第12話:そのランウェイは戦場、あるいは愛の独壇場
魔界オートクチュール・コレクションの会場となった『大蜘蛛劇場』は、異様な熱気と、甘ったるい芳香に包まれていた。
すり鉢状の観客席を埋め尽くすのは、世界中から集まった貴族や富豪たち。
しかし、彼らの瞳はどこか虚ろで、焦点が合っていない。
ステージ中央に君臨するマダム・アラーニェが放つ、幻惑の魔香に当てられ、半ば催眠状態にあるのだ。
『さあ、ご覧あそばせ! これぞ究極の美! 絶対の支配!』
マダムが高らかに六本の腕を振るう。
ランウェイを歩くのは、彼女が仕立てた「洗脳ドレス」を纏ったモデルたちだ。
宝石を散りばめた豪華絢爛な衣装。けれど、モデルたちの表情に生気はない。
ドレスの裏地に張り巡らされた鋼糸が筋肉を強制的に収縮させ、まるで操り人形のように、カク、カクと不自然に美しいポーズを取らせているのだ。
「おお……素晴らしい……」
「マダムの服こそ至高……言い値で買おう……」
観客たちが夢遊病のように賛辞を贈る。
舞台袖の暗がりでその様子を見ていたリリエは、不快感を隠さずに眉をひそめた。
「……趣味が悪いですね。あれじゃ、人が服を着ているんじゃない。服が人を着ているみたい」
『同感だ。美しさのかけらもない』
隣に立つアビス公爵が深く頷く。
彼は今、リリエが魂を削って仕上げた新作スーツ『ナイト・バロン(夜の男爵)・モード』を完璧に着こなしている。
漆黒の中に銀の龍脈が走るその姿は、闇に溶け込みながらも、圧倒的な存在感を放っていた。
「準備はいいですか、公爵様?」
『ああ。……行こう、リリエ。本当のショーを見せてやろう』
その時。
ステージ上のマダム・アラーニェが、スポットライトを浴びて不敵に笑った。
彼女の視線が、正確に二人が潜む舞台袖を射抜く。
『さて、本日のメインイベントよ。……特別ゲスト、アビス公爵! どうぞステージへ!』
彼女が指を鳴らすと、劇場の天井から無数の「銀の糸」が降り注いだ。
それはただの演出ではない。対象を強制的に拘束し、心を縛る捕縛魔法だ。
マダムは、公爵を無理やりステージに引きずり出し、無様な姿を晒し者にした上で、自分の意のままに操るつもりなのだ。
『さあ、いらっしゃい! わたくしの糸に絡め取られ、無様な操り人形になりなさい!』
シュバババッ!
銀の糸が、舞台袖の暗闇へと殺到する。
観客が息を呑んだ、その瞬間。
ジャキンッ!!
鋭い切断音が響いた。
襲いかかった銀の糸が、一瞬にして千切れ飛び、キラキラと光の粒子になって霧散したのだ。
『なっ……!?』
「お断りします。私のモデルは、誰の糸にも操らせません」
凛とした声が響き渡る。
闇の中から現れたのは、巨大な裁ち鋏を構えた仕立て屋リリエ。
そして、その傍らに立つ、夜の化身のような魔王。
カッ、カッ、カッ……。
公爵がランウェイに足を踏み入れる。
その一歩ごとに、会場の空気が変わった。
マダムの甘ったるい支配の空気が霧散し、代わりに、背筋が凍るような、けれど目が離せない「圧倒的な夜の気配」が満ちていく。
『ば、バカな……! わたくしの拘束魔法を弾いただと!? それに、その服は……!』
マダムが目を見開く。
公爵が着ているスーツ。
それは、マダムが嫌がらせで送りつけた「バンシー・シルク(呪いの布)」を裏地に使ったものだ。
本来なら着用者を狂わせるはずの布が、今は公爵の魔力と共鳴し、妖艶な光沢を放っている。
さらに、その骨格を支えるのは、マダムの糸さえも凌駕する「古竜のヒゲ」だ。
公爵はランウェイの中央で立ち止まり、冷酷な美貌で観客を見下ろした。
ポーズなど取らない。ただそこに立つだけで、彼は王だった。
『……見るがいい』
公爵が低い声で告げる。マイクなど使わずとも、劇場全体が彼の声に支配された。
『これが、私の妻が仕立てた「愛の結晶」だ。……貴様の作る、魂のない布切れとは格が違う』
ドォォォォン……!
公爵の全身から、凄まじい覇気(魔力)が放出された。
本来ならスーツが耐えきれずに弾け飛ぶほどの出力。ピンク色の蒸気が世界を覆い尽くすはずの量だ。
しかし――
ギィィィィ……! ジュルルッ……!
