第16話:聖なる祭典は、極彩色の反逆(エクリプス)で染まる
聖クラルテ王国の王都、シンフォニア。
一年に一度の「聖女祭」を迎えたこの日、街は狂気じみた「白」に染まっていた。
建物の壁は塗り直され、石畳は磨き上げられ、行き交う人々は全員、国から支給された純白の礼服を着用している。
一点の曇りも、シミも許されない。
それは「清浄」という名の、思考停止した全体主義の光景だった。
「……眩しいですね。目が痛くなるくらい」
会場となる大聖堂の広場へ向かう馬車の中、リリエは窓の外を見て呟いた。
かつては、この白さに憧れていた。この輪の中に入れない自分を恥じていた。
けれど今は、この漂白された世界が、ひどく薄っぺらく見える。
『リリエ。……怖くはないか?』
向かいに座るアビス公爵が、リリエの手を握る。
彼が纏っているのは、昨晩完成したばかりの最終決戦用スーツ『エクリプス(皆既日食)・モード』だ。
一見すると、光を吸い込むような漆黒のタキシード。
だが、その繊維一本一本には、リリエが編み込んだ「古竜のヒゲ」と「月光蚕の繭」、そして公爵自身の「影」が複雑に織り込まれている。
「怖くありません。……だって、私の隣には世界で一番素敵なモデルがいますから」
リリエは公爵のネクタイ(裏地にバンシー・シルク使用)をギュッと締めた。
「行きましょう。この真っ白なキャンバスに、私たちが『色』を叩きつけてやるんです」
***
王都中央広場。
特設された巨大なステージの周囲には、数万人の市民と、国の重鎮たちが詰めかけていた。
ステージ中央には、今日の主役である「聖女のための正装」が飾られている。
それを制作した王立仕立て屋ギルド長、クロードが得意げに演説していた。
「――ご覧ください、国民の皆様! これこそが、聖女ルミナ様に捧げる至高のドレス『セイント・ピュア』です!」
飾られていたのは、最高級の聖布を使い、金糸で聖典の文言を刺繍した、豪華絢爛な白いドレスだった。
確かに美しい。技術も高い。
だが、それだけだ。
「聖女は清らかであるべき」という既存のイメージをなぞっただけの、面白みのない型通りの衣装。
「おぉ……なんて美しい白だ」
「これぞ我らが国の象徴……」
市民たちが感嘆の声を上げる中、クロードは鼻高々に続けた。
「今日は、魔界帰りの『異端の仕立て屋』も参加すると言っていましたが……ハッ、怖気づいて逃げ出したようですね! 汚らわしい魔物の素材など、この神聖な結界の中に入れるはずも――」
ズゥゥゥゥン……。
クロードの言葉が、重低音にかき消された。
広場の空気が、ビリビリと震える。
空が急に曇り始めたわけではない。なのに、世界が一段階、暗くなったような錯覚。
「な、なんだ? 地震か?」
「おい、あそこを見ろ!」
群衆がざわめき、道を開ける。
その先から歩いてくるのは、たった二人の男女。
夜空色のドレスを纏い、凛と顔を上げたリリエ。
そして、その腕をエスコートする、長身の男。
「……到着しましたよ、クロード様」
リリエの声が、静まり返った広場に響く。
「逃げる? まさか。……最高の『正装』に着替えるのに、少し手間取っていただけです」
リリエの隣で、アビス公爵が足を止める。
その姿に、クロードは息を呑んだ。
黒い。
あまりにも黒く、そして美しい。
白一色の会場において、その漆黒のスーツは、まるで紙の上に落としたインクの雫のように強烈な存在感を放っていた。
「な、なんだその格好は!」
クロードが狼狽して叫ぶ。
「神聖な聖女祭に、葬式のような黒だと!? 不敬にも程があるぞリリエ! それに、その男から漂う魔力……そいつは魔物だろう! 衛兵、つまみ出せ!」
クロードの合図で、広場の警備をしていた聖騎士たちが槍を構えて殺到する。
数十人の武装兵。
だが、公爵は眉一つ動かさなかった。
『……騒々しい』
公爵が、わずかに足を踏み鳴らす。
カツン。
靴音が響いた瞬間、スーツの表面から黒い波紋が広がった。
「うわぁぁっ!?」
「か、体が重い……動けん!」
殺到した騎士たちが、見えない圧力に押され、その場に縫い付けられたように動けなくなる。
『威圧』ではない。
スーツが周囲の空間の「光」を歪め、距離感を狂わせたのだ。
「なっ……!?」
『私の妻が、作品のプレゼンテーションに来たのだ。……雑音は慎んでもらおう』
公爵がクロードを一瞥する。
そのサファイアの瞳に見下ろされただけで、クロードは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
格が違う。
素材の質、縫製の技術、そして何より「着る者」の器が、天と地ほども離れている。
「リリエ……君は、悪魔に魂を売ったのか……!」
「いいえ。私は『愛』を形にしただけです」
リリエはステージに上がり、クロードの作った白いドレスの前に立った。
そして、残念そうに首を振った。
「綺麗なドレスですね、クロード様。……でも、それには『人間』が入る隙間がありません」
「なんだと?」
「聖女様を『象徴』としてしか見ていない。彼女が何を感じ、何を想っているのか……あなたはその『中身』に興味がないのでしょう?」
「だ、黙れ! 聖女様に中身など不要だ! 彼女は光の器であればいいんだ!」
クロードが叫んだ、その時だった。
「――そうね。私は器。空っぽの器よ」
天空から、鈴を転がすような声が降ってきた。
カァァァァッ!!
