第22話:地下回廊の守護者、あるいは歩く宝石箱への求愛(アプローチ)
廃都グレイヴの朝は、重苦しい紫の霧と共に明ける――はずだった。
「よし、ツムギちゃん! 次はそっちの窓枠にお願い!」
「キューッ!」
朝日(霧越しなので薄暗いが)の中、リリエの元気な声が響き渡る。
領主の館の庭では、巨大な蜘蛛の魔獣アラクネ・ロード――改め「ツムギ」が、器用に糸を吐き出し、崩れた外壁の補修を行っていた。
その糸は、ただの補修材ではない。
リリエの指導により、美しい幾何学模様のレース編みとなっており、ボロボロだった幽霊屋敷を「ゴシック・ロリータ風の隠れ家」へと変貌させつつある。
『……適応力が高いとは思っていたが、ここまでとはな』
テラスで優雅に(カップの中身はただの白湯だが)朝のひとときを過ごしていたアビス公爵は、眼下の光景に苦笑した。
リリエは、恐怖という感情のネジが数本外れている。
だが、その「歪み」こそが、この歪んだ廃都には合っているのかもしれない。
「公爵様! 見てください、ツムギちゃんの糸で作った『防虫・防犯ネット』です!」
庭から戻ってきたリリエは、泥だらけの顔を拭いもせず、満面の笑みを浮かべていた。
「これなら、低級な魔物は近づけないし、風通しも抜群です。……ふふ、素材費ゼロ円で最高のリフォームだわ」
『働き者だな、我が妻は』
アビスはハンカチを取り出し、リリエの頬の泥をそっと拭った。
『だが、あまり根を詰めすぎるなよ。……昨夜の「音」の正体も、まだ分かっていないのだから』
昨夜、館の地下から響いた地鳴りのような音。
それは一晩中、不規則なリズムで続いていた。まるで、地下で何かが呼吸しているかのような。
「そうでした。……地下室、行ってみましょうか」
リリエの目が、探究心(という名の物欲)で怪しく光る。
「もし鉱脈なら、結婚指輪の宝石、そこで掘り出せるかもしれませんよ?」
***
領主の館の地下への階段は、冷たく湿った空気に満ちていた。
アビスが手のひらに生み出した「影の灯火」が、青白く通路を照らす。
壁には古い時代の壁画が残っているが、何か鋭利な爪で引っ掻かれたように削り取られている。
『……妙だな』
アビスが足を止め、壁の痕跡を撫でた。
『これは魔獣の爪痕ではない。……剣痕だ。それも、かなり乱暴な』
「剣? 誰かが戦った跡ですか?」
『いや、一方的な破壊だ。この街が滅びた時、侵入者たちは「歴史」ごと消そうとしたのかもしれん』
アビスの言葉に、リリエは背筋が寒くなるのを感じた。
廃都グレイヴ。十年前に「呪い」で滅びたとされているが、その詳細は王国の歴史書にもあやふやにしか記されていない。
ただ「禁忌に触れたため、封鎖された」とだけ。
さらに奥へと進むと、巨大な鉄扉が現れた。
扉には厳重な魔法陣が刻まれているが、経年劣化で光を失っている。
「開きますか?」
『下がっていろ』
アビスが手をかざす。
ズズズズ……と重苦しい音を立てて、鉄扉がゆっくりと内側へと開いた。
その瞬間。
ガキンッ!!
