第21話:ようこそ呪いの都へ、まずはクモの巣のレースをいただきましょう
北の果て、廃都グレイヴ。
かつて栄華を極めた魔導都市は今、紫色に澱んだ濃霧と、建物を飲み込む巨大な荊棘に支配されていた。
音のない世界。
時折聞こえるのは、風が廃屋の隙間を通り抜けるヒューヒューという音と、何かが這い回る不気味な衣擦れの音だけ。
そんな「死の世界」のメインストリートを、一台の馬車がガタゴトと進んでいく。
「……ひどい有様だな」
馬車から降り立ったアビス公爵は、崩れかけた石造りのアーチを見上げ、顔をしかめた。
彼が纏うのは、王都を震撼させた『宵闇の帝王』の燕尾服ではなく、旅装用に仕立て直されたロングコートだ。それでも、その身から溢れ出る「魔王」の覇気は隠しようがない。
『瘴気の濃度は、魔界の深層並みか。人間が住めば三日で肺が腐るぞ。……やはり、あの毒蛇王め、最初から我らを殺す気で送り込んだな』
アビスが吐き捨てる。
だが、その隣に立ったリリエの反応は、まったく逆だった。
「わぁ……!」
リリエは目を輝かせ、くるくるとその場を回った。
「見てください公爵様! あの建物の壁、黒曜石ですよ! 磨けば最高のボタンになります! それに、あの絡みついている植物……『鉄錆薔薇』ですよね? 繊維を取り出せば、刃物を通さないドレスが作れます!」
『……リリエ?』
「あっちの霧も素敵! あの色、天然の染料に使えそうです。王都じゃ『合成染料』ばかりで味気なかったけど、ここならヴィンテージ加工し放題じゃないですか!」
リリエは鞄からスケッチブックを取り出し、猛然とメモを取り始めた。
彼女の目には、この廃墟が「ゴミ捨て場」ではなく、手付かずの「巨大な資材置き場」に見えているのだ。
『……ふっ。頼もしい限りだ』
アビスは苦笑し、リリエの肩を抱き寄せた。
『ならば、まずは拠点の確保といこうか。……あそこが、領主の館らしい』
アビスが指差したのは、街を見下ろす丘の上に建つ、古びた洋館だった。
屋根の一部は抜け落ち、窓ガラスは割れ、入り口の扉は片方が外れかかっている。
まさに、幽霊屋敷の王道を行く佇まいだ。
***
ギィィィィ……。
重い扉を開けると、そこは埃と静寂の広間だった。
シャンデリアは蜘蛛の巣に覆われ、床には枯れ葉が積もっている。
『……掃除だけで百年かかりそうだな』
アビスが指先を振るうと、影がモップのように広がり、足元の埃を払った。
その時だ。
ヒュッ――。
何かが、暗闇から飛来した。
それは無数の「白い糸」だった。
狙いはリリエ。
『――雑魚が』
アビスの反応は神速だった。
背後の影が一瞬で壁となって立ち上がり、飛来した糸を受け止める。
ジュワッ!
影に触れた糸が、酸のような音を立てて煙を上げた。
『ほう。我輩の影を溶かすとは、ただの蜘蛛ではないな』
アビスの殺気が膨れ上がる。
広間の天井、シャンデリアの影から、巨大な怪物が音もなく降りてきた。
八本の脚。鋼鉄のような剛毛。そして、人を丸呑みできそうな巨大な顎。
魔獣**『アラクネ・ロード』**。
本来なら、熟練の騎士団が一個小隊で挑むべきAランクモンスターだ。
「シャァァァァッ!!」
蜘蛛が威嚇音を上げる。
アビスの右手が漆黒の爪へと変化する。
『挨拶もなしか。……ならば、その不敬な八本脚、一本ずつもいで串焼きにしてくれる』
「待って!!」
アビスが飛びかかろうとした瞬間、リリエが叫んだ。
彼女は影の壁を乗り越え、あろうことか魔獣の目の前へと走り出した。
『リリエ!? 危ない!』
「ダメです公爵様! 殺しちゃダメ!」
リリエは両手を広げて、アビスと蜘蛛の間に割って入った。
そして、興奮気味に蜘蛛の「糸」を指差した。
「見てください、この光沢! 粘着性がありながら、絹のような手触り……これ、幻の素材『ミスリル・シルク』ですよ!」
『……は?』
「市場価格で1メートル金貨百枚は下らない高級品です! ああ、なんて美しいの……この子、生きた紡績工場だわ!」
リリエの瞳が、獲物を狙う肉食獣(アビス以上)の輝きを帯びる。
彼女は鞄から愛用の「裁ち鋏」を取り出すと、ジャキッと鳴らした。
「ねえ、あなた。殺されたくなかったら、私と取引しましょう?」
リリエは蜘蛛に向かって微笑んだ。
「その素敵な糸、私にちょうだい。代わりに……あなた、お腹空いてるんでしょう? あと、背中の毛並みがボサボサで痒くない?」
蜘蛛の動きがピタリと止まった。
