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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第三章 人間界への凱旋 〜かつて捨てた故郷に、最愛の魔王を連れて〜
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第15話:傷だらけの影に口づけを、傲慢な光にドレスコードを

 空間が歪み、視界が反転する。

 ドサッ!

 リリエとアビス公爵は、王都の下町にある宿屋『黒猫亭』の一室に転がり落ちた。

 緊急脱出スクロールによる強制転移だ。

「……はぁ、はぁ! 公爵様! しっかりしてください!」

 リリエはすぐに起き上がり、公爵の様子を確認した。

 惨状だった。

 最強の強度を誇ったはずの『ナイト・バロン・モード』のスーツは、聖女ルミナの光に焼かれ、ドロドロに溶解している。

 中の「影」も無事ではない。あちこちが蒸発し、輪郭を保てずに床に黒いシミのように広がっていた。

『……リリエ……逃げろ……』

 床に広がった影から、掠れた声が聞こえる。

『私は……汚れている……。彼女が言った通り……廃棄されるべき、ゴミだ……』

「馬鹿なこと言わないでください!」

 リリエは叫び、裁断鞄からありったけの道具を取り出した。

 魔力糸、補修用パッチ、そして錬金薬。

「汚れてなんていません。ただ、ちょっと『洗濯』が必要なだけです!」

 リリエは溶解したスーツの残骸を鋏で切り開き、中の影を露出させた。

 聖力による火傷は深刻だ。影のコアが弱々しく明滅している。

 リリエは躊躇なく、自分の指を切り、血を滲ませた。そして、魔力を込めたその指で、影の核に直接触れる。

「私の魔力を食べてください。……全部、あげますから」

 ドクン。

 リリエの魔力が流れ込むと、影が渇きを癒やすように震えた。

 冷たかった影に、微かな熱が戻ってくる。

 ***

 数時間後。

 公爵は、リリエが応急処置で縫い上げた「簡易パジャマ・スーツ(ぬいぐるみ風)」の中に収まり、ベッドに横たわっていた。

 見た目は可愛らしいクマのぬいぐるみだが、そのサファイアには深い絶望の色が宿っていた。

『……すまない、リリエ。無様な姿を見せた』

「いいえ。無事に戻れて何よりです」

 リリエはサイドテーブルで温かいミルクティーを淹れながら、静かに尋ねた。

「……話して、いただけますか? あの聖女様とのことを」

 公爵は長い沈黙の後、ポツリポツリと語り始めた。

『……私は、かつて「アベル」という名の人間だった』

 アベル。

 それは、この国の歴史書にも載っている、先代の聖騎士団長の名だ。

 清廉潔白で、誰よりも強く、そして突然行方不明になった伝説の英雄。

『私は、聖女ルミナの守護騎士だった。幼い彼女の純粋さに惹かれ、彼女が作る平和な世界を守りたいと願っていた』

 だが、ルミナは「純粋」すぎた。

 彼女は、世界からあらゆる「負の感情」を排除しようとした。

 怒り、悲しみ、嫉妬、そして――性愛。

『ある日、彼女は言った。「アベル、あなたの心にはノイズがあるわ」と』

 それは、アベルがルミナに対して抱いていた、淡い恋心だったかもしれない。

 あるいは、過酷な任務への疲れや、将来への不安だったかもしれない。

 人間なら誰しもが持つ、当たり前の感情。

 だが、聖女にとってそれは「汚れ」でしかなかった。

『彼女は儀式を行った。私の魂から、「光」に相応しくない部分を切り離したのだ』

 善き心、忠誠心、綺麗な記憶だけを残した「抜け殻」のアベルは、そのまま聖女の操り人形(聖騎士)として使い潰され、数年後に死んだ。

 そして、切り捨てられた「汚れ」――欲望、執着、愛への渇望、恐怖。

 それらの感情の集合体が、ゴミとして魔界へ廃棄された。

『それが、私だ。……私は、英雄アベルの「排泄物」。人間になれなかった、醜い影の化け物だ』

 公爵の声が震える。

 ぬいぐるみの手で、自分の顔を覆う。

『リリエ。君は「美しいもの」を作る職人だ。……私のような汚れと一緒にいてはいけない。君まで、あの光に焼かれてしまう』

 部屋に重苦しい沈黙が落ちた。

 リリエは、ミルクティーを置き、公爵のベッドに腰掛けた。

 そして、ぬいぐるみの頭を優しく撫でた。

「……バカですね、公爵様は」

『……え?』

「その聖女様は、何もわかってないです。……『汚れ』のない人間なんて、ただの石像と同じですよ」

 リリエは、自分の胸に手を当てた。

「私だって、嫉妬します。あなたが他の女性を見ていたらモヤモヤするし、自分より腕の良い職人がいたら悔しい。……でも、その『負の感情』があるから、もっと頑張ろうって思えるんです」

