第20話:勇者という名の、タチの悪い「お客様」
その少年は、シャンデリアの輝く舞踏会場にはあまりに不釣り合いな格好で現れた。
動きやすさだけを追求した奇妙な伸縮素材の服に、無骨な金属プレートを張り付けただけの、色気も情緒もない装備。
だが、その手に握られた白銀の剣だけが、異様な存在感を放っている。
「……あー、やっと見つけた。マップ機能がバグってて焦ったけど、ここがボス部屋か」
少年――聖教国から派遣された勇者、カイトは、ガムを噛むような軽い口調で呟いた。
黒髪に黒目。リリエたちの国にはない顔立ち。
その瞳は、目の前にいる国王や貴族たちを人間として見ていない。まるで、画面の中のデータ(NPC)を見ているような、冷めた無機質さがあった。
「おい、そこの黒いの」
カイトが切っ先をアビスに向ける。
「お前が魔王級のネームドモンスター、『影の公爵』だな? レベルは……げっ、測定不能? マジかよ、いきなり隠しボス引いたわ」
会場が凍りつく。
アビスの眉がピクリと動いた。
『……ネームド、モンスターだと? 我輩を誰だと思っている。ヴォイド公爵家の当主にして、この国の……』
「あー、会話イベントはスキップで。長いし」
カイトはアビスの言葉を遮り、屈伸運動を始めた。
「俺、さっさとクリアして元の世界に帰りたいんだよね。お前倒せば、大量の経験値とレア泥ありそうだし。……悪いけど、サクッと死んでくんない?」
殺意ですらない。ただの「作業」として、彼はアビスの死を求めた。
その軽薄な態度に、アビスの影が怒りで膨れ上がる。
『……不愉快だ。貴様のような礼儀知らずな小僧が勇者とは、聖剣も目が曇ったか』
「はっ、負け惜しみ乙。いくぞ、初手ブッパで沈めてやる」
カイトの足元が爆発的に発光した。
魔法の詠唱もない。予備動作もない。
ただ「スキルを発動した」という事実だけが具現化し、彼に音速を超える加速を与えた。
キィィンッ!!
白銀の刃が、アビスの首を薙ぐ――寸前。
ガギィィィンッ!
アビスの前に割り込んだ「何か」が、聖剣の一撃を受け止めていた。
「……は?」
カイトが目を見開く。
聖剣を防いだのは、盾でも魔法障壁でもない。
巨大な「裁ち鋏」だった。
リリエが、全身に魔力を巡らせ、アビスを庇うように立っていたのだ。
「ちょっと、お客様」
リリエは、至近距離で勇者を睨みつけた。その瞳は、アビスを侮辱された怒りで燃え上がっている。
「いきなり押しかけてきて、商品(旦那様)に傷をつけようとするなんて……。どこの田舎のしきたりですか?」
「はぁ? なんだお前、モブのくせに硬ぇな……」
「モブじゃありません。この人の『専属スタイリスト(妻)』です!」
リリエは鋏を一閃させ、勇者を弾き飛ばした。
カイトは空中で身を翻し、着地する。
「へぇ……。魔王にバフかけてる支援職か。先にそっちから処理するのがセオリーだな」
カイトの目が、リリエを「敵」として認識した瞬間。
『……貴様』
地獄の底から響くような声が轟いた。
アビスだ。
彼の背中から、先ほどの比ではない濃度の「影」が噴き出した。会場の照明が一斉に爆ぜ、闇が広がる。
『我輩を愚弄するのは許そう。だが……リリエに刃を向けたその罪は、万死に値する』
「おっと、第二形態か? 面白ぇ!」
一触即発。
王城が崩壊しかけたその時。
「そこまでだ、馬鹿者ども!」
パンッ! と乾いた音が響いた。
フレデリック王が、優雅に扇子を閉じた音だった。
「ここは神聖なる祝勝会の場。余の城を壊すなら、修理費として勇者殿のその聖剣を没収するが、よいか?」
「チッ……。イベント強制終了かよ」
カイトは舌打ちをして剣を収めた。どうやら「王の命令」というシステム上の制約には逆らえないらしい。
王はニヤリと笑い、アビスとカイトを交互に見た。
「勇者よ。貴殿の目的は『魔王の討伐』であったな?」
「まあ、そうっすね。魔王倒さないと帰れない縛りなんで」
「ならば、好都合だ。アビス公爵はこれより、北の果て『廃都グレイヴ』へ向かう。そこは強力な魔物が巣食う、未踏のダンジョンだ」
ダンジョン。
その単語に、カイトの目が輝いた。
「……おいしい狩場ってこと?」
「うむ。手付かずの宝も眠っておるかもしれんぞ。ここで騒ぎを起こすより、北の大地で存分にやり合った方が、実入りがいいのではないか?」
王の巧みな誘導。
カイトは少し考え込み、ニヤリと笑った。
「りょ(了解)。確かに、ここで衛兵呼ばれるとダルいしな。……いいぜ、魔王。その『廃都』とやらで待っててやるよ。レベリングしてから行くから、首洗ってろ」
カイトはアビスを指差し、それからリリエに向かって親指を下げて見せた。
「そこの仕立て屋。お前のその服、ダサくはないけど……ステータス補正弱そうだな。俺が『最強装備』見せてやるよ」
