第24話:最強の鎧を脱がす方法、あるいは孤独な少年の採寸(フィッティング)
廃都グレイヴの朝食は、意外にも優雅だった。
修復されたダイニングルームの長テーブルには、焼きたてのパン(テツ製)、新鮮な魔物肉のベーコン(アビスが狩った)、そして香り高い紅茶が並んでいる。
給仕をするのは、半透明のファントム・メイドたちだ。彼女たちはリリエが仕立てた「透けるクラシカルメイド服」を身に纏い、生前よりも嬉々として働いている。
だが、その平和な食卓に、一人だけ殺気立っている男がいた。
「……毒が入ってない保証は?」
勇者カイトだ。
彼は席に座ろうともせず、警戒心丸出しで皿を睨みつけている。その体には、昨晩「重装備すぎる」とリリエに指摘された金属プレートと、伸縮素材のジャージが張り付いたままだ。
「入ってませんよ。というか、貴方レベル50なんでしょう? 毒耐性スキルくらい持ってるじゃないですか」
リリエがバターを塗りながら呆れ顔で言う。
「……あるけど。そういう問題じゃねぇ」
カイトは苛立ちを隠せない。
彼の認識(ゲーム脳)では、ここは敵の本拠地だ。魔王と、その手下の魔女がいる場所だ。
なのに、昨晩通された客室はふかふかのベッドで、アメニティも完備されていた。幽霊たちは「枕の高さはいかがですか?」と聞いてくる始末。
調子が狂う。
これでは、敵を敵として認識できない。
『食わんのか? ならば我輩がもらうが』
アビスがフォークを伸ばす。
「食うっ! HP回復は基本だからな!」
カイトは奪い取るようにパンを鷲掴みにし、口に放り込んだ。
モグモグ……。
彼の動きが止まった。
「……うめぇ」
ボソリと漏れた本音。
彼はハッとして口を押さえたが、もう遅い。
コンビニ弁当のような味気ない携帯食料ばかり食べてきた彼にとって、リリエたちの食卓は、あまりにも暴力的に温かかった。
「美味しいでしょう? 隠し味に、少しだけ『マンドラゴラの蜜』を入れてますから。滋養強壮にいいんですよ」
「マンドラゴラ!? 毒じゃねーか!」
「適量なら薬です。……さて、勇者様。お腹も膨れたところで、お仕事の時間ですよ」
リリエがパンパンと手を叩く。
その合図と共に、給仕をしていた幽霊たちがサッと下がり、アビスが優雅に足を組んだ。
空気が変わる。
「仕事……? やっとかよ。ボス戦だな?」
カイトがギラリと目を光らせ、背中の聖剣に手をかけた。
やっとだ。やっと分かりやすい展開が来た。
暴力で語り合う、シンプルな時間。
だが、リリエが取り出したのは武器ではなかった。
メジャーと、針山だった。
「いいえ。貴方の『更生プログラム』第一弾。……そのダサくて痛々しい装備の『強制・お召し替え(チェンジ)』です」
***
「はぁ? 着替えだと?」
カイトは聖剣を抜き放ち、切っ先をリリエに向けた。
「ふざけんな。この装備は王都の鍛冶ギルドで作らせた『オリハルコン・メイル』だ。防御力、敏捷性補正、全属性耐性……現時点での最強装備だぞ。それを脱げって? 自殺しろってことか?」
「スペックは最強かもしれません。でも……」
リリエは一歩も引かず、カイトを真っ直ぐに見据えた。
「貴方、さっきから右肩を庇ってますね? それに、歩くたびに膝の裏で金属が擦れる音がします。……その鎧、貴方の骨格に合ってません」
図星だった。
カイトの眉がピクリと動く。
王都の職人たちは、彼の「ステータス」に合わせて最強の金属を選んだ。だが、彼の「肉体」そのもの――まだ成長途中である少年の華奢な体格――を無視して、既存の「勇者用テンプレート」に金属を流し込んだのだ。
結果、動くたびに皮膚が擦れ、骨が圧迫され、彼は常に鈍痛と戦っていた。
だが、彼はそれを「強くなるための代償」だと思い込んでいる。
「うるせぇ! 多少のダメージは自動回復で治る! 俺に必要なのは防御力だ! お前らの攻撃を防ぐためのな!」
ドォォォッ!!
カイトが床を蹴った。
音速の踏み込み。聖剣が光の帯となり、リリエへと迫る。
『――させん』
ガキンッ!
アビスの影が、刃を受け止める。
だが、今回の勇者の一撃は重い。影の壁に亀裂が入る。
「俺の攻撃力はカンストしてんだよ! 魔王ごと消し飛べ!」
カイトがさらに力を込める。
その瞳は、画面の中の敵を殲滅することだけに集中している「虚無」の色だ。
(やっぱり、このままじゃダメ……!)
リリエは確信した。
彼は自分自身すら「ユニット」として扱っている。痛みを無視し、数値を優先し、壊れるまで戦い続けるつもりだ。
そんな悲しい戦い方を、リリエは認めない。
「公爵様、拘束をお願いします! 5秒でいいです!」
『無茶を言う! ……だが、承知した!』
アビスが咆哮する。
影が爆発的に膨れ上がり、カイトの聖剣ごと、彼の四肢を絡め取った。
「なっ……!?」
「今です! ツムギちゃん!」
天井から、クモの魔獣ツムギが糸を吐き出した。
それは攻撃用の粘着糸ではない。極めて細く、強靭な「裁断用」の糸だ。
シュパパパパッ!
糸がカイトの鎧の隙間――留め具の一点に正確に巻き付き、引き絞られる。
「強制解除!」
リリエが叫びと共に、裁ち鋏を一閃させた。
パチンッ! ガシャァァァン!
