第17話:その愛は「白」を飲み込み、世界に虹を架ける
王都シンフォニアの中央広場は、終末のような静寂と、目を焼くような閃光に包まれていた。
「……汚らわしい。本当に、汚らわしいわ」
上空に浮かぶ聖女ルミナの背中から、六枚の光の翼が展開されていた。
それは天使のような神々しさではなく、無機質で冷徹な、殺戮兵器の輝きだった。
彼女の瞳から、人間らしい感情が消え失せている。
「私の世界に、雑味はいらない。……この国ごと『洗濯』してあげる」
キィィィィィン……!
高周波の音が響き渡り、空が割れた。
雲の裂け目から現れたのは、都市を丸ごと覆い尽くすほどの巨大な魔法陣。
そこから降り注ごうとしているのは、慈悲なき浄化の雨――『天上の白光』だ。
触れたものすべてを原子レベルで分解し、「無」へと還す禁呪である。
「ひ、ひぃぃっ! 聖女様、おやめください!」
「俺たちまで消す気か!?」
クロードや貴族たち、そして数万の市民がパニックに陥り、逃げ惑う。
だが、結界に閉ざされた広場からは逃げられない。
「神よ……これが、我々が崇めた光の正体か……」
絶望が広場を支配した、その時。
『……嘆くにはまだ早い』
漆黒の影が、天を覆うように広がった。
アビス公爵だ。
彼は広場の中央で仁王立ちになり、両手を天に掲げた。
『我が妻が仕立てたこのスーツは、深淵の耐久性と、古竜の強靭さを併せ持つ。……たかが「雨」ごとき、傘にもならんわ!』
ドォォォォン!!
公爵の全身から、凄まじい魔力が噴き上がった。
彼が展開したのは、防御壁ではない。
スーツの特性である「光吸収」を最大出力で発動させ、降り注ぐ浄化の光を、自らの体で受け止め、飲み込み始めたのだ。
ジュワワワワッ!!
光の雨が公爵の影に吸い込まれていく。
市民たちに降り注ぐはずだった破壊の光は、すべて彼一人に集中した。
「公爵様!」
リリエが悲鳴を上げる。
公爵の姿が見る間に変化していく。
スーツが赤熱し、形を保てなくなってきているのだ。
『ぐっ……うぅぅぅっ!!』
公爵の口から苦悶の声が漏れる。
限界だ。
いくら『エクリプス・モード』でも、都市一つを消滅させるエネルギーをすべて吸収するのは不可能に近い。
裏地のバンシー・シルクが「もう食えない!」と悲鳴を上げ、古竜のヒゲがブチブチと音を立てて千切れていく。
(キャパシティオーバー……! このままじゃ、スーツごと公爵様が爆発しちゃう!)
リリエの脳裏に、最悪の結末がよぎる。
彼が爆発すれば、その余波で王都は消し飛ぶ。
かといって吸収を止めれば、聖女の光で焼き尽くされる。
詰みか?
いいえ。
仕立て屋に、「修復不可能(リペア不能)」の文字はない。
「……公爵様。私を信じて、限界まで吸い続けてください!」
『リリエ!? 何を……!』
「サイズ直し(リサイズ)です! 今のあなたの器じゃ足りないなら……私がその場で『縫い広げて』あげます!」
リリエは鞄から、ありったけの魔石と糸を取り出した。
そして、光と熱の嵐が吹き荒れる公爵の足元へと、迷わず駆け出した。
熱い。
近づくだけで肌が焼けるようだ。
だが、リリエは止まらない。彼女は公爵の背中に飛び乗ると、裁ち鋏を突き立てた。
「展開!」
ジャキッ!
リリエは、崩壊寸前のスーツの背中を、自ら切り裂いた。
「なっ!? 何をしているんだあの女は! 自滅する気か!?」
クロードが叫ぶ。
常識的に見れば、防御服を脱がせる自殺行為だ。
だが、リリエの狙いは違った。
切り裂いた裂け目から、行き場を失っていた膨大な光エネルギーが、虹色の奔流となって溢れ出す。
「逃がしません! ……縫合開始!」
リリエの指先から、無数の魔力糸が放たれた。
彼女は溢れ出したエネルギーそのものを「新しい布」と見なし、公爵の影と縫い合わせ始めたのだ。
光を遮断するのではない。
光を取り込み、デザインの一部として再構築する。
それは、即興の神業。
オートクチュール・魔法縫製『プリズム・ウィング』。
「うおおおおおっ!!」
リリエの気迫に応えるように、公爵が咆哮する。
彼の中で暴れていた破壊のエネルギーが、リリエの糸によって整流され、新たな形を成していく。
背中の裂け目から噴き出した光と影が絡み合い、巨大な「翼」となって展開された。
右翼は、夜空のごとき漆黒。
左翼は、朝焼けのごとき極彩色。
対極にある二つの色が、リリエの銀の糸で縫い合わされ、美しいグラデーションを描いている。
「な、なによ、あれは……」
聖女ルミナの手が止まった。
彼女の知らない色。彼女が否定し続けた、混沌とした「生」の色。
それが、あまりにも美しく、空を覆い尽くしていたからだ。
『……軽い』
公爵が目を見開く。
苦痛が消えた。
リリエが、破壊のエネルギーを推進力(翼)へと作り変えてくれたのだ。
『リリエ。……君は本当に、無茶をする』
「誰かの奥様ですからね。……さあ、行ってください! あんな味気ない白紙の世界、あなたの色で塗り替えて!」
リリエが公爵の背中を叩く。
公爵はニヤリと笑い、大地を蹴った。
ドォンッ!!