捨て台詞を残し、勇者は窓枠を蹴って夜の街へと消えていった。
「……なんだ、あいつは」
リリエは、怒りと困惑で震えていた。
言葉は通じるのに、話が通じない。
まるで別の次元の理屈で生きている、嵐のような少年だった。
***
翌朝。
アビスとリリエを乗せた馬車は、王都の門をくぐっていた。
見送りは少ない。
クロードとルミナ、そして数人の職人仲間だけだ。
「リリエ」
ルミナが、馬車の窓越しに小さな包みを差し出した。
「これ、餞別。……私が刺繍したの」
包みを開けると、そこには二枚のハンカチが入っていた。少し歪だが、一生懸命に縫われた太陽と月の刺繍がある。
「ありがとう、ルミナ様! 大切に使います!」
「……うん。あの勇者、変な感じがした。気をつけて」
ルミナの直感は鋭い。
クロードも腕を組み、不機嫌そうに告げた。
「北の廃都は、俺も詳しく知らん場所だ。だが、素材の宝庫だという噂はある。……死ぬなよ、ライバル」
「はい! クロード様も、王都の流行を守っていてくださいね!」
馬車が動き出す。
遠ざかる王都の街並みを見つめながら、アビスは深く溜息をついた。
『……とんだ門出になったな』
彼は昨夜の勇者の言葉を気にしているのか、どこか沈んでいる。
『リリエよ。あの勇者の言う通り、我輩はやはり……討伐されるべき「経験値」でしかないのかもしれん』
「そんなことありません!」
リリエは即座に否定し、アビスの大きな手を両手で包み込んだ。
「公爵様は、私の旦那様で、世界一のモデルです。あんなゲーム感覚の子に、貴方の価値が分かってたまるもんですか」
『……リリエ』
「それに、負けませんよ。私たちが廃都を最高に素敵な場所に作り変えて、あの勇者が『住みたい!』って悔しがるくらいの楽園にしてやりましょう!」
リリエの力強い言葉に、アビスの赤い瞳が丸くなり、やがてクククと喉を鳴らして笑った。
『……そうだな。楽園か。悪くない』
アビスはリリエの手を、そっと唇に押し当てた。
『君がいれば、地獄の底でも舞踏会場になる。……頼りにしているぞ、我が愛しの仕立て屋』
二人の間に、温かな空気が流れる。
これからの旅路は過酷だ。だが、二人なら、どんなボロ布のような運命も、極上のドレスに仕立て直せるはずだ。
***
旅は順調に進み、一週間後。
北へ行くほどに緑は減り、空は鉛色に変わっていった。
そして、ついにその場所が見えてきた。
「あれが……廃都グレイヴ……」
峠の頂上から見下ろしたその都市は、リリエの予想を遥かに超えていた。
巨大なカルデラの中に、黒曜石で作られた尖塔が無数に突き立っている。
街全体を紫色の霧(瘴気)が覆い、建物には巨大な茨が絡みついている。
荒れ果ててはいるが、その骨格は美しく、荘厳なゴシック様式の建築群だ。
「すごい……!」
リリエは恐怖よりも先に、職人としての血が騒いだ。
「あの尖塔のライン! 絡みつく茨の退廃的な美しさ! 公爵様、ここ、素材の宝庫ですよ!」
『ふむ。確かに、我輩の肌に合う空気だ。……王都の澄んだ空気より、ここの淀んだ瘴気の方が落ち着くな』
アビスもまた、故郷に帰ったかのようにリラックスしている。
だが、馬車が街の入り口――崩れかけた巨大な門に差し掛かった時。
異変が起きた。
ギギギギギ……。
誰もいないはずの門が、ひとりでに開き始めたのだ。
そして、門の奥から、無数の「視線」を感じる。
それは、実体を持たない影たち。
かつてこの街に住んでいた者たちの残留思念か、それとも瘴気が生み出した幻影か。
『……歓迎されているようだな』
アビスが目を細める。
影たちは、アビスの強大な闇の気配を感じ取り、恐れるどころか、王の帰還を喜ぶように揺らめいている。
「行きましょう、公爵様」
リリエはアビスの手を引いて、馬車を降りた。
冷たい風が、彼女のスカートを揺らす。
「ここが、私たちの新しい店です!」
二人が門をくぐった瞬間。
街の中央にそびえ立つ、最も巨大な廃城の最上階で、鐘が鳴った。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
死んでいたはずの街の心臓が、再び動き出した音。
だが、二人はまだ知らない。
この廃都の地下深くには、勇者カイトが求めている「ラスボス」以上の何かが、静かに眠っていることを。
そして、アビスとリリエを追って、すでに「別の勢力」も動き出していることを。
「さて、まずは掃除ですね! 公爵様、天井の蜘蛛の巣、影で取れます?」
『人使いが荒いな。……だが、君のためなら』
薄暗い廃墟に、二人の明るい声が響く。
国を追われた魔王と仕立て屋による、前代未聞の「廃都リノベーション&国作り」が、今ここから始まるのだった。
(第20話 完)




