの時間』だ。……我々の追っ手から逃げ切り、魔王の元へ辿り着ければ、命だけは助かるかもしれんぞ?」
これはゲームだ。
王は、勇者が寝返った廃都に対して、今度は「守るべき弱者」を送り込み、さらなる混乱を楽しもうとしているのだ。
「……行こう」
王が踵を返す。
人形のような少女『イノセント』は、一言も発さず、虚ろな目でルミナを一瞥して去っていった。
嵐が去った後の工房に、重苦しい沈黙が落ちる。
ルミナが震える手で、クロードの袖を掴んだ。
「クロード……私……私のせいで……」
「謝るな」
クロードは強く言い切り、ルミナの手を握り返した。その手は温かく、力強かった。
「……準備をするぞ、ルミナ」
「え……?」
「ここにはもう居られない。……北へ行く。あの騒がしい夫婦のところへ」
クロードは、作業台に置かれた羊皮紙――地図を睨みつけた。
「悔しいが、今、お前を守れる場所はあそこしかない。……リリエ・アールグレイの作る『服(結界)』の中だけだ」
***
廃都グレイヴ。
温室での収穫を終えたリリエたちは、夕食の準備をしていた。
吸血薔薇のエキスで染めたテーブルクロスは、鮮やかな深紅に輝いている。
だが、リリエの手がふと止まった。
指先に、針が刺さった。
ポツリと、赤い血の玉が浮かぶ。
「……痛っ」
『リリエ? どうした』
「いえ……なんだか、嫌な予感がして」
リリエは指先の血を見つめた。
その赤色が、温室の薔薇の色と、そして遠い王都に残してきた友人の瞳の色と重なる。
「公爵様。……テツに、街の入り口を見張らせておいてください」
『……何か来るのか?』
「分かりません。でも……『お客様』が来る気がします。それも、ボロボロに傷ついたお客様が」
アビスは真剣な表情で頷いた。
『承知した。カイトにも伝えておこう。……あやつ、文句を言いつつもパトロールを日課にしているようだしな』
北の空には、不穏な雲が渦巻き始めていた。
廃都の賑やかな復興生活に、王都からの冷たい風が吹き込もうとしている。
(第25話 完)