巨大な翼がはためき、公爵が光の矢となって空へ舞い上がる。
その軌跡には、美しい虹と――そして大量のピンク色の光の粉が撒き散らされた。
『ルミナ! これが君が捨てた「ゴミ」の輝きだ!』
公爵は聖女と同じ高さまで飛翔すると、右手の拳にすべてのエネルギーを収束させた。
殴るのではない。
「触れる」のだ。
かつて拒絶されたその手で、もう一度。
「来るな! 汚らわしい!」
ルミナが光の障壁を展開する。
どんな攻撃も弾く絶対防御。
だが、公爵の拳は、障壁をすり抜けた。
彼の纏うエネルギーは、ルミナ自身の光(聖力)と、公爵の影(魔力)、そしてリリエの愛(結合)が混ざり合ったものだ。
ルミナにとって、それは「敵」ではなく、「自分の一部」として認識されてしまったのだ。
「え……?」
障壁を透過した公爵の手が、ルミナの頬に触れる。
パシッ。
乾いた音がして、公爵は彼女の頬を優しく両手で包み込んだ。
『……冷たいな』
公爵が囁く。
『一人で、寂しかったろう。……光だけの世界は』
その言葉と共に、公爵の手から、蓄積された莫大な「熱」がルミナへと流れ込んだ。
それは攻撃の熱ではない。
リリエとの日々で彼が知った、体温の温もり。紅茶の湯気。繋いだ手の汗ばむ感覚。
人間が生きるために必要な、泥臭くて愛おしい「熱量」だ。
「あ、あつ……い……やだ、変な感じ……」
ルミナの瞳が揺れる。
空虚だったガラス玉のような瞳に、熱が灯る。
それは、彼女が生まれて初めて感じる「感情」の奔流だった。
怒り、戸惑い、恥じらい、そして――安らぎ。
「これが……汚れ……? どうして……こんなに、温かいの……?」
ドクン。
ルミナの心臓が大きく跳ねた。
彼女の全身から放たれていた攻撃的な白光が、フッと力を失い、柔らかなオレンジ色の光へと変わっていく。
キャパシティオーバーを起こしたのは、今度は聖女の方だった。
「無」であった彼女の器に、許容量を超える「愛(とピンク色のデレ)」が注ぎ込まれたのだ。
「きゃぁぁぁっ!?」
ルミナは顔を真っ赤にして、ショートしたように白目を剥いた。
プシューーーッ!
彼女の頭からも、公爵と同じような蒸気が噴き出し、背中の光の翼が霧散する。
支えを失った聖女の体が、空から落下した。
それを、公爵が長い腕でしっかりと受け止める。
『……やれやれ。手のかかる元・主だ』
公爵は苦笑しながら、虹色の翼を広げ、ゆっくりと広場へと降下した。
空を見上げれば、暗雲は消え去り、そこには美しい夕焼けと、うっすらと残るピンク色のオーロラが輝いていた。
***
広場に降り立った公爵と、腕の中で気絶している(顔は真っ赤な)聖女。
そして、ボロボロになりながらもハサミを構えて駆け寄ってくるリリエ。
静寂が破られたのは、一人の子供の声だった。
「きれい……」
誰かが呟いた。
白一色だった広場には、公爵が撒き散らした光の粉が降り積もり、まるで花畑のようにカラフルに彩られている。
人々は、自分たちの白い服についた「色」を見て、呆然とし、そして笑い合った。
「なんだ、汚れても……死なないじゃないか」
「こっちのほうが、ずっと綺麗だ」
呪縛が解けたのだ。
「白くなければならない」という強迫観念が、リリエと公爵が示した「色の美しさ」によって上書きされた瞬間だった。
「リリエ……」
人混みをかき分けて、クロードが歩み寄ってきた。
彼は膝をつき、リリエのドレスの裾を掴んだ。
「私の……負けだ。君の作る服は、魔法などではない。もっと根源的な……『生命』そのものだった」
「クロード様」
リリエは鋏をしまい、穏やかに告げた。
「服は、人を縛る鎖ではありません。……誰かを抱きしめるための、一番外側の『皮膚』なんです」
その言葉に、クロードは涙を流して頷いた。
広場中から、万雷の拍手が巻き起こる。
それは魔物を称えるものでも、聖女を崇めるものでもない。
ただ、そこに在る「愛」と「美」への、純粋な祝福だった。
『……リリエ』
公爵が、聖女を騎士たちに預けると、リリエの前に立った。
スーツは限界を超え、ボロボロに裂けている。
隙間から黒い影が漏れているが、今の彼を恐れる者は誰もいない。
『君は、私の誇りだ。……この世界を、救ってしまったな』
「ふふ。世界なんて大それたものじゃありません。私はただ、愛する旦那様をコーディネートしただけですよ」
リリエが背伸びをして、公爵の頬(影の部分)にキスをする。
ボッ!!!
本日最大級のピンク発光が、王都の夜を照らし出した。
その光は、国境を超え、魔界にまで届いたという。
こうして、伝説の聖女祭は幕を閉じた。
後に「虹色革命」と呼ばれるこの日の出来事は、人間界と魔界の歴史を大きく変える転換点となったのである。
(第17話 完)




