第13話:光の国からの招待状、あるいは復讐のドレスコード
第三章 人間界への凱旋 〜かつて捨てた故郷に、最愛の魔王を連れて〜
第13話:光の国からの招待状、あるいは復讐のドレスコード
アラクネ・シティでの激闘から数日後。
魔界と人間界の境界線に近い、霧深い街道を一台の馬車が進んでいた。
ただし、それは行きに乗ってきた禍々しい「夢魔の馬車」ではない。
白木で作られた上品な車体に、金色の装飾が施された、人間界仕様の高級馬車だ。
「……公爵様。窮屈じゃありませんか?」
車内でリリエが心配そうに尋ねる。
向かいの席には、先日完成した『ナイト・バロン・モード』のスーツを着こなしたアビス公爵が座っている。
彼は足を組み、窓の外を流れる景色を優雅に眺めていたが、その表情は少しだけ硬い。
『問題ない。……ただ、このあたりの空気は少し「薄い」な』
公爵が指先で窓ガラスをなぞる。
魔界の濃厚な魔力濃度に比べ、人間界に近づくにつれて空気は清浄に――彼らにとっては「希薄」になっていく。
それは、魔物にとって居心地の悪い環境であることを意味していた。
「無理もしないでくださいね。人間界の結界を抜ける時、少し酔うかもしれませんから」
『ふっ。誰に向かって言っている』
公爵は不敵に笑い、リリエの手を取った。
その手のひらから、ドクンと力強い脈動が伝わってくる。
『私には、君が仕立ててくれた最強の皮膚がある。それに、裏地のバンシー・シルクが、外部からの干渉も防いでくれているようだ』
そう言って彼は、スーツの襟元を寛げた。
チラリと見えた裏地では、呪いの布が「ウマい、ウマい」と言わんばかりに、人間界特有の清浄な気をパクパクと食べてフィルター代わりになっている。
本来は着用者を呪い殺すはずの布が、今や頼れる空気清浄機だ。
「ふふ、頼もしいですね。……でも、本当に良かったんですか? こんな強引な旅に付き合っていただいて」
リリエは視線を落とし、膝の上に置かれた「一通の手紙」を見つめた。
それは、アラクネ・シティのホテルに届いたものだ。
差出人は、人間界の大国・聖クラルテ王国にある『王立仕立て屋ギルド』。
封筒には、厳めしい封蝋と共に、こんな文面が記されていた。
――『元ギルド員・リリエへ。次期「聖女祭」における衣装選考会への出頭を命ずる。尚、拒否する場合は「魔界通謀罪」として国際指名手配とする』
招待状ではない。脅迫状だ。
かつてリリエを「異端」として追放した故郷からの、身勝手極まりない呼び出し。
『強引なのは向こうだ』
公爵の声色が、温度を失う。
サファイアの瞳が、手紙を焼き尽くすように細められた。
『私の妻に対し、「出頭」などと……。そのギルドごと「深淵」に沈めてやってもいいのだぞ?』
「ダメですよ。そんなことをしたら、それこそ『やっぱり魔女だった』って言われちゃいます」
リリエは苦笑したが、胸の奥はズキリと痛んだ。
聖クラルテ王国。
そこは「光の女神」を信仰し、清貧と規律を重んじる国だ。
リリエはそこの下町で生まれ、類稀なる魔力と裁縫の才能を持っていた。だが、彼女の作る服は、当時のギルドには受け入れられなかった。
――『お前の服は、着る人の欲望を暴きすぎる』
――『型紙通りに作れ。魂になど合わせるな』
そう否定され、居場所を失い、逃げるように魔界へ迷い込んだあの日。
まさか、こんな形で戻ることになるとは。
「私、怖かったんです。……あっちの世界の、正しい形に押し込めようとする空気が」
リリエが震える声で呟くと、公爵が席を立ち、隣に座り直した。
そして、大きな手でリリエの肩を抱き寄せた。
『リリエ。……君の作る服は、誰よりも自由で、温かい』
「公爵様……」
『彼らは知らないだけだ。君という才能を。そして、君が愛した私が、どれほど素晴らしい男になったかを』
公爵はニカッと笑った。
