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『魔界のクチュリエールは、最恐公爵の「恋する人肌」を仕立てる』  作者: 小乃 夜
第三章 人間界への凱旋 〜かつて捨てた故郷に、最愛の魔王を連れて〜
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第14話:純白の牢獄と、蝕まれる夜の王

 王立仕立て屋ギルドでの宣戦布告を終え、リリエとアビス公爵は王都の宿にチェックインした。

 場所は、下町にある古びたホテル『黒猫亭』。

 貴族街の高級ホテルではなく、あえてリリエがかつて暮らしていたエリアを選んだのだ。

「……ふぅ。とりあえず、拠点は確保しましたね」

 部屋に入った途端、リリエはベッドに倒れ込んだ。

 久しぶりの人間界。しかも、元婚約者やギルド幹部たちとの対面。

 気丈に振る舞ってはいたが、精神的な疲労はピークに達していた。

『お疲れ様、リリエ。……君は勇敢だった』

 公爵が、ジャケットを脱ぎながらリリエの隣に腰掛ける。

 その顔には、誇らしげな微笑みが浮かんでいた。

『あんなに大勢の人間を相手に、一歩も引かないとはな。「私の夫だ」と紹介された時、嬉しさで核が溶けるかと思ったぞ』

「だって、本当のことですから。……あいつらに、あなたの凄さを見せつけてやりたかったんです」

 リリエが顔を上げると、公爵のシャツの胸元が、微かにピンク色に点滅していた。

 裏地のバンシー・シルクが「ごくゅ、ごくゅ」と音を立てて魔力を吸っている。どうやら、まだ興奮が収まっていないらしい。

『……だが、リリエ。勝算はあるのか?』

 公爵が真剣な表情に戻る。

『聖女のドレス対決。相手は国一番の組織力を持つギルドだ。最高級の素材を独占しているだろう』

「ええ。普通の絹やレースでは勝てません。それに、聖女様の『聖力』は特殊です。生半可な素材では、着た瞬間に浄化されて消滅してしまいます」

 リリエは起き上がり、窓の外を見た。

 王都シンフォニアの夜景。

 白い建物ばかりが並ぶこの街は、夜になってもどこか明るく、影が薄い。

 それは「汚れ」を許さない、潔癖なまでの秩序の象徴だ。

「この国の職人たちは、『白』こそが至高だと信じています。だからこそ、死角があるんです」

『死角?』

「はい。……行きましょう、公爵様。この街が捨てた『ゴミ溜め』へ」

 ***

 深夜。二人は街外れにある「嘆きの森」へと足を運んだ。

 そこは、王都から排出される魔力廃棄物や、浄化しきれなかった瘴気が流れ着く場所として、立ち入り禁止区域に指定されている森だ。

 普通の人間なら近づくだけで気分を害する場所だが、魔界の空気に慣れた二人には、むしろ深呼吸したくなるほど快適だった。

「懐かしいな……。ギルドを追い出された時、よくここで泣いてました」

『リリエ……』

「でも、見てください。ここには『宝物』がいっぱいあるんです」

 リリエが指差した先。

 瘴気を吸って育った木々の枝に、銀色の蜘蛛の巣のようなものが張り巡らされていた。

 月光を浴びて、妖しく、しかし美しく輝いている。

「『月光蚕げっこうさんの繭』です。瘴気を浄化して絹に変える、珍しい虫なんですけど……この国では『穢れた虫』として駆除されちゃうんです」

『なんと。これほど美しい魔力を放っているのにか?』

「ええ。人間たちは『純粋な白』以外を認めませんから。……でも、聖女様の強すぎる光を受け止めるには、闇を知っている素材じゃないとダメなんです」

 リリエは手袋をはめ、慎重に繭を採取し始めた。

 光だけでは、光は際立たない。

 影があってこそ、光は輝く。

 それは、リリエがアビス公爵という「究極の影」を愛したことで辿り着いた、真理だった。

『……なるほど。毒を以て毒を制す、か。君らしい』

 公爵も手伝おうと手を伸ばす。

 その時だった。

 ズキン。

『ぐっ……!?』

 公爵が苦悶の声を上げ、膝をついた。

 心臓を鷲掴みにされたような激痛。スーツの上から胸を押さえる。

「公爵様!? どうしました!?」

『い、いや……何でもない。ただ、急に……懐かしいような、忌まわしいような気配を……』

 公爵の顔色が青ざめている。

 バンシー・シルクが「キィィィ」と警告音を上げ、スーツの表面にノイズのような亀裂が走った。

 ただごとではない。

 魔界ではあれほど無敵だった彼が、何かに怯えている。

「気配……?」

 リリエが周囲を見回すと、森の奥から、一人の少女が歩いてくるのが見えた。

 純白のドレス。

 月光よりも白い、透き通るような銀髪。

 年齢はリリエと同じくらいだろうか。

 彼女は泥だらけの森には似つかわしくない、発光するような清潔感を纏っていた。

 そして、その背後には――数人の武装した神殿騎士が控えている。

「――あら。こんな汚い森に、迷い猫かしら?」

 鈴を転がすような声。

 少女はリリエたちを見ると、無邪気な笑みを浮かべた。

 だが、その瞳には感情がない。まるでガラス玉のような、底知れぬ「空虚」が広がっていた。

「あ、あなたは……」

 リリエは息を呑んだ。

 間違いない。国中の肖像画に描かれている人物だ。

 この国の象徴にして、次期聖女祭の主役。

「聖女、ルミナ様……!」

 聖女ルミナ。

 生まれながらにして強大な聖力を持ち、触れるだけで病を治し、大地を浄化する「奇跡の御子」。

『……っ、が……あ……!』

 公爵の呻き声が大きくなる。

 聖女が近づくたびに、彼のスーツから黒い煙が上がり、まるで日光に晒された吸血鬼のように皮膚が焼ける音がする。

 ナイト・バロンの防御機能が、悲鳴を上げているのだ。

(どうして? ただ近づくだけで、こんなに……?)

