第14話:純白の牢獄と、蝕まれる夜の王
王立仕立て屋ギルドでの宣戦布告を終え、リリエとアビス公爵は王都の宿にチェックインした。
場所は、下町にある古びたホテル『黒猫亭』。
貴族街の高級ホテルではなく、あえてリリエがかつて暮らしていたエリアを選んだのだ。
「……ふぅ。とりあえず、拠点は確保しましたね」
部屋に入った途端、リリエはベッドに倒れ込んだ。
久しぶりの人間界。しかも、元婚約者やギルド幹部たちとの対面。
気丈に振る舞ってはいたが、精神的な疲労はピークに達していた。
『お疲れ様、リリエ。……君は勇敢だった』
公爵が、ジャケットを脱ぎながらリリエの隣に腰掛ける。
その顔には、誇らしげな微笑みが浮かんでいた。
『あんなに大勢の人間を相手に、一歩も引かないとはな。「私の夫だ」と紹介された時、嬉しさで核が溶けるかと思ったぞ』
「だって、本当のことですから。……あいつらに、あなたの凄さを見せつけてやりたかったんです」
リリエが顔を上げると、公爵のシャツの胸元が、微かにピンク色に点滅していた。
裏地のバンシー・シルクが「ごくゅ、ごくゅ」と音を立てて魔力を吸っている。どうやら、まだ興奮が収まっていないらしい。
『……だが、リリエ。勝算はあるのか?』
公爵が真剣な表情に戻る。
『聖女のドレス対決。相手は国一番の組織力を持つギルドだ。最高級の素材を独占しているだろう』
「ええ。普通の絹やレースでは勝てません。それに、聖女様の『聖力』は特殊です。生半可な素材では、着た瞬間に浄化されて消滅してしまいます」
リリエは起き上がり、窓の外を見た。
王都シンフォニアの夜景。
白い建物ばかりが並ぶこの街は、夜になってもどこか明るく、影が薄い。
それは「汚れ」を許さない、潔癖なまでの秩序の象徴だ。
「この国の職人たちは、『白』こそが至高だと信じています。だからこそ、死角があるんです」
『死角?』
「はい。……行きましょう、公爵様。この街が捨てた『ゴミ溜め』へ」
***
深夜。二人は街外れにある「嘆きの森」へと足を運んだ。
そこは、王都から排出される魔力廃棄物や、浄化しきれなかった瘴気が流れ着く場所として、立ち入り禁止区域に指定されている森だ。
普通の人間なら近づくだけで気分を害する場所だが、魔界の空気に慣れた二人には、むしろ深呼吸したくなるほど快適だった。
「懐かしいな……。ギルドを追い出された時、よくここで泣いてました」
『リリエ……』
「でも、見てください。ここには『宝物』がいっぱいあるんです」
リリエが指差した先。
瘴気を吸って育った木々の枝に、銀色の蜘蛛の巣のようなものが張り巡らされていた。
月光を浴びて、妖しく、しかし美しく輝いている。
「『月光蚕の繭』です。瘴気を浄化して絹に変える、珍しい虫なんですけど……この国では『穢れた虫』として駆除されちゃうんです」
『なんと。これほど美しい魔力を放っているのにか?』
「ええ。人間たちは『純粋な白』以外を認めませんから。……でも、聖女様の強すぎる光を受け止めるには、闇を知っている素材じゃないとダメなんです」
リリエは手袋をはめ、慎重に繭を採取し始めた。
光だけでは、光は際立たない。
影があってこそ、光は輝く。
それは、リリエがアビス公爵という「究極の影」を愛したことで辿り着いた、真理だった。
『……なるほど。毒を以て毒を制す、か。君らしい』
公爵も手伝おうと手を伸ばす。
その時だった。
ズキン。
『ぐっ……!?』
公爵が苦悶の声を上げ、膝をついた。
心臓を鷲掴みにされたような激痛。スーツの上から胸を押さえる。
「公爵様!? どうしました!?」
『い、いや……何でもない。ただ、急に……懐かしいような、忌まわしいような気配を……』
公爵の顔色が青ざめている。
バンシー・シルクが「キィィィ」と警告音を上げ、スーツの表面にノイズのような亀裂が走った。
ただごとではない。
魔界ではあれほど無敵だった彼が、何かに怯えている。
「気配……?」
リリエが周囲を見回すと、森の奥から、一人の少女が歩いてくるのが見えた。
純白のドレス。
月光よりも白い、透き通るような銀髪。
年齢はリリエと同じくらいだろうか。
彼女は泥だらけの森には似つかわしくない、発光するような清潔感を纏っていた。
そして、その背後には――数人の武装した神殿騎士が控えている。
「――あら。こんな汚い森に、迷い猫かしら?」
鈴を転がすような声。
少女はリリエたちを見ると、無邪気な笑みを浮かべた。
だが、その瞳には感情がない。まるでガラス玉のような、底知れぬ「空虚」が広がっていた。
「あ、あなたは……」
リリエは息を呑んだ。
間違いない。国中の肖像画に描かれている人物だ。
この国の象徴にして、次期聖女祭の主役。
「聖女、ルミナ様……!」
聖女ルミナ。
生まれながらにして強大な聖力を持ち、触れるだけで病を治し、大地を浄化する「奇跡の御子」。
『……っ、が……あ……!』
公爵の呻き声が大きくなる。
聖女が近づくたびに、彼のスーツから黒い煙が上がり、まるで日光に晒された吸血鬼のように皮膚が焼ける音がする。
ナイト・バロンの防御機能が、悲鳴を上げているのだ。
(どうして? ただ近づくだけで、こんなに……?)
