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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第一章 身代わりの皮と、剥き出しの純愛(オートクチュール)
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第2話:しつけ糸の信頼、あるいは異形の機能美

 焼けつくような頭痛が、意識の浮上を知らせるアラームだった。

 私は重い目蓋をこじ開け、まずは自分の指先を確認する。十本の指はそこにある。しかし、爪の生え際はどす黒く内出血し、神経を直接針で刺されているような鈍い痺れが残っていた。

「……やりすぎた。プロとして、リソース管理ミスは最大の恥ね」

 シーツを蹴り上げ、私は這いずるようにしてベッドから這い出した。

 昨夜、魔王アビス・カトレイユに施した「第一次フィッティング」。あれは単なる採寸ではなかった。彼の暴走する魔力を、衣服という檻に封じ込めるための魂の削り合いだったのだ。

 魔導服飾師にとって、精神力エーテルを直接糸に変える**「星魂糸せいこんし」**の行使は、自らの寿命を前借りして火を灯すような行為だ。視界の端で火花が散り、平衡感覚が狂っているのは、魂の「繊維」が摩耗しきっている証拠だった。

 私はふらつく足取りで、部屋の隅に置かれた愛用のトランクに歩み寄った。

 重厚な革張りの蓋を開け、中身を確認する。裁ち鋏、銀のメジャー、数百本の待ち針。そして、ベルベットの小箱に収められた、あの**「ロイヤル・ブルーの端切れ」**。

 泥を啜るような孤児院時代、ゴミ捨て場で拾い上げたこの青い布だけが、今でも私の正気を繋ぎ止めるアンカー(錨)だった。これに触れると、指先の震えがわずかに収まる。

 その時、部屋の扉が控えめに、だが確かな重みを持ってノックされた。

「失礼いたします、リリエ様。目覚められたとのこと、安堵いたしました」

 現れたのは、館の老執事、セバスだった。

 彼は魔族らしく灰色の肌と、側頭部から後ろに流れるような小さな角を持っていた。物腰は完璧で、立ち振る舞いは洗練されている。

 だが、私の目は彼の顔ではなく、その首元に釘付けになった。

「……セバス。貴方、その格好でよくも平然としていられるわね」

 セバスは戸惑ったように足を止めた。

「何か、粗相がございましたでしょうか」

「粗相どころじゃないわ。その上着の袖付け、角度(いせ分)が絶望的に合っていない。貴方のその特殊な肩の関節に対して、生地が『悲鳴』を上げているのが聞こえないの? そんな窮屈な服を着ていたら、三日で魔力回路が鬱血して倒れるわよ。今すぐ脱ぎなさい。そこで、裸になりなさい」

 私の剣幕に、老執事は驚きに目を見開いた。だが、仕立て屋としての私の本能が、彼の「着こなしの不備」を許さなかった。

魔導服飾の専門技術:バイアス裁断(斜め裁断)の理

 私はセバスをアトリエ代わりの作業場へと連行した。

 彼の上着を脱がせて構造を分析すると、案の定、それは王都で流通している「既製品」を魔法で無理やり引き伸ばしたものだった。

> 【リリエのプロの眼:魔族の骨格分析】

> * 問題点: 人間とは異なる筋肉の付き方、特に背部から肩にかけての「多重関節」。直線的な型紙で作られた服では、可動域に追いつけず生地が突っ張る。

> * 王都の規格品の限界: 「平均的な人間」を基準に量産された服は、異形ノイズを包むための余裕マージンを持っていない。

> * 解決策: 布の織り目に対して4バイアス(45度斜め)に裁断する「バイアス・カット」の応用。繊維の自然な伸縮性を引き出し、魔法による補強なしで「動く筋肉」に追随させる。

>

「いい、セバス。星魂糸せいこんしは私の命を削る『奥の手』よ。でも、本物の仕立て屋なら、魔法に頼る前に技術で解決すべき問題がある。貴方のその立派な関節は、無理やり押さえつけるものじゃなくて、活かすものなの」

 私はトランクから、魔法のかかっていない、ごく普通の最高級麻糸リネン・スレッドを取り出した。

 ジャキッ、ジャキッ。

 心地よいリズムでハサミが生地を噛む。

 私はセバスの複雑な骨格を指先でなぞり、筋肉の膨らみを計算に入れながら、空中に見えない型紙を描いていく。

「リリエ様、まさかこれほどの手間を。……我ら魔族は、服とは耐えるものだと思っておりました。王都からは常に『規格に合わせろ』『はみ出すな』と教えられてきましたから」