雲が割れ、強烈な光の柱がステージに突き刺さる。
現れたのは、純白の法衣を纏った聖女、ルミナだった。
「聖女様!」
「おお、ルミナ様が降臨された!」
民衆が一斉にひれ伏す。
だが、ルミナの瞳には民衆など映っていない。
彼女は、ステージ上の「黒い異物」――アビス公爵だけを見て、嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「また会えたわね、私のゴミ(・・・)。……せっかく見逃してあげたのに、また汚い皮を被ってノコノコ現れるなんて」
ルミナが指先を向ける。
指先に収束するのは、先日公爵を半殺しにした絶対浄化の光。
「今度こそ、魂ごと消し炭にしてあげる」
ドォォォォン!!
問答無用の光線が放たれた。
回避不能の速度。直撃すれば、都市の一区画ごと消滅するほどの威力。
「公爵様!」
『問題ない』
公爵は一歩前に出た。
逃げも隠れもしない。
彼は両手を広げ、真正面からその光を受け止めた。
ジュワアァァァッ!!
光がスーツに直撃する。
クロードや民衆が「終わった」と確信した。
だが。
「……え?」
光が、消えない。
いや、焼けていない。
公爵の纏う漆黒のスーツが、聖女の光を「吸い込んで」いるのだ。
『……痛くも痒くもないな』
公爵がニヤリと笑う。
スーツの表面で、古竜のヒゲが脈打ち、月光蚕の繭が光を乱反射させ、そして裏地のバンシー・シルクが狂喜乱舞して聖力を貪り食う。
リリエが設計した『エクリプス・モード』の真価。
それは「光吸収」と「偏光」だ。
ギィィィィン……!
スーツが光を吸い込み、飽和状態になるにつれ、色が変わり始めた。
漆黒だった生地が、光を内包して、宇宙のような群青色へ。
さらに、紫、赤、黄金へと、目まぐるしく色彩を変化させていく。
「な、なんだあれは!?」
「黒い服が……七色に輝いている!?」
それは、単なる「白」しか知らなかった国民たちが、初めて見る「極彩色」の輝きだった。
聖女の破壊の光が、公爵というプリズムを通すことで、美しい虹色のオーラへと変換されていく。
「嘘……私の光が、汚されている……?」
ルミナが愕然と目を見開く。
自分の純粋な力が、リリエの作った服によって、雑多で鮮やかな「人間の色」に変えられてしまったのだ。
「いいえ、汚しているのではありません」
リリエが公爵の背中に手を添えた。
「これが『世界の色』です。悲しみも、怒りも、愛も……全てが混ざり合って、こんなに綺麗なんです」
リリエの言葉と共に、公爵のスーツから、吸収しきれなくなった光が溢れ出した。
それは、攻撃的なビームではない。
広場全体を優しく包み込む、温かく、少しエッチな――
ボォォォォッ!!
ショッキングピンクの光だった。
「「「!?」」」
広場中が、ド派手なピンク色に染まる。
厳粛な聖女祭が、一瞬にしてラブリーな空間へと変貌した。
『あ、熱い……! リリエ、君の愛(の設計)が重すぎて、出力制御が効かない!』
「耐えてください公爵様! ここが一番の見せ場ですよ!」
公爵は全身発光しながら、クロードとルミナを見下ろした。
その姿は、魔王というよりは、愛に溢れすぎた「歩くパワースポット」だ。
だが、その圧倒的な「生命力」の輝きに、白一色の世界で生きてきた人々は、本能的に惹きつけられていた。
「なんて……力強い光だ」
「あっちのほうが、生きている感じがする……」
民衆の心が、揺らぎ始める。
絶対的な「白」の支配に、鮮やかな「ピンク」の亀裂が入った瞬間だった。
「……許さない」
ルミナの表情が、能面のように冷え切った。
彼女の背中から、天使の翼のような光の刃が出現する。
「私の世界を、そんな卑猥な色で染めるなんて……!」
「あら、卑猥だなんて心外です。これは『愛の色』ですよ?」
リリエは鋏を構えた。
公爵もまた、七色(主にピンク)に輝く拳を構える。
プレゼンテーションは終わりだ。
ここからは、実力行使による「価値観の殴り合い」が始まる。
「さあ、公爵様。あの聖女様に教えてあげましょう」
『ああ。世界は、白と黒だけではないということを』
聖女祭の会場は、今まさに、神と魔王、そして最強の仕立て屋による最終決戦のリングへと変わった。
(第16話 完)