 リリエは公爵の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「怒りがあるから、守る力が生まれる。寂しさがあるから、誰かを愛したいと願う。……あなたが『切り捨てられたゴミ』だと言うなら、私にとってはそれこそが『人間らしさの塊』です」

 彼女は、ぬいぐるみの体をギュッと抱きしめた。

「綺麗なだけの抜け殻なんて、ちっとも魅力的じゃありません。……私は、悩み、傷つき、それでも私を愛してくれる、泥臭い『あなた』が大好きなんです」

 ドクン。

 ぬいぐるみの奥底で、公爵の核が大きく脈打った。

 自己否定の闇に、リリエの言葉が光となって染み渡っていく。

 自分が「ゴミ」ではなく、「必要な半身」であると肯定された瞬間。

 ボッ……!

 ぬいぐるみの縫い目から、淡い光が漏れた。

 それは、聖女の白い光ではない。

 暖かく、どこか淫靡で、生命力に溢れた――ショッキングピンクの光。

『……リリエ……っ!』

「ほら。また光りましたね」

 リリエは涙ぐみながら笑った。

「聖女様の光は『消す光』ですけど、あなたの光は『生み出す光』です。……こんなに暖かいのに、誰が汚れだなんて言うもんですか」

 ピンク色の光が部屋を満たしていく。

 その光の中で、傷ついていた影がみるみる修復され、以前よりも濃密な質量を取り戻していく。

 愛による再生。

 聖女の「浄化」さえも及ばない、生命の根源的なエネルギー。

『……ありがとう。愛している、リリエ。……君がいれば、私は何度でも蘇れる』

 公爵(ぬいぐるみ姿)が、リリエの頬に顔を埋める。

 完全復活だ。いや、精神的には以前よりも強固になっている。

 ***

 翌朝。

 リリエは作業机に広げたスケッチブックに向かっていた。

 横では、すっかり元気になった公爵ぬいぐるみモードが、魔力で紅茶を淹れている。

「さて、公爵様。作戦会議です」

『うむ。あの聖女、ルミナをどうするかだな』

「力づくで戦っても勝ち目はありません。彼女の『絶対浄化』の前では、どんな強力なスーツも消しゴムで消すように無効化されてしまいます」

 リリエはペンを回した。

 真正面からぶつかれば負ける。

 ならば、仕立て屋としてのアプローチで勝つしかない。

「聖女様の弱点は、『白』しか知らないことです」

『白しか知らない?』

「はい。彼女は異物を排除しすぎて、世界が『光と影』で成り立っていることを理解していません。……だから、教えてあげるんです」

 リリエはスケッチブックに、大胆なデザインを描き殴った。

「影を受け入れることの美しさを。そして、清廉潔白な白よりも、愛に染まった色がどれほど鮮烈かを」

 リリエが取り出したのは、先日「嘆きの森」で採取した『月光蚕げっこうさんの繭』だ。

 そして、もう一つ。

 リリエは自分の髪を一本抜き、公爵に差し出した。

「公爵様。あなたの『影』を、少し分けてください」

『私の影を? 何に使うのだ?』

「混ぜるんです。光の素材と、闇の素材を」

 リリエの構想はこうだ。

 聖女の光を弾くのではなく、「吸収」し、「屈折」させるスーツを作る。

 プリズムのように。

 強すぎる光を受け止め、それを七色の輝き(人間の感情の色)に変換して拡散する。

 そうすれば、浄化されるどころか、聖女の攻撃を受ければ受けるほど美しく輝く「究極のドレスコード」が完成する。

「名付けて、『エクリプス(皆既日食)・モード』」

 リリエの瞳が、職人の鋭い光を帯びる。

「聖女祭の当日。……あなたのその『影』で、あの傲慢な太陽を覆い隠してやりましょう。そして、世界中に見せつけるんです。光の中にこそ、一番濃いあなたがいるんだってことを」

『……フッ、ハハハ!』

 公爵が愉快そうに笑った。

 その笑い声には、もう迷いはない。

『最高だ、私の妻は。……ああ、楽しみだ。あの聖女が、自分の光で私が輝く様を見て、どんな顔をするか』

 リリエと公爵は、固く手を握り合った。

 聖女祭まで、あと二日。

 王都の片隅にある小さな宿屋で、世界を揺るがす「神殺しの衣装」作りが始まった。

 かつて追放された仕立て屋と、廃棄された影の騎士。

 二人のリベンジマッチは、誰も予想しなかった「美の暴力」となって、聖なる都を塗り替えるだろう。


(第15話 完)

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