 セバスの言葉に、私の手がわずかに止まる。

 王都を支配する聖女イノセント。彼女が提唱する「衣服管理法」は、国民全員を均一なデザインの服に閉じ込めることで、思想と行動をコントロールする静かな独裁だった。

 規格に合わない者は「欠陥品」として処理される。その思想が、この奈落の館に住む者たちの誇りを、服という形を通して削り取っていたのだ。

「……耐えなくていいのよ、セバス。服は、貴方を自由にするためにあるんだから」

魂を包む一針

 私は精神を集中させた。星魂糸は使わないが、一針ごとに細微な魔力を込めて、布の繊維をセバスの魔力特性に馴染ませていく。

 

 仕立ての作業は、対話だ。

 この男がどんな風に歩き、どんな風に主である魔王を支えるのか。その人生を想像しながら、背中のダーツ(つまみ縫い)の深さを決める。

 指先の痛みは消えていなかったが、仕立てが進むにつれて、私の心は不思議と静まり返っていった。

「できたわ。……袖を通してみて」

 数時間の格闘の末、再構築された執事服が完成した。

 セバスが戸惑いながらも腕を通す。その瞬間、彼の表情が劇的に変わった。

「……っ! これは……何という軽さだ。まるで、皮膚が一枚増えたかのような。……どこにも抵抗がない。それでいて、背筋が自然と伸びる。リリエ様、これほどまでの感覚は初めてです」

 セバスは何度も腕を回し、深く腰を折って一礼してみせた。その動きに合わせて、上着の裾が流麗な弧を描く。

 魔法で無理やり形を保っていた昨夜までの安物とは違う、仕立て屋の矜持プライドが詰まった一着。

「魔法は隠し味よ。基本がしっかりしていれば、服は着る人を裏切らないわ」

支配者アビスの介入

「……ほう。セバスの動きが、いつになく軽快だな」

 アトリエの入り口に、巨大な影が差した。

 魔王アビス・カトレイユだ。

 彼は昨日私が仕立て直したばかりの「戦闘礼装」を完璧に着こなしていた。光を吸い込むベルベットの質感が、彼の鋭い眼光をより一層際立たせている。

「陛下。……勝手にお仕事しちゃってごめんなさい。でも、館の従業員が不格好な格好をしているのは、私の美学が許さなかったの」

 私はハサミを置き、堂々と魔王を見据えた。

 アビスは無言で私に歩み寄り、その大きな手で私の仕事机を叩いた。そこには、赤黒く輝く不気味な鉱石が置かれていた。

「『深淵の魔石』だ。……貴様の消耗は、我輩の予想を上回っている。このままでは次の服を縫う前に貴様の魂が尽き果てるからな。これを使って精神力エーテルを補給しろ」

「……プロを倒れさせるほど、過酷な納期スケジュールを強いるつもりはないわよね?」

「当たり前だ。貴様にはまだ、縫ってもらわねばならぬものが山ほどある。……館のガキどもが、貴様のハサミを恐れながらも、期待に目を輝かせて待っているぞ」

 アビスはそう言い残すと、翻したマントから漆黒の火花を散らせて去っていった。

 不器用な労い。魔王という立場上、素直に感謝の言葉を口にはしないが、その背中は昨日よりもずっと「誇らしげ」に見えた。

 私はアビスが残した魔石を手に取った。

 冷たいはずの石が、私の手の熱を吸い取って拍動している。

「……次のクライアントは、子供たちね」

 私は再びハサミを握り直した。

 王都が「規格外」として切り捨てた、異形の子供たち。

 彼ら一人一人の歪な姿を、この世で最も美しいシルエットに変えてやる。

 

 奈落の館を、世界一豪華な「一点物」の聖域に変えるための戦いは、まだ始まったばかりだった。

第2話の解説と評価

* 文量と描写: 約4000文字のボリュームに合わせ、セバスの骨格分析やバイアス裁断といった具体的な技術描写を厚くし、専門職としてのリアリティを高めました。

* キャラクターの深化: アビスの「不器用な優しさ」と、セバスとの「信頼の芽生え」を描くことで、人間ドラマとしての強度を増しています。

* テーマの補強: 王都の「規格品主義」という敵対勢力の思想を提示し、リリエの戦いが単なる服作りではなく、思想的な自由への戦いであることを強調しました。

第3話予告:

館に住まう、異形の部位を持つ子供たち。彼らにとって服は「隠すべき呪い」を包む包帯でしかなかった。リリエはその「呪い」を「個性」へと変えるべく、前代未聞の立体裁断に挑む。しかし、その時、王都から不穏な「査察官」の影が迫っていた。


第2話完

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