聖女ルミナは、苦しむ公爵を見て、小首を傾げた。
「嫌だわ。ひどい音。……中身が腐っているのかしら?」
彼女はリリエを無視し、公爵の目の前に立った。
そして、白く細い指を、公爵の頬(スーツの仮面)へと伸ばす。
「やめて!」
リリエが割って入ろうとしたが、見えない壁に弾き飛ばされた。
聖女の結界だ。
「触らないでください! 私の夫に!」
「夫? ……ふふ、面白い冗談」
聖女の指先が、公爵の頬に触れる。
ジュッ!!
激しい音と共に、最強素材である「古竜のヒゲ」と「バンシー・シルク」で構成されたスーツが、溶解した。
完璧だった美貌の頬に、醜い穴が空く。
そこから覗いたのは、漆黒の闇――アビスの本体だ。
普通の人間なら悲鳴を上げる光景。
だが、聖女はうっとりと目を細めた。
「ああ……見つけた」
彼女は、溶解した穴から覗く「闇」を、愛おしそうに撫でた。
「私の、捨てたゴミ(・・・・・)。……こんなところに隠れていたのね」
『……き、さま……は……』
公爵が、憎悪と恐怖で震える声を絞り出す。
記憶の封印が解かれていく。
かつて自分が何者だったのか。
なぜ、体も名も失い、魔界の影として彷徨うことになったのか。
すべての元凶が、目の前にいる。
「久しぶりね、アビス。……いいえ、元・聖騎士団長アベル」
聖女は、無垢な子供のように残酷に微笑んだ。
「せっかく私が『影』として切り離してあげたのに。……また、人の形に戻ろうなんて、悪い子」
衝撃の真実。
アビス公爵は、生まれながらの魔物ではなかった。
かつて人間であり、聖女を守る騎士であり――そして彼女の「浄化」によって、存在そのものを「汚れ」として切り捨てられた成れの果てだったのだ。
「穢らわしいわ。……せっかく世界を白く染めようとしているのに、黒いシミが残っているなんて」
聖女の全身から、眩いばかりの光が溢れ出した。
それは慈愛の光ではない。異物を消滅させる、破壊の光だ。
公爵のスーツが、次々と崩壊していく。
バンシー・シルクが限界を超えて悲鳴を上げ、古竜のヒゲが焼き切れる。
『ぐあぁぁぁぁっ!!』
「公爵様!!」
リリエは結界を拳で叩いた。
拳から血が滲む。それでも叩き続けた。
痛い。熱い。
でも、彼が感じている痛みは、こんなものじゃないはずだ。
「やめろぉぉぉっ!!」
リリエの叫びと共に、懐に入れていた「裁ち鋏」が共鳴した。
魔界で数々の修羅場をくぐり抜けてきた、相棒の鋏。
ジャキンッ!
リリエが一閃すると、聖女の絶対防御である結界に、亀裂が入った。
「……あら?」
聖女が驚いて振り返る。
「その人を……返して!!」
リリエは亀裂から強引に手をねじ込み、崩れ落ちそうになる公爵の腕を掴んだ。
聖女の聖力が、リリエの皮膚を焼く。
構うものか。
私は仕立て屋だ。どんなボロボロの布だって、私が繋ぎ止めてみせる。
「行きますよ、公爵様! 転移!」
リリエは公爵が持っていた「魔界への緊急脱出スクロール」を奪い取り、起動させた。
二人の姿が光に包まれる。
「逃がさないわ」
聖女が手を伸ばすが、あと一歩届かない。
転移の直前、リリエは聖女を睨みつけた。
涙で濡れた、けれど決して折れない瞳で。
「彼はゴミじゃない! 私の……世界で一番大切な、お客様です!」
ヒュンッ。
二人の姿がかき消えた。
残されたのは、静まり返った森と、微笑みを消して冷ややかに虚空を見つめる聖女だけ。
「……お客様、ね」
聖女ルミナは、リリエが落としていった「月光蚕の繭」を踏み潰した。
「面白いわ。……なら、その薄汚い『愛』ごと、浄化してあげる」
聖女祭まで、あと三日。
人間界での戦いは、過去の因縁を巻き込み、最悪の形で幕を開けた。
リリエはまだ知らない。
公爵を救うためには、単に服を作るだけでなく、彼が失った「半身(光)」を取り戻さなければならないことを。
(第14話 完)




