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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第四章 玉座の毒蛇と、廃都に芽吹く愛の荊棘(イバラ)
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第19話:黒の公爵と、硝子の少女のワルツ

 王都シンフォニアの王城には、創業以来、最大の激震が走っていた。

 物理的な揺れではない。価値観の激震だ。

 昨日まで「忌むべき闇」とされていた色が、一夜にして「救国の英雄の色」へと反転したのだから、貴族たちの混乱たるや想像を絶する。

 だが、その混乱の震源地である王城の特別ゲストルームでは、もっと切実な悲鳴が上がっていた。

「じっとしててってば! 公爵様、影が漏れてます! せっかくの仮縫いが台無しです!」

『ええい、くすぐったい! リリエ、脇腹を採寸する時は声をかけろと言っているだろう! だいたい、なぜ我輩がこんな窮屈なコルセットを巻かれねばならんのだ!』

「スタイル良く見せるためです! 今夜の祝勝会は、貴方のデビューステージなんですからね!」

 リリエは鬼の形相でマチ針を口にくわえ、アビスの巨体と格闘していた。

 部屋の床には、最高級のシルクやベルベットが散乱している。すべて、国王フレデリック三世が「ツケでいいから最高のものを」と商人たちから徴収させたものだ。

「いいですか公爵様。貴方は見た目が完全に『ラスボス』なんです。黙って立っているだけで、騎士団が失禁するレベルの威圧感なんです。それを『ミステリアスで高貴な紳士』に見せるのが、私の仕事なんです!」

『失敬な。魔界ではこの威圧感こそがモテ要素だったのだぞ』

「ここは人間界です! TPO(時と場所と場合)をわきまえてください!」

 リリエが必死になるのも無理はない。

 今夜の宴は、ただのパーティーではない。アビスという「異物」を、貴族社会に認めさせるための戦場なのだ。

 もしここで失敗すれば、彼らは「英雄」から一転、「排除すべき怪物」として孤立する。あの食えない「毒蛇」国王の手のひらで踊らされないためには、圧倒的なカリスマを見せつける必要があった。