金属同士が擦れ合う激しい音と共に、暗闇から巨大な拳が飛んできた。
『――ッ!』
アビスがリリエを抱え、バックステップで回避する。
轟音と共に、彼らが先ほどまで立っていた石畳が粉砕された。
土煙の向こうに現れたのは、身長三メートルはあろうかという巨人だった。
ただし、肉の体ではない。
全身が様々な金属片、宝石の原石、そして古びた鎧のパーツで構成された、ツギハギだらけの**「鉱石ゴーレム」**だ。
「グオォォォォ……!」
ゴーレムの頭部にある巨大なルビーの瞳が、敵意を持って赤く明滅する。
『ほう……「ミスリル」に「オリハルコン」の合金か。随分と贅沢な身体をしているな』
アビスがニヤリと笑い、戦闘態勢をとる。
『だが、動きが鈍い。……リリエ、少し待っていろ。すぐにスクラップにしてやる』
「ちょ、ちょっと待ってください!」
再びのリリエの静止である。
彼女はアビスの腕の中で身を乗り出し、ゴーレムを凝視した。
その目は、恐怖ではなく「検品」の目だ。
「あの関節の動き……錆びついているわけじゃない。何かが詰まってる?」
『リリエ? 何を言っている』
「公爵様、攻撃しないで! あの子、怒ってるんじゃなくて……『窮屈』なんです!」
リリエはアビスの腕から飛び降りると、無謀にもゴーレムの足元へ走った。
「グアッ!」
ゴーレムが腕を振り上げる。
アビスが影で防御壁を展開しようとするが、リリエは叫んだ。
「サイズが合ってないのよ!!」
その叫びに、ゴーレムの動きが一瞬止まった(ように見えた)。
リリエはその隙を見逃さず、ゴーレムの膝関節――金属板が重なり合っている部分に、鞄から取り出した「潤滑油(スライムの粘液を精製したもの)」をぶっかけた。
ギギッ……スルッ。
軋んでいた関節が、滑らかに動いた。
「やっぱり! 身体が成長(結晶化)しすぎて、鎧が食い込んでたのね。……可哀想に、痛かったでしょう?」
リリエは慈母のような(しかし手には巨大なスパナとハンマーを持っている)表情で、ゴーレムの装甲をコンコンと叩いた。
ゴーレムは困惑したようにルビーの瞳を明滅させた。
彼(?)は、この地下宝物庫の番人として作られた自律型兵器だ。侵入者は排除するようプログラムされている。
だが、目の前の小さな人間は、攻撃してこない。
それどころか、長年彼を苦しめていた「関節痛(駆動系エラー)」を取り除こうとしている。
「公爵様! 右肩のパーツが歪んでます! 影で押さえて!」
『……はぁ。承知した』
アビスは呆れながらも、影の手を伸ばしてゴーレムを拘束する。
今度は、巨大なゴーレム相手の「仕立て直し(メンテナンス)」が始まった。
リリエはゴーレムの体によじ登り、食い込んだ装甲板をハンマーで叩いて修正し、邪魔な突起をヤスリで削り落とす。
さらに、余分な装飾として付着していた宝石の原石を、「デザインが野暮ったいから」という理由でタガネで叩き割って採取していく。
「ふん! ぬっ! ……はい、これで肩周りの可動域が広がったはずよ!」
一時間後。
そこには、スッキリとしたフォルムになり、動きが滑らかになったゴーレムと、大量の宝石(削りカス)を手に入れたリリエの姿があった。
「グォ……」
ゴーレムは自分の腕を回し、その軽さに驚いているようだ。
彼はリリエの前に膝をつくと、恭しく頭を垂れた。
「よしよし。いい子ね。……今日からあなたの名前は『テツ』よ」
『ネーミングセンスが皆無だな』
アビスが肩をすくめる。
『だが、どうやら番人を手懐けたようだ。……これで、奥の部屋に入れるな』
テツ(元・殺戮兵器)は、主人の意図を察し、自ら重い鉄扉を押し開けた。
その奥に眠っていたのは、金銀財宝の山――ではなかった。
そこは、書庫だった。
壁一面に本棚が並び、中央には埃を被った机と、一冊の日記帳が置かれている。
そして、部屋の奥には、巨大な「鏡」が布に覆われて鎮座していた。
『……宝物庫ではないのか』
「でも、この本の量……古代の魔導書や、失われた技術書かもしれません!」
リリエは机の上の日記帳を手に取った。
表紙には『最後の領主、アルマン・グレイヴ』と記されている。
ページをめくると、そこには悲痛な文字で、街の最期が綴られていた。
――X月X日。王都より「聖女」が派遣されるという。
――彼らは言う。「この街の魔法技術は神の理に反する」と。
――馬鹿げている! 我々はただ、魔力で生活を豊かにしようとしただけだ。
――「白光」が来る。全てを消し去る光が。
――せめて、この地下に「真実」を隠す。いつか、色を愛する者がここを訪れることを願って。