それは魔王の顔ではなく、愛する妻に見せる、無邪気な少年の顔だった。
『見せつけてやろうじゃないか。君が捨てたものではなく、君が選び取った「至高のオートクチュール」を』
その言葉に、リリエの迷いは消し飛んだ。
そうだ。私は一人で帰るんじゃない。
世界で一番素敵な旦那様(作品)と一緒に帰るのだ。
「……はい! 目にもの見せてやりましょう!」
リリエが顔を上げると同時に、馬車が大きく揺れた。
窓の外の霧が晴れ、眩い陽光が差し込んでくる。
国境を越えたのだ。
眼下に広がるのは、白亜の城壁に囲まれた巨大な都市。
聖クラルテ王国の王都、『シンフォニア』。
整然と並ぶ白い家々。規則正しく整備された石畳。
魔界の混沌とした極彩色とは真逆の、潔癖なまでに「白い」世界。
だが、今のリリエには、その白さが以前ほど眩しくは感じなかった。
隣に、頼もしい「漆黒」がいるからだ。
***
王都の検問所。
多くの商人や旅人が並ぶ中、リリエたちの馬車も列に加わった。
「次の者! 身分証を!」
銀色の鎧を着た衛兵が、事務的に声を上げる。
リリエは深呼吸をして、馬車の窓を開けた。
「……お久しぶりです。元ギルド員の、リリエです」
「リリエ? ああ、あの『はみ出し者』の……」
衛兵はリリエの顔を見ると、露骨に嫌な顔をした。彼女の悪名は、どうやらまだ残っているらしい。
彼は馬車の中を無遠慮に覗き込んだ。
「同乗者は? 魔界帰りとなれば、怪しい物を持ち込んでいないか検査が必要だ」
「私の夫です。……少し、体が大きいですが」
リリエが視線を向けると、奥の座席で微動だにしなかった影が動いた。
ヌゥ……と公爵が身を乗り出し、窓枠に肘をつく。
逆光。
衛兵の目に映ったのは、闇夜を切り取ったような漆黒のスーツと、人間離れした美貌を持つ男だった。
鋭い眼光。圧倒的な気品。
ただそこにいるだけで、周囲の空気がピリリと凍りつくような威圧感。
「ひっ……!?」
衛兵がたじろいだ。
魔物だからではない。「格が違いすぎる」という本能的な畏怖だ。
『……妻が世話になる。何か問題かな?』
公爵が低く囁くと、その声には微量な「魅了」の魔力が乗っていた。
衛兵は顔を赤らめ、直立不動で敬礼した。
「い、いえっ! 問題ありません! どうぞお通りください、美しき閣下!」
『うむ。ご苦労』
あっさりと通過許可が出た。
馬車が動き出すと、リリエは安堵のため息をついた。
「すごい……。人間の兵士まで魅了しちゃうなんて。ナイト・バロンの性能、良すぎませんか?」
『ふふん。君が作った服だからな。……だが、少し疲れた』
公爵がネクタイを緩める。
首元から、プシュッと小さなピンク色の蒸気が漏れた。
『今の衛兵……鎧の継ぎ目が錆びていたな。美しくない』
「そこですか? でも、確かにこの国の空気は……少し窮屈ですね」
窓の外を行き交う人々を見る。
誰もが同じような色、同じような形の服を着ている。
流行という名の制服。
個性を押し殺し、「正解」だけを身に纏う人々。
(昔は、これが当たり前だと思っていたけど……)
リリエは、自分の隣にいる規格外の存在を見た。
型に嵌まらない、不定形の愛。
それを知ってしまった今、この整然とした街並みが、まるで巨大な牢獄のように見えた。
「行きましょう、公爵様。ギルド本部は、この大通りの先です」
***
王立仕立て屋ギルド本部。
それは、街一番の一等地に建つ、神殿のような威容を誇る建物だった。
高い天井。磨き上げられた大理石の床。
その最奥にある「審美の間」に、リリエと公爵は通された。
部屋の中央には、円卓を囲むように数人の男女が座っている。
全員が、金糸銀糸で刺繍された豪華なローブを纏った、ギルドの幹部たちだ。
その中心に、一人の男がいた。
金髪碧眼。仕立ての良い白いスーツを着た、貴公子然とした青年。