 その時、部屋の扉がノックもなしに開かれた。

「……騒がしいな。廊下まで痴話喧嘩が聞こえているぞ」

 入ってきたのは、クロードだった。

 だが、リリエの目は彼ではなく、その背後に隠れるように立っている小柄な人影に釘付けになった。

「……ルミナ、様?」

 そこにいたのは、聖女の装束を脱ぎ捨てた少女だった。

 重厚な法衣の代わりに、淡いレモンイエローのカクテルドレスを身に纏っている。

 そして何より目を引いたのは、その髪だ。

 床まで届くほど長かった白銀の髪が、肩のラインでバッサリと切り揃えられ、毛先がふわりとカールしている。

 それは「神の依代」としての神聖さを捨て去り、一人の「少女」として生まれ変わった証のように見えた。

「……へん、かな?」

 ルミナがおずおずとスカートの裾をつまむ。

 その仕草には、かつての機械的な冷たさは微塵もない。初めてのお洒落に戸惑う、等身大の少女の姿があった。

「私が切った」

 クロードがぶっきらぼうに言った。

「あの長い髪は、祭壇に座り続けるには良いが、ダンスを踊るには邪魔だ。……それに、重かっただろう」

「……うん。軽くなった。すごく、軽い」

 ルミナが小さく笑った。その笑顔はまだ不器用だが、リリエの胸を打つには十分だった。

 かつての敵。アビスを殺そうとした兵器。

 けれど今は、クロードという新しいデザイナーの手によって、新しい「自分」を着こなし始めている。

「悔しいけど……完璧なスタイリングですね、クロード様」

「当たり前だ。素材の良さを引き出すのが俺の仕事だ。……それより、そちらの『魔王様』の仕上がりはどうなんだ?」

 クロードがアビスを一瞥する。

 アビスは、仮縫い状態のスーツを纏い、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

『フン。リリエの腕を疑うとは愚かな。……だが、人間の服は窮屈でかなわん』

「リリエ、手伝おう。時間はあと一時間しかない」

「えっ、でもクロード様は……」

「勘違いするな。俺は、俺のライバルが『ダサい服』で笑い者になるのが許せないだけだ」

 クロードはそう言うと、持参したソーイングセットを広げた。

 かつての敵同士が、一つの部屋で、針と糸を交錯させる。

 リリエ、クロード、そしてアビスとルミナ。

 奇妙な四角関係は、嵐の前の静けさの中で、確かに新しい絆を紡ぎ始めていた。

 ***

 そして、夜が来た。

 王城の大広間は、数百人の貴族たちで埋め尽くされていた。

 シャンデリアの光が煌めく中、人々の話題は一つしかない。「影の公爵」と、その妻となった仕立て屋のことだ。

「聞いたか? 公爵は人の魂を食らうらしいぞ」

「いや、あの方は異国の皇子だという噂も……」

 恐怖と好奇心が入り混じるざわめき。

 その時、ファンファーレが高らかに鳴り響いた。

「アビス・ヴォイド公爵、ならびに公爵夫人リリエ・アールグレイ様の入場です!」

 重厚な扉が、ゆっくりと開く。

 一瞬、広間の空気が真空になったかのように静まり返った。

 息を呑む音だけが、波のように広がる。

 そこに立っていたのは、夜そのものを纏った王だった。

 アビスが身につけているのは、リリエとクロードの合作による新作燕尾服――『宵闇の帝王ミッドナイト・エンペラー』。

 生地はただの黒ではない。

 魔界の素材「影絹シャドウシルク」をベースに、ルミナの光の結晶を粉末にして織り込んだ特殊繊維だ。

 動くたびに、漆黒の中に星屑のような微細な光が瞬く。まるで、夜空そのものを切り取って仕立てたかのような深遠な美しさ。

 鋭角的な襟のラインは彼の長身を際立たせ、タイトなシルエットが、人間離れした強靭な肉体を優雅に包み込んでいる。

 そして、その腕に手を添えるリリエ。

 彼女は、アビスの「影」を引き立てるための「月」だった。

 純白ではなく、淡いシルバーグレーのドレス。アビスのスーツとお揃いの刺繍が施され、二人が並ぶことで初めて一つの「夜景」が完成するデザインだ。

『……征くぞ、リリエ。顔を上げろ』

「は、はい……!」

 アビスのエスコートで、二人は大階段を降りていく。

 恐怖していた貴族たちが、無意識のうちに道を開ける。

 それは魔力による恐怖ではない。圧倒的な「美」への屈服だった。

「おお……なんと美しい……」

「あれが、魔界の……いや、新しい流行なのか?」

 ささやき声が、称賛へと変わっていく。

 リリエは震える足に力を込めた。

(やった……! 第一印象はクリア!)

 アビスの「異形」を「個性」へ。そして「恐怖」を「カリスマ」へ。

 ファッションによるイメージ戦略は成功したのだ。

 だが、その様子を玉座から見下ろすフレデリック王の目は、笑ってはいなかった。

「……見事だ。予想以上に、民衆の心を掴むのが上手い」

 王はワイングラスを揺らしながら、側近に囁いた。

「だが、光が強ければ影も濃くなる。……『あれ』の準備はできているな?」

「はっ。手筈通りに」

 ダンスタイムが始まった。

 アビスとリリエは、ホールの中心でワルツを踊る。

 不器用だったアビスのステップも、リリエの魔法縫製で補助された靴のおかげで、流麗な動きになっている。

『悪くない夜だ。……君が隣にいるならな』

「公爵様ったら。皆見てますよ」

 幸せな時間。

 だが、曲が終わった瞬間、王が玉座から立ち上がり、拍手をした。

「素晴らしい! まさに新時代の象徴だ!」

 王の声が響き渡り、音楽が止む。

 フレデリック王は、ゆっくりと階段を降り、アビスたちの前へと歩み寄った。

 その顔には、親愛の情を装った「毒」がたっぷりと塗られている。

「この度の功績、我が国は決して忘れぬ。そこでだ、公爵殿。そなたらに新たな爵位と、領地を与えたいと思う」

 領地。

 貴族たちがざわめいた。どこの土地を与える気だ? まさか、肥沃な南部か?