「……これ」
リリエの手が震える。
「この街を滅ぼしたのは、呪いじゃなかった。……先代の『聖女』と、当時の王国軍だったんです」
アビスの表情が険しくなる。
『なるほど。都合の悪い技術を持っていたこの街を、異端として処理し、その事実を「呪い」というカバーストーリーで隠蔽したわけか』
彼は部屋を見渡した。
『そして、毒蛇王フレデリックは、その事実を知っていて我らをここに送った。「真実を知り、王家に牙を剥くなら、それもまた一興」とでも考えているのだろうな』
なんと食えない王か。
アビスとリリエがこの真実に辿り着くことすら、彼にとっては「想定内」のゲーム盤の上なのかもしれない。
「……許せません」
リリエが日記を閉じる。
「生活を豊かにする技術を、自分たちの都合で『悪』と決めつけて踏みにじるなんて。……職人として、絶対に許せない」
彼女の怒りに呼応するように、部屋の奥の「鏡」にかかっていた布が、ふわりと落ちた。
現れたのは、磨き上げられた水銀の鏡面。
だが、そこに映ったのはリリエたちの姿ではなかった。
鏡の中に映っていたのは――**「ボロボロの服を着た、泣いている少年」**の姿だった。
「……え?」
リリエが瞬きをする。
鏡の中の少年は、黒髪で、どこか見覚えのある顔立ちをしている。
彼は体育座りをして、膝に顔を埋めていた。
その背中には、見えない「孤独」という名の重い鎖が見えるようだった。
『……鏡の魔道具か? 過去を映しているのか、それとも遠隔地か』
アビスが警戒する。
だが、リリエには分かった。
その少年が着ている服――奇妙な伸縮素材の服。
それは、あの日、王城に現れた勇者カイトが着ていたものと同じだ。
「これ……勇者カイトの、過去?」
鏡の中の少年は呟いていた。
――どうせ、俺なんていらないんだ。
――ゲームの中だけが、俺の居場所なんだ。
――誰か、俺を見てくれよ。NPCみたいに通り過ぎないでくれよ。
それは、最強の勇者の仮面の下にある、あまりにも脆く、痛々しい本音。
彼がなぜ、あんなにも「ゲーム的」に振る舞い、他者を拒絶するのか。
その根源にある「承認欲求」と「孤独」が、鏡を通して溢れ出していた。
「……あの子、泣いてる」
リリエは鏡に手を伸ばした。
嫌な奴だと思っていた。礼儀知らずで、乱暴な侵略者だと。
でも、その心の「サイズ」は、彼が纏っている最強の鎧(虚勢)に比べて、あまりにも小さく、幼かったのだ。
『見るな、リリエ』
アビスがリリエの目を覆った。
『あれは心の深淵だ。覗き込みすぎれば、引きずり込まれるぞ』
「……でも、公爵様。分かりました」
リリエはアビスの手をそっと外し、力強い瞳で鏡を見据えた。
「あの勇者にも、必要なのは『討伐』じゃありません。『採寸』と、彼に本当に似合う『一張羅』です」
敵の弱み(トラウマ)を知ってしまった。
普通なら、それを攻撃に利用するだろう。
だが、リリエ・アールグレイは仕立て屋だ。
「寒そうにしている客」がいれば、たとえそれが敵であろうと、温かい服を着せてやりたいと思ってしまう。それが彼女の「業」であり、最強の「武器」だ。
パリンッ。
小さな音がして、鏡の映像が消えた。
地下室に静寂が戻る。
「……テツ。この書庫の整理、手伝ってくれる?」
「グォ!」
ゴーレムが力強く頷く。
リリエは日記帳を鞄にしまい、アビスに向き直った。
「公爵様。私たち、忙しくなりますよ」
『ああ。まずはこの廃都を復興させ、王家に舐められないだけの力をつける。……そして』
「来るべき勇者様(お客様)を迎えるために、最高の『おもてなし』の準備をしなくちゃ」
廃都の地下で手に入れたのは、財宝以上のもの。
「真実」という名の武器と、「敵の心」という攻略の糸口。
そして、頼れる力持ちのスタッフ(テツ)だった。
***
その頃。
廃都まであと数日の距離にある森林地帯。
勇者カイトは、野営の焚き火の前で、ふと悪寒を感じて体を震わせた。
「……なんだ? すげぇ寒気がする」
彼はステータス画面を開くが、バッドステータス(状態異常)の表示はない。
「風邪か? 勇者が風邪なんか引くかよ。……チッ、早くあの街に行って、暖かいベッドで寝てぇ」
彼は知らない。
その街で待っているのが、彼を倒そうとする魔王ではなく、彼の心のサイズを測り、精神的に丸裸にしようと待ち構えている「お節介な仕立て屋」であることを。
焚き火の煙が、北の空へと流れていく。
運命の再会まで、あとわずか。
(第22話 完)