「――やあ、リリエ。戻ってきたんだね」
男が爽やかな笑みを浮かべた。
リリエの背筋が、ゾクリと冷える。
忘れるはずもない。
彼は、クロード。
王立ギルドの若きギルド長であり、かつてリリエの婚約者だった男。
そして、「お前の作る服は気持ち悪い」と言ってリリエを追放した張本人だ。
「クロード様……。出頭命令とは、どういうことですか?」
「人聞きが悪いな。君の才能を惜しんで、チャンスをあげようと思ったんだよ」
クロードは大げさに手を広げた。
「今度の聖女祭で、この国を護る『聖女様』のための礼服を作ることになった。だが、普通の素材では聖女様の強大な聖力に耐えられない。……そこで、魔界の素材に詳しい君の手を借りたくてね」
リリエは唇を噛んだ。
要するに、「都合の良い下請け」として呼び戻されたのだ。
魔界の危険な素材加工だけをやらせて、手柄は自分たちが横取りするつもりだろう。
「お断りします。私はもう、この国の人間ではありません」
「強情だなぁ。……それに、君が連れているその男」
クロードの視線が、アビス公爵に向けられた。
侮蔑と、嫉妬が入り混じった冷たい目。
「どこの馬の骨か知らないが、随分と奇抜な格好をしているね。黒なんて不吉な色、この国では葬式くらいでしか着ないよ」
ギルドの幹部たちが、クスクスと嘲笑う。
この国では「白」こそが正義であり、「黒」は悪の色なのだ。
しかし、公爵は動じなかった。
彼はゆっくりと一歩踏み出し、クロードを見下ろした。
『……葬式、か。言い得て妙だ』
公爵の声が、大理石の広間に重く響く。
室温が一気に下がり、幹部たちの笑いが凍りついた。
『私は今、喪に服しているのだよ。……かつてこの場所にあり、君たちが殺してしまった「本物の美意識」にな』
「な、なんだと……!?」
「無礼者! ここをどこだと思っている!」
ざわめく室内。
だが、公爵はそれを一睨みで黙らせると、リリエの肩を抱き寄せた。
『紹介が遅れたな。私はアビス。……リリエの夫であり、彼女の最高傑作だ』
公爵が指を鳴らす。
バヂィッ!!
彼のスーツから、青白い火花(雷鳥の羽毛の効果)が散り、その背後に巨大な「影」が幻影のように浮かび上がった。
それは、人間の形を保ちながらも、底知れぬ深淵を覗かせる、圧倒的な人外の美しさだった。
『リリエに用があるなら、まずは私を通してもらおうか。……ただし、私の品定めに耐えられる目を持っていればの話だが』
クロードが息を呑み、後ずさる。
彼らが見たこともない素材。聞いたこともない縫製技術。そして、圧倒的なモデルのカリスマ性。
ギルド長としてのプライドが、本能的な敗北感に震えていた。
(……ああ、やっぱり)
リリエは、隣で堂々と啖呵を切る夫を見上げて、胸が熱くなった。
かつて自分を否定した男が、今は霞んで見える。
私の選んだ人は、私が作った服は、こんなにも素晴らしい。
「クロード様。お話はわかりました」
リリエは一歩前に出た。
怯えはもうない。あるのは、魔界で磨き上げた職人の矜持だけ。
「聖女様の衣装、コンペ形式で勝負しましょう。……私が勝ったら、今後一切の干渉を止めていただきます。そして、ギルドの保管庫にある『魔導書』をいただきますわ」
「なっ……!?」
「受けて立ちなさいよ。それとも、魔界帰りの『はみ出し者』に負けるのが怖いんですか?」
リリエの挑発に、クロードは顔を真っ赤にした。
「……いいだろう! 後悔させてやる!」
こうして、人間界への凱旋は、穏やかな里帰りではなく、国を挙げた「聖女のドレス対決」へと発展した。
だが、リリエは知らなかった。
その「聖女」こそが、かつてアビス公爵を影の姿に変えた、「光の呪い」の使い手であるということを。
運命の糸は、複雑に絡み合いながら、クライマックスへと手繰り寄せられていく。
(第13話 完)