「王国の北端。旧魔導都市**『廃都グレイヴ』**。……あそこを、そなたらの愛の巣として贈ろう」

 その名を聞いた瞬間、クロードの顔色が変わった。

「陛下!? あそこは……!」

 廃都グレイヴ。

 かつて栄えた魔法都市だが、十年前に謎の「呪い」によって滅び、今は誰も住めない死の土地だ。

 瘴気が渦巻き、魔獣が跋扈する、地図から消された場所。

 それを「領地」として与えるということは、実質的な「厄介払い」であり、同時に「開拓できなければ死ね」という命令に等しい。

「おお、そういえば」

 王はわざとらしく手を打った。

「あそこには、強力な『魔力の歪み』があるとか。魔界の公爵殿なら、あの程度の瘴気、朝飯前であろう? まさか、人間の土地すら治められぬとは言わんよな?」

 逃げ道を塞ぐ、完璧な論法。

 リリエは拳を握りしめた。

 この王は、アビスの力を利用しつつ、王都からは遠ざけ、さらに危険な土地の浄化まで押し付けようとしているのだ。

 だが、断れば「公爵には統治能力がない」と見なされ、貴族社会での立場を失う。

 張り詰める空気の中、アビスが不敵に笑った。

『……ククク。廃都、か』

 彼はリリエの肩を抱き寄せ、王を見下ろした。

『よかろう。我輩好みの、退廃的で静かな場所のようではないか。……リリエ、どう思う?』

 リリエは一瞬驚いたが、すぐに夫の意図を察した。

 彼は、売られた喧嘩を買ったのだ。

 ならば、妻として、最高の「返し」をするしかない。

「素敵ですね、あなた。ボロボロの街なんて、リフォームしがいがありますわ。……王都の流行はもう古い。これからは、私たちが北の果てから、新しい文化を発信しましょう」

 リリエの啖呵に、王が一瞬だけ、本気で悔しそうな顔をした。

「……ほう。言うようになったな、小娘」

「お褒めに預かり光栄です、陛下」

 バチバチと火花が散る睨み合い。

 その時、広間の扉が再び開き、伝令の兵士が転がり込んできた。

「へ、陛下! 緊急報告です!」

「なんだ、興が削がれる」

「に、西の『聖教国』より、使者が到着しました! そ、それが……!」

 兵士は青ざめた顔で、アビスを指差した。

「彼らは、『魔王討伐』を宣言しています! 異世界より召喚されたという、伝説の**『勇者』**様を伴って……!」

 勇者。

 その単語が落ちた瞬間、アビスの影が大きく揺らいだ。

『……ほう?』

 アビスの赤い瞳が、楽しげに、しかし獰猛に細められる。

『魔王がいるなら、勇者が現れる。……物語のことわりというやつか。面白くなってきたではないか』

 リリエは天を仰いだ。

 毒蛇のような国王との政治闘争、呪われた廃都の開拓、そして今度は「勇者」とのバトル?

 私のスローライフな服作り計画は、一体どこへ行ってしまうの!?

 アビスの手が、リリエの腰を強く引き寄せる。

『さあ、リリエ。忙しくなるぞ。……まずは勇者をもてなすための、とびきり「凶悪」な一張羅を仕立ててくれ』

 リリエは溜息をつき、それから覚悟を決めて微笑んだ。

「……はいはい、承知しました。ただし、特急料金はいただきますからね、旦那様!」

 新たな波乱の幕開けを告げるファンファーレのように、二人のワルツは最高潮へと加速していった。


(第19話 完)


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