魔獣としての本能が告げているのだ。
目の前の「魔王」も怖いが、この「ハサミを持ったメス」の方が、得体が知れなくて怖い、と。
「公爵様! ちょっとこの子の動きを止めててください! 採寸します!」
『……やれやれ。勇者よりもタチが悪い』
アビスは呆れつつも、影を伸ばして蜘蛛の八本脚を優しく(脱出不可能な強度で)拘束した。
そこからは、リリエの独壇場だった。
彼女は蜘蛛の背中に飛び乗ると、剛毛に絡まった汚れを魔法の櫛で梳き解き、古い角質を除去し、余分な糸を巻き取っていく。
「はい、ここが凝ってるわねー。いい糸が出そう」
「キュー……」
最初は抵抗していた蜘蛛も、リリエのゴッドハンドによるグルーミングに、心地よさそうに目を細め始めた。
十分後。
そこには、ツヤツヤの毛並みになった蜘蛛と、大量の高級糸を抱えてホクホク顔のリリエがいた。
「よし! 今日からあなたの名前は『ツムギ』ちゃんです! 我がアトリエの第一号スタッフとして歓迎します!」
「キュッ!」
ツムギ(元凶悪魔獣)は、忠誠を誓うようにリリエに頭を擦り付けた。
『……信じられん。Aランク魔獣を、家畜扱いとは』
アビスが額を押さえる。
だが、リリエは真顔で答えた。
「適材適所です。さあ、ツムギちゃん。その脚力で、天井の掃除をお願いできる?」
こうして、最強の「清掃係」が誕生した。
***
日が暮れる頃には、広間は見違えるように綺麗になっていた。
ツムギが天井の塵を絡め取り、アビスの影が床を磨き上げ、リリエが持ち込んだ布で即席のカーテンを吊るしたのだ。
中央には、焚き火がパチパチと燃えている。
リリエたちは、持ち込んだ保存食でささやかな夕食をとっていた。
『……悪くない』
アビスが、磨かれた窓ガラスに映る月を見上げて呟く。
『王都のきらびやかな夜会よりも、この静寂の方が、我輩には性に合っているようだ』
「ふふ。私もです。ここなら、誰にも邪魔されずに、好きな服を作れますから」
リリエはスープを啜りながら、アビスの横顔を見つめた。
王都では常に気を張っていた彼が、ここでは無防備な表情を見せている。
この廃都は呪われているかもしれない。でも、二人にとっては「隠れ家」だ。
「公爵様。……私、ここで最高のドレスを作って見せます」
『ほう? 誰のためのドレスだ?』
「決まってるじゃないですか。……世界を敵に回しても私を守ってくれた、貴方のための『王衣』です」
リリエの言葉に、アビスが目を見開く。
彼女は続けた。
「王都の人々は貴方を『影の公爵』と呼びました。でも、ここでは違います。貴方はこの国の王で、私はその王妃。……あの毒蛇王も、勇者も、誰も手出しできないような、最強で最高に美しい国を作りましょう」
それは、愛の告白であり、宣戦布告だった。
アビスはカップを置くと、リリエの腰を引き寄せ、その唇を塞いだ。
甘く、深い口づけ。
王都のバルコニーでしたそれとは違う、生活の匂いと、未来への誓いが混じった味がした。
『……ああ。共に行こう、リリエ。我輩の全てを、君に預ける』
二人の影が、焚き火の光で長く伸び、重なり合う。
その時。
館の地下深くから、ゴゴゴゴ……という地鳴りのような音が響いた。
「……地震?」
『いや、違う』
アビスの目が鋭く光る。彼は床に耳を当て、深淵の音を聞いた。
『……魔力の脈動だ。この館の地下に、何かが封じられている』
「封印……?」
『あの毒蛇王が、なぜここを我らに与えたのか。単なる嫌がらせだけではないかもしれん』
アビスはニヤリと笑った。
『面白くなってきた。どうやら「素材」は、地上だけではないようだぞ』
リリエもまた、不安がるどころか、地下への扉を見つめて唇を舐めた。
「地下……ということは、鉱物系ですね? ジュエリーの素材も不足してたんです!」
恐怖のダンジョンさえも、彼女にとっては「鉱山」でしかない。
その頃。
はるか南の街道では、勇者カイトが苛立ちを露わにしていた。
「あー、マジだりぃ。なんで俺が徒歩で移動しなきゃなんねーんだよ。ファストトラベル機能くらい実装しとけっての」
彼はモンスターをなぎ倒しながら、確実に北へと近づいていた。
そのレベルは、王都にいた時よりも遥かに上昇している。
廃都グレイヴに役者は揃いつつある。
魔王、仕立て屋、家畜化した蜘蛛、地下の封印、そして迫り来る勇者。
静かだった死の都は、今まさに、かつてないほど騒がしく、そして「お洒落」に生まれ変わろうとしていた。
(第21話 完)