スーツの裏地から、何かを貪るような微かな音が聞こえる。
バンシー・シルクだ。
呪いの布が、溢れ出る公爵の魔力(と愛情過多な情動)を、極上の餌として猛烈な勢いで吸い込んでいるのだ。
魔力を吸ったスーツは、単なる黒から、深い群青、そして紫へとグラデーションのように色を変え、オーロラのような神秘的な輝きを放ち始めた。
「な、なんだあれは……!」
「美しい……あんなスーツ、見たことがない!」
「見ろ! 動くたびに色が変わり、光を放っている!」
虚ろだった観客の目に、正気の光が戻る。
そして、熱狂へと変わった。
それは洗脳による強制的な拍手ではない。心からの感動によるスタンディングオベーションだ。
『ひ、悲鳴を上げなさい! 狂いなさい! なんでわたくしの呪いが効かないのよぉぉッ!』
マダム・アラーニェが絶叫し、形相を変えた。
彼女はドレスの裾を捲り上げ、自らの腹部から極太の「毒糸」を放った。
もはやショーではない。公爵を物理的に破壊しようという暴挙だ。
『死になさい、アビス公爵!』
紫色の毒糸が槍のように迫る。
だが、公爵は動かない。
動く必要がなかった。
「――サイズ直し(リサイズ)の時間ですね」
リリエが公爵の前に飛び出した。
手には愛用の巨大裁ち鋏。
彼女は迫りくる毒糸の雨の中を、舞うように駆け抜けた。
ジャキッ! ジャキキッ!
銀閃が走る。
古竜のヒゲにも負けない強度を持つ毒糸が、リリエの鋏にかかれば木綿糸のように切り落とされ、花吹雪のように散った。
「あなたの服は窮屈すぎます、マダム。……少し、風通しを良くしてあげましょうか」
リリエは一瞬でマダムの懐に飛び込むと、鋏を一閃させた。
シュパァァァッ!
マダムが着ていた豪華な「洗脳ドレス」の縫い目が、一瞬にして全て解かれた。
魔法による加護も、防壁も、リリエの「本質を見抜く目」の前には無力だった。
『きゃあぁぁぁっ!?』
ドレスがパラパラと分解され、マダムはその場にへたり込んだ。
露わになったのは、魔法で着飾っていた若作りな美女の姿ではない。
年相応に深い皺が刻まれた素肌と、それを隠すために締め上げられた無数の矯正下着、そしてみすぼらしい下着姿だった。
「ひ、ひぃぃ……! 見ないで! わたくしの真の姿を!」
マダムが悲鳴を上げ、自分の体を隠そうと丸まる。
観客たちは静まり返り、哀れみの視線を向けていた。
「……外見を取り繕うだけの服なんて、薄っぺらいものです」
リリエは鋏を収め、冷ややかに見下ろした。
「本当に良い服というのは、着る人の『中身』を引き出し、守り、肯定するためのもの。……あなたは、服への愛も、着る人への敬意も足りないわ」
勝負あり。
会場中から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
それはマダムへの嘲笑ではなく、リリエの職人としての強さと、公爵の圧倒的な美しさ――二人が示した「本物の美」への称賛だった。
***
ショーの終了後。
熱狂冷めやらぬ舞台裏で、公爵はリリエを抱きしめた。
『リリエ。……ありがとう。君のおかげで、私は胸を張ってこの場に立てた』
「ふふ、お疲れ様でした公爵様。完璧なウォーキングでしたよ」
リリエが公爵の背中を撫でると、スーツ越しにドクドクと早い鼓動が伝わってきた。
そして、裏地のバンシー・シルクが「ゲプッ」と満足げなげっぷをした。
『……実は、ずっと耐えていたのだ』
「え?」
『君が鋏を構えて戦う姿が、あまりにも凛々しくて……その、興奮を抑えるのに必死だった』
見れば、スーツの表面が微かにピンク色に点滅している。
呪いの布が必死に吸い込んでいるが、キャパシティ限界ギリギリのようだ。
オーロラの輝きだと思っていた光の一部は、実は漏れ出しそうになっていた「デレ」の輝きだったのだ。
「あはは……。バンシー・シルクさん、過労死しちゃいますね」
『ホテルに戻ろう、リリエ。……このスーツを脱がせてくれるのは、君だけだ』
公爵が熱っぽい瞳でリリエを見つめる。
その意味を察して、リリエは顔を赤らめ、小さく頷いた。
今夜は、耐久テストの結果報告会だ。もちろん、朝まで。
「……はい。たっぷりと、『メンテナンス』して差し上げます」
アラクネ・シティの夜景を背に、二人は寄り添って歩き出した。
マダム・アラーニェの野望を打ち砕き、魔界中にその愛を見せつけた最恐の夫婦。
ハネムーンはまだ終わらない。
リリエの職人としての名声は魔界中に轟き、公爵の惚気は止まらない。
次の目的地は、さらなる素材とトラブルが待つ「人魚の海底都市」か、それとも「灼熱のドワーフ鉱山」か。
どこへ行こうとも、この「仕立て屋」と「影」がいれば、どんな呪いも極上のドレスコードに変わるだろう。
(第12話 完)
(第二章 完)