ツムギの糸とリリエの鋏の連携プレーにより、カイトの胸部アーマーと肩パッドが弾け飛んだ。
「ぐわっ!?」
カイトがバランスを崩し、膝をつく。
最強の鎧を剥がされた彼は、薄っぺらいインナー姿になった。
そして、露わになったその体には――無数の痣と、擦り傷が刻まれていた。
敵につけられた傷ではない。
自分の鎧に食い込まれ、圧迫され、内出血を起こした痕跡だ。
「……やっぱり」
リリエは静かに歩み寄る。アビスも影を解き、沈痛な面持ちで見守る。
カイトは慌てて自分の体を隠そうとした。
「見んな……! 防御力が下がっただけだ……すぐに装備し直せば……」
「痛かったでしょう」
リリエの声は、驚くほど優しかった。
彼女はカイトの前に膝をつき、赤黒く腫れた肩にそっと手を触れた。
「こんなになるまで我慢して。……誰が貴方に、こんな重い『鎖』を着せたのですか?」
カイトの体が震えた。
王都の大人は言った。「勇者ならこれくらい装備できて当然だ」と。
教会の神官は言った。「神の加護があるから痛みなどないはずだ」と。
誰も、カイト自身の「生身の体」を見てくれなかった。
地下室の鏡の中で泣いていた、あの少年の姿を。
「……関係ねぇだろ……」
カイトの声が掠れる。
「俺は勇者だ……世界を救わなきゃいけないんだ……。そのためには、強くならなきゃ……NPCに期待なんてされてなくても、俺がやらなきゃ……」
ポロリ、と。
カイトの目から涙がこぼれた。
それは「キャラ崩壊」だった。強気なゲーマーの仮面が剥がれ、ただの迷子のような素顔が現れる。
「世界なんて、後回しでいいです」
リリエは鞄から、柔らかい布を取り出した。
それは昨晩、徹夜で仕立てた服だ。廃都で見つけた「ミスト・コットン(霧の綿)」と、ツムギの絹を織り交ぜた、肌触り重視の特製品。
「まずは、貴方自身を救いなさい。……お客様(勇者様)」
リリエは手際よく、カイトに新しい服を着せていく。
鎧ではない。
ゆったりとしたパーカーのようなトップスと、動きやすいカーゴパンツ風のボトムス。
だが、ただの服ではない。
アビスの魔力が繊維に織り込まれており、物理防御力はオリハルコン並み。さらに「自動治癒促進」と「精神安定」のエンチャントが付与されている。
「……え?」
袖を通した瞬間、カイトは目を見開いた。
軽い。
羽のように軽いのに、守られている感覚がある。
そして何より――痛くない。
擦り傷だらけの肌を、布地が優しく包み込んでいる。
「これ……装備? ステータス画面にも反映されてる……『宵闇の聖衣』……?」
「どうですか? 肩の周り、回してみてください」
言われるままに腕を回す。引っかかりがない。体が軽い。
「似合ってるぞ、小僧」
アビスが腕を組み、ニヤリと笑った。
「昨日のブリキのおもちゃのような姿より、よほど戦士らしい顔つきだ」
カイトは、近くの窓ガラスに映る自分の姿を見た。
そこには、武装した殺戮兵器ではなく、年相応の、少し生意気そうな少年の姿があった。
不思議と、その姿は嫌いじゃなかった。
「……ふん」
カイトは鼻をすすり、そっぽを向いた。
「ま、まぁ……悪くない性能だな。軽装備ビルドに切り替えるのも、メタ的にはアリだし」
素直にお礼は言えない。それが彼の精一杯の強がりだった。
だが、その頬はほんのりと赤い。
「お気に召したようで何よりです。……あ、ちなみにその服、お代は高いですよ?」
リリエが商人の顔になる。
「勇者様には、身体で払ってもらいます」
「はぁ!? な、何させんだよ!」
カイトが飛び退く。
「労働です、労働! この街の復興には、貴方のその無駄に高い攻撃力が必要なんです!」
リリエは窓の外、広大な瓦礫の山を指差した。
「あの岩山を崩して、整地してください。ゴーレムのテツだけじゃ手が足りないの。……報酬は、三食昼寝付き。そして、私が貴方の専属スタイリストとして、今後すべての装備をメンテナンスしてあげます」
それは、クエストの依頼だった。
「魔王討伐」よりも遥かに具体的で、そして誰かに必要とされる依頼。
カイトは新しい服のポケットに手を突っ込み、やれやれと溜息をついた。
「……チッ。期間限定イベントだと思えばいいか」
彼はリリエとアビスを睨み……それから、小さく笑った。
「いいぜ。そのクエスト、受けてやるよ。……飯が美味いからな、ここは」
こうして、最強の敵対者だった勇者は、最強の「土木作業員」としてリクルートされた。
だが、彼らはまだ知らない。
勇者が「討伐」を放棄し、魔王の側についたという事実が、王都の毒蛇王にとって「最大の計算外」であり、同時に「最も危険なカード」の完成を意味することを。
はるか南の王都では、水晶越しにその様子を監視していたフレデリック王が、冷たい笑みを浮かべていた。
「……ほう。勇者を『飼い慣らした』か。やはりあの仕立て屋、ただ者ではない」
王は手元のチェス盤にある「白のナイト」の駒を倒し、代わりに黒い塗装を施し始めた。
「ならば、次は『聖女』の番だな。……システムから外れた駒がどうなるか、見せてもらおうか」
廃都の復興は順調に進む。
だが、その背後で、世界そのものを揺るがす大きな亀裂が走り始めていた。
(第24話 完)