 聖女ルミナは、苦しむ公爵を見て、小首を傾げた。

「嫌だわ。ひどい音。……中身が腐っているのかしら?」

 彼女はリリエを無視し、公爵の目の前に立った。

 そして、白く細い指を、公爵の頬(スーツの仮面)へと伸ばす。

「やめて!」

 リリエが割って入ろうとしたが、見えない壁に弾き飛ばされた。

 聖女の結界だ。

「触らないでください! 私の夫に!」

「夫? ……ふふ、面白い冗談」

 聖女の指先が、公爵の頬に触れる。

 ジュッ!!

 激しい音と共に、最強素材である「古竜のヒゲ」と「バンシー・シルク」で構成されたスーツが、溶解した。

 完璧だった美貌の頬に、醜い穴が空く。

 そこから覗いたのは、漆黒の闇――アビスの本体だ。

 普通の人間なら悲鳴を上げる光景。

 だが、聖女はうっとりと目を細めた。

「ああ……見つけた」

 彼女は、溶解した穴から覗く「闇」を、愛おしそうに撫でた。

「私の、捨てたゴミ(・・・・・)。……こんなところに隠れていたのね」

『……き、さま……は……』

 公爵が、憎悪と恐怖で震える声を絞り出す。

 記憶の封印が解かれていく。

 かつて自分が何者だったのか。

 なぜ、体も名も失い、魔界の影として彷徨うことになったのか。

 すべての元凶が、目の前にいる。

「久しぶりね、アビス。……いいえ、元・聖騎士団長アベル」

 聖女は、無垢な子供のように残酷に微笑んだ。

「せっかく私が『影』として切り離してあげたのに。……また、人の形に戻ろうなんて、悪い子」

 衝撃の真実。

 アビス公爵は、生まれながらの魔物ではなかった。

 かつて人間であり、聖女を守る騎士であり――そして彼女の「浄化」によって、存在そのものを「汚れ」として切り捨てられた成れの果てだったのだ。

「穢らわしいわ。……せっかく世界を白く染めようとしているのに、黒いシミが残っているなんて」

 聖女の全身から、眩いばかりの光が溢れ出した。

 それは慈愛の光ではない。異物を消滅させる、破壊の光だ。

 公爵のスーツが、次々と崩壊していく。

 バンシー・シルクが限界を超えて悲鳴を上げ、古竜のヒゲが焼き切れる。

『ぐあぁぁぁぁっ!!』

「公爵様!!」

 リリエは結界を拳で叩いた。

 拳から血が滲む。それでも叩き続けた。

 痛い。熱い。

 でも、彼が感じている痛みは、こんなものじゃないはずだ。

「やめろぉぉぉっ!!」

 リリエの叫びと共に、懐に入れていた「裁ち鋏」が共鳴した。

 魔界で数々の修羅場をくぐり抜けてきた、相棒の鋏。

 ジャキンッ!

 リリエが一閃すると、聖女の絶対防御である結界に、亀裂が入った。

「……あら?」

 聖女が驚いて振り返る。

「その人を……返して!!」

 リリエは亀裂から強引に手をねじ込み、崩れ落ちそうになる公爵の腕を掴んだ。

 聖女の聖力が、リリエの皮膚を焼く。

 構うものか。

 私は仕立て屋だ。どんなボロボロの布だって、私が繋ぎ止めてみせる。

「行きますよ、公爵様! 転移テレポート!」

 リリエは公爵が持っていた「魔界への緊急脱出スクロール」を奪い取り、起動させた。

 二人の姿が光に包まれる。

「逃がさないわ」

 聖女が手を伸ばすが、あと一歩届かない。

 転移の直前、リリエは聖女を睨みつけた。

 涙で濡れた、けれど決して折れない瞳で。

「彼はゴミじゃない! 私の……世界で一番大切な、お客様です!」

 ヒュンッ。

 二人の姿がかき消えた。

 残されたのは、静まり返った森と、微笑みを消して冷ややかに虚空を見つめる聖女だけ。

「……お客様、ね」

 聖女ルミナは、リリエが落としていった「月光蚕の繭」を踏み潰した。

「面白いわ。……なら、その薄汚い『愛』ごと、浄化してあげる」

 聖女祭まで、あと三日。

 人間界での戦いは、過去の因縁を巻き込み、最悪の形で幕を開けた。

 リリエはまだ知らない。

 公爵を救うためには、単に服を作るだけでなく、彼が失った「半身(光)」を取り戻さなければならないことを。


(第14話 完)

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